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2015年7月アーカイブ

EF61 1

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わずか18輌という小世帯で、比較的短命に終わったEF61 基本番代のトップナンバー機。1961年川崎製。SG搭載のため、車長は17.6mとEF60・EF65より長く、そのサイドビューは欧州的でスマートな印象があった。新製配置は宮原機関区、EF60 500番代登場までは、寝台特急「あさかぜ」の牽引実績もあるが、1969年に広島機関区に転属。下り急行「しろやま」「屋久島」、上り「阿蘇」等、限定的に急行列車牽引に充当されものの、主たる仕業は小荷物列車と貨物列車であった。晩年は、荷31列車・同38列車等の先頭に立ち、浜松~下関間でその姿が見られたが、この1号機は1984年に廃車となっている。  EF61 1〔広〕 東海道本線 新大阪 '80.4.12 P:中司純一

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1994年に廃止された野上電気鉄道で、最後まで活躍した車輌の1つ。1951年製造の富山地方鉄道5010形を、1975年に譲受した12m級小型車で、デ10形と称した。
11~13号が存在したが、晩年まで活躍したのは11号及び13号であった。 '93.11.16 日方 P:中司純一


阪急電鉄 3077F

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阪急の表示幕未改造車で、最後まで営業運転に就いた編成。晩年は4連で伊丹線で活躍し、2014年2月24日に廃車回送された。梅田寄先頭車は3077号ながら、電動車は3100系で、編成順序は、3077-3611-2076-3100。3076Fと3150Fとの間の複雑な編成替を経て構成された編成であった。  '14.1.3 阪急電鉄 伊丹線 稲野-塚口 P:中司純一

EF65 516

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1965年9月、日本車輌名古屋工場製、電装は富士電機。新製配置は東京区。EF65の高速貨物用として登場、東京区では慣らし運転後、ブルートレインを牽引した。翌年、4月に吹田二区に転属し本格的な高速貨物運用に就くが、EF66の登場によりその存在意義がうすれ、一般型と共通で使用されるようになった。以後、新鶴見区→吹田二→沼津区と転属するも東海道・山陽筋で活躍していたが、1986年に高崎二区に転属、以後、JR貨物に継承されるも、高崎区(高崎二区改称)は動かず活躍を続け、1998年12月に廃車となった。写真は大船工場、品川客車区の入出場、試運転列車(品川ー来宮ー品川、貨物線)で慣らし運転中の場面。 東海道本線 大船 '65.9.15 P:髙澤一昭

415系 K533編成

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国鉄時代末期の1986年2月に211系の車体・台車に415系鋼製車の電装品を組み合わせた415系1500番代が登場した。K533編成は1988年12月に製造された 上野・小山寄り クハ411-1623 モハ414-1523+モハ415-1523 クハ411-1523 原ノ町寄りから成る勝田車両センター所属車である。長らく常磐線上野口中距離電車として運用された後、2007年3月ダイヤ改正にてE531系化により上野口を追われ友部−原ノ町(常磐線)と水戸線に活躍の場を移した。しかし2014年12月より増備が再開されたE531系附属編成により余剰となり、2015年6月23日郡山総合車両センターに廃車回送された。 '08.9.7 常磐線 いわき P:楢井勝行

EF65 1041

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EF65PF型のうち、昭和46年本債務予算での製造ロットに属し、その中で最後まで国鉄色で残った機。1972年東洋電機・汽車会社製造。PS17型パンタ、スノープラウを装備し、ナンバーが切抜文字であるなど、PF初期車の雰囲気を色濃く残した機であったため、晩年は「トシイチ」の愛称で、ファンの注目を集めた。新製配置は宇都宮運転所、その後田端区、新鶴見区。JR貨物機となり、新鶴見区から高崎区へ。晩年は岡山区にあって山陽・四国方面で活躍したが、PF機配置の新鶴見区統合化に伴い、再度新鶴見区に戻り、2011年6月に運用離脱、2012年9月に同区で解体された。 山陽本線 須磨海浜公園-須磨 '11.4.10 P:中司純一

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サハ45007

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1930年に製造開始された32系国電のサロとして1931年に誕生。12輌のうち4扉化をまぬかれた5輌は誕生以来の横須賀線でサロとして活躍ののち、サハ化されて身延線に移ったが、形式をサハに書き換えただけで番号は変わらず、座席などもサロ時代から変更されていない。写真は大糸線に移り、スカイブルー塗装で活躍していた最末期のころで、運よくこの車輌が来ると元サロのゆったりとしたクロスシートでずいぶん得をした気になった。昭和初期の鋼製車としては異例といえる50年の長寿を全うし、1981年に全車廃車されて形式消滅。 '79.12.29 松本 P:小西和之

阪急電鉄 2300系 2313F

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先輩格2000系の京都線版で、1960年から1967年にかけて製造された。1961年、2000系とともに、第1回ローレル賞を受賞している。晩年は7輌編成で、京都本線の準急・普通、千里線の普通運用に就いていたが、2015年3月22日、写真の2313Fによる記念列車の運転を最後に、2300系の現役車輌は消滅した。最後まで、本線の優等列車(準急)として運用されたことは、特筆に値しよう。 '15.3.22 阪急電鉄 正雀車庫 P:中司純一

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