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ED18 2

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1924年EE製ED50 16→1931年ED17 16に改造。1955年軸重軽減のため、台車を替え独特の軸配置のED18 2となり飯田線北部で運用された。1979年廃車。浜松工場、佐久間レールパークで保管された。1992年トロッコファミリー用として復活し客車の牽引したが、2005年廃車され名古屋リニア鉄道館に展示されている。 '71.3.14 中部天竜支区 P:高澤一昭

EF65 540

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1967年3月10 日、EF65 82 として川重、川電で誕生。稲沢二区配置。1968年6月浜松工場でEF65 540に改造され東京区配置。花のブルトレで、スター街道を驀進した。1978年8月新鶴見→高崎と移り、1998-3 除籍。この場所は、広重の「南湖の左富士」の東海道と並行しており、東海道本線の左富士となる。神奈川県内の左富士は、新子安ー東神奈川、保土ヶ谷ー東戸塚、大船ー藤沢でも撮れますが、大きく写せるのはこの区間だけ。 2レ「さくら」 '70.2.1  東海道本線 平塚ー茅ヶ崎 P:髙澤一昭

EF57 1

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1940(昭和15)年10月 日立製造。沼津機関区配置。外形はEF56 8〜12と同じ。主電動機がMT38となり出力アップされた。2〜15は戦艦のような車体だった、EF57 1を初めて見たとき、EF56が来たと思い、ナンバー見るとEF57 1とあり、初めて異端車であることがわかった。
国府津、浜松、高崎二、長岡二と回り、60年から宇都宮にあって東北本線を終のすみかとした。1978年2月除籍。 '66.1 東北本線 上野~尾久 P:髙澤一昭

EF10 24 

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1939年3月、日本車両・東洋製造。新製配置は国府津機関区。沼津、門司と移り、長く関門トンネルを行き来した。1961年新鶴見にステンレス地金のまま転属した。写真はその2年後の塗装をされた姿。八王子、豊橋と貨物輸送に就き、78年廃車された。 '63.10 新鶴見機関区 P:髙澤一昭 


DD51 8

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1964年に製造された非重連の初期型車。新製後は鳥栖に配属、晩年を吹田で過ごし、1985年春に廃車となった。 '79.1 吹田第一機関区 P:清原正明

EH10 26 

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1955年8月、汽車・東洋製造。新製配置は稲沢第二機関区。翌年吹田二区に移動。東海道本線の主力として使用され、さらに山陽本線岡山まで活躍の範囲を広げて、宇野線宇野まで入線した。工業デザイナーの萩原政男氏によるデザインで、黒い塗装に黄色のラインの塗色と相俟っていかにも貨物機らしい逞しさがあった。性能や構造は旧型電機と新系列電機の過渡期の機関車で、EF60以降の新系列機の増備により1970年代後半から廃車が始まり、1981年に64輌全機引退して廃形式となった。26号機は1980年12月廃車となっている。 '76.1.28  東海道本線 品川 P:髙澤一昭

EF53 16 

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1934年8月 汽車、芝浦製造。長く東京機関区あって1954年まで、お召列車の任にあたった。1965年10月EF59 14に改造され、山陽本線 瀬野ー八本松の補機となり、1978年12月廃車された。写真は、上野への発車待ちの1960(昭和35)年撮影で、この頃は東京、上野の入換え、区間回送を仕業としていた。 '60.9.29 東海道本線 東京 P:髙澤一昭

EF66 1

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EF90 1(EF66 901)試作機で各種試験が行れたのち量産化された。 1968年7月26日汽車、東洋製造。下関運転所に配置され、68年10月時刻改正から、東海道、山陽高速貨物列車に使用された。以後広島、吹田第二、JJR貨吹田と貨物輸送に専念し2008年3月廃車。写真は公式試運転折返駅で点検中の1号機。 '68.7.26 東海道本線 平塚 P:髙澤一昭

EF81 138 

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1979年4月東新潟機関区に新製配備、その後青森運転区に転属となり、1987年4月国鉄分割民営化によりJR東日本青森車両センター所属となる。長年にわたり寝台特急牽引などで活躍した。2015年11月下旬郡山総合車両センターに回送、2015年12月上旬保存のため個人宛てに陸送された。写真は「あけぼの」を青森〜上野をロングランで牽引していたEF81 138、この後2009年3月以降→廃止まで長岡〜上野はEF64牽引となったため上野口でその姿を見ることはなくなった。 '08.4.8 東北本線 大宮 P:楢井勝行

EF65 509

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1965年8月7日汽車、東洋製造。東京区に配置され、ブルトレの黄金期を支えた。1978年EF65 1000番代配置により、新鶴見へ移り以後高崎二、高崎、貨高崎と貨物輸送に就き2005年廃車。写真は上り最終ブルトレ、2レ「さくら」を牽く509号機。この頃は外掃の期間が延びたのか、機関車が埃っぽいのが残念。 '69.3.23 東海道本線 平塚-茅ヶ崎 P:髙澤一昭

EF58 46

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EF58 46は、1952年10月日立製作所製造。新製配置は長岡第二機関区で、以後浜松、宮原、東京、下関を経て、1968年宮原機関区に戻り、1983年1月に廃車となるまで宮原区に所属した。晩年は僚機の44・45号機とともに、前面窓が白Hゴムに改造され、「宮原の不人気トリオ」と揶揄されたものである。写真のようなジョイフルトレインのはしりとも言えるお座敷列車を牽引しても、カメラを向けるファンは少なかった。 東海道本線 岸辺 '80.2.10 P:中司純一

EF60 501 

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1963年10月4日 汽車、東洋製造。新製配置は東京区。九州特急用に製造され、EF58と交代したが、EF65 500が登場したため1965年9月浜松、八王子、高崎二、と移動し貨物列車で活躍したが、1986年1月廃車された。ブルトレ牽引2年弱、薄幸の501号だが碓氷峠鉄道文化むらに保存されていることはうれしい限り。写真は公式試運転新鶴見ー平塚を無事終え入区してきたところ。これをもって、会社から国鉄への入籍が本日めでたく完了した。 1963.10.4 新鶴見機関区 P:髙澤一昭

EF58 5

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ゴハチ1桁ナンバー機は、概ね1979~1980年に廃車になっているが、1号機とこの5号機だけは、浜松区にあって、東海道・山陽本線の
ゴハチ終焉期まで、小荷物列車の先頭に立って活躍した。1947年日立製作所製。デッキ付車体から流線型車体への改造は比較的遅く1957年。その後一時東京機関区に配置されるが、1958年に浜松機関区に転属して以来、廃車まで一貫して同区所属であった。ゴハチの若番機は、前面窓がHゴム改造された機が多かったが、同機もその例に漏れず、現役当時のファンの人気はいま一つであった。 '79.10.29 山陽本線 瀬野-八本松 P:中司純一

EH10 11

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「マンモス」の愛称で親しまれたEH10。11号機は1955年東芝製。新製配置は稲沢第二機関区で、その後吹田第二機関区に転属、1981年に廃車となった。この機は晩年、パンタグラフが下枠交差式のPS22B型に換装されていた。また、牽引されているのは自動車運搬貨物車ク5000形。1966年から日本車輌・三菱重工にて900輌以上が製造され、専用特急貨物列車「アロー号」で名を馳せたが、1972年頃をピークに自動車輸送の需要が低迷、JR化に際して60輌程度が継承されたものの、1996年に運用を終了した。 '80.2.21 東海道本線 山科 P:中司純一

EF58 25

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1948年川崎車輌製。新製配置は東京機関区。1953年に流線型車体に改装。その後、宮原、浜松、下関と転属。再度浜松機関区に再配置され、小荷物列車の先頭に立った。廃車は1980年10月。1970年のゴハチ全盛期には、同機のような正面窓Hゴム・ビニロックフィルター改造機など見向きもしなかった「正統ゴハチファン」が多かったが、1980年代に入った「ゴハチ晩年」には、そんな贅沢も言えず、これら改造機にも、さかんにシャッターを切ったものだった。 '80.2.8 東海道本線 吹田-東淀川 P:中司純一


EF65 513

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1965年10月川崎重工、川崎電機製。新製配置は東京区。EF65高速貨物用して登場したが、東京区ではブルートレイン牽引機として活躍。翌年4月吹田二区に転じ高速貨物に使用された。以後新鶴見、広島、吹田二、沼津、高崎二、高崎、JR貨物高崎と移動し2000年3月廃車となった。東京まであと小一時間上り最後のブルトレ2レを牽く500Fにとっては思い出の一枚。 '66.1.5 東海道本線 平塚ー茅ヶ崎 P:高澤一昭


EF61 1

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わずか18輌という小世帯で、比較的短命に終わったEF61 基本番代のトップナンバー機。1961年川崎製。SG搭載のため、車長は17.6mとEF60・EF65より長く、そのサイドビューは欧州的でスマートな印象があった。新製配置は宮原機関区、EF60 500番代登場までは、寝台特急「あさかぜ」の牽引実績もあるが、1969年に広島機関区に転属。下り急行「しろやま」「屋久島」、上り「阿蘇」等、限定的に急行列車牽引に充当されものの、主たる仕業は小荷物列車と貨物列車であった。晩年は、荷31列車・同38列車等の先頭に立ち、浜松~下関間でその姿が見られたが、この1号機は1984年に廃車となっている。  EF61 1〔広〕 東海道本線 新大阪 '80.4.12 P:中司純一

EF65 516

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1965年9月、日本車輌名古屋工場製、電装は富士電機。新製配置は東京区。EF65の高速貨物用として登場、東京区では慣らし運転後、ブルートレインを牽引した。翌年、4月に吹田二区に転属し本格的な高速貨物運用に就くが、EF66の登場によりその存在意義がうすれ、一般型と共通で使用されるようになった。以後、新鶴見区→吹田二→沼津区と転属するも東海道・山陽筋で活躍していたが、1986年に高崎二区に転属、以後、JR貨物に継承されるも、高崎区(高崎二区改称)は動かず活躍を続け、1998年12月に廃車となった。写真は大船工場、品川客車区の入出場、試運転列車(品川ー来宮ー品川、貨物線)で慣らし運転中の場面。 東海道本線 大船 '65.9.15 P:髙澤一昭

EF65 1041

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EF65PF型のうち、昭和46年本債務予算での製造ロットに属し、その中で最後まで国鉄色で残った機。1972年東洋電機・汽車会社製造。PS17型パンタ、スノープラウを装備し、ナンバーが切抜文字であるなど、PF初期車の雰囲気を色濃く残した機であったため、晩年は「トシイチ」の愛称で、ファンの注目を集めた。新製配置は宇都宮運転所、その後田端区、新鶴見区。JR貨物機となり、新鶴見区から高崎区へ。晩年は岡山区にあって山陽・四国方面で活躍したが、PF機配置の新鶴見区統合化に伴い、再度新鶴見区に戻り、2011年6月に運用離脱、2012年9月に同区で解体された。 山陽本線 須磨海浜公園-須磨 '11.4.10 P:中司純一

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EF15 170

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1958(昭和33)年、日立製作所製。新製配置は吹田二区。以後、稲沢二区、広島運転所などに所属し東海・山陽本線で使用されたのち、1968年、宇都宮運転所に転属、東北本線を中心に活躍の場を移す。1978年、青梅線・南武線などで使用されていたED16の置き換えとして立川区に転属。1983年八王子区と移り、1984年12月10日に廃車となっている。 '83.9 青梅線 拝島 P:山下修司


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EF58 9

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1947年、三菱重工業三原工場製、電装は三菱電機。新製配置は東京区。その後、沼津区・浜松区に配置され、1954年と東京区に戻る。1955年9月に日立製の新車体に交換。1957年浜松区。1964〜65年、宇都宮運転所に貸し出され東北本線で活躍。1965年、下関運転所に転属し1975年に広島運転所に転属、1979年廃車となった。 '75.2.9 大阪 P:山下修司

EF59 24

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1940年川崎重工兵庫工場製。EF56 12。新製配置は沼津。東海道本線で使用され、1958年宇都宮区に転属。東北本線に活躍の場を移す。1972年3月にEF59 24に改造され、瀬野八越えの補機運用につく。1979年8月廃車。EF59のラストナンバーで、角型車体のEF56を改造した唯一の機関車。写真は急行荷物列車の補機を務め、走行解放、八本松で瀬野に下るべく待機する場面。大分行き下り特急「みどり1号」が傍らを駆け抜ける。 '75.3.9 山陽本線 八本松 P:山下修司

EF58 2

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1947年日立製作所水戸工場製。沼津区→浜松区に配置され東海道本線で使用、1952年に高崎二区に転属、1954年に再び浜松区に戻り、箱型車体から流線形車体に交換。ほんの一時東京区の所属となるも、1957年まで浜松区に所属、その後、高崎二区への貸し出し→下関運転所を経て1968年より古巣の浜松区に配置され、1980年2月に廃車となるまで東海道・山陽本線で活躍した。写真は急行「音戸2号」を牽引し岡山に停車している場面。 '75.2.2 P:山下修司

EF58 143

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1958(昭和33)年、日立製作所水戸工場製。東京区・岡山区への貸し出しはあるものの一貫して宮原区に所属、1984(昭和59)年3月に廃車となっている。写真は20系団体臨時列車を牽引して岡山に停車している場面、ヘッドライトはシールドビーム2灯に改造されている。スノープラウ取付座があるのに前端梁にステップが設けられているのが特徴。 1983.8.2 岡山 P:三宅昭和

EF58 171

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下関から荷物列車を牽引してきたEF58 171が車庫内で憩う。傍らのDE10 1044号は芸備線の50系客車を牽引して到着。EF58 171は1958(昭和33)年汽車会社大阪工場製造。電装は東洋電機。竣功後、沼津機関区に配置、宮原→沼津→米原→宮原と移り、最晩年は生き残ったEF58とともに下関運転所へ。1985年4月廃車。DE10 1044は2014年に廃車された。'84.1 広島機関区蟹屋派出 P:清原正明

EF65 531

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1966(昭和41)年、川崎重工兵庫工場製。東京機関区に配置、東京〜下関間の寝台特急牽引に活躍。1978(昭和53)年、EF65PFにバトンを渡しブルートレイン牽引から引退。1985(昭和60)年新鶴見機関区、1986(昭和61)年高崎第二機関区に配置。後半生は貨物牽引が中心。JR貨物に継承され、1998(平成10)年12月、廃車となった。 '78.5.12 東海道本線 新橋-品川(田町付近) P:山下修司

EF56 6

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1939年、川崎重工兵庫工場製。EF53を基にして蒸気発生装置を搭載した初の形式。沼津区に配置され東海道本線で活躍。一時、浜松区に転属となったが、沼津区に戻る。東海道本線全線電化を機にしたEF58の投入で、1958年宇都宮区に転属、以後は東北本線に活躍の場を移す。EF56はEF57やEF58の陰にかくれた存在で、電気暖房に改造されることなく、多客期には臨時急行先頭にも立ち往年の風格を甦らせることもあったが、次第に荷物列車専用機のような位置づけとなった。6号機はEF59に改造されることなく、1975年2月廃車となった。 '83.12.18 常磐線 隅田川 P:中川弘一

ED71 29

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1960年3月、三菱重工三原工場/三菱電機。1次量産車。福島二区に配置され、1983年4月に廃車となる。 1982.5 東北本線 貝田〜越河 P:山下修司

C57 130

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1940年4月、三菱重工業神戸造船所で製造され、新潟局に配置される。新潟地区で活躍し長野工場で切取式除煙板「N-3 」タイプを装備、その後関西地区を経て鹿児島へ。肥薩線、日豊線で活躍の後、1974年6月宮崎から旭川へ転属。検査期限に達したC55 50に代わりデフを切り詰め予備灯を設置し宗谷線の客車をけん引、わずか3か月余り北の大地を駆け1975年2月除籍された。  '74.9 旭川機関区 P:佐々木裕治

EF59 22

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EF56 3として川崎重工兵庫工場で1937年9月竣功。沼津区、浜松区などを経て、1958年宇都宮区(運転所)へ。長らく東北本線で使用されていた。山陽本線瀬野-八本松間の補機EF59の増備のため、1972年広島工場で歯車比の変更、自動開放装置搭載などの改造を受け、EF59 22として瀬野区に配置、以後は後補機運用に活躍。1979年廃車廃車。写真は八本松から四重連で回送されて瀬野に到着した場面。 1978.3.24 山陽本線 瀬野 P:山下修司

489系 H01編成

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ボンネット・AU12キノコ型クーラー・そして国鉄色、JR西日本489系H01~H03編成による奇跡のような光景が2010年3月定期「能登」廃止まで首都圏でも毎日見ることが出来た。写真はATS-P装備を活かして臨時「はくたか」代走に充当された489系H01編成。偶然見かけたその勇姿に鉄道ファンは歓喜した。しかし681系が故障し急遽の代走、指定号車の変更案内や目的地到着時間の遅れ予想がアナウンスされていた。乗客にすれば迷惑な出来事であったと思われる。H01編成は定期「能登」廃止後、2011年3月までは臨時列車などで運用、2012年5月廃車となった。 '08.1.5 上越線 越後湯沢 P:楢井勝行

クハ481-347

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1976年5月青森運転所に新製配備、1987年7月南秋田運転所に転属、1992年7月青森運転所に戻る。2003年3月上沼垂運転所に転属、国鉄色のまま夜行快速「ムーンライトえちご」用K2編成6号車(赤い座席のレディースカー)になった。写真は間合い運用の快速「フェアウェイ」、6号車も一般指定席となっている。2009年3月に「ムーンライトえちご」は臨時化、2010年3月~2012年2月は臨時夜行急行「能登」のレディースカー、2012年3月~2014年4月は再度臨時「ムーンライトえちご」で運用されたが、2014年6月上旬長野総合車両センターに回送され廃車となった。 '08.3.30 黒磯 P:楢井勝行

EF58 35

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EF58は、戦後の旅客輸送を支える切り札として昭和21~33年にかけて172輌が製造された。初期型は箱型車体で、品質が悪く故障が頻発したが、製造期間の途上で品質改善が図られていった。EF58 35は、1949年に東芝府中工場で製造がはじまりデッキ付の初期型として完成する予定だったが未完成のまま放置され、その後流線型車体の改良型EF58形として1952年3月竣工した。その際、半完成していた旧型車体の両端を切断して流線形の前頭部を接合した。完全新製の流線型車体の側面窓は5枚だが旧車体は7枚で、35・36号機は側面窓が7枚窓の異形車体として登場した。晩年は長岡二区に配置され上越線等で活躍したが、1981年6月廃車された。 '80.8 長岡第二運転所 P:佐々木裕治

DD51 750

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1972年1月新製、稲沢第一機関区に配備される。国鉄分割民営化の際にはJR貨物に引き継がれ愛知機関区所属となる。現役で残る500番台の最若番機として人気を集めた。2009年4月吹田機関区に転属、城東貨物線で活躍するが一年も経たずして2010年3月門司機関区に転属した。(その後、2011年3月に城東貨物線牽引機は電気機関車化された。)活躍の場を岡見貨物に移したが、自然災害や三隅発電所トラブルによる運休も多かった。2013年7月下旬の山口島根豪雨で山口線と山陰本線が被災、岡見貨物は運休となりその後2014年3月ダイヤ改正で廃止となった。役目を失ったDD51 750は門司機関区に留置されていたが2014年6月廃車解体となった。 '08.10.12 紀勢本線 多気 P:楢井勝行

EF65 1072

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EF65 1000番代6次車として1977年5月新製、新鶴見機関区に配備された。そして首都圏に残るEF13やEF15などの旧型電機を置換え貨物列車を牽引した。国鉄分割民営化後はJR貨物の新鶴見機関区所属となった。その後、常用減圧促進改造を受け赤いナンバープレートとなったが、原色原型を保つ車輌として高い人気を誇った。2012年5月、100km/hを超えて運転する車輌に運転状況記録装置を搭載する省令が発布され、最高速度95km/hに制限されたJR貨物所属のEF65 1000番代は2000番代に改番された。しかしEF65 1072はその対象から外れ、2012年6月休車、2014年2月廃車解体された。 '08.3.30 東北本線 黒磯 P:楢井勝行

ED76 551

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海峡線の旅客列車増発に対応させるため、JR北海道では、函館本線札幌近郊の客車の電車化によって余剰となったED76514(1969年6月東芝製)を苗穂工場で改造し、1989年6月に誕生した。制御方式はED79基本番台を踏襲し、保安装置は青函用ATCを搭載、SGを撤去し電気暖房としている。当初ED76500から複数機の改造が計画されていたが、改造は551号機の1両のみとなった。ED79と車体長が異なる等特殊性故、主にトワイライトエクスプレスやエルム等特定の列車を牽引していたが、2001年3月廃車された。 '90.10.14 函館 P:佐々木裕治

EF59 11

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1932(昭和7)年製造のEF53 2。国府津区・沼津区・静岡区・浜松区などに所属し戦前から戦後にかけて東海道本線で活躍。1954(昭和29)年に高崎二区に転属、一時、東京区配置となるも高崎線を中心に使用された。1964(昭和39)年、瀬野八越えの補機用に改造、EF59 11となって瀬野機関区に配属、以後、西の函嶺のシェルパとして活躍する。1985(昭和60)年廃車。現在は碓氷峠鉄道文化むらでEF53 2のナンバープレートを付け保存されている。写真はEF66 2牽引の高速貨5050レの第一補機を務めるシーン。第二補機のEF59 8はもとEF53 7である。 '78.3.15 山陽本線 瀬野-八本松 P:山下修司

EF60 123

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1964(昭和39)年9月製造。新製配置は米原機関区。稲沢第二を経て1968(昭和43)年10月より岡山機関区に配置。1984(昭和59)年に高崎第二機関区に転属、1987(昭和62)年3月廃車、栃木・足利市足利駅前に保存されている。 '1975.2.5 瀬野-八本松 P:冨田賢一

781系

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国鉄が北海道用として1978年に開発・製造した交流用特急電車である。車両開発は当時の標準特急形電車であった485系を基本として、北海道向けの設計・計画が行なわれた。外観の特徴として、着雪防止対策装置が運転席前面窓上に設置された。これは高速走行時に空気の流れを作り、最後尾の運転席前面窓部に、巻き上げられた雪が付着し、凍結を防ぐものであった。1990年には785系の運用などにより、2007年11月に全車が廃車された。 '97.8.16 :千歳線 北広島-島松 P:長岡行夫

EF81 104

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1974年5月敦賀第二機関区に新製配備、日本海縦貫線で運用される。1987年4月国鉄分割民営化によりJR西日本敦賀運転所所属となる。1989年7月トワイライトエクスプレスが運行開始、EF81-104は濃緑の専用色を纏いその牽引に活躍する。1991年7月には乗り心地改善のため連結器を密着自連に取り替えられた。 2013年2月運用を外れ金沢総合運転所(松任工場)で留置された後、2013年7月廃車となった。写真は今は無き「日本海」を牽引するEF81 104。予期せぬ青い客車を引く濃緑の電機、そこに昇る美しい朝日。素晴らしい組み合わせに感激しシャッターを押した。 '08.3.11 北陸本線 加賀温泉 P:楢井勝行

EF80 58

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EF80機関車は、国鉄が開発・製造した交直流両用電気機関車で、常磐線の客貨列車用として1962年から1967年までに63輌が製造された。本形式では1次型(1~50号機)2次形(51~63号機)に分類され、新製配置は1次形は田端機関区、2次型は勝田電車区へ集中配置され常磐線を主体に活躍した。1973年に後続機のEF81機関車が、田端機関区へ配属されて本形式の置換えが開始され、1986年までに本形式の全車が廃止された。 '84.4 田端機関区 P:長岡行夫

ED76 1009

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鹿児島本線の熊本-鹿児島間電化開業用として、20系客車や10000系貨車を牽引するための装備を持つことから1000番代として開発された。外観は(ED76の)基本番代と大差はないものの、位置づけとしてはED73 1000やED75 300の後継機にあたり、電磁ブレーキ指令装置&応速度編成増圧ブレーキ装置・供給空気だめ圧力保持装置・元だめ管引通し構造・編成との連絡電話装置などを備える。客車列車の減少に伴い、輌数は漸次減少していった。最後まで残存した定期運用は寝台特急「富士・はやぶさ」であったが、2009年3月14日のダイヤ改正で同列車が廃止され、定期運用が消滅した。余談ながら、北海道向けの500番代機は貫通扉を持ち、外観はむしろED75に近似する。 '83.7.29 門司 P:熊谷孝志

EF30

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1961年に鹿児島本線門司港-久留米間が交流電化される際に門司駅構内も交流電化され、下関寄りにある関門トンネル入り口付近にデッドセクションを設置して電気的に分割することになったため、下関 - 門司間を直通する客車・貨物列車の牽引には双方の電化方式に対応する交直流電気機関車が必要となり、開発・製造されたのが本形式。世界初の量産交直流電気機関車である。EF81 300番代と共に東京・関西から九州へ渡るブルートレインの牽引役として長らく活躍したが、JR移行後の1987年に全機がその役目を終えた。 '83.7.29 門司 P:熊谷孝志

EF62 49

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国鉄の勾配路線であった信越本線碓氷峠越え区間に直通する列車の牽引用に開発された直流機である。1962年から1969年までに合計54輌が製造され、車両の特徴として台車重量の軽量化と軸重移動の抑制を目的に3軸台車を採用した。84年には貨物輸送の廃止による余剰車は、東海道線の荷物列車で活躍したが、国鉄分割民営化までには廃車された。民営化後は6輌が継承されたが、碓氷峠区間の廃止に伴い1999年1月に全廃となった。 '90.4 信越本線 黒井 P:長岡行夫

EF66 51

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1975年1月9日落成、川崎重工製造、下関新製配置。一度も転属することなく、ブルトレなどの牽引機として活躍した。2009年9月10日に廃車。 '08.3.16 東海道本線 吹田 P:中司朔良

EF66 30

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1973年9月20日落成、川崎重工+冨士重工製造、下関新製配置。後に吹田区へと転属する。最後まで残った旧更新色であったが、2010年に広島車両所に入場、新更新色になって同年5月26日に出場した。2012年に広島車両所へ回送され、廃車された。 '11.4.2 北方貨物線 吹田(信)-塚本(信) P:中司朔良

EF66 901

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EF66 901は、1966年にEF90として川崎電機・川崎車輌で制作された試作機関車で高速貨物列車用機関車として各種試験が行われた。1968年に量産車が制作されると量産車改造が行われEF66 901となった。国鉄民営化でJR貨物に継承されて吹田機関区に配置された。1996年末に保留車となり2001年広島車両所で解体された。 '84.8 浜松機関区 P:藤村巌雄

EF65 1129

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EF65最終増備ロット1000番代8次車として1979年新製、宮原機関区に配備され主に寝台列車を牽引した。JR発足時にはJR西日本に引き継がれ下関運転所に配置され「なは」「あかつき」「彗星」を牽引した。2000年3月から始まった関西九州寝台特急の併結運転でEF66にその任を譲り2005年10月には寝台特急牽引運用を失った。そのため数輌の僚機とともにJR貨物に売却され岡山機関区に配属となり名古屋~下関や四国で貨物列車を牽引した。JR貨物では原色原型を保つ数少ない車輌であったためファンからは高い人気を集めた。2011年3月のダイヤ改正で岡山機関区のEF65は新鶴見機関区に移ることとなったがATS-SFしか搭載していない本機は運用を外され保留車となった。その後ATS-PFを搭載されることもなく2011年12月廃車解体された。 '10.2.11 松山 P:楢井勝行

EF81 92

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1973年3月田端機関区に新製配備、主に東北本線で運用される。1982年からは常磐線で運用され老朽化したEF80を置き換えた。1987年の国鉄分割民営化によりEF81 92はJR東日本に引き継がれた。1988年10月、整備改修が行われ「北斗星」塗装となり寝台特急牽引に活躍。1999年7月、EF81 79・89と共に「カシオペア」塗装になり長らくJR東日本看板列車の牽引を務めた。2010年後継機EF510-500番代の登場により「カシオペア」牽引の任を譲ることとなった。2010年6月24日、92号機が牽く上り「カシオペア」が最後のEF81牽引列車となった。その後常磐貨物で細々と運用されたがEF510-500番代の更なる増備によって余剰となり、2012年1月廃車となった。 '09.12.15 東北本線 蒲須坂-片岡 P:楢井勝行

EF65 1019

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1970年(昭和45年)大阪万博輸送用、呉線電化用として落成し広島機関区に配置、万博輸送後は貨物列車等の牽引に国鉄民営化前の1986年11月に田端運転所配置に1987年3月にレッドチェリーに車体側面斜めに白でEF65をレタリングの塗装に変身、同区配置のEF81 95も同じ塗装になりスーパーエクスプレスレインボー専用機として君臨し、ファンの注目の的になり、操配用として活躍、残念ながら惜しくも1997年12月31日に運用離脱、後継機として2代目をEF65 1118に譲り1998年9月1日に廃車。 '97.11.8 両毛線 小山-思川 P:安田好一

EF65 1038

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1970(昭和45)年9月12日落成、川崎重工+富士電機製造、宇都宮新製配置。後に田端→新鶴見→JR貨物新鶴見→高崎→岡山へと転属する。昭和44年度第4次債務機で、大型パンタグラフ・国鉄色を維持し通風口が残る貴重な1両であったが、2009(平成21)年3月31日に廃車となった。 '08.2.17 北方貨物線 吹田(信)-塚本(信) P:中司朔良

EF58 89

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1956(昭和31)年の東海道線電化前の8月に日立製作所水戸工場で落成後、東京機関区に配置、後に宮原機関区に転属、青大将塗装となる。東海道本線全線電化開業日「つばめ」の上り一番列車を牽引。高崎、宇都宮に転属、前面窓上につらら切が取り付けられた。1984年廃車予定だったが、EEF58 109号機の代わりに全般検査で復活、茶色塗装でそのままJR東日本田端運転所に継承されEF58 61と2大スターとして1998年1月まで活躍。この半年後は老朽化と絶縁不良で休車となり翌年廃車され、現在さいたま市の鉄道博物館で保存されている。 '98.1.25 両毛線 駒形-伊勢崎 P: 安田好一

EF 65 506

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1965年に新製されたEF65 500番台P形1次車の内の一両。東京機関区に配備され当初寝台特急の牽引などで活躍したが、後に新鶴見、高崎第二と移動を重ね最終的には高崎機関区に配備されJR貨物の機関車となる。1991年に延命を目的に、EF65 500番台として、またJR貨物の機関車として初めてとなる更新工事を受け、国鉄色から貨物色への塗装変更が行われた。その後は貨物列車の牽引などを主に運用されていたが、2008年3月17日、単5882レで倉賀野に回送され廃車となった。 '08.2.10  南武支線 八丁畷 P:柳川航平

EF65 1059

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1977年1月21日に新鶴見区に新製配置され、そのままJR貨物新鶴見機関区に継承し、1987年7月に前面を警戒色の黄色、側面の大きなJRロゴマークの試験塗装色に変身以来22年間、2009年3月31日の廃車されるまで塗装変わらず活躍されていた。 '07.2.3 武蔵野線 東川口-東浦和 P: 安田好一

EF58 122

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国鉄民営化前に静岡に転属し、そのままJR東海に継承され主に飯田線の「トロッコファミリー号」などの他にユーロライナーを始めとするジョイフルトレインの先頭に立つなど活躍されてました。2006年5月に2休車となり浜松工場で保管され、2009年1月に惜しくも解体されました。 '05.3.20 東海道本線 三河三谷-三河大塚 P:安田好一

EF65 104

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1969(昭和44)年8月6日落成、川崎重工+富士電機製造、稲沢第二新製配置。後にJR貨物稲沢→岡山へと転属する。2004(平成16)年3月2日に無動8865レで広島車両所へ回送され入場し、全般検査を受けて同年4月9日に試運転、4月12日に本線試運転を行って4月13日の無動8864レで岡山機関区に回送された。同機の屋根上モニターはグレーが省略され、車体上部と同じスカイブルーとなった。2009(平成21)年10月に姫路貨物でフォークリフトと接触し広島車両所へ回送され、後に解体された。 '05.4.23 東海道本線 六甲道 P:中司 朔良

EF65 1002

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1969(昭和44)年10月24日落成、東洋+汽車製造、新鶴見新製配置。後に宇都宮・新鶴見・宇都宮・下関・吹田・新鶴見・JR貨物新鶴見・岡山へと転属する。2007(平成19)年5月に新鶴見から岡山へ転属。岡山では貴重な大宮更新色のPFであった。2008(平成20)年3月14日の5092レが最後の運用となり、運用離脱後は岡山機関区で留置が続き、2008(平成20)年12月25日に廃車となった。 '07.11.23 東海道本線 甲子園口 P:中司朔良

EF65 1123

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JR西日本からJR貨物に譲渡された最後のEF65である。2008(平成20)年2月1日に岡山機関区で台車検査を受け東福山までの試運転を行い、同年の3月4日には岡山機関区にてGPSの取付が行われた。PF後期型で前面部分が完全にオリジナルの状態を保っていた1輌であったが、2011年3月のダイヤ改正後は岡山機関区にて留置状態が続いた。2012(平成24)年2月22日に8867レで広島車両所へ無動力回送され、同年3月3日に解体された。 '08.3.16 北方貨物線 吹田(信)-塚本(信) P:中司朔良

EF65 1009

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1969(昭和44)年10月22日製造、川崎重工+富士電機製、新鶴見新製配置。後に宇都宮・田端・稲沢・JR貨物稲沢・新鶴見・岡山・高崎へと転属し、最後は岡山機関区に転属して活躍した。昭和43年度第5次債務機の中で唯一、PS22B形パンタグラフを装備しており、岡山では珍しい大宮2色更新機であった。2007(平成19)年7月31日に廃車された。 '08.4.12 山陽本線 舞子 P:中司朔良

EF58 150

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1958年3月東芝府中工場で製造され、東海道本線から山陽本線へと電化が進む幹線の特急牽引用として活躍、宮原機関区~宮原運転所の所属であった。国鉄末期の1985年に運用を離脱・廃車になったが、翌1986年の民営化直前に車籍が復活、塗装を茶色に変更しそのままJR西日本へ承継された。その後イベント用としてジョイフルトレイン等の牽引に活躍したが、2009年を最後に本線での自力走行実績はないまま2011年10月31日付で車籍抹消となった。 '91.8 山陽本線 須磨-塩屋 P:泉谷 純

EF81 99

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1974年3月新製、酒田機関区配備、日本海縦貫線で運用される。1985年に長岡運転区に移る。JR発足時にはJR東日本に継承された。田端運転所に転属後1988年12月北斗星塗装となり寝台特急の牽引に活躍する。2008年2月EF81 89故障により急遽カシオペア塗装に変更され看板列車牽引に抜擢された。2010年6月カシオペア牽引は後継機EF510-500番代となった。そのためEF81 99のカシオペア牽引期間はわずか2年4か月であった。その後は常磐貨物で運用されたがEF510-500番台増備によって余剰となり、2011年8月廃車となった。 東北本線 蒲須坂-片岡 '09.12.29 P:楢井勝行

EF81 102

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102号機は昭和48年度第1次債務にて日立製作所で昭和49(1974)年5月17日に落成した。当初は敦賀第二機関区に配置されたが、後に富山第二機関区に転属。昭和61年11月に敦賀機関区(現:敦賀地域鉄道部)に転属した。寝台特急「日本海」を中心に活躍したが、平成21(2009)年12月1日に廃車となった。 '08.1.27 P:中司朔良

EF65 87

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2桁代のEF65で唯一、デフロスターが残っていた87号機。平成23(2011)年3月のダイヤ改正以降は所属先の岡山機関区にて留置状態が続いていた。最後まで国鉄色を維持していた同機も平成24(2012)年1月18日の8867レの本務機次位無動力で広島車両所へ回送され、廃車解体された。 '07.12.1 東海道本線 甲子園口 P:中司朔良

EF65 1056

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昭和50年度第3次債務として製造された。この1056よりPS22B下枠交差型パンタグラフの採用やナンバープレートの取り付けをブロック式に変えたのが大きな変更点である。 '08.12.8 蘇我 P:菅谷和之

EF58 124

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1957年東芝府中工場製。浜松機関区に新製配置、1958年より一貫して東京機関区の所属(尾久、宇都宮、新鶴見などに貸し出しあり)し、東海道を中心に活躍。晩年は年間通してスーノープラウを装着していた。1984年2月、廃車。 '78年頃 東京 P:村松 裕

ED76 87

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東芝府中工場1976(昭和51)年製。新製配置は鹿児島機関区。鹿児島本線を中心に使用され、1986(昭和61)年大分運転所に転属、JR九州に引き継がれ一貫して大分に所属。2006年、廃車となる。  '05.9.13 日豊本線 川南-高鍋 P:橋本正利

EF66 1

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1968(昭和43)年7月、汽車製造/東洋電機製。東海道・山陽本線の高速貨物列車用に開発された形式。定格出力3900kW。1966年に製造された試作機EF90 1(→EF66 901)に基づいた量産機第1号。下関運転所から広島運転所を経て1984年から吹田機関区に配置。下関(転)時代には、豊橋、沼津、静岡、浜松、岡山などに貸し出された経歴もある。JR貨後も一貫して吹田機関区に所属し、2008年3月廃車となった。現在、JR貨物広島車両所に保存されている。 '87.6.28 東海道本線 東淀川 P:小林秀章

ED73 1013

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ED73形は、旅客用仕様のED72形からSGを除いた北九州地区向けの貨物用機関車であり、1962年から翌年にかけて22輌が製造された。-1000番代は、20系寝台客車と貨物列車の高速運転に対応するため1968年から改造したものであり、応速度増圧ブレーキ制御装置と電磁ブレーキ制御装置の設置と引き通し線回路の追加および連絡電話回路の追加が行われた。基本番代車との外観上の差異は、元空気溜め管・ジャンパ連結器の追加と黄色文字化されたナンバーであったが、最終的には1969年までに全車が改造された。その後、本来の目的であった寝台特急運用はED76-1000の登場と、客車の14系・24系化により本形式の独擅場ではなくなり、1980年に北陸本線から転入したEF70形により老朽化と共に置換えが進み、1982年までに全車が廃車となった、写真の1013号機は1982年9月に廃車となっている。 '70.3.7 熊本 P:長谷川武利

EF71 8

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1968(昭和43)年、奥羽本線福島~山形間の交流電化にともないED78、EF71が投入された。ED78は同区間の交流回生ブレーキ装備の標準機として仙山線への入線も考慮され設計。一方、EF71は福島~米沢間の板谷峠の補機として同様の装備でさらに高出力機として設計、三菱と東芝で計15輌製造された。福島~山形間は標準軌化されることになり、EF71は1993年までにすべて廃車された。 '91.8.14 米沢 P:田中一弘

EF65 123

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1970(昭和45)年に汽車製造/東洋電機にて製造された。最終ロットの六次型に属する。昭和61年に「ゆうゆうサロン岡山」の専用機に指定され、客車に合わせ茶色を基調とした塗装に変更された。その後、平成6年に「ユウユウサロン岡山」がリニューアルされたのに合わせオレンジを基調とした塗装に再度変更された。2002(平成14)年に廃車された。 '96.9.5 岡山 P:菅谷和之

EF65 56

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昭和40年に汽車製造/東洋電機にて製造された。2次量産車グループに属し、新製配置は新鶴見機関区である。94年に茶色塗装機であった9号機が廃車後、その後の全般検査時に同機が茶色塗装に変更された。平成13年11月に運用離脱し、廃車は平成15年3月である。 '96.4.13 外房線 蘇我 P:菅谷和之

EF65 519

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「F型」の一輌で、1966(昭和41)年2月23日に東京芝浦電気で新製。高速貨物列車に活躍したがその期間は短く、EF66の登場によりその座を奪われた。吹田第二機関区→新鶴見区→広島区→米原区→吹田第二区→沼津区と転属し,その後は高崎第二区→民営化後はJR貨物高崎区に配置。2000(平成12)年12月6日に廃車。一時、上越乗り入れを行なっておりその際に、つらら切りやホイッスルカバーがなどの耐寒耐雪装備を施したが、寒冷地には適合せずその後東海道・山陽筋に戻って一般型のEF65と共用された。写真の列車はEF65 518と重連で14系を牽引した「沼津機関区100周年記念号」である。会場の沼津機関区には全国から機関車が集結。過去最大級の機関車展示会となった。 '86.8.10 静岡 P:泉谷 純

EF62 54

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昭和44年に汽車製造/東洋電機にて製造された。第2次量産グループに属し、台車はDT124形、軸配置は異例のC-Cとなった。信越本線横川~軽井沢間廃止に伴い廃車になる。現在は、碓氷峠鉄道文化むらに保存されている。 '96.12.23 高崎機関区 P:菅谷和之

EF65 1054

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1972年(昭和47)に、山陽本線の波動用として製造された。継電器の変更に伴い、CS29Bバーニア抵抗制御器がCS29Cに変更されている。同機は下関運転所に所属時、切り抜きナンバーのブロックナンバー化改造を受けている。最後まで国鉄色を保っていたが、今年3月22日に大宮車両所に廃車回送されている。 '09.7.3 外房線 蘇我 P:菅谷和之

EF10 17

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輸入電機を置換えるためEF53製造の経験を活かして開発された貨物用電気機関車。製造初年は1934年。EF10 17は1938年製で、車体が汽車製造大阪、電装が東芝鶴見工場である。水上、国府津などを経て、関門トンネル開通後は一時門司に所属した。戦後は国府津、八王子、甲府に所属、1976年3月に廃車となっている。EF10は製造時期などによって形態が大きく異なり、16号機かではリベット組立てのヒサシつきボディ、17~24号機が丸みを帯び溶接構造、25~41号機が角型の溶接構造の車体となっている。17・20~24号機がHT57鋳鋼台枠、30~33がHT58鋳鋼台枠、。24・27・35・37・41がステンレス車体に換装されている。 '64.4.5 東海道本線 辻堂-茅ヶ崎 P:青木一郎

ED16 18

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ED16 18号機は1931年8月15日に川崎重工兵庫工場で製造されました。1931年8月30日に水上機関区に配属となり上越線の貨物列車の牽引に活躍しました。1945年12月に国府津区久里浜支区へ、また1959年4月19日には西国立(立川)機関区に転属となり、以降は青梅線・南武線の貨物列車の牽引に活躍し1983年7月16日に廃車されました。 '81.9.27 立川機関区 P:鈴木岳人

EF55 1

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1936年に3輌製造された。車体の片側(1次側)は流線形で、反対側(2次側)は切妻で運転台設備は設置されているが、常に1次側を先頭に運転されていた。車輌は1964年までに廃車となり、1号機は教習用として保存されていた。その後機関車展示会などでの人気を得て動態復元を行いイベント列車の牽引に活躍したが、老朽化もあって2008年のさよなら運転が実施された。 '98.10.10 信越本線 横川 P:長岡行夫

EF15 112

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EF15 112号機は1954年8月7日に東芝府中工場で製造されました。同年8月に新鶴見機関区に配属となり首都圏の貨物列車の牽引に活躍しました。1980年10月28日に立川機関区に転属となり、以降は青梅線・南武線の貨物列車の牽引に活躍し1983年8月5日に廃車されました。なお同機は1983年6月26日に運転された中央線初狩駅のスイッチバックを体験するイベント列車の牽引機に抜擢されています。 '81.9.27 立川機関区 P:鈴木岳人

EF65 1059

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1969年から1979年の間に製造されたEF65形1000番代(PF型)の6次車として登場しました。1987年に貨物試験塗装機となり、主に貨物列車の牽引をしました。2009年3月27日に大宮車両所へ廃車回送されるまでこの塗装は変更されることがなく、人気の高い機関車でした。 '09.1.18 東海道本線 辻堂-茅ヶ崎 P:賀来正博

EF64 33

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'64年に勾配線向け機関車として登場。'76年までに0番代として79輌が製造。この内、写真の-33号機は、'69年度第2次債務予算車として'70年に-31~-36号機の6輌製造された中の1輌で通称、三次量産車と称される。PC牽引対応用のEGを装備。運転台を含めた車内灯が蛍光灯化されたのもこの次車から。基本性能は、EF62をベースに歯車比を落として高速性能を増したほかは、発電制動付の自動進段式カム軸式でバーニア抵抗制御を採用していた。33号機は甲府区を皮切りにJR化後は貨物機として稲沢(→愛知)区に所属。'09年05月に運用離脱し、'10年02月に廃車。とりたてて特徴はなかったが、最後まで原色で活躍していた車輌であった。 '90.2.10 東海道本線 名古屋 P:梶村 昭仁

EF70 1007

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EF70形二次車の内の22~28号機を、1968年10月のダイヤ改正時からの20系寝台客車牽引に向けて高速対応改造したものであり、本機は元28号機で1000番代の最終車である。改造内容は、応速度増圧ブレーキと電磁ブレーキ制御装置及び引き通し線回路の増設、連絡電話回路の増設であり、一般車との外観上の差異は、元空気溜め管・ジャンパ連結器の追加と前面ナンバープレートのブロック化である。特急牽引をEF81形に譲った後は、九州に渡って再度特急牽引に返り咲くこともなく1986年3月に廃車となった。 '74.11.3 越前花堂 P:長谷川武利

EF63 15

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このEF63機関車は信越本線の碓氷峠用補機として1963年にデビューし、従来はアプト式で運行していた横川・軽井沢間は路線変更も行った上で、アプト式の廃止と所要時間短縮を図った直流電気機関車である。製造車輌数は25輌で、すべて横川運転区に所属し運用は2輌ペアであったが、長野新幹線開通に伴い横川─軽井沢間の鉄道廃止に伴い運用はなくなった。EF63 15は'63年3月東芝製。'98年5月廃車。 '89.12 信越本線 横川─軽井沢 P:長岡行夫

ED62 17

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ED62 17は1959(昭和34)年6月にED61 18として川崎重工兵庫工場で製造された。主に中央線の貨物列車の牽引に活躍した後に、1972(昭和47)年1月に阪和線に転属した。1978年10月に飯田線への転属にあたって軸重を軽減させるため長野工場で1軸の中間台車を設置し、ED62 17となった。以後、飯田線の貨物牽引に活躍していたが、2002年3月に廃車され大宮工場に保存された。 '00.10 大宮工場 P:鈴木岳人

EF70 11

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1962(昭和37)年、北陸本線の電化の際に投入された交流電気機関車。11.5‰の連続する北陸トンネル内で1000t牽引を実施するためにF級とした。福井以南をこのEF70が受け持ち、平坦区間の多い福井以北をED74が受け持つ計画だったが、結局は全区間EF70に統一され、EF74の製造は6輌にとどまった。EF70は1961(昭和36)年~1965(昭和40)年までに81輌が製造され1次型(1~21)、2次型(22~81)に分かれ、外観・性能ともに異なる。写真の11号機は1962(昭和37)年3月、日立製、1986(昭和61)年3月に廃車となっている。 '65.3.29 田村 P:柿浦和敏

EF12 14

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EF12形はEF10形の出力増強タイプとして1941年から1944年にかけて17輌が製造された。1600kWの出力を有し、戦前型電気機関車の最高峰として旅客用のEF57形と双璧をなした。14号機は15号機と共に1944年の製造で、誕生順では最終グループである。本機は国府津を手始めに水上,高崎二,宇都宮と職場を替え最終的には高崎二区で1977年12月に廃車となった。 ’75.11.23 上越線 井野 P:長谷川武利

EF81 1

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EF81は、交流50Hz/60Hzの周波数に対応し、直流電化区間とあわせ3方式の電化区間を直通運転できる交直両用の電機機関車。直流標準電気機関車のEF65形をベースに、交流から直流に変換する機器を付加した構造で、1968年から製造開始された。制御方式は、当時直流機で一般的な抵抗制御方式で、交流区間では交流20kVを直流1,500Vへ変換し、抵抗器で制御する。1979年までに156輌が製造(1~152、301~304)され、日本海縦貫線、常磐線、関門トンネル区間で使用された。JR化後、増大する輸送量に対応させるため再製造(451~455、501~503)され、総製造数は164輌となった。汎用性の高さと後継機開発の遅延もあって1992年まで全機が使用されていたが、機関車牽引の旅客列車の減少と、後継機の製造開始により初期車を中心に淘汰が開始されているが、現在でも長距離寝台特急や貨物列車に重用されている。
1号機は、1968年12月21日立製作所水戸工場で製造され、直ちに富山第二機関区へ配属された。民営化後はJR貨物に継承されたが、2004年3月31日廃車された。写真は、座席車が12系化された急行「きたぐに」を牽引する姿。 ’80.9 信越本線 荻川-亀田 P:佐々木裕治

ED72 18(ED72)

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ED72形は、ED71形の試作機ED71 2を元にした北九州地区向けの旅客用機関車である。1961年製造の試作機1、2号機に続き1962年には性能,駆動方式,外観が異なる量産形の3~22号機が製造された。九州地区の列車暖房は蒸気暖房方式のためED71形にはないSGを搭載しており、これによる全長・重量の増加に対応するためDD51形と同様に中間台車付となった。この空気ばね圧力を調整して動輪上荷重を加減できるのも同様である。新製時に搭載していた水銀整流器を後年シリコン整流器に交換したことによりバーニア制御機能を失い、交流機関車(当時の)の特長であった粘着性能は低下した。本来業務であった旅客運用は後継機ED76形に押し出される形で減少し、SGの撤去改造をした車両も出現した。1976年に試作機が廃車となって以降減少が続き1980年の北陸本線からのEF70形転入により1982年までに全車が車齢20年を待たずに廃車となった、写真の18号機は1981年3月に廃車となっている。現在ED72 1号機が九州鉄道記念館に保存されている。 '70.3.7 熊本 P:長谷川武利

EF60 503

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1963年11月、汽車製造大阪工場で製造。電装は東洋電機。新製配置は東京機関区で、東海道・山陽本線でブルートレイン牽引の任につく。EF65 500番代にブルトレ牽引の任を譲った後は、貨物列車中心に活躍。新鶴見→広島→浜松→八王子→高崎二→竜華→梅小路と転属、JR西日本に継承され梅小路→宮原と移りJR西日本宮原総合車両所で保管されていたが、2008年11月に解体された。 ’86.3.9 竜華操車場 P:小森克禎

ED70 5

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1957年から1959年にかけて19輌が量産された旧国鉄最初の幹線用交流電気機関車である。新製配置時から一貫して敦賀第二機関区に所属し、北陸本線の田村-糸魚川間で主として旅客列車用に活躍した。本形式は重連使用で貨物運用にも充当する計画であったが、この仕業には後に誕生したEF70が単機牽引で当たることになった。登場時には前面貫通扉付であったが後年は写真のように溶接密閉化された。このED70 5号機は1975年4月に廃車となっている。 '74.11.3 北陸本線 福井 P:長谷川武利

ED75 501

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D75 501
1966年(昭和41年)三菱重工で製造された北海道電化のパイオニア。東北地区での性能試験後、先行して建設された手稲~銭函間の試験線で、711系900番代とともに北海道最初の電化に向け各種試験が実施された。小樽~滝川間の電化は昭和43年、翌年旭川まで延伸した。ED75 501は、酷寒地仕様として特別高圧機器の室内への収納や冷却風を床下より取り入れ雪の進入を抑える構造とする等耐寒装備が強化されている。最大の特徴は、サイリスタ移相制御を採用したところ。ED75 500は唯1輌で、量産機は列車暖房のSGを搭載したED76形500番代とされた。本機は、主に岩見沢~旭川間の貨物列車の任にあたっていたが、1987年(昭和62年)に廃車され、現在は小樽市総合博物館に保存されている。 '81.7 奈井江─豊沼 P:佐々木裕治

EF62 4

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EF62信越本線の碓氷峠越え区間に直通する列車の牽引用に、1962年から合計54輌が製造された。新性能電気機関車としては異例のC-C軸配置。軸重16トン、総重量96トンとい幹線F級電機の枠の中で、急勾配、協調運転に対応するさまざまな機器を搭載するため、各部が軽量化が図られている。登場以来信越本線の主として活躍してきたが、1984年2月のダイヤ改正で首都圏~長野間の貨物列車をすべて中央本線経由に統一したため余剰が生じ、老朽化したEF58置換え用として4、13~34、36~38の計26輌が下関運転所に転属、汐留~下関間の荷物列車牽引に投入された。しかし、過酷な運用に故障車が続出、EF58、EF65などが代走する場面もしばしば見られた。1986年に荷物列車が廃止となり、東海道・山陽本線での活躍も終りを告げた。一方、信越本線に残りJR東日本に継承された6輌は、急行「能登」と黒井~二本木の貨物列車、臨時列車などに用いられ細々と活躍していたが、1993年に「能登」が489系化され、1997年には信越本線横川~軽井沢間が廃止となり、1998年に全機廃車となった。EF62 4は1963年川崎重工兵庫工場で製造され、信越本線で活躍後、1984年2月に下関に配置、87年3月に廃車となっている。 '86.10.8 東海道本線 大阪 P:小林秀章

ED71 37

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東北線の交流電化用に開発された50Hz用の交流電気機関車で、全部で55両が製造され、主に黒磯~仙台間で活躍したが、ED75700の南下により昭和59年に全廃された。写真の37号機は船岡に保存されていると聞いている。就職を間じかに、ED71の記録を残そうと運用表を調べ、記録した1枚。 '81.1 東北本線 藤田 P:佐々木裕治

EF15 1

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22年に戦後国鉄で最初に製造された貨物用電気機関車。最後のデッキ付き電気機関車で、全国の直流電化区間で総数202輌が活躍した。この日は、アルバイトで糸魚川に行った帰り、越後線に乗り越えようと柏崎で下車した時、偶然にも貨物の先頭に立つトップナンバーを撮ることができた。翌年廃車された。2460レ。 '77.7.3 信越本線 柏崎 P:佐々木裕治

EF80 4

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1962年10月1日、常磐線勝田~高萩電化を機に導入された交直両用機関車。試作ED92 1を基本に設計されたが牽引力を増強、F型となった。1台車電源方式とし、制御機器の簡略化するなどして軽量化されている。1962~67年まで製造され前期型1~50、後期型51~63に分けられる。前期型は田端に、後期型は内郷機関区(勝田電車区)に配属された。4号機は1962年8月7日日立製作所製、1981年9月に廃車となっている。撮影時4号機は運用離脱し休車状態となっていたように記憶している。 '81.8 田端機関区 P:大河原 健

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越後交通ED40形は相模鉄道ED10形電気機関車と同じ系列のDT13形台車等の電車の部品を使用した電気機関車で、東洋電機にて製造された、この後車体の色を茶色から青に変更し1995年の越後交通廃線まで活躍した。 ’80.6 来迎寺 P:深山剛志

ED92 1

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常磐線取手以北の交流電化に際して開発された日本初の交直両用電気機関車で、1959(昭和34)年、日立製作所で1輌のみ製作された。登場時はED42 1 。整流器は水銀整流器、1時間定格出力は交直とも1400kW。試験運転を重ね、EF80形量産の礎となった。1961(昭和36)年、形式番号を変更、ED92 1となる。教習車となり長らく田端機関区に留置されていたが1975(昭和50)年、解体された。 ’74.7.14 田端機関区 P:中西裕一

EF11 1

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EF10に回生ブレーキを追加した機関車がEF11である。全部で4輌あったが、1~3号機はEF10の1次型の車体を全溶接で組み立てたタイプ、4号機はEF10の半流型と同型の車体とわずか4輌の小世帯なのに形態が違っていた。拝島に留置されていると聞き行ってみると、すでに休車でプレートも外された姿だったが、ペンキ書きの字がとても丁寧に書いてあった。 ’74.6.9 拝島 P:宮村昭男

ED61 15

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ED61の製造初年は1958(昭和33)年。中央本線八王子-甲府の旧型電気機関車を置き換えるために誕生。1号機は日立、2号機は東芝でそれぞれ試作され、翌’59年に量産開始、3~18号機が製作された。ED60と同じ構造だが、回生ブレーキを装備している。’79年までに全機ED62に改造。15号機は’79年に改造されED62 18となった後、’85年に廃車となった。 ’75.3.9 八王子 P:宮村昭男

ED75 305

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ED73の後継機として、11輌だけ作られた60kHz の300番台だが、軸重の関係から九州北部に運用が限定された。引退が近くなった頃に、ブルトレのヘッドマークが復活し、最後の花道となった。門司を発車する特急9レ「あさかぜ1号」を牽く305号機。 ’84.3.10 鹿児島本線 門司 P:宮村昭男

EF18 33

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EF58 32~34として1949(昭和24)年、東芝府中工場で製作中、GHQの金融財政引き締め政策よって2年間国鉄引渡しを保留され、結局、貨物機として1951年納入された。SGを搭載せずその代わりにデッドウエイトを載せている。機番は32~34でEF58と通し番号になっており、いずれはEF58に組み込まれるものと見られていたが、貨物機のまま生涯を終えた。側面窓の数などが違うが外観はEF58一次型とほぼ同じ。撮影当時、33号機が標識灯も引っ掛け式で、一番原型に近いのではとも思えた。ただしエアフィルターが新型機と同じタイプの物に交換されている。廃車までそう長くもないのに、この後、前面窓がHゴム化されてしまった。EF18は3輌とも浜松機関区に所属、区間貨物列車など地味な運用についていた。33号機は1979(昭和54)年、廃車となっている。 ’75.9.29 東海道本線 用宗 P:宮村昭男

EF60 13

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1960年に登場した直流電気機関車。写真の13号機は1次グループ(1~14号機)でクイル式駆動。同方式は起動時に車輪と主電動機との間に設けられた緩衝部分の空転により部品の磨耗が激しく、2次型以降は釣り掛け式に変更された。1次型はクイル駆動車を改造され瀬野八越えの補機専用機EF61形200番台になったものもあるが、他は1982年までに廃車された。13号機はEF61 200番代に改造されることもなく1982年6月に岡山で廃車となっている。 ’73.9 塚本─尼崎 P:高橋 明

ED60 2

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支線区の老朽化した輸入雑形機や国産古典機を置き換えるため、1958(昭和33)年から製造された新系列の直流機。川崎車輌の2号機が最初に落成し、三菱電機の1号機、東洋電機の3号機ともども、“くろよん”建設資材輸送が急務の大糸線に投入された。1960年までに追加された4~8号機は阪和線に使われた。全長13mで56tと小柄だが出力は1560kW、阪和線で重連を組んだEF15と大差ない。北松本に配属された2・3号機は1962年に甲府に移り、3年後に阪和線の応援にまわって7年間働き、その後は大糸線に戻った。保存される1号機が1984年3月にさよなら列車を牽引、2・3号機は年末に廃車になった。 ’69.2.18 竜華機関区 P:内藤健作

EH10 3

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2車体を永久連結した8動軸式マンモス機EH10が神崎川の鉄橋上に下り貨物列車を牽いて姿を現した。牽引機は初期型の3号機でパンタグラフが車体中央寄りに装備されている。高速走行中に架線にダメージを与えるという理由で量産型ではパンタグラフは車体両端に位置を変更された。車体長は量産型より200mm短い。黒い車体に黄色のラインが入り、そのカラーリングから「熊ん蜂」と呼ばれた。1981年に形式消滅している。 '74.3 東海道本線 塚本-尼崎 P:高橋 明

EF57 7

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年末年始やお盆と並び、ゴールデンウイークはゴナナの稼ぎ時である。普段はなかなか来ないEF57だが、臨客が走る時期はよく顔を見せてくれた。8103レ〈八甲田52号〉。EF57 7は1942(昭和17)年、日立製作所製。沼津機関区、浜松機関区時代は華の東海道で活躍。'56年長岡機関区に転じ、上越線に活躍の場を移す。'60年より宇都宮機関区に。宇都宮で過ごした期間が18年ともっとも長い。 '75.5.4 上野 P:宮村 昭男

ED21 3

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前身は富士身延鉄道210形で、日立製作所で1928(昭和)3年に製造、第二次大戦直前に買収され、そのまま身延線でED213となる。戦後は飯田線に移り、1号機は廃車され、2号機は中部天竜に留まり、3号機は大糸線に転出して1973年まで使われた。全長12.5mで56.6tだが出力は740kWと低い。貫通路の脇の梯子が特徴。 '69.11.27 大糸線 信濃大町 P:内藤健作

EF70 50

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1961〈昭和36)年から1965(昭和40)年の間に計81輌が日立製作所、三菱電機、三菱重工業で製造された。大容量シリコン整流器に高圧タップ切換器を組み合わせ、モーターを定電圧制御する。交流機では数少ないF形機関車だが、これは1100t牽引で多湿で勾配のある北陸トンネルに対応するため出力に余裕を持たせたもの。当初はED74が本務、EF70が補機という計画だったが、結局形式を統一したほうが都合がいいため、大量に増備されたのはEF70のほうだった。湖西線の開業までは北陸本線の主力機として活躍したが、以後はEF81に押され次第に凋落、1987年に形式消滅した。50号機は1964(昭和39)年三菱重工製で、1986年3月に廃車となっている。写真は田村駅。まだ、DD50の姿もあって、EF70も50号機のほか、75号機、29号機など5輌ほど駐機していた。 1976年頃 北本陸線 田村駅 P:河合溪雄

ED91 1

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国鉄初の交流電化の試験区間・仙山線作並~北仙台間に1955(昭和30)年にED45として投入されたイグナイトロン水銀整流器(のちにシリコン整流器に交換)式の試作1号機で三菱製。整流器の異なる11号機は東芝、21号機は日立製。2年後に営業運転を開始して1961年に形式称号を改められた。仙山線の全線電化で不要となり、3両とも1970(昭和45)年に廃車された。11・21号機は保存されている。 '64.8.11 作並機関区 P:内藤健作

■お知らせ ブログ「消えた車輌写真館」をご覧いただきありがとうございます。本ブログも投稿可能な設定にいたしました。珍しい車輌でなくても結構です。消えた車輌たちの面影をブログに保存していきませんか。画面右上のバナーをクリックすれば投稿フォームが開きます。車輌についての詳細が判然としない場合はコメント欄を空欄にして送信していただければ、編集部でできる限り調査の上アップしていきます。

ED12 5

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EF10の改良型であったEF12は、姉妹機EF57に比べ、ファンに注目されることも少なかった。そんなEF12の稼動最後の1輌となった5号機の検査期限切れが迫り、最終運用となった'81年8月1日、お別れのヘッドマークを掲出し、高崎操車場~桐生間で1往復の貨物列車を牽引した。当日は台風通過に伴う大雨となったが、無事最終運用を追え、高崎第二機関区に帰還。当局の心遣いから、構内での撮影を許可していただき、撮影したのがこのショット。 '82.8.1 高崎第二機関区 P:松尾彦孝

ED76 505

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北海道の小樽-旭川間の電化用に作られたのが500番代だが、九州のED 76 がED75と同じ磁気増幅器を用いた位相制御方式であるのに対して、こちらはサイリスタ位相制御としたものでS形と呼ばれる。重連仕様のため貫通扉を備え、寒冷地のための大型SGを搭載して全長が長くなり、パンタグラフも空気上昇式のPS102Aとなるなど、九州型とは形態・構造共に大きく異なる。旅客列車の電車化、貨物列車の削減で活躍の場を失い、三菱で'68年に誕生した505号も '87年に廃車された。 '76.2,16 小樽 P:青柳 明

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箱型のボディに細くて長いデッキというスタイルで登場したEF58のうち、32〜34に相当する機関車を貨物用に振り向けたためにできた形式だ。そのため3輌しか登場せず、番号もEF58の続きとなる32〜34となっているのが特徴。歯車比がEF15と同じなので性能的にも変わらない。箱型ボディのEF58が流線型に換装されたので、旧EF58の面影を残す貴重な存在だった。浜松機関区に所属し、静岡地区で働いたが'79年に廃車された。'77.1.23 島田 P:青柳 明

EF16 12

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奥羽本線の福米間の板谷峠用にEF15に電力回生ブレーキを搭載して誕生した形式で、12号機はEF15 23を改造したもの。奥羽本線のEF16は、EF64の投入による上越線への転属時に、ほとんどの車輌が回生ブレーキを撤去してEF15へ戻されたが、12号機は転属後もEF16のままだった。窓のひさしや汽笛の覆いに福米時代の面影を残しているものの、屋上水タンクや電気笛は撤去されている。上越線では水上機関区に配置されていたが1980(昭和55)年に廃車された。'76.4.18 水上機関区 P:青柳 明

ED16 3

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中央線の電化に際して、諸外国から輸入された電気機関車が東海道筋から集められて使用されることとなった。主に集められたのはED17形であったが、さらにED56形やED57形などの少数派も仲間入りした。それでも不足する機関車は新製して充当することとなり、誕生したのが国産機ED16形であった。1931(昭和6)年に、三菱、日立、芝浦/汽車、川車/川船で全18輌が作られたED16形は中央線を皮切りに、上越線、阪和線などに散って客貨列車牽引に活躍。最終的には立川機関区に全機が集結して南武線、青梅・五日市線の貨物列車を牽引した。登場時から最終時期に至るまで外観的に大きな変化が生じなかった機関車だが、最終時期の特徴を強いて挙げれば、前照灯の大型化、標識灯埋め込み…といったところだろうか。ただし妻板に埋め込まれた標識灯は、その位置が内側寄り、下側寄りなど機関車によりまちまちで、それが逆にED16形各号機の表情を微妙に変えているのが面白い。写真の3号機は1931(昭和6)年5月に三菱製。'69.6.1 立川 P:笹本健次

EF61 206

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老朽化したEF59を置き換えるためEF60の(1次型)クイル駆動車から改造されたのが、EF61 200番代。206号機はEF60 6からの改造。重連での後補機運用に付いた際、連結器に不具合が生じることが判明、短命に終わった。老骨に鞭打って後押しをするEF59を横目に庫で寝ていることが多く、EF59全廃後も主役はEF67に取って代わられ、地味な存在だった。1991(平成3)年3月廃車。'78.3.24 山陽本線 瀬野 P:山下修司

ED26 11

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ED26 11は僚機12とともに1929(昭和4)年に伊那電気鉄道のデキ20、デキ21として芝浦製作所で、鉄道省ED11,ED14(GM製)を手本にして製造された。伊那電気鉄道が戦時買収により国有化、飯田線となった。当初は改番されずに使用されたが、1952(昭和27)年に改番されED33 1になり、1961(昭和31)年再び改番、ED26 11となった。'69.9.1 辰野 P:笹本健次

ED77 901

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1965(昭和40)年に試作されたサイリスタ制御の交流機ED93を改造、ED77に編入し901とした。正面に貫通扉を設けるなど、ED77量産機と規格を合わせたが、屋根上に機器を収めたドームがあるために遠目でもそれと分かる。ED77量産機と共通運用で、磐越西線で活躍したが、1986年に廃車された。 '82.5.2 郡山 P:山下修司

ED27 14

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国鉄ED27形電気機関車。国鉄/JR南武線の前身である南武鉄道が、1928(昭和3)年に日立で4輌製造した1000形(1001〜1004)50トン電機は、南武鉄道の国策買収により国鉄1000形を経て1952(昭和27)年に実施された形式称号改正でED34形に。さらに1961(昭和36)年の形式称号改正ではED27形の11〜14とされている。本形式は終始一貫して南武・青梅・五日市線の貨物列車牽引機として活躍し、1968(昭和43)年に11、12号機が廃車となった。12号機は幸いにも、各地より電気機関車を集めていた岳南鉄道に引き取られ同社のED27 1として1973(昭和48)年まで活躍した。一方、国鉄に残った13、14号機も引き続き南武線界隈で活躍した後、1973(昭和48)年に廃車となり姿を消した。'69.6.28 東川井(信) P:笹本健次

EF65 540

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明けやらぬ岡山駅に〈あさかぜ3号〉がやってきた。東海道・山陽筋のブルートレインは下り〈あさかぜ3号〉上り〈あさかぜ1号〉、上下〈瀬戸〉が共通運用の20系で、他は大阪発着も含めすべて14系、24系化されていた。撮影後、日を置かずして24系になり、これで置き換えが完了した。牽引機EF65 540は昭和43年に東京機関区に新製配置され、53年8月31日に新鶴見に転属、平成10年12月2日に高崎で廃車になっている。'77.9.28 山陽本線 岡山 P:山下修司

EF10 31

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1934年に1〜16が作られたEF10形は、1937年に17〜19が、1938年に20〜24が、1939年には25が、1940年には26〜33が、そして1941年には34〜41が作られるという大所帯の形式となった。写真の31号機は、関門トンネル用として重連装置付きのグループとして誕生した26〜33の1輌で、さらに30〜33は鋳鋼製台車HT58形を履く。’68.10.27 八王子 P:笹本健次

EF5922

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西の箱根・瀬野八越えでは24輌のEF59が補機として活躍していた。EF56改造のものは写真の22号機をはじめ6輌。SGを撤去し死重を載せていた。貨物列車は基本的に後補機は2輛で、サミットの八本松から役目を負えたEF59は重連、4重連、時には6重連で瀬野に回送された。 '78.3.14 山陽本線瀬野 P:山下修司

EB10 2

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昭和2年に、電気部分を芝浦製作所、機械・車体部分を汽車会社が担当して2輌が製造された蓄電池式電気機関車10形が前身。昭和6年に一般の電気機関車として改造され、東北本線の王子駅から分岐する須賀貨物線で昭和46年まで貨物列車牽引機として活躍した。廃車後は、EB10 1が東京府中市の交通公園に保存されている。’69.12.6 王子 P:笹本健次

EF589

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72年3月改正からEF58が再びブルートレインを牽引することになった。関西〜九州間の〈彗星〉〈あかつき〉で、最盛期には上下合せて22本の列車があった。急行列車もEF61が牽く〈阿蘇〉を除いてすべてEF58牽引、深夜の駅に行くとそれこそひっきりなしにゴハチがやって来た。 '75.2.1 山陽本線岡山 P:山下修司

ED192

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ボールドウィン・ウエスチングハウス製ED53に歯車比を変更するなどの改造を加えたのがED19で、仙山線、南武線、身延線で活躍後、6輌全機飯田線に集まった。6輌それぞれに細かな点で差異が見られるが、2号機は前面窓の縁取りとやや離れて取り付けられたPS14形パンタグラフが特徴。’75.12.29 駒ヶ根 P:山下修司

ED74 6

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北陸トンネルの開通に合わせて開発されたEF70の弟分とも言えるD型機で、基本構造はEF70を踏襲しながら、引張棒を用いて軸重移動を押さえたDT129形台車の採用など、さらなる性能向上を目指した。しかし、北陸トンネル用のEF70を通し運転するようになったため、全6輌が九州に転じた。一時は特急牽引にも活躍したが、1982年までに全機が廃車された。写真は敦賀一区時代のラストナンバー。 '66.4.2 糸魚川 P:笹本健次

ED16 4

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新製後、上越線→中央線→阪和線に働いてきた国産のED16形電気機関車は、その活躍末期には全18輌が立川機関区に集結して、青梅、五日市、南武線の貨物列車牽引に奮闘していた。本機は1984年6月19日付で廃車。’79 立川 P:滝澤隆久

EF591

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山陽本線瀬野八越えの補機専用機。EF53形から改造されたものが19輌、EF56形からのものが5輌、計24輌、歯車比を変更した上で重連総括制御機能、自連解錠装置を付加されEF59となった。写真の1号機はEF53 8からの改造。基本的には貨物列車は重連で、旅客列車は単機で後部に連結。特急・急行や特急貨物列車は八本松の広島寄りで走行解放された。瀬野 ’78.3.8 P:山下修司

EF6113

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EF60の歯車比を変え高速性能に重点をおいた上でSGを搭載したEF61。18輌製造。末期はEF58とともに荷物列車にもっぱら使用されていた。そんな中で急行「阿蘇」は同機の花形運用で、冬場は蒸気をたなびかせ東海道・山陽路を駆けた。 東海道本線 豊橋 ’78.3.15 P:山下修司

EF14 1

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国産初の大型電機として誕生したEF52形9輌のうち、最後に製造された2輌はEF53と同歯車比のためすぐにEF54形と改称された。さらに戦時中に貨物用として改造されEF14形1・2となった。晩年は吹田二区に所属し、大阪駅の入換えに従事した。1974年廃車。’70.4.27 大阪 P:笹本健次

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