鉄道ホビダス

国鉄・貨車の最近の記事

ヒ721

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ヒ600は各種2軸車から用途にあわせて改造されたため、さまざまの形状の車輌があります。ヒ721は大船駅常備で、工場に常駐していました。駅から工場への入換(客車・貨車)は推進運転のようになるため、ヒ721を先頭に付け前方の看視します。ヒ721には空気笛、ワイパー車掌弁がついていました。2002年形式消滅。 '71.5 大船工場 P:高澤 一昭

チキ7000

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国鉄一般貨車のトップナンバーは、所在確認ができないので、偶然の出会いによることが多い。豊橋鉄道の電機を撮るべく歩行中に発見したもの。国鉄長物車で最後の新製車、150輌作られJR各社に継承されたものもある。  '82.12.1 東海道本線 豊橋 P:高澤一昭

ヒ721

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ヒ600は各種2軸車から改造された。使用箇所の用途にあわせて改造され、いろいろの形状の車輛があります。それらが一つの形式ヒ600に集約されています。ヒ721は大船駅常備で、工場に常駐していました。駅から工場への入換(客車・貨車)は推進運転の様になるためヒ721を先頭に付け前方の看視します。よってヒ721には空気笛、ワイパー車掌弁がついていました。2002(平成14年)形式消滅。 '71.5 大船工場 P:高澤一昭

ソ30

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1965年に蒸気機関からディーゼル機関に変った後の姿。炭水車はなくなり、塗色が明るくなり、控車もチキ1761に替わった。1966年ソ88配属により秋田機関区に移り、JR化前に廃車と聞く。 '66.5.13  新鶴見機関区 P:高澤 一昭


ワム50000

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1940(昭和15)年から製造された半鋼製二軸有蓋貨車。戦後の増備を含めて3600輌余りが製造され、1963(昭和38)年からその大部分が二段リンク化改造を受けた。ワム80000形式の増備で廃車が始まり、分割民営化前の1985(昭和60)年に形式消滅した。 '76.3 新見機関区 P:清原正明

ソ30

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米国製ソ20を基に1936年日立製造、品川機関区配属、1937年10月7日新鶴見機関区転属した。事故復旧、復旧名目で映画撮影の協力などもこなした。巻重量主巻65t補巻15t、巻上げ高さ(主)5.5m(補)7.7m自走速度4.5km/h。1965年全検時蒸気機関からディーゼル機関に変更された。 '63.7.2 新鶴見機関区 P:高澤 一昭

ホキ2500

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 ホキ2500は1967年製造(日車、輸送機)された、石灰石輸送のホッパーです。1998年青梅線の石灰石輸送が終了し、翌1999年形式が消滅した。写真は輸送が終る12年前に厚木駅に疎開されたホキ十数輌のなかで先頭にあって、トップナンバーに運よく出会った時のもの。 '86.11 相模線 厚木 P:高澤一昭

ワム60024

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ワム60000形は1961年製造開始された。ワム60024は、はかり試験車ケ12の控車としてペアで使用された。側窓、遮光幕、通風器、があるのでどのように使われたのだろうか。JR東日本に継承されたが、1995年ケ12廃車に伴い消滅したと思われる。 '79.11.21 大船工場 P:髙澤一昭

ケ12

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1952年10月、ケ1の代替として、コキ5500の台車、自連を再用しケ10形として長野工場で誕生した計重車。駅や工場の橋はかり装置の検査に使用した。ケ1の実積から各種改良を施した。JR東日本に継承され1995年廃車。大船工場の秤は軌条も敷設されていたが、電車解体の鉄くずを積んだ大型トレーラーの計量に使われた。『Rail Magazine』No238参照 '79.11.21 大船工場 P:髙澤一昭

キ133(キ100)

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日本国有鉄道(←鉄道省)が、1928年から製造を開始した単線用ラッセル式除雪車で194輌が製造された。 写真所蔵:山本郁也

ヤ1

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ヤ1形式は、国鉄鉄道技術研究所の試験車として、1949、53年にかけワム23000形から1~4が改造された。各車で、試験項目が違ったようでヤ3は軌道試験車とのこと。1は突放禁止、4は連結注意の表示があるが3にはない。新しい試験車ができた後は、部品機器の輸送に使われたようです。 '61.3 東海道本線 茅ヶ崎 P:髙澤一昭

ソ20

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1928年、米国インダストリアル・ブラウンホイスト社製で、わが国初の事故救援用操重車。動力は蒸気機関。1966年に廃車となった。 写真所蔵:山本郁也

ワム20000

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側板に剥き出しの側柱が特徴的な、1928(昭和3)年に製造された鋼製有蓋車。戦後も使用されたが、老朽化により順次廃車され、1979(昭和54)年に形式消滅した。 '71.12 芸備線 備後庄原 P:清原正明

ヨ5005

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959(昭和34)年、ヨ3500形から改造された緩急車。他の緩急車は黒く塗られてたのに対し、コンテナ特急用として一部の車輌はコンテナに合わせた塗装が施されている。撮影した当時はすで に一般運用となっていたが、特異な塗色で目立つ存在であった。 '74.4 伯備線 新見 P:清原正明

コラ32(コラ1形)

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支線区へのコンテナ輸送を拡大のため1962年(昭和37年)度に製作した二軸貨車。登場時はチラ1だったが、1965(昭和40)年にコラ1に改称。5tコンテナ3個積み。末期は大半が北海道で運用された。1983(昭和58)年までに全車廃車となった。 '72.7.21 函館本線 森 P:中川弘一

キ751(国鉄キ750形貨車)

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キ750形は、駅や操車場の構内を除雪するために製造されたキ700形広幅雪かき車(ジョルダン車)を近代化改造して誕生した。改造は、台車の交換、翼の駆動を油圧式とし、形状はディーゼルエンジンを積んで箱型となった。1979年から1983年にかけて苗穂工場で8両(キ750~757)が誕生したが、1993年までに廃車された。 '87.3 苗穂 P:佐々木裕治

ヨ2001

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ヨ2000は初の本格的な車掌車として1937(昭和12)年より1938年にかけて計100輌製造された。鋼製車掌車としても初めてのもの。戦後生まれのヨ6000、最終型ヨ8000に挟まれると、ある種風格を感じる。1985(昭和60年)年までに全車廃車となった。 '79.6 伯備線 新見 P:清原正明

ソ20

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ソ20は最後まで内装蒸気エンジン駆動だった米国製の操重車です。機械室の裏側に大きな排煙装置が付いてました。泉府中駅付近での事故救援で本車を見た時は牽引機C58から蒸気供給を受けているのかと思ってました。 '65.3 吹田操車場 P: 飯田 勝

タサ3000

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古めかしいアーチバー台車(TR20)を履く中型タンク車で、画像の3035号は日米開戦前の1940(昭和15)年に製造された。撮影した当時、備後庄原駅では地元の蔵元が製造する原酒(日本酒)が桶買い先にタンク車で出荷されおり、この車両輌も積み込まれたのであろう。 '72.12 芸備線 備後庄原 P:清原正明

タム5000形

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川崎貨物駅に行くといつも並んでいたタム5000形、通称「味タム」。味の素のロゴと社名が目立つ。川崎貨物駅から急カーブの連絡線で京浜急行・小島新田駅に入り、鈴木町まで片線だけに設けられた3線区間を電車の来ない夜中に運行していた。ほとんどは「アミノ酸専用」と標記されていたが、写真の左から2輌目のタム6147は塩酸およびアミノ酸専用となっている。 '92.5.1 川崎貨物駅 P:小西和之

チキ5026

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国鉄が高速コンテナ列車として「たから号」を東京(汐留)― 大阪(梅田)間に運転するに際し1959年に汽車会社で新造した85km/h対応コンテナ貨車。当時はコキの形式が制定されていなかったため、暫定的に「チキ」の形式を与えられたが、写真の翌年、1965年にコキ5000形に改称されている。側面で扱う手ブレーキが不便だったため55輌で製造が打ち切られ、デッキつきのコキ5500形に移行、本形式もデッキを設置してコキ5500形に編入され、形式消滅した。台車は両抱きブレーキのTR63。隣はコンテナと同じ淡緑に塗装されたヨ5006。 '64.8 梅田貨物駅 P:小西和之

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荷重15tの2軸有蓋車。1958年から1960年に5,710両が製作された。側扉はワム90000系列の1700mmから両開き2300mmに拡大されフォークリフトによる荷役作業を容易にした。1984年2月1日のダイヤ改正で使用停止となり、後、全社廃車された.写真は釧路車両管理所で配給者代用として使用されていたもの。生憎の天気だったが、再度、訪れることが出来なかった。 '83.2.19 釧路車両管理所 P:上田隆浩

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荷重50tの石油類専用タンク車で拠点間の大規模輸送に用いられた。タキ50000形式と同様に魚腹形異径胴の3軸ボギー車であるが、全長は若干短く15.4m。1960年から1965年に39輌が製作された。1990年に、除籍されている。 '83.3.18 名古屋臨海鉄道南港 P:上田隆浩

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荷重30tの冷延コイル鋼板専用の有蓋車。1966年に2両が製作された。全長13.65m。屋根、側扉を耐食アルミ製として軽量化している。屋根を開閉式としてクレーンによる積み込みを可能とした。側面は全面開閉可能。2両ともJRに継承された後、2007年に廃車された。 '83年 名古屋臨海鉄道南港 P:上田隆浩

タ2000(2001)

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1942(昭和17)年にタム200形274二硫化炭素専用車より改造されて、誕生した10トン積みアルコール専用車。最後まで残った「タ」として注目された。平成8年に除籍になったが、その後個人によって保管されている。 '94.4.21 川崎貨物 P:菅谷和之

トキ21500(トキ21511)

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鉄鋼製品の「冷延コイル」輸送を目的に、昭和44~46年にトキ15000形を改造して31輌製作された。改造は床板より上部を撤去し、床板上にコイル受台と引き違い式のカバー等が新設された。JR貨物には3輌(21510~2)が承継されたが、2008年3月にすべて廃車され形式消滅した。 '96.10.11 黒井 P:長岡行夫

シキ280

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1958年に日本車両で製造された1形式1輌の大物車。変圧器そのものを強固に接続して車体の一部とする吊掛式構造をもつ。梁の交換により貨物の大きさが変えられる点は同じ構造をもつ他の大物車と同様で、荷重125tと165tに対応した。台車は日車形式NC3を8台履く。2005年に検査切れで除籍。積車では最高速度が45km/Hに制限されるため、列車密度の高い線区での運行は夜間に限られた。写真は新座貨物駅から市原埠頭へ変圧器を輸送する途中、新小岩操で休んでいるときのものだが、道路にいちばん近い線路に滞泊していたため、大きすぎて全景が入らなかった。 '04.1.26 新小岩操 P:小西和之

キ700形(キ704)

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ヤードなどを幅広く除雪する広幅雪掻き車ジョルダン式と言い、両側の羽を広げると3線分を除雪出来ました。 '60.8.6 米沢機関区 P:長谷川興政

ソ301

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旧国鉄が建造した操重車には2種類あり、事故復旧などの際の車輌吊上げ用の方がよく知られているが、数は少ないが橋桁架設用のものもあった。ソ300型は1966年に2輌製造(300、301)された大型の橋桁架設用操重車で、めったに使われない上に使うのは真夜中ばかりであり、川崎貨物駅の片隅にいつも留置されていた。4軸ボギー4組の超大型車で、ディーゼルエンジンをもち、自走可能である。2輌とも2000年に廃車。ソ300は碓氷峠鉄道文化むらに展示されている。 '92.5.1 川崎貨物駅 P:小西和之

ヨ6000

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ヨ5000の軽量化をはかり小型化した車掌車。全長7200mm。北海道用の6900番代7900番台を含め905輌が製造された。JRに引き継がれることもなく1987年に形式消滅している。 '81.6.17 尼崎港線 尼崎港 P:上田隆浩

タキ18300

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当車は、昭和45年4月に日本車両東京支店で落成した我国唯一の液体ポリ塩化アルミニウム専用車のトップナンバーである。計8輌製作されたうち、北海道曹達KK所有及び日車支店製造は当形式唯一である。当初は幌別駅常備だったが、後に港北駅常備になった。長い間新苫小牧に留置されていたが、平成10年2月に廃車になった。 '97年頃 新苫小牧 P:佐藤章大

レムフ10000

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1966年に製造された高速運転用冷蔵車レサ10000系の緩急車。11輌が製造されたが1986年に形式消滅した。現在はレムフ10000が鉄道博物館に収蔵されている。 '82.6.7 山陽本線 鷹取操車場 P:上田隆浩

チキ4500

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トキ15000の台車を利用した鋼板貼りの長物車。昭和42年~44年に135輌が製造された。 '82.5.18 関西本線 木津 P:上田隆浩

トラ55000(トラ55555)

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車体にプレス鋼板を使用した全鋼製(*1)の18t積み無蓋車。昭和37以降、3204輌(*2)が製作されたが、JRに継承されず形式消滅した。写真は1982年11月15日に開業した大阪貨物ターミナル駅の訓練運転編成に組み込まれていたときのもの。
*1初期60輌は木製側板。*2㈱交通日本社刊 「貨車の知識」による。
'82.10.23 東海道本線 千里丘 P:上田隆浩

トラ30000

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1955(昭和30)年に登場した17t積み長尺用無蓋車でトラ6000と同じ車体を持つが台車は当初より2段リンク式。トップナンバーは鷹取工場の配給車代用として使用されていたため、たびたび目にすることができた。 '81.6.2 山陽本線 鷹取操車場 P:上田隆浩

コキ5500形

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営業運用終了直前のコキ5500型。この当時は竜王への石油貨物5282、5283列車に数輌連結されていた。タキがまだ高速化される前だったので、最高速度85㎞/hのコキ5500形でも併結できたのだが、5個積みコキを見慣れた目に隙間の大きい4個積みコンテナ車は「あれ、まだ生きている!」という感じがした。写真はTR216Aを履いたコキ28730、左に少し写っているのはTR63Fを履いたコキ28071である。4個積まれているコンテナの中央2個は国鉄時代からのC36型でこちらもほぼ絶滅状態、右のC36形(C36-1831)には左上に描かれていた赤いJNRマークを消した跡が見える。 '2004.8.12 中央本線 竜王 P:小西和之

タキ1500形15551

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タキ1500形はガソリンを除く石油類輸送用に製造されたタンク車で、製造初年が1947年と古いことからストレートのタンクをもつ。JR化後も少数が生き残ったものの、老朽化と容量の大きい異径胴タンク車の増備に押し出されて2002年に形式消滅した。写真は日本石油輸送所有の燃31専用タキ15551で、沼垂駅常備ながらタキ35000形に挟まれて蘇我─東武鉄道・北館林荷扱い所間に運用されていたときのもの。本形式の最末期の姿で、タンク体の塗装劣化が目立つ。 '00.10.30 総武本線 市川 P:小西和之

ヨ2000(ヨ2032)

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初鋼製の車掌車で、改造ではなく当初より車掌車として製造されたのもこの車輌が初めて。1937年(昭和12年)から1938年(昭和13年)にかけて計100輌が製造されている。のちに発電機、蓄電池、ストーブを設置、2段リンク化されて生き延び1985(昭和60)年まで活躍した。 '80.10.1 立川 P:佐伯裕二

チサ100形(チサ224)

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チサ100形。旧番号チ30500~30999。大正13年~昭和2年に500輌製作。炭鉱の坑木に使う2間材の輸送に適し、一貫して北海道で使用された。43,10では道外禁止のロ車に指定され、黄帯が巻かれた。道東や道北でキューロクの後ろにずらりと繋がっていたのが思い出される。昭和50年に形式消滅。そのキューロク達と一緒に過去帳入りした。 '74.8.22 宗谷本線 豊清水 P:宮村昭男

ヨ5000

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1959年(昭和34年)に汐留─梅田間で運転されるコンテナ特急「たから号」の緩急車として使用するために、ヨ3500形の軸箱支持装置を2段リンク化改造、最高許容速度85km/hとしたもの。北海道を除く全国で活躍。その後、ヨ5000として新製されたものや、加えてヨ3500から編入されたものもある。 '72.10.29 会津若松 P:中西裕一

ワフ29500

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製造初年1955(昭和30)年。鋼製5トン積二軸有蓋緩急車。車軸発電機を装備、ストーブも設置、居住性を高めている。自重10.8トン、最高速度75㎞/h。約650輌製造された。 ’85.7 武蔵野操車場 P:照井孝司

■お知らせ ブログ「消えた車輌写真館」をご覧いただきありがとうございます。珍しい車輌でなくても結構です。国鉄・JR・私鉄問わず、消えた車輌たちの面影をブログに保存していきませんか。画面右上のバナーをクリックすれば投稿フォームが開きます。車輌についての詳細が判然としない場合はコメント欄を空欄にして送信していただければ、編集部でできる限り調査の上アップしていきます。

ツム1000

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製造初年1950(昭和25)年。荷重15トンの通風車。通気をよくするため、全体が鎧戸状になっており、屋根にはベンチレーターを設置。昭和61年11月のダイヤ改正で廃止となった武蔵野操車場で撮影したもの。当時、勤務の合間にカマや、当時すでに珍しくなっていた貨車を撮影していました。 ’85.10 武蔵野操車場 P:照井孝司

ミ10

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水槽車は特急「燕」用のかまぼこ形のミキ20と、普通の円筒タンクのミム100が知られているが、これは荷重13トンの小さい箱型の水槽車。車体には高崎操常備とあるが、上武鉄道から出る貨物の入換に来る機関車の給水用だったのか。なお宮沢模型からこの形式の製品が出ている。 '63.4.3 八高線 丹荘 P:内藤健作

セキ8000

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国鉄セキ8000形石炭車セキ8043。古い順に、セキ1、600、1000、3000、そして6000形と続いてきた北海道向けの2軸ボギー側開き式石炭車だが、1981(昭和56)年に誕生したセキ8000形はグループのトリを務める形式となった。ク5000形の廃車発生品であるTR63F形台車を用いた改造車という名目だが、実際には車体を完全に新製し、台車を流用したもの。75km/hでの運転を可能とする155輌が誕生している。北海道のみならず、本州西端の地域でも使用された。'84.7.29 上砂川 P:滝澤信久

ホキ8002

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ホキ8000形は1967(昭和42)年に16輌、1970(昭和45)年に2輌が製造された35トン積石灰石専用ホッパ貨車。当初の所有車は日鉄鉱業㈱で、九州地区での石灰石輸送に充当された後、葛生のお膝元である東武鉄道・上白石に常備駅を移動。しかし短期間で日本石油輸送㈱に売却されて北海道へ渡り、東鹿越から北見への石灰石輸送に使用された。廃車は1987(昭和62)年。'84.8.25 滝川 P:滝澤信久

セキ5088

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昭和5年から製造された側開き式石炭車セキ1000形をベースに、昭和26年から2700輌あまりが製造されたのがセキ3000形。台車は鋳鋼製のTR41で、炭箱(車体)は溶接による構造である。'84.7.29 三井芦別 P:滝澤信久

ワム49200

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ワム49000、49100、49200という3形式は1形式1輌の先進的試作車(昭和35年、汽車会社製造)。3形式共に異なる方法で屋根の開閉を可能としており、ワムとトムの両方の機能を持たせた意欲的な貨車となった。写真の49200は屋根スライド式で、ドイツで実用化されていた技術の応用であった。残念ながら3形式は新製コストが嵩み、また複雑な構造も災いして試作に留まり、ワム49000が昭和47年度、その他の2形式が昭和51年度に廃車となった。'68年 国府津 P:笹本健次

ホキ34200

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ホキ34249 昭和34年〜42年に128輌が製造された石灰石専用のホッパ車ホキ4200形に粉塵飛散防止用の蓋を設けて誕生したのがホキ34200形。国鉄セキ3000形の車体上半分をカットしたようなスタイルで、奥多摩工業?所有のグループは青梅、南武線ではお馴染みだった。’79 立川 P:滝澤隆久

ワム90000

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昭和29年から新製が開始されたワム90000形だが、昭和34年以降はワム23000形を2段リンク化し、元番号の頭に1を付して10万代としたグループが大量に加わった。新製・改造合わせて18790輌もの大所帯となった15トン積ワムの代表形式である。’79 立川 P:滝澤隆久

セキ6550

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石炭車セキ3000形の台車バネとブレーキ装置を強化改良して昭和42年に誕生したのがこのセキ6000形。外観はセキ3000形と変わるところは無い。北海道用の車輌ではあるが、一部は本州、九州において石灰石輸送にも従事した。’84.7.29 三井芦別 P:滝澤信久

ヒ334

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ヒ300形は入換用と航送用の2種類があった控車だが、最後まで活躍したのは入換用機関車に付随して車輌の入換作業に使用された入換用車。控車は古い無蓋車や有蓋車を種車に改造されたものが大半で、写真のヒ334はヒ333と共に北海道の幌内駅で長いこと活躍した。’84.11.29 幌内 P:滝澤信久

ヨ13891

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国鉄の車掌車ヨ5000形には、新製グループと改造グループがある。写真のヨ13891はヨ3500形の3891を2段リンク化改造してヨ5000形としたもの。元の番号に10000をプラスしたもので、ヨ13504〜14830がこのグループ(欠番あり)。’79 立川 P:滝澤隆久

ワム70001

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ワム70000形は鋼板をプレスした部材を組み合わせて近代的な車体とした初の形式。昭和33年の製造初年で、5700余輌が製造された。写真は立川駅でキャッチした超若番車。国鉄末期、有蓋車の車体は倉庫として販売されたが、なぜか本形式の事例は極めて少ない。’79 立川 P:滝澤隆久

テ689

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テ600形は、生石灰など水に濡れると発熱・発火の恐れのある貨物を運ぶ鉄製有蓋車の一形式で、テ1形、10形、900形と共に明治末期の生まれ。1965(昭和40)年3月現在18輌が辛うじて残存していた。写真は窓をあけられるなど事業用車代用として生き残った姿と思われるが、形式写真は極めて珍しい。'65年 早岐 P:笹本健次

レイル・マガジン

2017年11月

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