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国鉄・電車の最近の記事

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1980年広島工場でモハ100-34→クル144-5 モハ101-36→クモル145-5で車体新製、台車、一部機器再用し17m車で誕生。品川電車区配置。クルのパンは区所入換用で、本線では使用しない。クル144 クモル145の5は、常時大船工場〜幕張電車区の配給輸送に使われ、ATC5の東京地下トンネルを、2輌
で行き来していました。手前はパン上昇のクル。1994年除籍。 '88.1.13 大船工場 P:高澤一昭

クモヤ21215

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1965年モハ10001を種車に、大船工場で改造しクモヤ22115となる。22114(65 OF 改)と共に大船電車区配置、終のすみかとした。区、工場での入換、本線、構内の試運転等のけん引車に使用した。スカ線朝夕の新聞電車のクモニ83が不足すると、83+22で東京(のち汐留)〜久里浜を体をゆすり、フルノッチで走って営業の手助けをしました。1987年廃車。機械扱いで使用するも明日解体線送りです。 '88.1.7 大船工場 P:高澤一昭

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クロ157牽引のため最後まで残っていたMc157・M156 の1と2の4輌がTs165 2輌を伴い思い出多い東海道本線を「片道切符」大船工場行きでの旅立ちでした。 東海道本線 品川ー川崎 '80.11.27 P:高澤一昭

クモハ14806

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1930〜32年に製造されたモハ32うち、モハ32015が形式称号改正でモハ14015なり、のち身延線運用車は低屋根化改造を行った。'59年の形式称号改正でクモハ14806となった。身延線のほか甲府地区ローカル運用も
担いました。1971年廃車。 '63.3.3 中央本線 塩山 P:高澤一昭

モハ183-1・モハ182-1

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1972年東急車輛製造。津田沼配置すぐに幕張電車区に移動。主回路機器を183に集約したため182はサハのように向う側が見える。20年ちかくを房総特急として海辺を走り、92年松本運転所に移り山線を走り1997年除籍。 '79.11.7 大船工場 P:高澤 一昭

クハ183-1

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1972年東急車輛製造。津田沼配置すぐに幕張電車区に移動。183系普通車は出入台を増設し片側2か所とした。23年間房総地区を走まわり、1995年廃車。写真は大船工場出場車の「試1292S」試運転列車で字幕はふだん見られないものを表示してもらったもの。 '79.11.14 横須賀線 横須賀 P:高澤 一昭

クモヤ143-6

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1978年、近畿車輛製造。池袋電車区配置。山手、大船電車区と移動。大船では、駅ー区、間の通勤電車、入換、工場入出場車の控車、他区貸出しなどに使用された。特徴はクモヤ143では唯一の冷房である。町工場などで使用される、一般の冷房機を2台室内に設け海側中央の固定窓を排気用よろい戸に変更した。冷房効果のほどは?です。2011年4月143-4、5と共にEF64 32に牽かれて善光寺参りにむかいました。 '08.2.18 鎌倉車両センター P:髙澤一昭

クモハ12018

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撮影した1979年頃は、静岡運転所にあって大船工場入出場車の上り方牽引車として使用された。静運には、牽引車、80系、111系があって、新旧車輌を一諸に組成して回送列車とした。異車種間は特殊ジャンパ連結栓(お化けカップラー)を使用したが、111系M車は片栓のため相手車両に特殊アダプター(通称ダルマと呼んでいたが由来、意味は不明)を付けて連結した。写真の左下の白(制御)赤(補助)が、ダルマを装着した姿。クモハ12054 クモハ60069にも同様のものが搭載されていた。 '79.12.13 大船工場 P:髙澤一昭

151系

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1958年11月1日に営業運転を開始した国鉄最初の電車特急「こだま」8輌編成。東京、阪神間を日帰りできることからビジネス特急とも呼ばれた。のち12輌となった。さらに「つばめ」「はと」も電車化され東海道本線は電車特急の時代となった。  102T 「第1こだま」  '59.12.23 東海道本線 平塚ー茅ヶ崎 P:高澤一昭

クモハ73030

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モハ63736→クモハ73030となり、1963年吹田工場で近代化改造を受け車体が一新された。最後は沼津機関区で富士のふもと御殿場線で運用されたが1979-10月除籍された。 '79.11.7 大船工場 P:高澤一昭

クモハ73617

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制御車不足解消のため、中間電動車モハ72636に運転台増設工事を1967年大井工場で施工しクモハ73617となった。東京地区で使用されラストは東神奈川電車区で横浜、根岸線を走り1979-10月廃車となった。 '79.11.7 大船工場 P:高澤一昭

クモハ102−1201

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大船工場の牽引車で1993年4月廃車のM'c102-1201(マト)とMc103-11(ナハ)で組成され、黄色に赤、緑のストライプ模様に変わった。前照灯増設、No.1貫通開戸に点検窓、棒連結器車の入換(中間連結器使用 棒連〜密連用)のためNo.1密着連結器に高さ調整装置が設けられました。 '96.5.24 大船工場 P:高澤 一昭

クモハ12040

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1927(昭和2)年に川崎造船所で製造されたデハ73314で、1928(昭和3)年にモハ30130に改番された。1953(昭和28)年の称号規程改正にてモハ11073と再度改番され、さらに更新修繕によってモハ11153に改番された。1959(昭和34)年の形式称号改正でクモハ11153となるが、昭和34年に福塩線で早朝夜間の単行運転用として幡生工場で後位に運転台を増設し、クモハ12040に改造された。岡山電車区を経て1972(昭和4)7年に陸前原ノ町電車区に転属し、事業用車代用となり、主に構内入換えとして使用され、1982(昭和57)年に廃車された。同車はモハ12の中で唯一旧モハ30系からの改造車であった。 '82.8.20 陸前原ノ町電車区 P:前 直也

クモハ12001

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1933年モハ34005→形式称号改正で→モハ12001→クモハ12001となる。この写真の頃は沼津機関区にあってクモヤ22202とともに大船工場への入出場車の牽引車として使用された。前部運転台にはパンタグラフ上昇用の手動空気ポンプがあったが引き紐で上昇できたので、使用停止の表示があった。以前のパンか、特別な事由で使用されたのかも。 '80.2.1 大船工場 P:高澤一昭

クモヤ22202

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木造車鋼体化のクモニ13034が1970年に牽引車に編入されてクモヤ22202となった。車輌はクモニ13のままで、沼津機関区にあってクモハ12011と共に大船工場への入出場の牽引車をつとめた。きれいな車体のまま1984年民営化前に廃車といなっている。 '79.3 大船工場 P:高澤 一昭

クモハ103-11+102-1201 

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大船工場の牽引車101系の後を継いだ103系のユニットです。営業線ではみることがない組合せです。廃車解体をしていた工場ならではの苦心作。Mc103-11(中原 1993.7 )、Mc'102-1201(松戸 1993.4)の廃車を利用。前照灯増設、Mc'前面貫通扉下部に点検窓新設した。車輪が死重として載っていた。1994年の写真ではパンが定位置にあるが、1996年の写真では前位に移設されていて、101系同じとなり入換えが便利になった。 1996.5.24 大船工場 P:髙澤一昭

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Mc101-158 (1962)→1015 M`c100-106(1961)→1015 1977年武蔵野線用として改造。後スカ線小運転用に塗装を変更、準備したが、使用されず大船工場で入換、駅への入出場車の控車として晩年を過ごした。車輛の向きが上下逆でした。検査ピットへの押込み入換のため、Mc101-1015の前位にパンタグラフを新設し、常時使用したが面立ちが変わりました。のち塗装変更したが、この塗りが懐かしい。 クモハ101-1015 '88.2.2 大船工場 P:髙澤一昭

クモハ12054

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この写真が撮影された頃は、静岡運転所にあって大船工場入出場車の下り方牽引車として使用された。1959年クモハ11200代を大井工場で運転台を増設して、クモハ12、50番代となり鶴見線で使用されたが、1962年7月、静岡運転所に移り、事業用車となった。1986年除籍され佐久間レールパークで保存されたが、閉園にともない解体された。 '77.7.22 大船工場 P:髙澤一昭

クモハ60069

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晩年は静岡運転所にあって大船工場入出場車の牽引車として使用。通常はクモハ11018、054を使うので出番は少なかった。写真は全般検査時のものだが、最後は本来の塗装になり1984年除籍された。 '79.12.13 大船工場 P:髙澤一昭

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1962年3月クハ16408を改造しクエ28000となる。制御車だがパンタグラフがあり作業用電源とした。ガーランドベンチレーターがこの頃は珍しかった。撮影の数日後クモヤ90に挟まれ、主電動機がないのにパンを上げて三鷹電車区へ去って行きました。1984年3月廃車。カットされた前後運転台は、現存するようだ。 '78.11  大船電車区 P:髙澤一昭

クモユニ74010

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1962年111系用郵便荷物車として、モハ72を種車に誕生した。東海道線東京側で使用された。№1パンはPS13からPS16に変わったが、沼津方に連結され、吊掛式の音色を響かせていた。田町、大船、国府津に配置され、1982年廃車になった。 '80.1.9 大船工場 P:髙澤一昭  

サハ45007

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1930年に製造開始された32系国電のサロとして1931年に誕生。12輌のうち4扉化をまぬかれた5輌は誕生以来の横須賀線でサロとして活躍ののち、サハ化されて身延線に移ったが、形式をサハに書き換えただけで番号は変わらず、座席などもサロ時代から変更されていない。写真は大糸線に移り、スカイブルー塗装で活躍していた最末期のころで、運よくこの車輌が来ると元サロのゆったりとしたクロスシートでずいぶん得をした気になった。昭和初期の鋼製車としては異例といえる50年の長寿を全うし、1981年に全車廃車されて形式消滅。 '79.12.29 松本 P:小西和之

クロハ183-804

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クハ481-210として、1972(昭和47)年9月落成、青森新製配置。後に秋田→南福岡→日根野→福知山へと転属する。1986(昭和61)年11月にクロハ481-210に形式変更、半室グリーン車化。1990(平成2)年10月にクロハ183-804に形式変更、交直切替機能撤去。
貫通扉は閉鎖されていて、愛称表示幕廻りが改造された変型車であった。特急「こうのとり」「きのさき」などで使用されたが、2012(平成24)年11月に吹田総合車両所へ回送され、廃車となった。 '12.7.8 東海道本線 高槻 P:中司朔良


クモハ485-11

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1972年9月モハ485-116として青森運転区に新製配備される。1982年7月鹿児島運転所に転属、1985年2月運転台取付け改造を受けクモハ485-11となった。1986年11月南福岡電車区に転属、JR九州発足以降は九州島内各車両基地にて転属を繰り返した後、2003年3月終の棲家となる鹿児島運転所に落ち着いた。九州新幹線が全通した2011年3月保留車となり2013年1月廃車となった。 '09.5.1  鹿児島本線 鹿児島中央 P:楢井勝行

クハ481-1508

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北海道初の電車特急「いしかり」用として1974年6月札幌運転区に新製配備された(1975年3月までは青森運転所に貸し出し)。耐雪装備の4灯式前照灯と外嵌め式尾灯が特徴である。1980年9月に青森運転所に転属、東北奥羽方面各特急で活躍した。1987年7月~1992年7月は南秋田運転所に所属した。2000年7月青森運転所から上沼垂運転所に転属、485系T18編成6号車として「いなほ」「北越」で活躍した。2015年3月北陸新幹線開業により定期運用から離脱、2015年5月30日「ありがとう485系国鉄色号」を最後に引退した。写真は快速「足利大藤まつり号」として水戸線に進行するクハ481-1508、多くのファンと共にその後ろ姿を見送った。 '15.4.29 常磐線 友部 P:楢井勝行


クロハ481-1029

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1978年8月クハ481-1035として秋田運転所に新製配備された。1992年7月青森運転所に転属、1993年11月半室グリーン席のクロハ481-1029に改造された。2000年7月青森運転所から上沼垂運転所に転属、485系T18編成1号車として「いなほ」「北越」で活躍した。2015年3月北陸新幹線開業により定期運用から離脱、2015年5月30日「ありがとう485系国鉄色号」を最後に引退した。写真は快速「足利大藤まつり号」の先頭に立つクロハ481-1029である。新潟支社より5月30日限りでの引退が発表された翌日であったため多くのファンや乗客が列車先頭部に集まり盛んにシャッターを切っていた。発車前の一瞬、ホームから人影が消えクロハ481-1029の勇姿だけをカメラに収めることが出来た。 '15.4.29 常磐線 友部 P:楢井勝行

クハ419-5

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クハネ581-21として1968年7月南福岡電車区に新製配備、1975年3月向日町運転所に転属する。1984年11月、国鉄小倉工場にて近郊型電車へと改造され419系米原方先頭車クハ419-5となり北陸本線で活躍する。他のクハ419は改造により前面貫通扉を閉鎖されたが、この車輌のみ前面貫通扉閉鎖を免れ原型に近い形を保っていた。また後付けの半円形タイフォンカバーも特徴的であった。2011年3月、521系の増備により引退した。 '08.1.19 北陸本線 福井 P:楢井勝行

クロハ481-1028

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1978年9月クハ481-1019として青森運転所に新製配備、1982年9月秋田運転区に転属、1992年7月青森運転所に復帰する。1993年10月半室グリーン席のクロハ481-1028に改造される。2003年1月上沼垂運転所に転属、K1編成1号車となり「ムーンライトえちご」で活躍、その廃止後は波動輸送や「北越」などで運用された。2014年3月北陸新幹線開業により用途を失い廃車となった。写真は「ムーンライトえちご」の間合い運用で快速「フェアーウェイ」に充当されていた姿である。 '08.12.30 東北本線 大宮 P:楢井勝行

115系 八トタM9編成

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立川寄り クモハ115-312 モハ114-346 クハ115-378 松本寄り からなる豊田車両センター所属車である。1976年1月三鷹電車区に新製配備、1986年10月豊田電車区に転属した。2014年12月6日、211系置き換えられ運用を離脱した。2015年1月21日、M3編成と共に廃車回送を兼ねた「ありがとう八トタ115系の旅 松本コース」にて花道を飾った。写真は大月駅にてM5編成と並んだM9編成である。 '08.10.11 中央本線 大月 P:楢井勝行

115系 八トタM5編成

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立川寄り クモハ115-308 モハ114-342 クハ115-370 松本寄り からなる豊田車両センター所属車である。1975年12月三鷹電車区に新製配備、1986年10月豊田電車区に転属し長らく中央東線で活躍した。2014年12月6日、長野総合車両センター211系の運用が中央東線高尾口まで拡大し豊田電車区115系は運用を失う。2014年12月24日、115系M5編成は長野総合車両センターに廃車回送された。 '08.10.11 中央本線 大月 P:楢井勝行

205系 H08編成

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東神奈川寄り クハ204-68 サハ204-108 モハ204-196+モハ205-196 サハ205-128 モハ204-195+モハ205-195 クハ205-68 八王子寄り から成る鎌倉車両センター所属の205系H08編成、1988年11月初旬に製造され横浜線で活躍する。E233系6000番代配備により2014年4月末に一旦運用を離脱、その後2014年7月下旬まで運用復帰と離脱を繰り返す。2014年10月、インドネシアに譲渡される20本目の編成として新津まで配給回送された。 '14.1.19 横浜線 東神奈川 P:楢井勝行

711系 S-901編成

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2015年3月改正で全車引退予定の711系だが、初めての交流電車として初期の試作車S-901・S-902編成の果たした役割は大きい。写真はまだ1M1Tで運用されていた頃のS-901編成。同編成は1962年汽車会社製で客用扉は4枚折戸両開き式、客室窓は16mm厚複層ガラス2段式のユニット窓だったが、客用扉は1970年に1枚引き戸に改造されている。1999年10月に運用を終了、廃車となった。 '71.8 函館本線 美唄 P:佐藤直幸

205系 H22編成

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東神奈川寄り クハ204-82 サハ204-122 モハ204-224+モハ205-224 サハ205-142 モハ204-223+モハ205-223 クハ205-82 八王子寄り から成る鎌倉車両センター所属の205系H22編成、1989年1月末に製造され横浜線で活躍する。E233系6000番代配備により2014年5月中旬に運用を離脱、インドネシアに譲渡される17本目の編成として2014年9月に新津まで配給回送された。 '14.1.19 横浜線 東神奈川 P:楢井勝行

485系 T17編成

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新潟向き クハ481-332 モハ485-1010+モハ484-1010 モハ485-1083+モハ484-1083 クロハ481-1023 新井向き から成る、新潟車両センター所属の快速「くびき野」用車輌である。モハ485-1010+モハ484-1010は側窓拡大・床嵩上げ・シートピッチ拡大(910mm→960mm)されたグレードアップ車となっている。写真はクロハ481-1023を最後尾にして新潟駅に到着し回送表示になった快速「くびき野」1号、この後クロハ481-1023を先頭にして新潟車両センターに引き上げていった。2013年10月からののE653系転入により余剰が発生した485系、老朽化の進むT17編成は2014年1月に運用を離脱、長野総合車両センターに廃車回送された。 '07.12.16 信越本線 新潟 P:楢井勝行

モハ200-901

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201系試作編成で三鷹区に配置され、写真のモハ200-901は1983年の量産化改造時にサハ201-902に改造・改番されている。2001年9月より京葉線に転属、2005年11月に廃車となっている。 '79.4.14 三鷹 P:中静政信

クモハ781-901(781系)

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1975年7月、485系1500番代により北海道初の電車特急「いしかり」が札幌~旭川間で運転を開始したが、北海道特有の乾燥した細かい雪の影響で頻繁に故障が発生し、冬季間運休に追い込まれた。これを解決するために開発されたのが781系で、1978年国鉄初の交流専用型特急電車として試作車1編成6輌が誕生した。試作車の外観上の特徴は、非常開閉窓で、結露の問題から後に固定窓化された。1980年には量産車6輌編成7編成が新製され、旭川~札幌~室蘭間で特急「ライラック」として使用された。その後は短編成化され、国鉄分割民営化時に4輌編成12本がJR北海道へ引き継がれたが、老朽化・陳腐化が進み、2007年10月ダイヤ改正で789系1000が投入され、781系は全編成定期運用を終え同年廃車された。

クハ481-351

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1976年5月クハ481-300番代最終増備車として新製、青森運転所に配備される。1992年7月南秋田運転所に転属、その後1997年3月上沼垂運転所に転属する。2006年5月からは6連化された快速「くびき野」に、T16編成6号車として投入された。写真は快速「くびき野」3号の送り込みとなる直江津発新井行き普通列車である。老朽化により2014年4月中旬、廃車となった。 '09.1.15 信越本線 直江津 P:楢井勝行

クロハ481-1030

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485系の新製最終形態である1000番代、秋田運転区ではサロサシ付き12輌の長大編成が「つばさ」「やまばと」「いなほ」で運用された。1982年11月東北新幹線開業によりサロ込み9輌編成が「つばさ」「やまばと(1985年3月消滅)」「あいづ」、モノクラス6輌編成が「たざわ」「はつかり」となった。1986年4月からはクロハ481-1000とクモハ485-1000の改造により短編成化が進み、堂々とした485系1000番代編成は過去の姿となった。1979年6月クハ481-1041が485系1000番代最終増備車として新製、秋田運転区に配備された。1992年7月青森運転所に転属、1993年11月半室グリーン席のクロハ481-1030に改造された。2003年3月上沼垂運転所に転属、K2編成1号車となり「ムーンライトえちご」で活躍するも、2014年6月廃車となった。 '08.3.30 東北本線 黒磯 P:楢井勝行

クモハユ74001

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1969年にクモハ74001として改造された車輌で、他の2輌に構造を合わせた改造後の姿である。郵便室部分の窓が埋められたが、種車のモハ72の面影は残っている。行先幕は「三鷹」となっているが実際には隣の両国駅止りでに新聞類を積んで「千葉」駅まで4連で運転後に房総各地に分かれて走っていた。 '69.6 大崎 P:中静政信

115系 長ナノN22編成

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立川寄り クモハ115-1081 モハ114-1187 クハ115-1228 直江津寄り からなる長野総合車両センター所属車。大糸線に残る旧型国電置き換え用として1981年7月新製、松本運転所北松本支所に配備された。その後所属先が 松本→長野→松本→長野 と変わった。長きに渡り中央東線・篠ノ井線・信越本線などで活躍するが、長野地区向けに改造された211系3連車に置き換えられ2014年3月廃車となった。 '09.1.15 篠ノ井線 姨捨 P:楢井勝行

サロ113-1006

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1973年から74年にかけて横須賀線・総武快速線用として17輌製作されたが、定員が48名と少なく乗客の不評を買い、全車関西地区に転属の上、湘南色化された。1980年の関西地区のグリーン車廃止に伴い、再度関東地区に戻ってきて順次スカ色に変更された。写真の車輌は所属区が書かれていない。1997年から98年にかけて全車廃車となった。 '81.4.4 錦糸町 P:中静政信

クロハ481-1011

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1976年2月、481系1000番代初ロットとしてクハ481-1003が新製、秋田運転区に配備された。1985年3月青森運転所に転属、1987年11月クロハ481-1011に改造される。1992年7月南秋田運転所に転属、その後1997年3月上沼垂運転所に転属する。2006年5月からは6連化された快速「くびき野」にて、T16編成1号車(運転席側半室がグリーン指定席、乗降扉側半室が普通指定席)で活躍する。「いなほ」E653系1000番台化により老朽化した485系は順時引退、T16編成クロハ481-1011も2014年4月中旬廃車となった。 '09.1.15 信越本線 直江津 P:楢井勝行

クモハユ74001

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1969年にモハ72形から3輌がクモハユ74として改造。1号機のみクモハ74001として落成。後に再改造され3輌が同一構造となった。主に房総地区で活躍したが、1981年頃までに3輌共に廃車となっている。 '69.6 大崎 P:中静政信

クハ115-188

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1966年に製造されたクハ115-188。国鉄末期に静岡区に転入し,同区のS8編成としてクモハ115-1523+モハ114-1171のユニットの下り方先頭車に組み込まれた。JR化後に分散型クーラーによる冷房改造を受けた。JR東海に在籍していた115系S編成の下り方先頭車は,このS8編成を除き全てがサハ115-0を先頭車化改造したクハ115-600であったため,0番台であり,かつ大型原形前照灯を保っていた同車は非常に貴重な存在だった。2006年12月に313系の増備に伴い,廃車・解体された。 '05.8.13 静岡 P:佐藤雅孝

クハ103-1

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山手線に投入され,京浜東北線,大阪環状線,阪和線と渡り歩いたクハ103-1。阪和線ではかつての相棒クハ103-2と同じ編成に組み込まれ,活躍した。2010年6月頃には助手席側の前面窓の下に"1"の車番が入れられていたが、車番は程なくして消去された。その後も活躍が続いたが,翌年2011年3月に廃車となった。 '10.6.4 津久野 P:佐藤雅孝

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クハ189-504

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181系「あさま」置換用として1975年5月長野運転所に新製配備、EF63と連結され碓氷峠を越えた。N204編成に組成されていた1990年12月、グレードアップ(床嵩上げ・側窓拡大・シートピッチ拡大910mm→970mm)改造を受け濃緑のあさま色になり前面特急マークが撤去された。1997年10月長野新幹線開通によりN202編成に改番、「あずさ」「かいじ」夜行急行「アルプス」に活躍の場を移す、そして青いあずさ色に塗装変更された。E257系によりN202編成は置換、2002年3月に国鉄色へ復元、2002年5月に転属、クハ189-504は田町電車区所属の波動輸送用H61編成6号車となった。写真は「ホリデー快速河口湖3号」、EF63連結用ジャンパ栓が塞がれたスカートが確認出来る。2013年3月大宮総合車両センターに転属、最後は185系に置換られ2013年10月廃車解体された。 '08.10.11 中央本線 大月 P:楢井勝行

485系 K2編成

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新潟向き クハ481-347 モハ485-1042+モハ484-1042 モハ485-1021+モハ484-1021 クロハ481-1030 上野向き から成る、新潟車両センター所属車である。普通車の座席は485系3000番代に準じた座面スライド式リクライニングシート、そして夜行列車使用時に備え減光照明を有する。僚友のK1編成と共に2003年3月末より老朽化した165系に替わり夜行快速「ムーンライトえちご」で運用された。2009年3月以降は臨時化された「ムーンライトえちご」、2010年3月~2012年2月は臨時夜行急行「能登」、2012年3月~2014年4月は再度臨時「ムーンライトえちご」、そしてATS-P装備を活かし首都圏方面への波動輸送に活躍した。2014年夏の臨時「ムーンライトえちご」運転取り止めとなり去就が心配されたが2014年6月上旬長野総合車両センターに廃車回送された。 '08.11.22 東北本線 大宮 P:楢井勝行

クモハ20 100

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家の近くの鳳電車区に立ち寄った時、単車のクモハ20100があり検査上がりでピカピカなんで撮影しました。もと阪和電鉄モタ3000でRのついた窓や障子風ブラインド、化粧鋼板の内装(もっとも国鉄になってペンキ塗りになってましたが)など優雅な電車でした。クモハ20系は2890mmと国電より広幅であり魚腹台枠とあいまって自重は48tもあり、すし詰めの通勤時は甲線規格を踏み抜きそうに走ってました。通学で乗っていましたが、200馬力電動機のパワーでレールの継目の計測では120km/h位で走っていることもある、良き時代の阪和線でした。 '64.8 阪和線 鳳 P:飯田 勝

485系 T16編成

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新潟向き クハ481-351 モハ485-1020+モハ484-1020 モハ485-1045+モハ484-1045 クロハ481-1011 新井向き から成る、新潟車両センター所属車である。クロハ481-1011のグリーン座席が非リニューアル、モハ485-1020+モハ484-1020がグレードアップ車で定員が少ない、このため485系T17編成と共に快速「くびき野」運用を担っていた。写真はクハ481-351を先頭にした快速「くびき野3号」である。2014年1月上旬長野総合車両センターに廃車回送されたT17編成に続き、T16編成も2014年4月中旬に秋田総合車両センターへ廃車回送された。 '09.1.15  信越本線 直江津 P:楢井勝行

クハ183-1505

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1982年10月、183系最終ロット車として幕張電車区に配備されたクハ183-1500番代新製車。総武地下線を走るため運転士側前扉後部にATC機器を搭載、その部分は小窓になっている。上越新幹線開業により「とき」から房総特急に転用されたクハ183-1500番代改造車も同様の造作となっている。2005年12月、E257系500番代に置換えられ房総特急から撤退し高崎車両センターに転属した。2006年3月には大宮総合車両センターに転属、OM102編成の1号車となり波動輸送で活躍した。2013年夏より185系が本格的に波動輸送に進出、OM102編成は2013年11月に廃車となりクハ183-1505も姿を消した。 '08.1.20 上越線 石打 P:楢井勝行

クハ481-326

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1975年2月新製、金沢運転所に配備され北陸本線各特急で活躍、2003年12月京都総合運転所に転属した。写真は京キトA06編成9号車にて大阪行き「雷鳥」の最後尾を務めるクハ481-326。国鉄色と特急マークと絵入りヘッドマーク、原型を保つ伝統的な国鉄電車特急の風格が漂っていた。2010年3月には減車により京キトA06編成6号車となり、2011年3月の「雷鳥」廃止まで活躍、2011年5月に廃車となった。 '08.3.11 北陸本線 金沢 P:楢井勝行

183系 B63編成

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城崎方 クロハ183-803(元クハ481-209→元クロハ481-209) モハ182-709(元モハ484-212)+モハ183-813(元モハ485-108) モハ182-1801(元モハ484-1005)+モハ183-1801(元モハ485-1005) クハ183-704(元クハ481-304) 大阪京都方 からなる。モハ182-709+モハ183-813とクハ183-704は1996年3月の園部~綾部電化時に183系化(JR西日本色)されたため、車番は白ペンキにて記載されている。2013年3月のダイヤ改正で運用離脱、2013年11月まで福知山電車区に留置された後、吹田工場へ廃車回送された。 '08.3.9 山陰本線 胡麻 P:楢井勝行

183系OM101編成

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183系OM101編成は、特急「とき」などに使用されたのち、首都圏の波動輸送用として大宮総合車両センターに所属。臨時特急や臨時列車、団体専用列車などに活躍したが、2014年1月20日に長野総合車両センターに回送され廃車となった。今後は、群馬県伊勢崎市内の公園に展示されることになっている。 '13.1.19 渋谷 P:須永一暉

クハ189-513

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1978年9月「あさま」「あずさ」増発用として長野運転所に新製配備された上野方Tcである。EF63と連結され碓氷峠を越えていた。1997年10月長野新幹線の開通により松本運転所に転属し「あずさ」「かいじ」で運用された。E257系の増備により2002年12月田町電車区に転属、波動輸送用H101編成の大阪方先頭車となり「ムーンライトながら」など活躍した。2013年3月H101編成は大宮総合車両センターに転属、2013年夏季を最後に「ムーンライトながら」から撤退、2013年9月に長野総合車両センターに回送された。H101中間車4輌はH81先頭車とともにM51編成に転用されたがクハ189-513は廃車となった。写真は「ムーンライトながら」として到着した大垣駅。連絡する223系姫路行きとの並びも懐かしい。 '08.4.8  東海道本線  大垣 P:楢井勝行

101系 南武支線

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1980年までは旧型国電が使用され、その後101系が運用された。南武支線用の車輌はJR発足後に外観塗装変更と、ワンマン化及び冷房化の改造を実施し、2輌編成で運用されていたが205系1000番代への置き換えにより2003年11月28日までに定期運用を終了した。  '88.8.31 浜川崎 P:長岡行夫

クハ111-268

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セキG-01編成大阪方先頭車、その風貌・経歴から人気車であった。1967年5月クハ111-462として高槻電車区に新製配備、1975年11月冷房改造(AU75)された。1984年2月方向転換改造しクハ111-268となり宮原電車区に転属、その後1986年10月網干電車区、1991年7月奈良電車区、と関西を転々とする。1997年5月には広島運転所に転属、115系に組み込まれるが抑速制動が使用不可であった。後に主幹制御器を交換、抑速制動が使用可能となり他の115系と共通運用されるようになる。1999年3月に下関車両センターに転属、2008年5月に前照灯のシールドビーム化、屋上通風器(グロベン)が撤去された。老朽化のため2012年5月廃車となった。 '09.1.1 岡山 P:楢井勝行

クモハ101

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クモハ101は国鉄101系の中の、主制御器を搭載する奇数向きの制御電動車である。3号車は昭和33年3月モハ90515として近畿車両で落成した33年度本予算車で、三鷹電車区に新製配置された後、翌年武蔵小金井電車区へ転属となり、最後まで中央快速線および青梅・五日市線系統の路線から外に出ることはなかった。量産車ではあるものの、この車輌の属する初期車は乗務員室仕切窓が大型で、テールランプは乗務員室側から電球を交換する埋込式となっており、後期車とは外観上ことなっている。また、4号車は廃車になるまでシングルワイパーのままであり、比較的登場時の姿を保っていた。 '82.8 中央本線 東小金井 P:前 直也

167系

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'65年に165系一般急行用電車をベースに155・159系と同様に修学旅行用として製造された系式。車体色は御馴染みの朱色と黄色の塗り分けを採用。165系と外観上の相違点は側扉が幅700㎜と同時に戸袋窓がなくなったの識別ポイントで、モハ166(M')車のパンタグラフ搭載部が低屋根構造となったが、性能は同一で直並列制御の抵抗制御方式でMT54(主電動機出力120kW)、ノッチ戻し機能付きCS15A制御器、DT32A及びTR69Aのエアサス台車を装備。しかし登場後暫くして東海道新幹線に修学旅行輸送が移行したこともあり、晩年は臨時列車用途となっていて、'77年以降冷房改造で搭載。車内も当初から二人掛け横型座席仕様であった。後年はJR東日本に35輌、JR西日本に16輌(旧国鉄時代にTc1両が事故廃車)が引継がれ、JR東日本の車輌は4輌編成9本のうち、大半がアコモ改造が実施され、車体塗色も再度替る等活躍(写真の編成)、またJR西日本の車輌は終始、湘南色を堅持し、165系と混結使用で臨時急行等に活躍。JR西日本継承車輌が'01年まで、JR東日本継承車輌が'03年まで廃車となり、系式消滅となった。 '01.11.23 東海道本線 金谷-島田 P:梶村昭仁

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1968年9月製造の169系3本が1997年10月しなの鉄道開業に伴い移籍した。S52編成は、長野方 クハ169-19 モハ168-6 クモハ169-6 から成る。赤と銀のしなの鉄道色から2008年9月~2009年3月と2010年9月~廃車まで湘南色に復元、イベント列車にも充当され人気を博した。2013年3月定期運用から離脱、2013年4月さよなら運転を持って引退、2013年7月下旬クモハ169-6のみ軽井沢駅に保存、他2輌は長野総合車両センターに送られ廃車となった。写真は堂々9輌編成の「しなのサンライズ」先頭に立つS52編成である。長野まで約一時間、新幹線より転用された回転クロスシートに座って全盛期を思わせる走りっぷりを楽しんだ。 '10.12.17 小諸 P:楢井勝行

クハ115-605

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1965年6月クハ111-381として大船電車区に新製配備、1970年3月網干電車区に転じた。1984年1月クハ115-605に改造され岡山電車区に転属する。1988年10月福知山電車区に転属、翌1989年冷房化(WAU102を3基)・グロベンカバー取付・タイフォンカバー取付が行われた。1999年5月下関車両センターに転属、セキG-01編成下関方先頭車となった。2008年5月前照灯が台座付きのままシールドビーム化された。その風貌・経歴より同じ編成の大阪方先頭車クハ111-268共々希少車として人気を博した。しかし老朽化が激しく2012年5月廃車となった。なお、中間車モハ114-1198モハ115-1114はクハ115-2517(元クハ111-2017)とクハ115-2620(元クハ111-2120)を組込みセキR-01編成となった。 '09.1.1 山陽本線 岡山 P:楢井勝行

クハ481-246

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583系に準じた前面貫通型のクハ481-200番代は63輌製造された。ボンネット型クハ481に対し定員は8名増の64名である。写真のクハ481-246は1973年8月新製、向日町運転所に配備された。1975年3月南福岡電車区に転属、その後JR九州所属となり前面貫通扉は埋められた。1990年1月「赤いかもめ」となり注目を集めるが、1995年4月に鹿児島運転所へ転属し「緑のきりしま」となり、2000年3月にはカラフルな「きりしま&ひゅうが」となり、2006年3月に大分車両センターに転属した。2011年3月、九州新幹線全通により日豊本線に転じた787系にその任を譲り鹿児島総合車両所で保留車となった。その後2013年1月に廃車された。 '09.5.2 日豊本線 大分 P:楢井勝行

103系 3000番代

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'85年9月に川越線の電化に伴い、かつて仙石線で走っていた72系車輌を種車に台車枠と機器を使用して改造を行なった。改造は当時の国鉄工場で施工され、5編成が誕生し活躍したが老朽化により205系・209系への置換えで、2005年にすべて廃車となった。 '04.1.3 川越線 高麗川-武蔵高萩 P:長岡行夫

489系 H02編成

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長野新幹線開業により上越線経由の急行「能登」とホームライナーに活躍の場を移したJR西日本金沢総合運転所所属の白山色489系。2002年には国鉄色に復元、毎日首都圏を走る原型ボンネット型クハが人気を博した。しかし2010年3月ダイヤ改正で急行「能登」は臨時列車化、489系は運用を失い引退した。写真のH02編成は定期最終上り「能登」に充当、翌日には団体臨時列車「リバイバルとき」として上野から新潟まで運転、その後金沢総合運転所に返却された。2010年5月、保留されていた489系3編成の中では最も早く廃車となった。 '08.12.31 直江津 P:楢井勝行

JR西日本 183系 B65編成

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城崎方 クロハ183-805(元クハ481-205) モハ182-711(元モハ484-240)+モハ183-815(元モハ485-137) モハ182-1802(元モハ484-1006)+モハ183-1802(元モハ485-1006) クハ183-703(元クハ481-339) 大阪京都方 からなる。両先頭車は1986年10月の城崎電化時より、M'1802+M1802ユニットは1991年1月より、「北近畿」で運用された。M'711+M815ユニットは1996年3月の園部~綾部電化時より「きのさき」「はしだて」などで運用された。2003年10月~2004年3月に編成替えされ、国鉄色6輌のB65編成となった。2013年3月のダイヤ改正で運用離脱、団体列車「なつかしの北近畿」号で花道を飾ったのち廃車された。 '09.1.18 山陰本線 綾部 P:楢井勝行

103系E38編成

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電車としては国鉄最大の製造輌数を誇る103系の中の8輌。この編成はもとは総武緩行線にいた先頭車が非ATC車の編成であり、2000年に武蔵野線へ転属。E38編成となった。この編成は先頭車が高運転台車両で数少ない非ATC車(1980年代製)であったこと等から武蔵野線の103系の中でも注目を集めた。しかし、武蔵野線に山手線で置き換えられた205系がVVVFインバーター化・5000番代に改造され投入された、この編成は2005年6月25日に三鷹電車区75周年イベントの記念列車として最後の花道を飾った。その後も7月まで運用に入り、2005年7月末に除籍された。除籍後はそのまま廃車・解体かと思われたが、207系の塗装変更などで車輌不足となってしまったJR西日本に売却され、先頭車は広島で2010年まで、中間車は阪和線や大阪環状線などで2011年まで活躍した。 '05.6.25 三鷹電車区(三鷹電車区75周年記念イベントで撮影) P: 斎藤義政

クハ489-1

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1971年製造の「白山」用クハ489トップナンバー。スカートに配置されたタイフォンが特徴である。長野新幹線開業後は上越線経由の夜行急行「能登」に転じた。この写真は偶然出会った「はくたか」代走。優雅なボンネット、原型を保つスカート、赤い大型ヘッドマークに感激してシャッターを押した。2010年3月「能登」廃止の後、2011年3月まで臨時列車などで運用、そして保留車となり金沢総合車両所松任本所で保管されている。 '08.1.5 越後湯沢 P:楢井勝行

381系 FH62編成

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381系FH62編成は元日根野電車区のC603編成である。2011年3月12日から運用離脱した5月31日まで特急「こうのとり」で活躍した。その後、6月3日より福知山電車区第402仕業(通常:183系)の代走を務めたが、翌6月4日に同編成の不具合で381系FH63編成が代走した。同編成は、2010年年末から2011年年始にも「北近畿」の代走を務めていた。他編成と比べて塗装状態が良いクハ381-131が含まれていたが、6月8日に福知山電車区から伯備線経由で後藤総合車両所へと廃車回送された。  '11.3.27 福知山線 生瀬-宝塚 P:中司朔良

クハ489-501

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FE63と連結するための自動連結器とジャンパ栓を装備した横軽強調運転用クハ489-500番台のトップナンバーである。1971年製造、スカートに配置されたタイフォンが特徴である。横軽を越える「白山」で運用、長野新幹線開業後は上越線経由の「能登」に転用された。2010年3月「能登」廃止により定期運用を失うが、2011年3月までは臨時列車などで運用、その後廃車となり石川県小松市で保存されることとなった。 '08.1.5 上越線 越後湯沢 P:楢井勝行

クハ419-4

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クハネ581-15として1968年6月青森運転所に新製配備、1970年9月南福岡電車区、1975年3月向日町運転所、と転属する。1985年2月、国鉄小倉工場にて近郊型電車へと改造され419系米原方先頭車クハ419-4となり北陸本線で活躍する。この写真は前面貫通扉閉鎖改造される直前の姿である。2011年3月、521系の増備により引退した。 '08.3.8 北陸本線 武生 P:楢井勝行

485系 K60編成

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大阪~新潟の「雷鳥」でロングラン運用の上沼垂運転区「T5」9輌編成が、2001年3月の「雷鳥」「北越」運転区間分離により余剰となりモハユニット1組・サロを抜いて波動輸送用「T19」6輌編成になった。2002年12月、勝田車両センターに転属し「K60編成」となり臨時列車や団体列車で活躍した。両先頭車が運転台上部2灯式前照灯・外ハメ式尾灯のクハ485-1504・1505、全車ともシートピッチ拡大・床嵩上げ・側窓上部拡大したグレードアップ改造車であることが特筆される。2003年12月には通称「白イルカ」色に塗装変更された。同僚の「K40編成」と併結されることも多く、白い485系の10輌編成は圧巻であった。常磐線特急全列車のE657系化が目前に迫った2013年1月、E653系にその任を譲り「K60編成」は同僚「K40編成」と共に廃車となった。 '09.12.13 東北本線 宇都宮 P:楢井勝行

207系900番代

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JR東日本の207系は国鉄末期にVVVFインバータ制御の試作車として製造されました。量産化の期待もありましたが、当時は電装品の価格が非常に高く、この1編成のみで増備はされませんでした。2009年12月5日のさよなら運転を最後に引退。 '09.8.24 常磐線 金町 P: 平賀 匡

京キト 485系A9編成

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485系A9編成は京都総合車両所最後の485系原型貫通扉を持つクハ481-228が含まれていた編成である。1号車のクロハ481-2303は1975年2月27日川重製。金沢生え抜きのクハ481-327を3列グリーン車に改造・塗色変更。2・3号車はモハ485-252+モハ484-611のユニットであり、1975年11月13日日立製。4号車は少数派のサハ481-702で、モハ485-228を電装解除した車輌。5・6号車はモハ485-76+モハ484-76は1972年6月川重製の初期型モハユニットで青森新製配置、後に仙台→向日町へと転属する。7・8号車はモハ485-141+モハ484-244のユニットで、1972年12月川重製。向日町新製配置以来の生え抜き。9号車のクハ481-228はオリジナルの貫通型先頭車で、1972年12月川重製。「雷鳥」で活躍後は183系BB68編成になり、6連に減車の上「北近畿」などで活躍したが、2010年9月30日に廃車となった。 '06.11.5 東海道本線 岸辺 P:中司 朔良

485系 京キト A5編成

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2001年3月、北陸特急の看板を681系683系「サンダーバード」に譲った485系「雷鳥」は大阪~金沢の運転となり9輌編成になった。京キトA5編成は残存する「雷鳥」用485系の中でも特徴のある編成で、金沢方先頭車9号車はクハ489-702、8号車モハ488-211、7号車モハ489-26、自由席の6/5号車はAU12キノコ型クーラーのモハ484/485-90であった。雪の山並みを背景に夕暮れ迫る敦賀駅にパンダグラフを全器上げて入線する姿は国鉄特急全盛期を彷彿させてくれた。ダイヤ改正の度に本数を減らしていった「雷鳥」であったが、2010年3月には6輌編成に短縮され僅か1往復に減少、さらに2011年3月には廃止となった。京キトA5編成は2010年3月に定期運用を離れ団体列車等で運行された後、その秋に廃車となった。 '08.3.9 北陸本線 敦賀 P:楢井勝行

クモハ123-1

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1978年クモニ143-1として登場、1986年荷物輸送の廃止に伴いクモハ123-1に改造、「ミニエコー」の愛称を与えられ中央本線旧線 辰野-塩尻 の区間列車に投入された。1990年ワンマン化、1995年冷房化、と改造を繰り重ねた。車内は長いロングシートと近畿車輛・改造担当区の4枚の銘板が名物であった。松本側運転台の下部には更にJR東日本と加えた5枚の銘板が飾れており、これを撮影するファンの姿をよく見られた。2013年3月ダイヤ改正で引退、E127系に置き換えられた。 '08.3.29 中央本線 塩尻 P:楢井勝行

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1967年4月モハ112-169+モハ113-169として新製、高槻に配備された。1986年9月福知山線電化用に運転台を取り付けクモハ112-807+クモハ113-807に改造された。JR西日本に移行後に冷房化とワンマン化、1992年には高速化対応されクモハ112-5807+クモハ113-5807に改番した。この車輌は、種車が113系初期車のためグローブベンチレータ、ワンマン車識別用に追加されたクリーム色の帯、WAU202の屋根上ユニットと車内機器室設置のための側窓閉塞、などが特徴で福知山電車区の珍車軍団の一角を担っていた。この写真の撮影から僅か一ヵ月後、後継車223系5500番代の増備により2009年2月廃車となった。 '09.1.1 山陰本線 和田山 P:楢井勝行

クハ419-2

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クハネ581-12として1968年8月青森運転所に新製配備、1970年7月南福岡電車区、1975年3月向日町運転所、と転属する。1984年12月、国鉄小倉工場にて近郊型電車へと改造され419系米原方先頭車クハ419-2となる。金沢運転所に配属され北陸本線全線で活躍する。1996年3月に敦賀運転センターに転属、ここが終の棲家となった。2005年より始まった前面貫通扉閉鎖改造でクハ419-2だけは前面表示器・貫通扉が完全に埋められ、のっぺりとした顔になった。2011年3月521系に置き換えられ引退、2011年6月廃車となった。 '08.3.8 北陸本線 敦賀 P:楢井勝行

クハ111-5751

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湖西線開業用として半自動扉を装備した寒冷地仕向け113系700番代第一編成(東向き)クハ111-701+モハ113-701+モハ112-701+クハ111-751(西向き)が1974年4月新製された。1980年3月草津線電化に伴いその活動範囲を広げた。1992年2月高速化改造されクハ111-5701+モハ113-5701+モハ112-5701+クハ111-5751に改番、京キトL2編成となった。クハの金属押さえの前面窓やモハ112に増設された霜取りパンタグラフ以外は比較的原型を保っていた。ATS-Pを搭載することなく、クハ111-5701ともに2010年1月廃車となった。なお中間M車は京キトL7編成に転用された。 '09.1.16 東海道本線 草津 P:楢井勝行

クハ183-708

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クハ481-343して1975年2月金沢運転所に新製配備、1988年11月向日町運転所に転属し北陸特急で活躍する。1996年3月福知山運転所に転属、交流切替機能停止しクハ183-708となり塗装変更(通称アーバン色)された。屋根上の列車無線アンテナが運転席側にずれているのが外観上の特徴である。2011年3月新鋭287系に置き換えられ廃車となった。 '09.1.18 舞鶴線 西舞鶴 P:楢井勝行

419系

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夜行昼行兼用特急電車月光型として活躍した581系・583系も新幹線延伸による夜行列車削減や昼行特急としてはボックスシートが不評であり余剰となっていた。1984年赤字に苦しむ国鉄はこれらを近郊型に改造、九州に715系4連12本、東北に715系1000番代4連15本、そして北陸に419系3連15本を投入した。直江津側先頭車は元モハネ583のクモハ419でその風貌から食パン列車と呼ばれた。米原側先頭車は元クハネ581のクハ419が6輌、元サハネ581クハ418が9輌であった。電動車の歯車は101系廃車発生品に交換されていたためモーターとギヤの騒音が激しく長大トンネルでは会話も聞こえないほどであった。旅行時には静かな米原寄りクハ419・クハ418の固定窓が残るボックスシートに座り、かつての月光型間合い運用北陸特急に思いを馳せた。2006年から引退が始まり2011年3月に全廃となった。 '08.1.19 北陸本線 富山 P:楢井勝行

クロ183-2702

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クハ481-340として1975年6月仙台運転所に新製配備、その後1985年2月に向日町運転所に転属し北陸特急で活躍する。1996年2月にはグリーン車化・交流切替機能停止しクロ183-2702となり福知山運転所に転属する。アコモはクロ281同等となるよう大幅に改造された。床を50mm嵩上げし大型の3列座席を配置、内装の一新、客室ドアの自動化、トイレの洋式化など多岐に渡る。外観はトイレ側面にあった行先表示器が客室最後部側面に移設され、車体は塗装変更(通称アーバン色)された。"福知山183系B編成"のクロハ183半室クリーン車よりグレード高い車輌であったがATS-Pを搭載していなかったため2011年3月新鋭287系に置き換えられ廃車となった。 '08.3.9 山陰本線 福知山 P:楢井勝行

781系

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この形式は、北海道向けに専用設計の必要性から誕生した特急型交流電車で、1978年に試作車が、1980年から量産車が製造された。これは4輌に短編成化される前の写真で、「ライラック」として運行されていたもの。その後短編成化、塗色変更、一部は「ドラえもん海底列車」として使用され、2007年11月に全車が廃車となった。 '85.8.12 P:名尾 優

クハ381-137

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1982年「やくも」電車化用として出雲電車区に新製配備された。1986年11月クハ381-137を含むTcM'MM'MTc6連3本が日根野電車区に転属、485系「くろしお」を置き換えた。グリーン車組込みの381系「くろしお」はスーパー化及びリニューアルされたが、381系モノクラス6連は原型原色を保ったまま臨時列車や「はんわライナー」「やまとじライナー」で運用された。また年末年始の繁忙期には古巣の伯備線で「やくも」の増結に駆り出された。2011年3月「はんわライナー」「やまとじライナー」廃止されると福知山電車区に貸し出され183系800番代から287系に代替される「こうのとり」の繋ぎを勤め、2011年6月廃車された。 '08.12.31 米子 P: 楢井勝行

クハ481-322

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ボンネット型クハ481-0番代・100番代、貫通型クハ481-200番代に続き、1974年非貫通型ク481-300番代が登場した。
クハ481-322は1975年2月新製、金沢運転所に配備され北陸本線各特急で活躍、1986年11月向日町運転所に転属した。写真は京キトA04編成として「雷鳥」で運用されていた頃の一枚である。堂々とした9輌編成、しかも敦賀~京都間は湖西線を高速走行するためモハ484のパンダグラフを2つ上げている。まるで最盛期の国鉄特急を彷彿させる姿であった。この後、2009年10月福知山運転所に転属、交流機器を使用停止しクハ183-7711となり最後の活躍を行い、2010年11月に廃車された。 '08.3.9 北陸本線 敦賀 P:楢井勝行

クハ111‐6310

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113系1000番代ではJR西日本で唯一の車輌。昭和44年5月に東急車輌(大阪)で新造され最初の配属は大船。横須賀線・総武快速線でデビューを果たしたが、CTC導入に伴い日根野へ転属となったのは昭和54年12月のことで関西圏に転属されたのはこの1輌だけである。1992年に最高時速110kmへ対応すべく高速化改造。晩年はヘッドライトをシールドビームに、フロントガラスを金属押さえに改修が行われている。2004年4月に廃車。  '00.1 和歌山 P:竹内喜和

119系5300番代

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非冷房で製造された119系0番代をJR東海発足後冷房化ワンマン化したものが119系5300番台である。写真はクモハ119-5321とクハ118-5313で組成されたR3編成である。1983年5月クモハ119-21とクハ118-13として新製、飯田線に配備され旧型国電を置き換えた。1990年8月DC-DCコンバーターとインバーター式C-AU711Dクーラーにより冷房化され119系5000番台となった。車番は5000足されクモハ119-5021とクハ118-5013に改番された。2000年7月ワンマン化改造され119系5300番代となった。車番は300足されクモハ119-5321とクハ118-5313に改番された。このおり車体中央扉片側の戸袋窓が扉開閉スイッチ取付のため埋められている。ワンマン車は天竜峡以北で活躍したが2012年3月引退した。 '08.3.29 中央本線 辰野 P:楢井勝行

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1968年9月新製、長野運転所に配備される。信越本線碓氷峠をEF63と強調運転をする急行「信州」「妙高」で活躍した。1986年11月信越本線急行全廃に伴い松本運転所に転出、座席を新幹線発生品の回転クロスシートに交換、白にNのストライプ塗装に変更し急行「かもしか」で運用された。1997年1O月しなの鉄道開業に伴い169系3連3本が移籍した。この後クモハ169-13,モハ168-13,クハ169-13からなる3連が1998年12月しなの鉄道に移籍、S54編成となった。169系は「しなのサンライズ」「しなのサンセット」快速を中心に運用されたが2011年7月保安基準の改正によりJR線への乗り入れが不可能になった。その結果イベント列車に用いられるS52湘南色を除く169系は持て余し気味となりS54編成は2012年1月の記念運転を花道に引退した。 '08.9.21 篠ノ井線 篠ノ井 P:楢井勝行

クハ381-135

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「くろしお」号への287系投入により余剰となった車輌であり、国鉄特急色へ塗装変更し日根野電車区から福知山電車区へと転属した。編成番号はFH63となり、これは元C604編成である。同編成のモハユニット(モハ380-29・48、モハ381-29・48)は若番車であり、車体側面に非常口が付いた車輌であった。2011(平成23)年6月13日に後藤総合車両所へと廃車回送され解体された。 '11.6.4 福知山線 丹波大山-篠山口 P:中司朔良

クハ103-64

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1965年5月ウグイス色で新製、池袋に配備され山手線で運用される。1973年3月浦和に転属、スカイブルーになり京浜東北線で運用される。1976年9月京浜東北線ATC化対応のため森ノ宮に転属、冷房化改造・オレンジ色になり大阪環状線で運用される。JR西日本発足以降、戸袋窓・妻窓の閉塞、スカート取付が行われた。2001年3月奈良に転属、28年振りウグイス色に戻り(但し白い前面警戒帯付き)関西本線、奈良線などで活躍する。尚、前面窓金属板押え化はこの時期に行われている。2008年6月岡山に活躍の場を移した。しかしマスカット色になること無く、車体表記も大ナラのままであった。老朽化が進んだため2010年3月廃車となった。 '09.1.1 山陽本線 岡山 P:楢井勝行

クハ481-324

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1975年2月 金沢運転所新製配置、写真のクハ481-324は485系A10編成の金沢方先頭車として特急「雷鳥」で活躍した。2009(平成21)年11月、交直切替機能を廃止し、クハ481-324からクハ183-712へ改番の上、福知山電車区へ転属した。転属後も塗色は変更されず、183系BB69編成の新大阪方先頭車として特急「北近畿」などで活躍した。2010(平成22)年11月30日に廃車された。 '06.11.12 東海道本線 岸辺 P:中司朔良

クハ489-702

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1974年横川側非貫通型先頭車クハ489-700番代が4輌登場した。形態はクハ481-300に準ずるが、片渡り構造・EF63連結のためジャンパ栓受けの数が異なり、助手席下にCPを搭載しないため点検蓋がないなど若干異なる部分があった。1985年の「白山」削減や1998年長野新幹線開業により489系が充当される列車減ったためJR西日本は余剰の489系を北陸特急に転用した。写真のクハ489-702は京キトA05編成として「雷鳥」で活躍したが2010年秋に廃車となった。 '08.3.11 北陸本線 加賀温泉 P:楢井勝行

クロ481-2000番代

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1978年、「白山」「はくたか」を3MGとするためサロ489-1000番台10輌が製造された。1989年、JR西日本はこの内の5輌を先頭車化・3列座席化しパノラマグリーン車として「スーパー雷鳥」に投入した。白を基調とした特別編成が北陸路を颯爽と快走し画一的な国鉄時代とは異なる新たな特急列車の幕開けを感じさせた。後継の681系・683系に追われ2001年青い専用塗装で「しらさぎ」に、2003年には国鉄色となり既に脇役になっていた「雷鳥」に返り咲いた。JR化後に改造された車輌であったが国鉄色になってから鉄道ファンの人気を集めた。その後ダイヤ改正の度に「雷鳥」は本数を減らし2011年3月のダイヤ改正で惜しまれながら引退した。 '08.1.20 北陸本線 金沢 P:楢井勝行

クハ111-234

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1976年8月新製、大船電車区に配備、1979年10月国府津運転所開設伴い転属、長きにわたり東海道本線東京口で活躍する。E231系の増備により2005年10月幕張車輌センターに転属し、千マリ106編成(館山向き)クハ111-234+モハ113-2083+モハ112-2083+クハ111-2057(千葉向き)となり房総各線で活躍し2011年7月定期運用より引退した。7月28日長野総合車両センターに向け上越線を回送されるが豪雨のため越後湯沢駅で抑止された。交番検査が切れるため8月6日一旦幕張車両センターに戻り、8月30日再度上越線を回送され長野総合車輌センターに向った。夏休み期間中に起きたこの出来事が鉄道ファンの注目を集めることとなった。 '08.1.13 内房線 館山 P:楢井勝行

クハ418

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1984年、北陸本線に581系・583系より改造された419系が15編成登場した。米原側先頭車は元クハネ581のクハ419が6輌、残る9輌は元サハネ581を先頭車化したクハ418であった。寝台電車そのままの切妻に103系高運車風の3枚窓を持つクハ418はその風貌からの食パン電車と呼ばれた。特急型運転台や機器室を持つクハ419のボックスシート6区画に対し、クハ418のボックスシートは8区画であった。そのため旅をするときにはクハ418が入った編成に当たるほうが嬉しく思った。ユニークな車輌であったが2011年3月に引退した。 '11.3.3 北陸本線 直江津 P:楢井勝行

クハ183-752

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1972年1月サハ489-3として新製、1973年3月CPを搭載しサハ489-203となった。1986年7月先頭車化改造されクハ481-752となった。電気釜と呼ばれる運転台形状にキノコ型クーラーAU12が組み合わされた珍車で一部ファンから人気を集めた。1991年7月交直切換機器を撤去しクハ183-752となり福知山山陰系統に転用された。この折窓下に赤のラインが追加された。車内はR51簡易リクライニングシートの無段ピッチ固定化、座席モケットの張替え、カーテンの取替え程度の改修がされている程度であった。天井のクーラー吹き出し口はAU12独特の2個セットが近接したもので、車内からもキノコ型クーラーの雰囲気を味わうことが出来た。2009年8月塗装変更のうえ、「北近畿」用B66編成から「まいづる」・増結用C31編成に移った。2011年3月287系の登場により183系C編成は運用を外れクハ183-752も廃車となった。 '09.1.18 北近畿タンゴ鉄道 宮津線 天橋立 P:楢井勝行

クモハ52第2次車

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1936(昭和11)年新製の京阪神急電用流電クモハ52第1次車の増備車として翌1937(昭和12)年に登場した。第1次車が狭窓に対し第2次車は広窓となった。戦時中は不遇の時を過ごしたが1949(昭和24)年復活した急電に流電が使用され翌1950(昭和25)年阪和線特急に活躍の場を移した。1957(昭和32)年には終の棲家となる飯田線に転属する。旧型国電の天国であった飯田線のエース的存在としてファンの人気を集めたが、1978年80系電車に追われ廃車となった。なお、第2次車のクモハ52004は登場時の美しい姿に復元され現在JR東海のリニア・鉄道館に保存されている。 '77.10 豊橋 P:楢井勝行

クハ183-203

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1972年貫通型クハ481-227として新製されたが、その貫通扉を使用することはなかった。転機が訪れたのは1991年、「スーパー雷鳥」基本編成4号車(方転後は7号車)に組み込まれ金沢駅での分割併結に大いに活用された。1997年9月国鉄色に戻り電気連結器を取付「しらさぎ」増結編成に転用された。2001年6月には白/青のしらさぎ専用色(通称あおさぎ色)となった。さらには2003年9月、交直切替機能停止しクハ183-203に改番、白/グレー(通称アーバン色)に塗られ福知山山陰系統に転じた。ここでも福知山駅や綾部駅での分割併結に活躍した。2011年3月新鋭287系にその任を譲り引退した。 '09.4.29 山陰本線 城崎温泉 P:楢井勝行

サハ111-1015

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1000番代の付随車で昭和45年に製造された。撮影当時、国府津区K59編成に組み込まれていた。東海道線東京口で最後まで残った非ユニット窓車、かつロングシート改造車として注目された。E231系の投入に伴い、2005年7月に廃車された。 '04.11.14 東京 P: 菅谷和之

クモユニ74001

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1962(昭和37)年頃からモハ72系の台枠、主要機器を流用し製造された郵便荷物車で、線区別、併結相手別に番代分けされていた。写真は東海道線の111系・153系などに併結用の0番代で14輌あり、改造年により多少の差異があった。1986(昭和61)年頃廃車された。 '75年頃 東京 P:田中健吉

203系

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'82年から登場。常磐(緩行)線と営団(現・東京)地下鉄千代田線との相互直運転用として活躍。それ以前に使用の103系1000代が抵抗制御車故の地下線内排熱問題等と、非冷房車両故の地上区間でのサービス向上を兼ね、当時、新形式として製造の201系のシステムを、サイリスタチョッパ方式に、車体を301系以来のオールアルミ車体に改良して登場。'82年に第一編成が登場し、各種試験に供された後、'84年2月以降、103系1000代車両の他線区転用計画の捻出用に第2~8編成が登場。この時は201系と類似の足回り(DT46A=踏面片押し式、TR234=踏面両抱き式ブレーキ)、主電動機をMT60(150kw)ながら歯車比を地下線内急勾配対策で高く(1:6.07)に。性能はサイリスタチョッパ(CH1A)、回生制動併用電磁直通式。運転仕様は営団との協定上、縦動式のMC54B、ME41Aを採用していた。'85年以降も増備の際、当時登場の205系に準じた足回り(DT50、TR235=ボルスタレス式)が改良され、番代も-100番代となった(9編成)。常磐緩行線用として、取手~綾瀬~代々木上原間で活躍。'11年9月末で運用離脱した。 '88.5.2 常磐線 亀有 P:梶村昭仁

クハ411-523

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交直流用近郊型電車、415系の制御付随車。この内、'82年1月に登場の-500番代は、近郊型初の車内オールロングシート(WC対面部は枕木方向に座席配置)として登場。車内は201系以降、標準色となったクリーム系デコラ板にブラウン+ヘーゼルナッツのモケット色を採用。車体幅を除けば、'81年登場の105系電車の車内と類似点が多かった。写真の-500代が奇数向き、反対側は-600代で偶数向き車輌として製造。車体の特徴として、この番代から屋根上通風器が201系等と同様の箱型押込み式となった。また製造当初は側行先字幕は準備工事で幕板中央部にサボ挿し式を使用していた。写真の-523は'85年1月の日立製で、登場直後のショット。廃車は'07年10月で、終始常磐線中距離運用で活躍していた。 '85.2.18 上野 P:梶村昭仁

クモユニ74

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東海道本線東京口の主力が80系電車から153系,111系電車に置換わるのに当たり、これら新性能車と併結して使用する荷物電車用に、それまでのクモユニ81形の後継車として1962年から登場した(‐0番代)。モハ72形の台枠,主回路機器,台車・駆動装置等を再用した改造車だが、運転台制御機器は新性能車に合わせて一新され、空気ブレーキ装置は電磁直通方式に換装された。1964年からは中京地区用として80系電車とも併結可能な‐100番代、上越・高崎線用として更に115系電車とも併結可能な‐200番代が改造され、‐100番代から‐200番代へ再改造された車もあったが、総数31輌を数えた。郵便・小荷物扱いの縮小・廃止により漸減し1986年までに全車廃車となった。 '65.9.18 東海道本線 保土ヶ谷-戸塚 P:長谷川武利

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1959年に登場、当初は近鉄特急のシンボルとして名阪特急で活躍した。後年は後輩のエースカー、スナックカーに追われ阪伊名伊系統に就くことが多かった。A編成は5編成用意され、2丁パンダが装備されるモ10100が流線型先頭車という最もビスタカーらしい形態で人気があった。1977年当時、山田線では阪伊特急に充当されていた。1977年から1979年に廃車され惜しまれながらその姿を消した。 '77.8 近鉄山田線 松阪 P:楢井勝行

EF60 503

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1963年11月、製造。車体は汽車製造大阪工場、電装は東洋電機。新製配置は東京機関区。1964年、EF58・C62からブルートレイン牽引の座を引き継いだが、翌65年には早くEF65Pにとって代わられた。以後は浜松、八王子、竜華と移り、地味な貨物輸送に従事。1975年ごろには塗装も一般色に戻されている。動態保存を前提として車籍を残しJR西日本に引き継がれ、宮原総合運転所に保管されていたが、一度も営業用に使用されることなく2008年11月に解体された。写真は広島駅に到着した下り「富士」。 '65.5.4 広島 P:中川弘一

715系1000番代

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余剰となった583系の改造車で'84年9月に登場し、仙台地区普通列車の電車化を目的に、黒磯・一関間で主に使用された。車両の改造は客用扉の半自動化や車内ロングシートの変更と、防寒・防雪対策をしたため1000番台に区分された。'95年より登場した701系電車に置き換えられ、'98年に全て廃止となった。 '90.12.29 東北本線 白坂-豊原 P:長岡行夫

クハ103-2001

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クハ103-2000番代は関西本線103系の編成短縮に伴う制御車の不足を受けて、1986(昭和61)年に101系のクハ100-92・35・31・60を103系のTc車に改造したものである。偶数向専用車。1992年に4輌とも廃車となった。写真は快速奈良行きとして湊町駅を出発したところ。 '86.8.31 湊町 P:齊藤義明

クハ481-107

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485系車輌の制御付随車。従来通りのボンネット型を踏襲したが、若干のマイナーチェンジを実施したのが-100番代。前部標識灯(前照灯)をシールドビーム化、先頭ボンネット内部に高圧補器類(MG・CP)が搭載されていたうち、MGを床下架装に変更、併せて出力向上(150kvA→210kvA)を実施。全26輌が製造されたが、この内、-107は、'72年7月の日本車輛で製造、向日町運転所(当時)に配属。その後'86年11月に金沢運転所(当時)に転属後は同区を離れず、北陸線系統の特急列車に運用。旧151系からのこだま型形態のボンネットスタイルの最終形となった。JR化後も主力で活躍も、新形式車投入とボンネット型のため、定員が他の先頭車両よりも少なくなることから置換えの優先対象となり、'04年までに全廃。番代廃止となった。なお、-107は'02年03月廃車。 '89.3.24 名古屋 P:梶村昭仁

クハ481-337

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旧国鉄型特急用車輌の代表的なスタイル。定員の増強と、分割併合を意識した貫通型スタイルとなった-200番代からさらにマイナーチェンジとなり、前面が非貫通式になったのが-300番代として、'74年から登場。見た目の特徴として前面愛称表示幕部が大型化されたこと、車内アコモとして従来の回転式クロスシート(非リクライニング)から、後の標準となる簡易リクライニングシートに変更されたのが眼についた変更点。写真の-337は、'75年05月、東急車輛で製造後、青森運転所(当時)に配属。'85年03月に金沢運転所(当時)に転属後は、北陸線系統の優等列車を中心に活躍。681・683系列の導入もあり、'05年12月、廃車となった。 '89.8.24 名古屋 P:梶村昭仁

クモヤ90802

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クモヤ90802は、中央本線などの断面の小さいトンネルに対応するために、クモヤ90からパンタグラフ部分の屋根を低くした改造車輌。奈良線の電化用の105系改造車と供に奈良電車区に転属となったが1987年に廃車となった。 '84.8.10 横須賀線逗子─東逗子 P:藤村巌雄

クハ111-1329

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国鉄近郊型電車、113系のバリエーションの一つで、総武本線の輸送力増強計画のうち、線増区間に地下区間が含まれると同時に、その線を介して横須賀線との直通が計画されたことから当時に運輸省令A-A基準(車両不燃化対策)に適合するものとして1000番代が製造。この制御車で奇数向きが-1000代、偶数向きが-1300代として製造。外観的には0番代と同様のスタイルで非冷房車。また地下区間運用を考慮し、WCの汚物処理循環装置設置準備工事の対応がなされていた。写真-1329は、'70年2月、汽車で製造。横須賀線用として大船区に配置。後、'76年以降、千鉄局・幕張、津田沼を行き来し、最終的には幕張区へ。JR化後数年は原型を留めていたが、程なくAU712分散式で冷改。また先頭部が補強工事と前灯シールドビーム化が併設され、印象がガラリと替ってしまった。'05年11月廃車。 '88.5.20 千葉 P:梶村昭仁

165系「なのはな」

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1986年に登場した165系電車改造の6輌編成で、千葉支社が保有し初の和式電車であった。各車輌ごとに千葉県の咲く花の愛称名が付けられ、外観は房総半島をイメージした塗装が施され活躍したが、老朽化と直流区間だけの運行から1998年廃止となり後続車輌である485系「ニューなのはな」にバトンタッチされた。 '96.11.15 軽井沢─横川 '96.11.15 P:長岡行夫

クハ411-301

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50Hz/60Hz両用の近郊型交直流車輌として登場したのが415系。このクハのトップナンバーにあたる車輌で、'71年4月に東急車輛で製造。形態的にはそれまで製造されてきた403、423系の最終形と変らないスタイルで、他の近郊型同様、過渡期にあたるスタイルで、内はめ式二段上昇式ユニットサッシ、大型白熱灯の前部標識灯で、非冷房で登場。このタイプは3ユニットのみで、以降は冷房搭載の新ボディーとなる。登場時はローズレッドこと赤13号に前灯部がクリームだったが、首都圏地区は'85年のつくば科学博覧会開催時に現在の塗色に。新製から勝田区を動かず、'08年3月廃車。 '89.7.24 上野 P:梶村昭仁

クハ103-188

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いわゆる、'71年製造の103系クハ103形のうち、-180以降の車輌については、側窓の外付け式ユニットサッシの採用、前部標識灯(前灯)のシールドビーム二灯化等が行われた一次改良型といわれるグループ。大半が、関西地区の輸送改善用に投入されたが唯一、偶数向先頭車が常磐線用に松戸区に新製投入された。この車輌が-188。'84年以降、-1000代車両が地上線にコンバートされた際に、奇数向に方転されて編成を組んで活躍することに。JR化後、習志野区を経て京葉区へ転属し、AU712で冷改、スカイブルーで活躍。'01年9月廃車。 '85.2.17 常磐線 上野 P:梶村昭仁

クモニ83-800代

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モハ72形改造の荷物電車クモニ83形一族の中で、中央東線狭小トンネル区間対応の低屋根構造で改造されたのが‐800代21輌である。その中でも800~805は、本来併結する相手の115系車輌と雨樋の高さを合わせた結果その位置が屋根R上となり異彩を放っていた。写真は804、805の2輌で、撮影当時は大船区に所属していて午後の新聞輸送も日課となっていた。‐804は1985.6.15に廃車、‐805はJR化の1987年にクヤ497-1に改造され鉄道総研の所有でありながら豊田区所属となっていたが1996.5.3に除籍となった。 '75.3.8 東海道本線 保土ヶ谷-戸塚 P:長谷川武利

クハ77-006

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クハ77形式は、1968年の両毛線電化用70系の先頭車不足を補うために80系の2等車サロ85形式を改造して誕生したもので、1,2位に運転室と出入り扉、車体中央に出入り扉を設置して3扉車となり70系に編入された。クハ77-006は、サロ85-030(1956年製作,モハ80-200代に相当)を種車としており、クハ77形式中唯一の下降窓車であった。115系導入により1978年に廃車となった。 '74.11.15 吾妻線 岩島 P:長谷川武利

クモハ42005

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1934年7月の京阪神地区の吹田-須磨間の電化開業用として製造された車輌。本車は1950年頃まで京阪神地区で使用され後、横須賀線・伊東線へ転出、その後、1957年に宇部区に移り、宇部・小野田線で使用された。1981年の105系投入時に小野田線本山支線用として使用されることになり、生き残ったが、クモハ42005は他2輌と異なり、JRに引き継がれることなく、1987年に廃車された。 '85.3 小野田線 雀田 P:角中武大

クハ111-1122

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113系電車の制御付随車。'72年7月開業の総武線の増設別線である、錦糸町~東京間地下新線用に同年4月から増備された、いわゆる1000'代といわれる番代。従来と比較して前照灯シールドビーム化、外嵌め式二段上昇式ユニットサッシ、タイフォン位置の変更等の外観の変更のみならず、保安装置がATC(-3形)化された事から、これらの対応用として大幅にモデルチェンジ。ブレーキ弁が非常抜取位置対応のME41C形、マスコンもMC54形に。またカプラもKE76形×3本から、KE70形+KE76形2本となった。写真の車輌は'74年度第二次民有車で'74年川重製、新製は大船区で以来、横須賀・総武線で活躍。民営化前の'86年に地上線の東海道線田町区に転属。湘南色、カプラをKE76×3本化。その後幕張区へ転属し、再度スカ色化され房総各線ローカル運用で活躍。田町区転属時に改造されていた、KE76形カプラ3本のまま、'06年廃車。 '87.12.6 東京 P:梶村昭仁

クハ711-901

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耐寒・耐雪機能を備えた北海道初の国鉄在来線電車で、1M方式を採用した初の交流専用車。1967年(昭和42年)北海道電化に向け試作車2編成4両が製造され、先行して建設された手稲~銭函間の試験線で、ED75 500とともに各種試験が実施された。クハ711-901+クモハ711-901(S-901編成)は汽車会社製で、側窓は2段式のユニット窓、客用扉は4枚折戸両開きで登場したが、量産化改造時に引き戸式に改造されている。制御方式は、電車で初めてサイリスタ位相制御が採用され、当時主流の抵抗制御方式とは異なり、ゆっくりではあるがスムーズに加速するのが特徴。量産車は、1M2Tの1ユニット3両編成とされ、S-901編成は、室蘭電化の際クモハを電動車扱いとし、追加製作したクハ711と3両編成に統一された。晩年、快速エアポートや旧塗装で函館本線電化30周年号として運転され花道を飾り、老朽化により1999年までに運用を終了した。現在JR苗穂工場に留置されている。 '97.4 苗穂-白石 P:佐々木裕治

クハ68-210

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1930年製造のサハ48-14を1959年に制御車化改造したクハ47-72を、1963年に新潟地区ローカル用に3扉化,耐寒耐雪化工事を行ってクハ68としたのが本車で、同族には、-200,-211がいた。1979年1月頃に廃車になったものと思われる。 '74.12.17 信越本線 新潟 P:長谷川武利

モハ113-268

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'74年度第二次債務予算製造車から登場の113系0番代のマイナーチェンジ車でこの中間電動車モハ113形。形態的に'72年以降の1000'代、'74年製造700代に準じ、当初から冷房装置(集中式AU75形)搭載、側窓外付式二段上昇ユニットサッシュ採用や側行先自動幕、循環式汚物処理装置(TcとTのみ)等を準備工事(登場時)とした。なお、番号は0代の続番となっているため番代区分はない。従来と比べ、主制御器がCS12G形となり、継電器類の無接点化がさらに図られたタイプに。従来からの床下高圧引通しに加え、冷房化等による三相高圧配線が海側に追加となり、山側の低圧線もKE76形3本配線となった。写真の-268は'75年度第一次債務予算による、'76年川重で新製。大船区に投入。東海道首都圏地区で長らく活躍。その後、国府津区、田町区と行き来し、'99年11月まで活躍。 '88.1.4 東京 P:梶村昭仁

クモハ103-116

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国鉄通勤車の代名詞的存在の同車。この制御電動車。前照灯のシールドビーム二灯化や側開扉が国鉄時代の特別保全工事施工の絡みからSUSガラス押えに替っていたもののこの当時、ほぼ原型を保っていた。同車は、'67年東急製、京浜東北線用として蒲田区へ新製配置。国鉄時代は浦和、中原と異動後に、'88年2月、松戸区へ転出。常磐快速線の基本編成へ組まれていた。しかし長続きせずに、再度、中原区へ出戻り、晩年まで鶴見線用として活躍。冷改(AU712)や車体更新、前面補強工事等により晩年は原型から替ったスタイルとなった。'05年5月廃車。 '88.3.4 上野 P:梶村昭仁

クハ111-1329

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113系電車の制御付随車。また総武線増設線計画に東京駅付近の地下線化計画があったことから、旧運輸省令に基づくA-A基準適合車として、-1000代と番代区分された車両。当時は単純に地下区間走行に対応する設備車両という考え方から、外観は前年度まで新製の一般型(-0代)と同様。冷房装置も無く(JR化後にAU712で冷改)、押込み式通風器が屋上に並び、内嵌め式の二段上昇ユニットサッシ、前照灯が白熱式250Wタイプ等そのまま。-1329は、'70年2月に'69年度第二次本予算により、汽車会社で新製、大船区に配置され、横須賀線等で活躍。'76年以降幕張、津田沼区と変遷し、'05年に幕張区配属で廃車になるまで房総各線ローカルで活躍。 ’88.5.20 総武本線 千葉 P:梶村昭仁

クハ 76 311

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70系の制御車で1951~58年にかけて合計106輌が製造。1957~58年製の16輌は全金属製となり300番代(300~315)が付番された。阪和線特有の「直行」の看板をつけたまま1輌ぽつんと留め置かれていた。車体下部の塗色はグリーン系の「阪和線色」だった。 '65.4.11 和泉府中 P:柿浦和敏

クモハ20 100番代

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もと南海鉄道山手線のモタ3000である。ただしこの電車の設計・発注などは旧阪和電鉄によるものである。その後戦時中の強制買収などの経緯を経て、国電の仲間入りを果たし、旧阪和電鉄の電車は旧電の中では最も高速性能に優れていた。この電車は阪和電鉄が発注した最後のもので、Rを描いた独特の窓や、車内の日除けには障子を模したものを用いるなど「和風」的デザインも最後まで保っていた。旧国電では独特のデザインを最後まで保ったが、1967(昭和42)年に引退、その代わりに関東で余った73系などが入って、阪和線の電車は著しくひどい状態となった。 '61.6 鳳-東羽衣 P:永野晴樹

クハ103-751

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'74年から登場の103系電車の制御付随車クハ103形。山手・京浜東北・根岸線の首都圏通勤線区のATC化計画に伴い、車輌側の機器搭載対応としてマイナーチェンジを実施。高運転台構造となり、その分面長な印象を和らげるべく窓下にステンレスの飾り帯を設置。写真の-751は、78年度本予算により、'79年川重製。新製は山手線の品川区。このタイプは、77年以降に製造された車両輌で前端の雨樋形状が大型となったタイプ。また、車内のスタンションポール、網棚受け等がSUS無塗装化された。首都圏を代表する顔的な存在であった。同車は'85年、205系投入と埼京線用として川越区に転属。うぐいす色を纏って活躍するも、'91年同線205系化で豊田区に、オレンジバーミリオンを纏って青梅・五日市線で活躍。'02年01月廃車。 '88.5.29 山手(埼京)線 池袋 P:梶村昭仁

101系

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言わずと知れた、旧国鉄新性能車輌のパイオニア。'57年に旧モハ90形試作車10輌がデビュー翌'58年から量産、'69年まで約1500輌近く製造。電動車2輌1ユニット(MMユニット)方式採用、小型軽量モータに中空軸平行カルダン駆動、多段式制御に発電制動採用による高加減速性能向上等、当時の吊掛式と比較し大幅な性能向上となった。従来の20m片側4扉に、側引扉1.3m幅両開式として乗降性の向上を図り、外板色もぶどう色に替え、カラフルオレンジバーミリオン(線区別ラインカラーの先駆け)を採用。当初、M(モハ)は中間がモハ90000代の奇数偶数ユニット、先頭がモハ90500代の奇数偶数であったが、'59年の国鉄形式称号改正でいの一番、101系に称。'58年以降付随車(T=サハ)が登場、'60年から制御付随車(クハ=Tc)も登場。これらは電装準備(床下点検蓋、パンタ台、DT21T台車採用等)が考慮されていたが、'63年以降は完全な付随車として新製(床下点検蓋、パンタ台廃止、台車はTR64に)。JR化後も暫く活躍、近畿圏では'92年まで、首都圏は南武支線のワンマン化車輌が'03年まで活躍。写真は総武中央緩行線で10輌編成で活躍当時。 '87.10.18 中央線 飯田橋-市ヶ谷 P:梶村昭仁

クモハ103-137

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'65年、京浜東北線の新性能化に際し、登場した103系の制御電動車。当時の運用上のほか主に保守上の観点から編成分割が必要となったことが誕生の経緯。従来のモハ103形1-2位側車端部に運転台を設置した構造で、集電装置を搭載。'68年までに155輌製造。1-4位側(通称:山側)に主制御器(CS20A)と遮断器類、この反対(海)側にブロワーモーター付主抵抗器が鎮座する。写真の車輌は'67年常磐線新性能化に際し、投入された車輌(-134~-155)。'68年日車製で松戸区に配置。後、冷改や前照灯シールドビーム2灯化など受け、松戸区に在籍したが、'90年以降、仙石線・陸前原ノ町区(=宮城野区)へ転属し、大更新改造を受けつつ'02年11月まで活躍。 '84.10.4 上野 P:梶村昭仁

サハ111-1014

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111・113系車輌用の中間付随車。この車両は'69年以降増備の総武・横須賀線地下新線対応用1000番代。この内1001~1019までが非ATC対応、非冷房車として製造。二段上昇式ユニット窓も内ばめ式で隅部にRが付く0代に準じたスタイル。写真の-1014は'70年2月汽車会社製で'69年度第二次本予算製造車8輌中の1輌。一般型と異なるのは地下線等の長大トンネル区間走行対応としてA-A基準化による車体内外の難燃化対応、WC設備の循環式設置準備工事(後、本設置)等。同車は大船区へ新製投入後、'80年10月改正で東海道本線地上区間用(国府津区)へ転出。これは本来の総武・横須賀地下区間のATC対応車両への車種統一に伴う転出であった。後、田町区との転配を行うなど終始、湘南色区間で活躍。231系の本格投入に伴う順次引退、国府津区配置の'99年10月廃車。 '87.12.20 東京 P:梶村昭仁

新幹線0系

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1964年、日本初の新幹線である東海道新幹線が開業した。開業に合わせて日本初の新幹線0系が誕生。丸い鼻と丸いライトが特徴で、当時は食堂車、カフェテリア、こどもサロン、さらには映画が見られるシネマカーなど様々なサービスがあった。1999年に東海道新幹線から引退した後は、短編成化され山陽新幹線で活躍を続けてきた。しかし老朽化には勝てず、次世代新幹線の導入により2008年12月14日、40年以上に渡る活躍に幕を閉じた。0系の引退は全国ニュースで取り上げられ、鉄道ファンのみならず様々な人々から愛された車輌であると言えるだろう。 '08.10.20 新大阪 P:福田智志

モハ112-224

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113系直流近郊型の中間電動車。モハ112形は主に高圧補助機器(MG・CP等)を搭載するため、非冷房車床下はスッキリ感。この車輌'68年12月、大阪東急車輛(=旧帝国車輛)製。昭和43年度本予算製造車両(-218~-232)の1両で新製配置は大船区。前年度からの改良として、関ヶ原地区を始めとした降積雪区間へ運用拡大に伴い、屋根上通風器を従来の煙突式に替え、115系で御馴染の押込式に。M'車には6個(M車=7個)並ぶ。性能上は大きな変化はないが、上述の運用区間拡大により、主電動機が絶縁・機密性向上型MT54Bに、当該製造車から測重弁式応荷重装置の取付準備対応用で主制御器がCS12Fに。また客室内のSUS無塗装化(側引扉のSUS化)等、目に付く改良も多かった。なおこの年度を以て、暫く地上線向け車輌製造が一時中断となり、原型0番代最終ロットとなった。-224は'75年以降幕張、津田沼(後に幕張)と房総各線運用に転属し長らくスカ色のまま活躍。'94年5月廃車。 '87.5.20 総武本線 千葉 P:梶村昭仁

クハ79 605(72系970番代)

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72系の台枠,台車,制御装置,ブレーキ装置および電機部品を利用して1975年に103系並の車体に更新改造した車輌であり、一族合計はクハ,モハそれぞれ10輌の計20輌であった。一貫して仙石線で使用され、当初は快速中心に運用をしていた、写真はその頃のものである。1983年より本家103系の転入により順次運用を離脱し休車となっていたが、1985年の川越線電化に際し今度は台車,制御装置,ブレーキ装置を103系並に交換改造し103系3000番代として再起した。写真のクハ79-605の種車はクハ79-451(1956年製)であり、103系化改造後はクハ103-3003として20年間働き、2005年10月に廃車となった。隣のクモハ73-327(1953年製)は、前面窓がHゴム支持の多い仙石線の72系の中にあって、原型スタイルを保つ貴重な存在だった。1980年5月に廃車となっている。 '76.5.27 仙石線 石巻 P:長谷川武利

401系

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日本初、量産型交直両用電車として'60年8月先行車8輌がデビュー。試験運転後'61年6月勝田交流電化(商用周波数:50Hz区間)完成で量産車登場。都市間輸送用の新性能車初の近郊型。全鋼製3扉セミクロスシート、側引扉1300mm幅両開式。モハ(M)401形に主制御器・MG等の直流機器、モハ(M')400形にパンタ、主変圧・主整流器等の交流機器搭載。M'車パンタ周囲は低屋根構造で車内の天井張出部に丸型ファンデリヤー装備。台車はM車がDT21B、Tc車は当初101系同様の踏面両抱式TR64だったが、後デイスクブレーキ式TR62に。主電動機は定格100kwのMT46B形採用。'66年まで25ユニット100両登場。なお、'62年に鉄道友の会第二回ローレル賞を受賞している。運転台は当初、153形0代同様の低運だったが後、高運に。当初、赤13号(通称小豆色)に先頭車前頭部に真一文字及運転台窓上部に細帯(後撤去)がクリーム4号の警戒色として塗装。'83年以降現色へ(クリーw)€」燎・碓号+青帯20号)。'78年に先行車8輌が廃車、'81年以降415系冷房車と順次交代、電動車が'91年、(401系編成としての)制御車が'92年までに廃車。写真は、Tc-49+MM'-25+Tc'-50の新製ラストナンバーユニット編成で、'91年2月編成で廃車。 '88.7.24 安孫子 P:梶村昭仁

クハ103-93

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103系電車の制御付随車。新製は'66年7月で今はなき帝国車両製。新製後配置は池袋区で山手線で活躍後、同線のATC化による対応先頭車両への捻出で'78年2月に松戸区へ。この当時の常磐線車輌の外観上の特徴として列車無線アンテナが屋根中央寄にも搭載。またこの車輌、偶数向Tc'-636と共に'84年以降中間に103系1000番代のユニットを組込んだ編成として話題に。1000代は0代と制御器段数や制御回路が一部異なっていたため、この0代先頭車を対応用として小改造。このため区別として写真の様に、車号下に白線一本が引かれて居た(その後消去)。後、予備車となっていた所で'88年12月の東中野事故で急遽、三鷹区に103系代替編成の先頭車として転出。更に習志野区へ再転出。代替編成終了後は再び予備車となり、'91年9月廃車。最後まで非冷房車であった。 '85.7.20 常磐線 上野 P:梶村昭仁

モハ113-1050

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武本線と東海道・横須賀線との地下新線を介し直通運転計画に基き、地下線乗入対応用とされたのが1000番代。基本番代に加え、当時の旧運輸省A-A基準に則り、車体使用部材の不燃化・難燃化が図られた。この-1050は初期1000代後半に製造で、'72年3月汽車製。昭和46年度第1次債務車予算で製造、大船区に配置。'71年(昭和45年度第1次債務車)製造-1045~から電機機器関係のMF化(メンテナンスフリー)の一環で主制御器内補助接点継電器類の無接点機器(RLS33化等)を図った以降の標準となる制御器CS12G形を採用。写真は主制御器、遮断器が見える2-4位側の通称、山側。この反位側に主抵抗器(ブロワ付MR61形)が吊られる。'80年10月以降、地上線へ転用により国府津区へ。湘南色で活躍。後、東海道地区ATS-P化等に伴う車種統一化で'89年幕張区へスカ色に戻り活躍。'98年5月廃車。なお、同車は汽車会社製として末期の車輌でもあった。 '87.12.30 東京 P:梶村 昭仁

167系

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167系は1965年に165系をベースに修学旅行列車用に製造された系列。乗降頻度が少ないことからドア幅を狭め、新造時は脱着可能な折畳式テーブルを備えていた。当初の塗色は、カナリヤイエローとライトスカーレットの修学旅行色だったが、修学旅行色廃止後に湘南色に変更した。写真は1988年12月。瀬戸大橋線を走るマリンライナーが1時間ヘッドだった頃に、それを補完する形で高松ー岡山間に4連の快速として設定された。急行「鷲羽」が越えることができなかった瀬戸内海を越え、マリンライナーが30分ヘッドになるまでのわずかな期間だけ、国鉄急行型電車が四国を走ったのである。2003年春季臨時大垣夜行での運用を最後に、老朽化のため同年内に全車廃車となった。 '88.12 予讃線 端岡 P:田井 直

国鉄クモハ20 0番代

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国電と言うより、もと阪和電鉄のモタ300形である。昭和4年の部分開業、翌年の天王寺・東和歌山(現和歌山)間の全線開業に際し、200馬力の大出力モーターを装備して登場した。写真の元モタ300はロングシートの3扉車であるが、2扉セミクロスシートのモヨ100形ともども並行する南海本線に対抗して最高速度120km/hの超特急が45分で走破し、当時の日本の鉄道で最高速度記録で合ったことは広く知られている。旧阪和形は昭和42年限りで一部のクハ25を除き廃車となった。しかし旧モヨ100形のうちの2輌は松尾鉱山鉄道に払い下げられ、同鉄道の廃止後は弘南電鉄に転属し、様々な変遷を経て、昭和の時代を生き抜いた。 '66.12 阪和羽衣線 鳳─東羽衣 P:永野晴樹

モハ103-1041

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103系1000番代は'71年から営団(現:東京)地下鉄千代田線との相互乗入用として'70~'71年に登場。この内モハ103形は主制御器・主抵抗器を搭載。-1000代の特徴として主制御器が地下鉄線内の加減速性能向上により、制御器を力行55段、制動51段と多段制御化したCS40形を搭載。写真の2-4位側の山側に制御器が搭載され、この反対側(1-3位)に主抵抗器が搭載される。0代の一般型は強制通風式が採用されるが、地下線内の騒音防止と温度上昇を嫌って、自然通風式のものが海側床下台車間にズラリと並ぶ。また103系はモハ・クモハ103形に集電装置を搭載。写真の-1041は緩行線203系化で早くに快速線に転用された車輌。当初は灰白色+青緑1号帯の原色で活躍も'85年中には青緑1号一色に。'71年3月日車製。JR化後の'88年9月にAU712形分散式で冷房化。終始、松戸区を離れず、'02年7月廃車。 '86.4.8 常磐線 上野 P:梶村昭仁

115系 モハ114形2600番代

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'81年身延線新性能化で115系投入の際、隧道等断面狭隘区間入線可能とする為、同形2000代の集電装置取付屋根部を更に低くした番代。PS23Aを搭載もなお折畳高さを低く抑えざる得ない、元々私鉄線であった戦時買収区間故の同線専用番代。車内・外観は2000代と同様ながら冷房準備工事(MGは160kVA搭載)で扇風機のみ。塗色は地域色の先駆けとも云える赤2号に灰白色ラインテープ貼付。ワインカラーとも。-2601~-2613の13両登場。全車沼津機関区へ。のち民営化前に静岡運転所へ転属。JR化以降、湘南色化、冷改(C-AU711形)、汚物処理装置取付等小改良が。運用区間も身延線以外の東海道・御殿場・飯田線へも。'99年以降、-2608が霜取り対応を目的に廃車の381系から流用パンタを搭載し2パンタ化。'07年以降313系と順次交替。'08年05月に番代消滅。 '89.9.2 身延線 富士宮 P:梶村昭仁

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モハ102-262

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3000輌余が製造された旧国鉄通勤形車輌の代表形式103系。モハ102形の初期一般型車輌で、同車は'67年近畿車輌製、新製は蒲田区。'86年3月浦和区、民営化後'88年2月松戸区へ転配。この時期の首都圏車輌としては珍しく原形に近いスタイル。写真は通称、山側と称す2-4位側。床下にC2000形CPを、この反位側に20kVA-MGをレール方向に搭載する高圧補助機器関係を搭載した電動車。なお、103系はモハ・クモハ103形にパンタを搭載するため、屋根上は煙突(グローブ)形通風器だけがズラリ並ぶ。屋根鋼板上に屋根布(イボツキビニールと称す)、妻車端部の屋根布押え板も健在。後、冷改、アコモ改なども終始常磐線で活躍。'03年4月廃車。 '88.5.20 常磐線 上野 P:梶村昭仁

481系 クハ481形0番代

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'64年に初の交直両用特急用形式の481系制御付随車として'71年までに40輌が登場。クハ151形以来のボンネット・高運転台スタイルを継承。車体関係の装備品も同様であるが、交流区間の低いホーム対応用を兼ね側引扉はステップ付になり下端が裾部から下がった格好に。また台車はTR69系に、運転台内も交直関係スイッチ追加、マスコンが抑速機能、ノッチ戻し機能付MC37A、ブレーキ弁も抑速機能付ME38AGに変更。なお、ボンネット内にMG・CP等補機類搭載。九州から本州北端まで広域に活躍も'07年までに運用離脱、番代消滅。写真のクハ481-5は'64年川車製第1次投入車。向日町区新製配置後、'75年鹿児島区、'85年勝田区と変遷。'90年2月廃車。 '86.3.20 上野 P:梶村 昭仁

113系 福知山色(初代)

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1986年11月1日の国鉄福知山線電化区間延伸工事完成(宝塚-福知山間)の際に、既存の0番代車に耐寒改造などを施して登場した800番代には、独自の塗色が見られた。俗に’福知山色’と称され、新幹線の「ドクターイエロー」を想起させる「黄色5号の車体+青20号の帯」が異彩を放ったが約4年「ベージュ系の車体に緑色・茶色の細帯」といういわゆる「新福知山色」に変更され消滅(現在はこの塗色も消滅)。写真はJR化直後に新三田駅にて撮影。 '87.5 福知山線 新三田 P:清水祥史

国鉄サロ110形1200番代

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'76年に登場'81年まで88輌が製造された113系用特別(グリーン)車輌。接客設備向上を目指し当時の特急普通車と同様の簡易リクライニングシート採用、台車もTR-69系採用。側窓完全二段上昇式ユニットサッシ、循環式汚物処理装置(一部準備工事)搭載。3-4位側に便洗面所、デッキを挟んで専務車掌室を配置(従来のサロ110形とは反位側)。当初は横須賀線から投入。順次東海道へも投入され老朽車両の置換えに増備。'78年の-1218~は便所FRPユニット化及び蛍光灯化により便所窓が小型化されたのが外観上の変更点。写真の-1288はラストナンバーで'81年12月日車製。当初静岡転へ配置後、'86年11月ダイヤ改正時、国府津区へ。以降、東海道東京口で活躍するも、113系東海道東京口からの撤退と同時の'97~'06年までに引退、番代消滅。 '88.6.19 東海道本線 東京 P:梶村昭仁

111系 関西線快速色

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1962年から2001年にかけて活躍した近郊型電車が111系である。その車体塗色は当初、今も他系列で見られる「横須賀色」と「湘南色」に限られていたが、1970年代に入ると徐々に各地で独自の塗色が見られるようになり始めた。この塗色は「関西線快速色」と呼ばれたもので、1973年10月の関西本線 湊町(現・JR難波)-奈良間の電化の際に、阪和線快速色につづく‘塗色バリエーション第二弾’として登場した。主に大阪環状線-関西本線直通快速として活躍を続けたが、1990年代半ばには後継の221系「大和路快速」にバトンを渡し、この塗装の車両も姿を消した。写真はヘッドマークが登場時のものよりやや小型のものとなった1980年代の姿。 '85.10 大阪環状線 桜ノ宮 P:清水祥史

国鉄183系0番代

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'72~'75年に掛け、房総・北総各線特急列車用として174輌製造。特急用貫通構造採用も始発駅、東京が地下新線による非常脱出用の役目も。旅客サービスから普通車に簡易リクライングシート、側扉2扉等を初採用。この番代の特徴にM(モハ183形)車にパンタグラフ搭載。波動輸送考慮で、パンタ取付部低屋根化、信越線碓氷峠通過対策の所謂、横軽対策も装備。晩年まで赤とクリームの旧国鉄色を堅持し活躍するも経年と新形式登場で順次引退。'06年5月までに全車廃車。 ’88.12.23 総武本線 物井─佐倉 P:梶村昭仁


■お立ち台通信単行本化のお知らせ

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ご愛顧いただいております「お立ち台通信」の単行本を企画しております。製作にあたっては印刷品質の画像が必要となります。WEB、雑誌掲載ともにこれまでご投稿いただきました方で単行本への掲載ご希望の方は、メールの件名を「お立ち台通信単行本/線区名/駅間」として下記のアドレスに、350dpi/出力寸法左右150㎜(=2.5MB程度/縦版の場合は天地150㎜)で、画像をご送信ください。メール本文には郵便番号、ご住所、お名前、ガイドの内容で現在までに変更となっているケースがあればその旨お書き添えください。2008年1月15日(火)締切。

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また、単行本への新規の撮影地のご投稿は通常のお立ち台通信投稿フォームでお待ちしています。その際も、350dpi/出力寸法左右150㎜(=2.5MB程度/縦版の場合は天地150㎜)でお送りください。2008年1月15日(火)締切。


国鉄時代vol.12好評発売中! 詳細はこちら>

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試作B編成を改造した電気試験車T1編成の老朽置換え用として1974年に新製された7両編成の「電気軌道総合試験車」である。1~4、6~7号車が922系(-11~-16:電気試験車)、5号車が921系(-11:軌道試験車)であり、5号車のみが全長17.5m、3台車方式となっていた。国鉄分割後はJR東海に継承されて、JR西日本のT3編成と共に使用されたが、700系ベースのT4編成の就役により2001年廃車解体された。写真は、1、2号車と6、7号車(日立製作所製)の間に3~5号車(東急車輛製)を挟み込んで編成組成後に留置線に引き上げた、新製直後の1号車側からの写真である。 '74.10 東海道新幹線 大井支所 P:長谷川武利

新幹線100系 X0編成

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1985(昭和60)年に新製された100系の試作編成X0は、同年10月1日より、営業運転に投入された。当初は東京~博多1日1往復で、東京→博多「ひかり3号」、博多→東京「ひかり28号」という運用だった。写真は試運転の模様。注目の2階建て車輌は8号車168形で食堂車、9号車が149形でグリーン車(2階が開放室、1階が1人・2人・5人用の個室)になっていた。側面の赤いロゴは「New Sshinkansen」の頭文字をとって意匠化したもの。 ’85.5.15 岡山 P:松本テツヤ

国鉄103系1200番代

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'70~'78年かけ、営団(現:東京地下鉄)東西線と中央総武緩行線相直用に301系の増備車として登場。性能、スタイルは同時に登場の常磐1000番代と同様。製造時は地下鉄乗入用のため、非冷房。編成は6M1Tの7輌で301系に続き103系でも偶数向制御電動車(M'c:クモハ102形)が登場。外観上、パンタのないスタイルで車側のMM風導があるのが識別点。増備が103系のマイナーチェンジ時期と重り、Tc103・M'c1021202-~、M103-1204~、M'102-1203~の側窓が外付ユニトサッシに。また保安装置が1000番代と異るため運転台背後の戸袋窓がある。登場時、パールグレイ+カナリヤ帯塗装だったが、JR化後に帯色のみスカイブルーに。冷改、10輌化等の変遷で一般形T車組込の反面、余剰のM'c102形等が常磐快速線に転用も。'05年以降後継車投入で引退、'06年中に番代消滅。 ’87.5 中央線 中野 P:梶村昭仁

■お知らせ ブログ「消えた車輌写真館」をご覧いただきありがとうございます。珍しい車輌でなくても結構です。国鉄・JR・私鉄問わず、消えた車輌たちの面影をブログに保存していきませんか。画面右上のバナーをクリックすれば投稿フォームが開きます。車輌についての詳細が判然としない場合はコメント欄を空欄にして送信していただければ、編集部でできる限り調査の上アップしていきます。

155系

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1959(昭和34)年から1964(昭和39)年に登場した修学旅行向けの団体専用電車。48輌が製造された。車輌限界の小さい中央東線にも入線することを想定し、屋根全体が低くなっている。座席は片側が3人掛けとなっている(客室両端は左右とも2人掛け)。153系とぼぼ同一仕様だが、台車はコイルバネとなっている。  撮影場所不詳(東海道本線品川と思われる) P:三宅二郎

301系

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営団(現:東京地下鉄)東西線中野開通時、中央緩行線と相互乗入用に'66~'69年に56輌が登場。国鉄初オールアルミ合金車体採用。性能は103系ベース。地下線走行A-A基準化で前面貫通扉、前灯シールドビーム2灯化。行先幕は額中央に。通勤型初のエアサス(DT34/TR204)台車を採用。登場時アルミ地肌クリアラッカ仕上+ラインカラー(カナリヤ)帯だったが、車体の汚損が目立ち、後パールグレイ塗装に。6M1T=7輌で活躍。新形式クモハ300(M'c)形の偶数向制御電動車登場。後、長編成(10輌)化で車種変更(M→T化)も。JR化後AU712で冷改、ラインカラーがスカイブルー変更等、活躍。'05年後継車登場で引退、全廃。 '89.3.15 中野 P:梶村昭仁

101系1000番代

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'73年4月開業の武蔵野線用で、中央線等で使用車両を、2000m超級トンネル区間の連続する条件等により、不燃化対策(A基準)、列車無線搭載、ATS-B・S形併設改造等を行った番代。改造は大井工、'72~'73年府中本町~新松戸間開業時6両×11本が登場。'77年新松戸~西船橋間延伸時、4本が追改造。終始同線を離れず活躍。初期製造車が種車の為、老朽化が甚しく'85年以降山手線205系化で各線の103系冷房車玉突き転配を受け、非冷房のまま'85~'88年掛けて廃車、番代消滅となった。 ’83.9 武蔵野線 北朝霞 P:梶村昭仁

クハ180

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東海道新幹線開業以前の国鉄を代表したもと151系は東海道を追われて都落ちしたが、地方の直流区間の特急電車として出力をアップ、181系となり特急網の拡大に貢献し、増備もなされた。信越本線の横川─軽井沢間を走行する「あまさ」用にはEF63と連結するため、正面に連結器を装備したいかめしい姿のクハ180形が東京側に連結されていた。いわゆる横─軽用としては長大編成が組めず、489系や189系の登場と共に「あさま」から181系は引退、すでに181系の淘汰が始まっていたが、その中継ぎとして中央本線の「あずさ」などに一時期用いられた。数年後には183系の増備と共に引退した。 ’75.6 中央本線 東中野─中野 P:永野晴樹

クモハ11497

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南武線の17m国電は、浜川崎支線を除き1968年頃までにはすべて20m車に置き換えられた。ただし、20m車が故障などの際は、浜川崎専用の17m 車がピンチヒッターで「本線」に登場した。17m車が代用で入るときは、客扱い要注意列車なので前日に各駅に運用がファックスで通達された。この時は、基本編成の川崎側にクモハ11497がつながれるという当時でも珍しい編成である。後に浜川崎支線用17m車は旧モハ31系(クモハ11200)置き換えられたが、旧型車がすべて廃止となった1978年7月末まで、本線に17m車が出没した。 ’72.4 南武線 矢野口-稲城長沼 P:永野晴樹

サハ164-2

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急行「アルプス」など中央東線の急行用として1966(昭和41)年に作られた売店付きの普通座席車で、2輌のみの製造にとどまった。売店側は車端に物資積卸口を設け、乗降口は中央となっている。写真はグリーン車も含めた急行フル編成で運転されていた快速「かもめビーチ」に組み込まれていた際のもの。’83年に2輌とも廃車となっている。 ’82.7 信越本線 二本木─新井 P:濁川克宏

国鉄103系3000番代

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'85年川越線電化開業時に、主に川越~高麗川間の末端区間運転用に投入。元72系970番代(アコモ改造車)の103系化改造車。3両5編成(後4両化)が登場。元々72系台枠を流用した車両の為、床下機器配置が異なっていた。編成はクモハ102(M'c)モハ103(M)クハ103(Tc)の構成が特徴。大井、大宮、新津各工場で改造、終始川越線で活躍、老朽化で新形式車にバトンタッチ、'03~'05年で全廃。番代消滅。写真は開業時のもの。 '85.10.3 川越線 西川越─的場 P:梶村昭仁

サハシ165-1

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165系電車の普通座席室・ビュッフェ合造の付随車。1963(昭和38)に12輌が製造された。客室の定員は36名。1976年にビュッフェの営業は廃止されたが、1983年まで連結されていた。写真は中央本線の急行「アルプス」。営業していないビュッフェは登山客たちの格好の寝床になっていた。 ’80.6 中央本線 新宿 P:鈴木敏行

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1971年から登場した常磐線と営団(現東京地下鉄)千代田線相互乗入対応形式として登場。10輌16本が登場。地下線内勾配等により8M2Tというパワフル編成。低運転台の正面に貫通路、シールドビーム2灯)のスタイル。性能は従来通り。'82年以降後継203系登場後は快速線や105系500代へ改造される等有為転変があったが、常磐線に残った仲間はその後冷改される等して活躍、1000代としては、'04年3月までに運用離脱、番代消滅した。 ’85.7.26 常磐線 上野 P:梶村昭仁

クモハ50

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戦前、京都・西明石間に活躍したモハ43系は、戦後大挙して横須賀線用に上京しスカ形と呼ばれる70系と共に活躍、貫通扉に幌を構えた関西風の好ましいスタイルで活躍した。後にモーターを出力アップしたものはモハ53となり、2扉ではラッシュ時に支障をきたすため、昭和38年頃から3扉改造がなされ、クモハ50となったものの、横須賀線電車の先頭に立ち、幌を膨らませて快走する姿は往年の関西省電の魅力を残していた。横須賀線の113系化により、晩年は飯田線などで余生を送った。 ’64.8 東海道本線 品川-大井町 P:永野晴樹

クモハ14 800

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1930(昭和5)年横須賀線用に登場した17mの、もとモハ32形は、戦後関西から転属してきたモハ43系やいわゆるスカ形70系などの登場により都落ちし、その中でも身延線に投入した車輌はトンネル限界の関係で低屋根に改造、切妻となり、同じ切妻でもモハ63形とは異なる一種独特のローカル的な雰囲気を醸し出していた。戦後昭和28年の改番によりモハ32はモハ14となったが、一時期低屋根改造車は未改造車と番代による区別はなかった。昭和34年の改番の際に低屋根車改造車はクモハ14800となった。晩年はいわゆるスカ色となったが、後に首都圏や関西圏を追われた20mのクモハ41800やクモハ51800などの登場により、1970年ごろには引退した。 '64.8 身延線 芝川 P:永野晴樹

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113系用付随車。一見オリジナルのようだが実は元115系サハ115-300代で'84~'85に掛けて大井工改造で4輌登場。写真の-301は元サハ115-308('75年日車製)で113系化後も種車の番代を流用、内外観も変化なく制御・補助回路の変更程度でドアエンジン(TK8A)、半自動用取手等そのまま。東海道東京口で活用していたが'95~99年掛けて廃車、番代消滅となった。 '88.1.4 東海道本線 東京駅 P:梶村昭仁

クモニ13

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戦前の省電としては最後に新製した17m電車である。片運転台のモハ33は当初2輌のみの新製であったが両運転台のモハ34は大量に製造、戦後4輌のみが後のクモハ12 0番台となり残され、また一部は片運化され、モハ33、後のクモハ11 300番台となったのを除き荷物電車に改造した。荷物電車として首都圏の国電区間に活躍、一時期は横須賀線の70系の先頭にもつながれていたこともある。初期のタイプは正面左側の窓が一枚窓の好ましいスタイルで、このタイプは後の初期の20m車モハ40系にも引き継がれた戦前省電過渡期の電車と言える。現在なお1輌が保管されている。 ’76.1 新宿 P:永野晴樹

モハ62000

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1974(昭和49)年に登場した、「アコモ改造車」。73系に111系そっくりの新性能車の車体を載せたもの。下回りは旧型そのままで、パンタグラフはPS13、車体の裾のRがやや異なる。 ’76.8.28 東海道本線 富士 P:原 将人

101系

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「悪名」高い千葉局の海水浴臨でも、最悪級の101系の快速さざなみです。トイレもない通勤型でしたが、それでも車内検札が出来ないくらい、いつもギュー、ギュー詰めでした。「さざなみ」の愛称は、のちに特急に召し上げられ、新鋭183系化されましたが、遜色快速は青い海と名前を変えて、再び両国-館山間を走りました。晴れて113系となったのは、総武快速線が開業してからです。ちなみに、行き先の「飯田橋」はエラーではなく、本当です。 ’69.8 木更津-巖根 P:金子正明

クハ381-6

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381系特急形車輌の制御車。旧国鉄初の量産自然振子式特急車両として1973年中央西線全線電化時にデビュー。また通勤型301系以来のオールアルミボデイを採用。重心を下げる必要から空調装置を床下装備で屋根上スッキリ。写真の-6は1973年川重製。長野区に投入されるも1982年に神領区へ転属後は、そのままJR化後も変らずに活躍。高運転台の貫通構造を初めて採用し、以後の旧国鉄特急車輌の先頭デザインの礎となった。後継の383系登場で1998年廃車となった。 ’89.3.24 名古屋 P:梶村昭仁

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113系用特別車輌(グリーン車)。元は急行型153系サロ153形からの改造車。オリジナリルのサロと比較して1位側に車掌室を持ちその分定員が少い。車内は回転式クロスシート。写真の-45は1961年汽車会社製で1968年大船工場で113系化改造。その後冷房改造等を得る等はあったが国府津区に所属し終始東海道線東京口で活躍。JR化後も活躍していたが後継の2階建て車輌の投入と老朽化により1991年4月、廃車となった。 '87.12.20 東京 P:梶村昭仁

157系

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1959(昭和34)年に登場した長距離直流電車。一般旅客用の31輌と皇室貴賓車クロ157が1輌製造された。「日光」「ひびき」「白根」「あまぎ」などに使用。比較的短命で1976(昭和51)年2月、全車営業列車から引退。4輌のみ貴賓車クロ157と編成を組むため残されたが、1980(昭和55)年には183系に役目を譲っている。写真は回9873M列車、クモハ157-2+モハ156-2+サロ165-50+サロ165-12+モハ156-1+クモハ157-1。最後に残った一般型の4輌も、この日、大船工場へ最後の旅路についた。 ’82.11.27 品川 P:吉村元志

サロ165形(サロ165-132)

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165系急行形電車の特別車輌(グリーン車)。車内はエンジ色モケットに白布カバー付回転式フルリクライニングシートがずらりと並ぶ。幅2m近いシューリレン式2連1組の一段下降窓が並び、近郊形の狭窓が並ぶスタイルとは一線を画す、明瞭で優雅さのあるスタイルが魅力の一つであった。写真の-132は1969年日本車輌製で当初からAU13E冷房装置付で登場。新製時は千葉局・津田沼区で有為転変の後、JR東海・静岡転所属、急行「東海」で活躍中の姿。晩年とはいえ大窓の魅力に衰えは感じられない美しさが印象に残っていた。1996年6月廃車。 ’89.4.5 東海道本線 東京 P:梶村昭仁

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111・113系用の特別車輌(グリーン車)。1962年に登場、東海道・横須賀線用として活躍する。台車はコイルサス、デイスクブレーキ装備のTR62形、車内はエンジ色モケットの回転式クロスシートがズラリと並ぶ。3-4位側車端部に便洗面所を持つが車掌室がなく、増備は旧サロ153形改造のサロ110形が主流となる。写真の-29は1962年川崎車両製、大船区、国府津区と終始東海道線東京口で活躍、冷房改造等を行いJR化を乗切りながらも老朽化により1991年4月廃車となった。 ’87.12.20 東海道本線 東京駅 P:梶村昭仁

サロ113 1000番代

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横須賀・総武快速線用に1973(昭和48)年~1974(昭和49)年に17輌製造された地下対応のグリーン車。リクライニングシートをピッチを広げゆったりと配置、定員は48名と少ない。’76年に京阪神地区に転属、しかし4年後同地区の快速のグリーン車連結廃止にともない幕張区に転属。横須賀・総武線の直通快速に使用された。1998年までに全車廃車となった。 ’80.7 山陽本線 土山─東加古川 P:芝地 寛

クハ66000

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1974(昭和49)年に登場した、73系に111系に酷似した新性能車の車体を載せた身延線名物「アコモ改造車」。遠目には新性能車に見えるが、下回りは旧型そのままで、パンタグラフはPS13、車体の裾のRがやや異なるので、近寄って見れば一目瞭然。全身鉄粉まみれになっての活躍ぶりも旧型車然としていた。写真のクハ66の0番代は旧63系改造の73系が種車となっている。 ’76.8.28 東海道本線 富士 P:原 将人

クハ79 920-

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桜木町事故を起こした63系を改修した72系(クハ79・モハ72)は増備車で改良を重ね、1956(昭和31)年に登場した最後のグループ920番台車は、ついに全金属車になった。旧来のブドウ色2号のため派手さはないが、正面の傾斜した3枚窓と方向幕、雨樋のないのっぺりした側面は、101系の到来を予感させるデザインである。都落ちしてからは、関西では朱色1号、富山港線では青22号、仙石線では黄緑6号、御殿場線と中央東西線ではスカ色(クリーム1号・青15号)となったが、それらも1980年代なかばまでに最後を迎えた。  '63.4.6 山手線高田馬場付近 P:内藤健作

クモハ53007

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流電なき後、飯田線一番の人気者だったクモハ53007だが、実際は4連の中間に入ってなかなか先頭に立ってくれなかった。この日は2連運用を追い掛けて撮影。飯田線から旧国が消えるまであと4か月あまりだが、美しく整備された車体に現場の人々の愛情を見る。'83,2,9 飯田線 本長篠 P:宮村昭男

クハ86 1次型

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1949(昭和24)年に登場した最初の“湘南電車”は塗り分けが斬新だったものの、制御車は過渡期のデザインの3枚窓で、翌年の二次車から2枚窓になって、有名な湘南形が定着した。その後、一次車もこの写真のようにライトを屋根に埋め込み、窓まわりのHゴム化などの改造を受けている。これは高崎・上越線に運転されていた時代で、東海道の湘南形とはライト部分の塗り分けが異なる。 '63.4.3 高崎 P:内藤健作

クハ16215

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昭和元年~3年にかけて製造された鉄道省初の鋼製車体の電車、モハ30系の電装を解除してクハ化したグループの最後の1輌がこのクハ16215である。この時点ですでに齢50年あまり、南武支線に最後に残った17m級国電の中でもピカ一の古さであった。なんと言っても国鉄電車のご先祖様のような存在だ。残っているのが奇跡的に思えた。 '76.8.10 南武線 矢向電車区 P:宮村昭男

クエ28002

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クハ16から改造された救援制御車。クエ28002は山間部を通る身延線用に改造された車輌で、ヘッドライトが増設され、妻面の観音開きの大扉と相俟って特異な面構えとなっている。クエ28への改造は大井、吹田、浜松の各工場で1962(昭和37)年から1965(昭和40)年にかけて行われた。総数は5輌。1985(昭和60)年までに全機廃車となった。 ‘76.8.28 沼津機関区 P:原 将人

サロ 110 901

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153系のサロとして1958年汽車会社で試作されたセミステンレス車である(登場時はサロ95901)。のちに113系に組み込まれる事になり改造され、1968年サロ110-901に改番された。撮影時は大阪地区の東海道線普通列車からグリーン車の連結が廃止される直前で、この年廃車となる。 '80.8.26 東海道本線 安土 P:宮村昭男

クモハ40071

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青梅線のクモハ40達は、最後まで原型を大きく崩すような醜い改造をされず、よく手入れされた綺麗な姿で使われていた。73系から外され、1輌で佇むクモハ40071。 '77.10.10 青梅 P:宮村昭男

クハ47063

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横須賀線用2扉クロスシート車モハ32系の付随車として1930(昭和5)年から製造されたサハ48001〜028は、戦後、70系電車の登場によって地方線区に転出、その多くが短編成化のためクハ47に改造された。このクハ47063は元サハ48016。身延線で活躍したが、ワインレッドの115系と置き換えられ、1982(昭和57)年廃車。
 写真は低屋根化改造されたクモハ14(元モハ32)と組んで活躍中の姿だが、クモハ14は一足早く1971(昭和46)年までに全車廃車となった。'67.4.30 甲府 P:笹本健次
※クハ47について詳しくは『ガイドブック最盛期の国鉄車輌1』をご覧ください。

サハ48018

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サハ48001〜028は横須賀線用の2扉クロスシート車モハ32系の付随車として1930(昭和5)年から製造されたが、戦後は70系電車の登場によって支線区に転出、短編成化のためクハ47に改造されたものが多かった。このサハ48018は最後まで付随車だった数少ない内の1輌。晩年は岡山運転区に配置され、この写真を撮影した1976(昭和51)年に廃車となっている。 '76.5.2 宇野線 宇野 P:山下修司
※サハ48について詳しくは『ガイドブック最盛期の国鉄車輌1』をご覧ください。

クモハ51 800

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老朽化したクモハ14置き換え用に、1966(昭和41)年3月にクモハ51 042を低屋根化改造して誕生した車輌で、施工は浜松工場。当初は2輌のみだったが、この写真の2年後には13輌が追加され、大糸線配置の1輌を除いて14輌が身延線に集中配置された。1981(昭和56)年全廃。'68.3.15 甲府 P:笹本健次

クモヤ93000

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1958(昭和33)年にモハ51を改造して誕生した架線試験車。1960年11月21日に175km/hの狭軌世界最高速度を記録。1967年 甲府 P:笹本健次

クモヤ791‐1

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1959(昭和34)年に川崎車輌で製作された世界初の60Hz/20kV直接式交流電車。北陸本線で試用後、南福岡に転じた。1968年 南福岡電車区 P:笹本健次

クハ490‐1

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1958(昭和33)年にクハ59を改造して誕生した初の交直流制御試験車クヤ490を1960(昭和35)年に営業用車に改造。1964年8月4日 仙台 P:笹本健次

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