阪急電鉄 2309 (私鉄・電車)

阪急京都線の標準車2300系として1960年に登場、以来幾多の改造を経て7連は本線系、4連は嵐山線で活躍してきた。写真の2309Fは最後まで残った非表示幕編成であり、オリジナルの前面を保つ貴重な存在であった。2009年4月、4連化された6300系に置き換えられ廃車となった。 '09.3.28 阪急電鉄嵐山線 桂 P:楢井勝行
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豊橋鉄道モ1713 (私鉄・電車)
屋根が深い、いわゆる川造型タイプの昭和4年日本車輛で、豊川鉄道のモハ30形31として誕生した。その後国鉄に買収され、宇部線、福塩線を経て、国鉄形式1610となり、昭和31年頃廃車され、豊川分工場で更新の上、豊橋鉄道田口線へ払い下げられ、田口線の同型車モ36・モ37の続番としてモ38となった。田口線の経営が思わしくなく、昭和41年頃降圧の上、渥美線に転じ同線のモ1713となり、片運化されク2311と編成を組んだ。いつ頃からかは分からないが台車は川崎のK3を履いている。昭和61年頃編成ごと廃車された。 '62年 豊橋鉄道 高師 P:田中健吉
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阪神電鉄国道線 12 (私鉄・電車)

開業に際し、1927年に1 - 30の一挙30輌が10ずつ3社で製造された路面電車で、この12は田中車輌製。路面電車ながら車体にはステップがなく、ドアに連動する折りたたみステップをもっていて、この方式は後の71形等の「金魚鉢」まで受け継がれた。ごく初期の鋼製車なので窓枠の上部にRがつけてある等、木造車のプラクティスを残している。30kW x 2と非力で高速・長時間運用の多い国道線では力不足だったため、晩年は北大阪線が主な活躍の場だった。軌道線の輸送減にともない徐々に廃車が進み、この12は1967年廃車、1形は1974年に形式消滅した。 '64.7 中津 P:小西和之
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秩父鉄道 800形 (私鉄・電車)

戦後間もなく小田急に割り当てられた国鉄63形がルーツで、小田急では1800形となった車輌である。50年代末の大幅な更新工事により近代的な外観になった他、台車も枕バネを板バネからコイルバネに交換するなどの改造を受けた。1979年に秩父鉄道に譲渡され、秩父では1000位の数字を取って800形とした。2輌編成10本が活躍したが、国鉄でも63形を置き換えた101系の導入により廃車。秩父での活躍はほぼ10年と短かった。 '81.11.14 秩父 P:小西和之
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阪神電気鉄道 2000系(2001形・2101形・2201形) (私鉄・電車)

'70年登場の電機子チョッパ制御車7000系と同年登場の抵抗制御車7800系のうち、7840番以降の共に阪神初の量産冷房車として製造された車輌を'90~'92年の掛け、車輌更新を兼ね、6輌固定を一単位とした編成に組替、併せて制御装置を界磁添加励磁制御化(三菱製ABFM・制動機構HSC-R)し、抑速制動に加え、回生制動化した形式で6輌編成8本、48輌が改造された。急行系列車で使用されていたが、'95年の阪神淡路大震災で12輌が廃車後、他の急行系車輌と共に活躍も、近鉄との相互乗り入れに伴う新形式と順次交代、最後まで残った編成が'11年9月に運用離脱、引退となった。 '05.10.9 阪神本線 阪神甲子園-鳴尾 P:梶村昭仁
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