キハ53-500 (国鉄・気動車)

1986年(昭和61年)、片運転台のキハ56に廃車になったキハ27・56から切断した運転台を接合し、両運転台化改造して501~510の10輌が誕生した。北海道には強力型気動車がなく、地方路線では1輌で充分な乗客の路線でも冗長性確保の観点から、低出力1動力1軸駆動のキハ22・40等を2輌編成以上で運転しており不経済であった。道内のローカル線は大幅な赤字路線で、民営化を控え改善策として、2動力2軸駆動のキハ56を両運転台化改造し1輌で運転できるようにした。当初は急行「大雪」「ノサップ」や宗谷北線等で使用されていたが、キハ54が投入されると普通列車専用となった。JR化後も深名線や札沼線で使用されたが、老朽化のため1996年までに全車廃車された。 '95.5.20 深名線 幌加内 P:佐々木裕治
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キハ35形500番代 (国鉄・気動車)

'62~'66年にかけ、新潟地区の非電化区間における通期輸送改善を目的に、増備中の一般型に加え、耐寒耐雪設備(床下スノープラウ・前面窓に熱線式デフロスタ等)を装備して31輌が登場。車内・外観上で一般型との差異はないが、屋上通風器形状が、煙突型(グローブ型)から箱型の押込み式に変更となった点。主に、越後・弥彦線系統で使用されるも、'84年に各線が電化の上、115系電車と置換わり、一部が余剰・老朽廃車となったほかは、首都圏の一般型が活躍する各線区へ転配となり、これらとの混運用となった。JR化後も継続使用されるも、その後の各線の事情(電化等)に加え、車輌の老朽化も相まって置換えが始まり、'97年までに全廃、番代消滅となった。写真の-522は'66年の富士重製。'84年に木更津区へ転配、'88年に高崎区へ。'96年の八高南線電化及キハ110系列車輌への置換えまで活躍。 '89.8.1 高麗川 P:梶村昭仁
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キハ11 111 (国鉄・気動車)

キハ11は寒冷地用の両運転台車で1955年から製造され、北海道用に耐寒仕様にしたものは100番代となり、そのラストナンバーが111という「オール1」と言うゾロ目番号となった。キハ11は1980年頃までに国鉄からは引退したが、茨城交通に譲渡されたキハ11 25は近年まで活躍し、現在は大宮の鉄道博物館で動態保存されている。 '76.3 五能線 深浦 P:永野晴樹
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キハ59 (国鉄・気動車)

1985年(昭和60年)、苗穂工場においてキハ56系を改造して誕生したリゾート列車。気動車によるジョイフルトレインの先駆的役割を果たした。千歳空港からのスキー客を石勝線沿線に建設されたリゾートホテルへ輸送するため、ホテルが列車を借り切り営業収入を保証する条件で、国鉄とホテルの提携によって改造された。3両編成で登場、両端の車両は展望車両、翌年中間車1両が増備された。内装はホテルのラウンジを思わせる高級感のあるもので、塗色はホテルのイメージカラーのダークブラウンの地色に正面はゴールドとされ、シックで高級感のある外観は、鉄道車両では例のないもので、利用者のみならず沿線住民にも好評であった。最高速度は95km/h、金属バネ台車で乗り心地が悪く、老朽化を理由に1995年に廃車された。 '89.2 苗穂-白石 P:佐々木裕治
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キユニ15 (国鉄・気動車)
大学時代に行った四国旅行で急行「あしずり」との待合いでやってきたキユニ15であった。前のボディが厳つそうに見えたのを覚えている。前の前照灯も埋め込み型で珍しかった。前面は切妻型で貫通路は設けられていない、前のフラットバーは運転席の安全確保のため補強されている元々キユニ15はキロハ18からのキハユ15に改造されたのだが半室旅客車だったため運用都合上、郵便荷物車のキユニ15に改造された。 1964年多度津工場で製造され、1980年8月まで高松配置で頑張っていた。 '79.8.29 土讃本線 P:松本卓彦
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