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キハ48 5802

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寒地向け便所付きキハ48-510として1979年7月美濃太田機関区に新製配備された。1991年1月冷房化改造(床下搭載型)される。1998年2月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装、キハ48-5502に改番された。1999年伊勢車両区に転属、2000年8月ワンマン化されキハ48-5802に改番された。2016年3月26日ダイヤ改正にて運用離脱、2016年3月27日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。 '13.5.12 紀勢本線 多気ー相可 P:楢井勝行

キハ48-3812

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寒地向け便所付きキハ48-529として1979年12月美濃太田機関区に新製配備された。1989年3月冷房化改造(床下搭載型)される。1989年3月〜1990年3月は伊勢運輸区に所属した。1991年3月エンジンをC-DMF14HZ(カミンズ350PS)に換装しキハ48-3529に改番、1992年10年名古屋車両区に転属し武豊線で運用されるが1999年キハ75形に置換えられて美濃大田車両区に戻った。1999年12月ワンマン化されキハ48-3812に改番された。そして2011年4月国鉄色に変更され注目を集めた。2014年12月伊勢車両区に転属、最後の活躍をする。2016年3月26日ダイヤ改正にて運用離脱、2016年3月29日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。 '08.3.10 高山本線 猪谷 P:楢井勝行


キハ11 10

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1989年1月伊勢運輸区に新製配備されたキハ11暖地向け便所無しセミクロスシート車である。当初の運用区間は紀勢本線(亀山〜多気)・参宮線・名松線であった。1999年3月に便所付きキハ11-300番台が増備、これとペアを組んで紀勢本線多気以南〜新宮にも運用されることとなった。2016年3月26日ダイヤ改正にて運用離脱、2016年3月28日ミャンマーに譲渡のため笠寺に回送された。写真はキハ11-10を先頭にした325Dである。以前は中間2輌にキハ11-300番台が入る編成であったが2011年3月11日ダイヤ改正にて鋼製車とステンレス車が交互に並ぶ編成になった。 '12.5.20  紀勢本線 阿曽--伊勢柏崎 P:楢井 勝行

キハ35 904

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キハ35 900代は、1963年東急車輛製造のオールステンレスカー。10輌製造され、千葉気動車区配置され、房総各線で運用された。904の晩年は相模線で使用され、相模線カラーに前面に斜めの車輛番号を付け、電化工事のなかを、10輌の最後の1輌として電化前日(1991年3月15日)まで使用された。1995年除籍。 '89.10.20 相模線 相武台下ー下溝 P:高澤 一昭

キハ40-6311

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暖地向けキハ40-2130として1981年5月美濃太田機関区に新製配備された。1991年3月冷房化改造(床下搭載型)される。1995年12月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装、キハ40-6011に改番された。1999年12月ワンマン化されキハ40-6311に改番、そして伊勢車両区に転属した。2016年3月26日ダイヤ改正にて運用離脱、2016年3月29日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。 '10.11.3 紀勢本線 阿曽―伊勢柏崎 P:楢井勝行

キハ48-6302

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準寒地向け便所無し金属バネDT22系装備のキハ48-1002として1981年7月美濃太田機関区に新製配備された。1990年10月冷房化改造(床下搭載型)される。1997年4月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装、キハ48-6002に改番された。1999年伊勢車両区に転属、2000年2月ワンマン化されキハ48-6302に改番された。2016年3月26日ダイヤ改正にて運用離脱、2016年3月27日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。 '10.12.19 紀勢本線 川添--三瀬谷 P:楢井勝行

キハ28 2329

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1964(昭和39)年に帝国車輛でキハ28 329として製造され、広島に配置。冷房化工事に伴い、2000番代2329となる。2007年6月に芸備線の急行列車が廃止され、岡山に転属した際に本来の急行色に戻され、イベント列車等で活躍した。現在は僚機キハ58 563と共に旧津山機関区の扇形庫で保存されている。 '92.5 広島運転所 P:清原正明

キハ48-5817

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寒地向け便所付きキハ48-542として1980年6月美濃太田機関区に新製配備された。1990年6月冷房化改造(床下搭載型)される。1995年11月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装、キハ48-5518に改番された。1999年伊勢車両区に転属、2000年3月ワンマン化されキハ48-5817に改番された。2016年3月26日ダイヤ改正にて運用離脱、2016年3月29日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。 '13.6.9 紀勢本線 栃原 P:楢井勝行

キハ48 5 

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1982年にキハ48 4〜6ほか5輌が敦賀に新製配置されたが、1989年に5輌とも小郡に移動。その後、2003年度に5・6・1003が岡山に移動し、津山・吉備線で活躍した。両端片開きドアを生かして急行「つやま」専用車両に抜擢されたが、しかし、2009年3月改正で急行「つやま」は廃止、デッキ付きでワンマン化されなかったことが災いし、これら3輌も急行「つやま」廃止と運命を共にした。ちなみにキハ48はセミクロス車のため"遜色急行"と呼ばれていた。 '09.3.7 津山線 法界院ー備前原 P:中村和幸

キハ48-6812

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寒地向け便所無しキハ48-1529として1980年12月美濃太田機関区に新製配備された。1989年6月冷房化改造(床下搭載型)、1992年10年名古屋車両区に転属し武豊線で運用される。1996年8月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装しキハ48-6512に改番、1999年キハ75形に置換えられて美濃大田車両区に戻った。1999年12月ワンマン化されキハ48-6812に改番された。そして2011年6月国鉄色に変更され人気の的となった。2015年7月伊勢車両区に転属、最後の活躍をする。2016年3月26日ダイヤ改正にて運用離脱、2016年3月29日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。 '11.7.21 参宮線 二見浦 P:楢井勝行

キハ48-6816

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寒地向け便所なしのキハ48-1537として1980年6月美濃太田機関区に新製配備される。1990年8月冷房化改造(床下搭載型)される。1996年3月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装、キハ48-6516に改番された。1999年伊勢車両区に転属、2001年2月ワンマン化されキハ48-6816に改番された。2015年12月1日運用離脱しミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。写真は臨時快速"熊野古道伊勢路号"に充当されたキハ48-6816である。 '10.6.27 紀勢本線 栃原−川添 P:楢井勝行

キハ11 100番代 

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1988年に新潟鐵工所とJR東海名古屋工場で23輌(101〜123)製作された。基本構造は0番代と同じであるが、笛シャッタの取付や扉付近の保温対策が施され寒地向けとなっている。当初は全車が美濃太田車両区に配置され、後に伊勢車両区へ一部は移動し活躍したが、2015年10月30日付で伊勢車両区の3輌が廃止されて全廃となった。 '89.8.12 キハ11−108 美濃太田 P:長岡行夫

JR東海 キハ48-6502

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寒地向け便所なしのキハ48-1516として1979年7月美濃太田機関区に新製配備される。1988年7月冷房化改造(床下搭載型)される。1998年8月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装、キハ48-6502に改番された。1999年伊勢車両区に転属、活躍の場を紀勢本線と参宮線に移す。2011年12月に国鉄色になり人気を博した。2015年12月1日運用離脱、12月3日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。 '11.7.21 参宮線 多気−外城田 P:楢井勝行

キハ48-6502

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寒地向け便所なしのキハ48-1516として1979年7月美濃太田機関区に新製配備される。1988年7月冷房化改造(床下搭載型)される。1998年8月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装、キハ48-6502に改番された。1999年伊勢車両区に転属、活躍の場を紀勢本線と参宮線に移す。2011年12月に国鉄色になり人気を博した。2015年12月1日運用離脱、12月3日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。 '11.7.21 参宮線 多気−外城田 P:楢井勝行

キハ40-514

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寒冷地向けキハ40-500番代の一輌として1978年1月新製、小牛田機関区に配備された。1990年3月山形運転所に転属、1991年3月新庄運転区に転属、そして1993年12月会津若松運輸区に転属し只見線や磐越西線で活躍した。2005年12月郡山総合車両センター会津若松派出所に移管となった。2015年8月27日廃車、ミャンマーに譲渡された。写真は小出から長駆只見線を走破した430D、先頭のキハ40-514に乗車し4時間の旅が終わった記念の一枚。 '08.4.8 只見線 会津若松 P:楢井勝行

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第41回 交通図書賞 奨励賞受賞

JR東日本 キハ40-562

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1980年2月郡山機関区に新製配備された。1991年3月新庄運転区に転属、そして1999年3月会津若松運輸区に転属し只見線や磐越西線で活躍した。2005年12月郡山総合車両センター会津若松派出所の所属となった。2011年7月下旬、新潟福島豪雨により不通区間に取り残され会津塩沢〜会津蒲生のスノーシェード内に留置された。2012年8月末、現地より搬出され郡山総合車両センターまでトレーラーで陸送された。そして整備検査のうえ2013年3月運用復帰した。しかし非冷房車であっため

JR東海 キハ48-5518

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寒地向け便所付きのキハ48-543として1980年6月美濃太田機関区に新製配備される。1990年2月冷房化改造(床下搭載型)される。1997年12月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装、キハ48-5518に改番された。1999年伊勢車両区に転属し紀勢本線や参宮線で活躍した。2015年12月1日運用離脱しミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。写真は322D、4両目(国鉄色キハ40-3005の前方)がキハ48-5518である。中間に入る運用が多く先頭に立つ姿を撮ることが出来なかったことが悔やまれる。
'13.5.13 紀勢本線 阿曽−伊勢柏崎 P:楢井勝行

JR東海 キハ11-2

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1989年1月伊勢車両区に新製配備されたキハ11暖地向け便所無しセミクロスシート車である。紀勢東線・参宮線・名松線で活躍した。2015年8月キハ25系2次車に置き換え、2015年10月29日ミャンマーに譲渡のため笠寺に回送された。写真は早朝の栃原駅に停車するキハ11-2を先頭にした325D、多気以南で唯一のキハ4輌編成であった。 '11.3.6 紀勢本線 栃原 P:楢井勝行

JR東海 キハ40-6308

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キハ40-2112として1981年4月奈良機関区に新製配備された。国鉄民営分割時にはJR東海の伊勢機関区所属となった。1989年美濃太田車両区に転属、1991年2月に冷房化改造(床下搭載機器型)、1997年10月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装しキハ40-6008に改番、さらに2000年2月ワンマン化改造されキハ40-6308に改番され伊勢車両区に転属した。その後再度美濃太田車両区に転属した。2015年7月1日運用離脱、2015年7月7日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。写真は高山〜飛騨古川の区間列車で活躍するキハ40-6308である。 '08.3.10  飛驒古川 P:楢井勝行

JR東海 キハ48-6814

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寒地向け便所無しのキハ48-1531として1980年2月美濃太田機関区に新製配備、高山本線や太多線で運用される。1989年11月冷房化改造(床下搭載型)される。1995年6月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装、キハ48-6514に改番された。その後1999年伊勢車両区に転属した。2000年6月ワンマン化、キハ48-6814に改番された。2015年6月30日美濃太田車両区のキハ40系の運用が終了、検査期間が長く残るキハ40系3輌が伊勢車両区に転属した。玉突きでキハ48-6814が余剰となり2015年7月30日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。 '11.7.21 紀勢本線 松阪−徳和 P:楢井勝行

JR東海 キハ11-107

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1989年2月美濃太田車両区に新製配備された寒地向け便所無しセミクロスシート車である。後に伊勢車両区に転属し活躍の場を紀勢本線・参宮線・名松線に移す。2015年8月キハ25系2次車に置き換え、2015年10月29日ミャンマーに譲渡のため笠寺に回送された。写真は山深い家城駅にて交換を待つ伊勢奥津発鳥羽行きのキハ11-107単行列車である。この後2009年10月、台風18号の被害により家城〜伊勢奥津が不通となっており、2016年3月26日復旧予定までは家城にて折り返し運転を行っている。 '08.12.14 名松線 家城 P:楢井勝行

JR東海 キハ11-4

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1989年1月伊勢車両区に新製配備されたキハ11暖地向け便所無しセミクロスシート車である。当初の運用区間は紀勢本線(亀山〜多気)・参宮線・名松線であった。1999年3月に便所付きキハ11-300番台が増備、これとペアを組んで紀勢本線多気以南〜新宮にも運用されることとなった。2015年8月キハ25系2次車に置き換え、2015年10月29日ミャンマーに譲渡のため笠寺に回送された。写真はキハ11-4を先頭にして新宮に到着した325Dである。後方2輌は330C→332Cとして多気へ、前方2輌は334Cとして亀山へ向かう。尚、新宮に停泊するキハ11は無く全てその日のうちにJR東海管内に戻っていく運用であった。 '09.1.17 紀勢本線 新宮 P:楢井勝行

JR東海 キハ11-2

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1989年1月伊勢車両区に新製配備されたキハ11暖地向け便所無しセミクロスシート車である。紀勢東線・参宮線・名松線で活躍した。2015年8月キハ25系2次車に置き換え、2015年10月29日ミャンマーに譲渡のため笠寺に回送された。写真は早朝の栃原駅に停車するキハ11-2を先頭にした325D、多気以南で唯一のキハ4輌編成であった。 '11.3.6 紀勢本線 栃原 P:楢井勝行

JR東海 キハ11-1

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JR東海オリジナルの一般車キハ11初号機として1989年1月新潟鐵工所にて製造された。暖地向け便所無しのセミクロスシート車で伊勢車両区に配備され紀勢東線・参宮線・名松線で活躍した。2015年8月キハ25系2次車に置き換え、2015年10月29日ミャンマーに譲渡のため笠寺に回送された。 '11.11.30 参宮線 多気−外城田 P:楢井勝行

JR東海 キハ11-8

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1989年2月伊勢車両区に新製配備された暖地向け便所なし車である。当初の運用区間は 紀勢本線(亀山〜多気)・参宮線・名松線 であった。1999年3月に便所付きキハ11-300番代が増備、これとペアを組んで紀勢本線多気以南〜新宮にも運用されることとなった。2015年8月1日名古屋車両区に新製投入されたキハ25形2次車に置き換えられ運用を離脱、2015年8月5日ミャンマーに譲渡されるため笠寺に回送された。写真は夕暮れの撮影名所を行く 新宮寄り キハ11-8 + キハ11-300番代 多気寄り からなる334Cである。この混結も過去の思い出となってしまった。  紀勢本線 阿曽−伊勢柏崎 P:楢井勝行

キハ11-108

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1989年2月新製、寒地向け便所無し車であるが伊勢車両区に配備された。当初の運用区間は、紀勢本線(亀山〜多気)・参宮線・名松線 であったが、1999年3月以降は増備された便所付きキハ11-300番代とペアを組んで紀勢本線多気以南〜新宮まで運用区間を増やした。2015年8月1日名古屋車両区に投入されたキハ25形2次車に置き換えられ運用を離脱、2015年8月5日ミャンマー譲渡のため笠寺に回送された。写真は撮影名所の築堤を走る鳥羽行きキハ11の2連、キハ11-108は先頭に立っている。 '11.3.5 参宮線 多気−外城田 P:楢井勝行

キハ40-6309

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キハ40-2113として1981年4月奈良運転所に新製配備された。国鉄民営分割時にはJR東海の伊勢機関区所属になった。1988年3月美濃太田機関区に転属、1991年6月冷房化改造(床下搭載機器型)、1998年2月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装しキハ40-6009に改番、さらに1999年12月ワンマン化改造されキハ40-6309に改番された。そして2011年6月には国鉄色塗装となった。2015年7月1日運用離脱、2015年7月29日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送された。写真は国鉄色キハ40重連で運転された快速「熊野古道伊勢路」号(上り)である。伊勢車両区に貸し出されたキハ40-6309が先頭に立っている。屋根上分散型クーラー搭載のキハ40-3005(熊野市寄り)と原型を保つキハ40-6309(多気寄り)との対比が興味深い。 '11.27 紀勢本線 阿曽−伊勢柏崎 P:楢井勝行

キハ40-3005

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2015年7月15日運用離脱し2015年8月2日ミャンマー譲渡のため笠寺へ回送されたキハ40-3005。雑誌等で近年目にする姿は国鉄色に塗装変更されたものが多かった。長年の活躍に敬意を表し余り注目されていたかった頃の姿を紹介したい。326Dの先頭に立つJR東海色時代の白く洒落たキハ40-3005、この半年後に一躍人気者になるとは想像も出来なかった。 '10.12.19 紀勢本線 多気−相可 P:楢井勝行


キハ11-6

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キハ85系に続き、JR東海オリジナル車として1989年キハ11が新製された。キハ85と同じカミンズ製エンジン(C-DMF14HZA、但し330PSにデチューン)を搭載する。これにより従来の国鉄型気動車と比較して最高速度を除き大幅に走行性能が向上した。室内は車体中央に6組のボックスシートを配置したセミクロスシートである。写真の先頭車がキハ11-6、1989年2月伊勢車両区に新製配備された暖地向け便所無し車である。当初の運用区間は、紀勢本線(亀山~多気)・参宮線・名松線であった。1999年3月に便所付きキハ11-300番代が増備、これとペアを組んで紀勢本線多気以南~新宮まで運用区間を増やした。2015年3月ダイヤ改正にて美濃太田車両区より撤退した検査期間が長く残っているキハ11と交代する形で運用を離脱、ミャンマーに譲渡されることになった。 '10.11.28 紀勢本線 松阪-徳和 P:楢井勝行

キハ11-112

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1989年2月美濃太田車両区に新製配備された寒地向け便所なし車である。後に伊勢車両区に転属し活躍の場を紀勢本線・参宮線・名松線に移す。美濃大田車両区に配備・転属されたキハ25系・キハ75系により余剰となった検査期間の残るキハ11-100番代に置き換えられ2015年4月ミャンマーに譲渡されることになった。写真は櫛田川を渡るキハ11-112+キハ11-10の普通列車、キハ11-112は多気寄りに連結されている。 '10.11.29 紀勢本線 徳和-多気 P:楢井勝行


キハ11-111

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1989年2月美濃太田車両区に新製配備された寒地向け便所無し車である。後に伊勢車両区に転属し活躍の場を紀勢本線・参宮線・名松線に移す。写真は山深い伊勢奥津駅に停車中のキハ11-111である。この後2009年10月、台風18号の被害により家城~伊勢奥津が不通となった。運転再開は2016年春になる予定である。しかしキハ11-111は2015年4月ミャンマーに譲渡されることになった。よって再びキハ11-111が伊勢奥津駅に姿を現すことはなくなった。 '08.12.14 名松線 伊勢奥津 P:楢井勝行


キハ48-5805

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空気バネDT44系台車を装備する寒地向け便所付きのキハ48-513として1979年7月美濃太田機関区に新製配備された。JR化後床下搭載型による冷房化改造を受けた。1998年5月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装、キハ48-5505に改番された。1999年伊勢車両区に転属、活躍の場を紀勢本線・参宮線に移した。2000年12月ワンマン化、キハ48-5805に改番された。2015年4月初旬、美濃太田車両区より検査期間が長く残るキハ48が転属、余剰となったキハ48-5805はミャンマーに譲渡されることになった。 '10.11.2 紀勢本線 阿曽-伊勢柏崎 P:楢井勝行

キハ48-6805

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寒地向け便所なしのキハ48-1519として1979年7月美濃太田機関区に新製配備、高山本線や太多線で運用される。JR化後床下搭載型による冷房化改造を受けた。1998年7月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装、キハ48-6505に改番された。2003年7月ワンマン化、キハ48-6805に改番された。2007年8月伊勢車両区に転属、活躍の場を紀勢東線と参宮線に移した。2014年12月初旬より美濃太田車両区で運用開始したキハ25-1000番台により余剰となったキハ40系6輌の内2輌が伊勢車両区に転属、玉突きでキハ48-6805が運用離脱、2014年12月中旬に浜松運輸区に廃車回送された。夏場は冷房能力不足を感じたがカミンズ350PSエンジンによる加速感は素晴らしく、国鉄時代の鈍重なキハ40系に乗車していた世代としてはその強烈な走りに度肝を抜かれた。 '10.11.3 紀勢本線 栃原-川添 P:楢井勝行

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キハ58とキハ65に挟まれる形で、国鉄時代からの改造トロッコ3輌が連結されていた。「トロッコ列車」として編成は以前から完成していたが、2002年より「トロQ列車」として改め、大分~湯布院間で運転を開始。トラの車内に設置された木の椅子は、雨の日は困難を喫したが、座ると走行中、レールからの振動がもろに伝わってくるので、ファン心をくすぐっていた。毎日のように運行されたが、乗客の減少と老朽化などで2009年11月29日に廃止された。大分車両センターで編成解体後、キハ58 569・65 36形は小倉工場で九州色には戻されず、国鉄色となり九州最後のキハ58・キハ65としてファンの注目を集めた。2002年以前のトラはレインボーで装飾されていた。キハ65 36は解体されたがキハ58 569とトロッコ3輌は保留車の扱いとなっている。 '09.3.15 久大本線 豊後国分-賀来 P:賀来正博

キハ48-5303

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準寒地向け便所付きとして金属バネDT22系を装備し6輌のみ製造されたキハ48-0番代。キハ48-5303はキハ48-3として1981年7月美濃太田機関区に新製配備された。JR化後床下搭載型による冷房化改造を受けた。1994年10月エンジンをC-DMF14HZB(カミンズ350PS)に換装、キハ48-5003に改番された。2003年5月ワンマン化、キハ48-5303に改番された。2007年8月伊勢車両区に転属した。2014年12月初旬、美濃太田車両区に投入されたキハ25-1000番台による玉突き転配により余剰となり、2014年12月中旬に浜松運輸区に廃車回送された。 '12.1.29 紀勢本線 阿曽-伊勢柏崎 P:楢井勝行

キハ480 1302

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キハ400系、480系は、札幌~稚内間を結ぶ急行「宗谷」「天北」に使用されていた14系客車を置き換え、高速化を図るため、1988年にキハ40系形気動車13輌(キハ40形100番代9輌、キハ48形300番代1輌、1300番代3輌)を急行列車用に改造して誕生した。キハ48 1301~1303(便所なし片運転台)は、1982年新潟鉄工所で製造され札幌・旭川地区で使用された後キハ480 1301~1303に改造されたが、2000年札幌~稚内間を結ぶ急行「宗谷」の特急格上げに伴い余剰となり、学園都市線にキハ48 1331~1333として再改造され使用された。2013年同線が電化されると車籍を抹消され、ミャンマー国鉄に譲渡された。 '90.8 新旭川 P:佐々木裕治

キサロハ182-554

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1991年日立製作所笠戸事業所で製作された「スーパーとかち」用の2階建付属車。1階部分に2人用個室5室、2階にグリーン車が設けられていた。2000年3月ダイヤ改正まで「スーパーとかち」に使用された他、後年はHET色に変更され「おおぞら」にも使用された。2001年7月ダイヤ改正で運用を外れ、長らく保留車として釧路運輸車両所に留置されていたが、2013年12月廃車された。 '91.8 札幌運転所 P:佐々木裕治

キハ33 1002

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このキハ33、阪神淡路大震災の2日前に撮影したもの。キハ40が初代鬼太郎列車となり話題になったころである。キハ33は1988年、余剰となったオハ50を改造したもので、現在も四国で活躍するキハ32とほぼ同様のDMF13HSエンジンを1基積んでいる。しかし、コストがかさんだため、1000番代2輌の改造にとどまった。米子運転所に所属し主に境線で運用され、1002はキハ33専用色(アイボリーに青帯)→鳥列車→鬼太郎列車と塗色が変わった。境線の運用から外れると、首都圏色に変更、鳥取鉄道部西鳥取車両支部に転属して予備車となり、2010年3月に廃車された。 '95.1.15 境線 境港 P:中村和幸

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トマムサホロエクスプレスは、JR北海道がJR苗穂工場でに製作したジョイフルとレインで、キハ80系を改造し、車体は台枠のみを再利用して鋼体を新製、屋根を車輌限界まで上げ全面的なハイデッカー仕様としている。1987年12月から、キハ84 101+キハ83 101+キハ84102の3輌編成により、「アルファコンチネンタルエクスプレス」とともに、札幌~トマム・新得間のリゾート列車として運行された。さらに翌年には食堂車キシ80 501、中間車キハ83 102が落成し5輌編成となった。後年、スキー客の減少などにより食堂車などを外し3輌編成に戻され、1999年から「マウントレイク編成」として緑主体の塗装となった。2002年10月運用から離脱、キシ80を除いて2004年3月廃車された。 '91.2 函館本線 白石ー苗穂 P: 佐々木裕治

キハ40 764

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キハ40 100番代は、北海道向けの酷寒地用気動車として1977年から1982年に150輌 (101 ~250) が富士重工業および新潟鉄工所で製造された。キハ40 764は、釧路運転所に配置されていたキハ40 230を1992年10月苗穂工場でワンマン化改造し改番され、根室本線や釧網線で使用されていた。1999年映画『鉄道員』の撮影のため、作品に登場するキハ12に似せるため、側窓上部のHゴム支持化、前面パノラミックウィンドウの平窓化、前照灯の貫通路上部への設置を行う等の改装が施され、塗装もデビュー当時の朱5号とされた。撮影後の2000年夏には、富良野~幾寅間で鉄道員のヘッドマークを付け臨時列車「ぽっぽや号」として運転された。その後は保留車とされていたが、車体改装により老朽化が進み、2005年6月廃車された。なお、先頭部はロケ地の幾寅駅前に保存されている。 '00.6.11 根室本線 幾寅 P:佐々木裕治

キハ27 501(500、550)

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札幌〜函館間の夜行バスに対抗するため、1988年キハ27形200番代4輌を改造して誕生し、同年7月から、臨時夜行快速「ミッドナイト」として運転を開始した。キハ27 501・502は、座席間隔を広げたリクライニングシートを設置したドリームカー、キハ27 551・552はカーペット敷きとしたカーペットカー、いずれの車輌も冷房化され白地に緑2号の帯とアクセントにピンクを配した塗装に変更され、ドリームカーにはミニサロンと自動販売機が、カーペットカーには女性専用区画が設けられた。改造後は函館運転所に配置され、ドリームカーとカーペットカーの2輌編成で運行された。需要増に対応するため、1990年にカーペットカー2輌が追加改造(553、554)され、多客期には3輌編成で運転され、この時定期列車化された。また、札幌地区では間に合い運用で「芦別号」などにも使用された。2000年になると老朽化のため183系気動車に置換えられ、2001年3月全車廃車された。 '96.4.29 函館本線 白石-苗穂 P:佐々木裕治

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1989年に大阪~浜坂を福知山線経由誕生した特急列車。電車特急の「北近畿」を非電化区間に延長する形で登場した。種車はキハ65形であるため、最高速度は95km/hである。この車輌はそれまでの「エーデル丹後」や「エーデル鳥取」のように485系などの電車との連結はできない。「エーデル北近畿」として運用が終了した後は、急行「だいせん」として運転されたが、2004年10月のダイヤ改正で「だいせん」が廃止され、後にこの車輌も廃車された。 '92.6.14 山陰本線 鎧-餘部 P:田中博憲

キハ65 5000番代

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1991年に名古屋-伊勢市を結ぶ快速「みえ」のスピードアップを図るために、台車枠の交換とブレーキ装置の変更で、運転最高速度を110km/hとした。また室内の座席はリクライニングシートに交換され、5000番代に区分され活躍したが、2001年にキハ75形に置き換えられ消滅した。 '91.4.29 関西本線 四日市 P:長岡行夫

キハ58 3000番代

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'89年に急行「かすが」用に、座席をリクライニングシートに交換が行なわれましたが、パワーアップ、高速化改造は実施されず、2001年に廃車となった。 '94.4.30 関西本線 四日市 P:長岡行夫

キハ58-1022 ・キハ28-2371

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2003年新潟色から国鉄急行色に復元、磐越西線や米坂線で活躍した。2006年3月定期運用から離脱、イベント列車に使用された後、2010年1月廃車となった。写真は「おもいでの急行野沢号」を撮ったものである。独特の形状をしたタイフォンカバーと白文字の車輌番号が印象的であった。 '09.11.15 信越本線 豊野 P:楢井勝行

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1989年、キハ58-1038、キハ28-2505、キハ58-1039、を改造しキロ59-510・511、キロ29-506 、キロ59-511「グラシア」が登場した。2000年普通車に格下げ、2003年リニューアルされ「こがね」となった。両先頭車運転席横はラウンジとなっており抜群の前面展望を誇った。一般席は通路が片側に寄せられており、グリーン車同等のシートピッチで1人掛けと2人掛けが交互に並ぶ横3列座席であった。格下げされたあとでも横4列座席の在来線特急グリーン車より豪華でゆったりしていた。2010年12月引退、その後フィリピンに輸出された。写真は新庄発小牛田行き「ゆけむりこがね」小牛田到着後を撮ったものである。この列車の先頭車に乗車し、雪深い陸羽東線の眺めとDT22系コイルばね台車のゴツゴツした乗り心地を満喫した。 '08.1.14 東北本線 小牛田 P:楢井勝行

キハ65「エーデル丹後」

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キハ65改造車エーデルシリーズの第一弾として1998年に登場、電化区間は485系北近畿に牽引され北近畿タンゴ鉄道には単独で自走した。KTR8000タンゴディスカバリーにその任を譲り晩年は波動輸送で活躍し、2010年3月に廃車された。エーデルシリーズではこの2輌のみ一般室側窓も座席2脚分に拡大されており、展望室一般室とも明るく開放感に溢れていた。写真は旧餘部橋梁観光用に運転された快速あまるべマリン。この列車に乗車したが、金魚鉢のような展望室は冷房の効きが弱く4月末でもかなり暑い思いをした。 '09.4.29 山陰本線 浜坂 P:楢井勝行

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1986年、幡生工場にて改造されたジョイフルトレイン。所属は小郡機関区(のち小郡運転区から山口鉄道部に改称)。室内はカーペットと掘りごたつが設置され小口団体輸送として活躍した。主に中国地区での運用に従事していたものの、老朽化に伴い2007年10月28日にさよなら運転実施、同年11月9日に廃車となった。 '04.10.2 山陽本線 瀬野-八本松 P:泉谷 純

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急行列車用として用いられていたキハ65を、冬季の「シュプール号」に使用するため、1989年に改造された車輌である。シーズン以外は多客臨にも利用され、2編成4輌が在籍し塗装は第一編成が白に水色とグリーンのライン、第二編成が白に黄色と水色のラインであったが老朽化に伴い'10年10月に廃車となった。 '92.8.12 糸魚川運転区 P:長岡行夫

キハ58 1114

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キハ58 1114は、現役のキハ58の中で、最後まで残ったパノラミックウィンドウ車。暖地形の車両で、製造後は福知山運転所に所属していたが、1999年に高岡鉄道部に転属。その後、北陸地域を点々とし、晩年は富山鉄道部に所属する。2006年より、高山本線富山~越中八尾間の列車増発実験に使用されていたが、2011年3月のダイヤ改正で、定期運用を終了した。 '10.8.19 高山本線 富山 P:有木裕一

キハ58系「こがね」

gurasia.jpg仙台支社が保有していた「グラシア」引退車輌を、2003年に洋風気動車にリニューアルして登場したキハ58系気動車の3輌編成。「こがね」の愛称は「黄金街道」のイメージから名づけられ、外観はゴールドが基調の外装色となった。主に臨時快速列車「こがねふかひれ号」として運転され、2010年に老朽化に伴い廃車となった。 '05.4.29 石巻線 上涌谷-小牛田 P:長岡行夫

キハ65「エーデル鳥取」

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キハ65改造の展望車2輌を含む5輌編成で、1988年に登場し山陰本線の非電化区間(城崎温泉駅以西)を主に活躍した。その後エーデル運用消滅後も団体輸送や観光列車として運用されたが、老朽化により2010年に廃車された。車体塗装は白に水色のラインで展望部のみ赤色であった。 '90.8.15 山陰本線 滝山信号場 P:長岡行夫

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'88年に登場したキハ65・28形気動車改造の3輌編成で金沢支社が保有していた。登場時の外観は青のストライプを有していたが、'98年のリニュアール時には青帯はなくなり'07年に廃車となった。 '01.4.15 信越線 黒姫─牟礼 P:長岡行夫

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キハ58系気動車改造で'87年に登場した2輌編成。キロ29 551・キロ59 551で米子支社が保有していた。運用は山陰地方を拠点に運転することが多くまた、「ふれあいSUN-IN」との連結による多客臨も頻繁に行われた。2009年廃止。スイッチバックの滝山信号場にて、下り列車通過後に待機線よりバックで鳥取側の待機線へ移動中の様子。 '90.8.15 山陰本線 滝山信号場 P:長岡行夫

キハ56形550番代

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キハ56形気動車の改造で1990年に登場した。形式はキハ56形のままで550番代に改番され2輌とも普通車扱いで、主に多客時に運行されていたが1997~1999年に順次廃車となった。 '92.5.2 礼文-小幌 P:長岡行夫

キハ58系 ビバウエスト

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'89年幡生車両所にてキハ58系気動車を改造して製作された。2輌編成、前面は非貫通形状で、助手席側には大形窓を設けて展望をよくし前面下部はスカートで覆っている。また、車体塗装はアイボリーホワイトにスカイブルーとピンクの帯を入れている。配置は小郡運転区で臨時快速列車「ブルーライナー」として運行し団体・多客臨時列車に使用されていたが'99年に廃車となった。 '90.8.13 長門二見 P:長岡行夫

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1988(昭和63)年にキハ65形とキハ28形を改造して誕生した欧風グリーン車3輌編成。JR西日本金沢総合車両所所属。大阪と和倉温泉を結ぶ485系雷鳥と併結し運転された「ゆぅトピア和倉」の2号機として誕生。実際には団体臨時列車の運用が多かったとか。先頭のハイデッカー展望席や中間車のサロン、カラオケやモニターテレビなどの音響機器など設備が充実していた。2006年11月臨時列車「ありがとうアストル」の運転をもって引退、廃車となった。 '06.11.5 高山本線 猪谷 P:宮島昌之

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この車輌はキハ28・58形気動車を改造した3輌編成で1988年に登場した。車輌の先頭車が魚の顔のように作られ、口が開閉するユニークな構造が特徴であったが、2003年に廃車となった。 '90.8.14 山陰本線 宇田郷─須佐 P:長岡行夫

キロ29 503

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キロ29 503
JR西日本 米子運転所(現在の後藤総合車両所)配置のキハ58系気動車ジョイフルトレイン「ふれあいSUN-IN」3輌のうちの唯一のキロ29。3輌中この車輌とキロ59 506 は平成19年7月6日に、キロ59 505は平成20年11月17日に廃車となった。
写真は、はるばるJR東日本管内までやってきて飯山線、小海線に入線した際のもの。飯山線復路の9102D。 飯山線 蓮 P:熊木裕一

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JR発足直後1988(昭和63)年に登場した「リゾートライナー」はキハ80系気動車改造の3輌編成。ハイデッキタイプの展望席や、カフェも設けられていた。各種団体列車、多客臨時列車に活躍した。しかし、種車が古くエンジンが老朽化、キハ58などを併結、力を借りる場面もあった。’95年3月に廃車。 ’89.12.31  名古屋 P:木全 啓

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