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2014年8月アーカイブ

キハ480 1302

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キハ400系、480系は、札幌~稚内間を結ぶ急行「宗谷」「天北」に使用されていた14系客車を置き換え、高速化を図るため、1988年にキハ40系形気動車13輌(キハ40形100番代9輌、キハ48形300番代1輌、1300番代3輌)を急行列車用に改造して誕生した。キハ48 1301~1303(便所なし片運転台)は、1982年新潟鉄工所で製造され札幌・旭川地区で使用された後キハ480 1301~1303に改造されたが、2000年札幌~稚内間を結ぶ急行「宗谷」の特急格上げに伴い余剰となり、学園都市線にキハ48 1331~1333として再改造され使用された。2013年同線が電化されると車籍を抹消され、ミャンマー国鉄に譲渡された。 '90.8 新旭川 P:佐々木裕治

489系 H01編成

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ボンネット・AU12キノコ型クーラー・そして国鉄色、JR西日本489系H01~H03編成による奇跡のような光景が2010年3月定期「能登」廃止まで首都圏でも毎日見ることが出来た。写真はATS-P装備を活かして臨時「はくたか」代走に充当された489系H01編成。偶然見かけたその勇姿に鉄道ファンは歓喜した。しかし681系が故障し急遽の代走、指定号車の変更案内や目的地到着時間の遅れ予想がアナウンスされていた。乗客にすれば迷惑な出来事であったと思われる。H01編成は定期「能登」廃止後、2011年3月までは臨時列車などで運用、2012年5月廃車となった。 '08.1.5 上越線 越後湯沢 P:楢井勝行

クモハ781-901(781系)

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1975年7月、485系1500番代により北海道初の電車特急「いしかり」が札幌~旭川間で運転を開始したが、北海道特有の乾燥した細かい雪の影響で頻繁に故障が発生し、冬季間運休に追い込まれた。これを解決するために開発されたのが781系で、1978年国鉄初の交流専用型特急電車として試作車1編成6輌が誕生した。試作車の外観上の特徴は、非常開閉窓で、結露の問題から後に固定窓化された。1980年には量産車6輌編成7編成が新製され、旭川~札幌~室蘭間で特急「ライラック」として使用された。その後は短編成化され、国鉄分割民営化時に4輌編成12本がJR北海道へ引き継がれたが、老朽化・陳腐化が進み、2007年10月ダイヤ改正で789系1000が投入され、781系は全編成定期運用を終え同年廃車された。

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1973年キハ27形を改造した北海道初の座敷車キロ29形が、国鉄初の和式気動車として誕生した。主な改造は座敷構造への変更のみで、キロ29 1~3の3輌が旭川・苗穂・五稜郭の各工場で施工され、「くつろぎ 」の愛称で団体専用列車や定期急行列車に増結され運行された。さらに1984年、キハ56形を改造した座敷車キロ59 1~2の2輌が苗穂工場で改造され登場した。この時、クリーム1号の地に赤2号の模様を入れた塗装に変更し、キロ29形も同色に塗り替えられた。また、各車に北海道の湖にちなんだ愛称(キロ59 1:大沼、 キロ59 2:洞爺、 キロ29 1:支笏、 キロ29 2:摩周、 キロ29 3:サロマ)が付けられた。国鉄分割民営化後も全車が引き継がれ、もえぎ色を使用した塗装に変更され活躍したが、老朽化により1997年までに全車廃車された。 '87.1 苗穂 P:佐々木裕治

キサロハ182-554

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1991年日立製作所笠戸事業所で製作された「スーパーとかち」用の2階建付属車。1階部分に2人用個室5室、2階にグリーン車が設けられていた。2000年3月ダイヤ改正まで「スーパーとかち」に使用された他、後年はHET色に変更され「おおぞら」にも使用された。2001年7月ダイヤ改正で運用を外れ、長らく保留車として釧路運輸車両所に留置されていたが、2013年12月廃車された。 '91.8 札幌運転所 P:佐々木裕治

クハ481-347

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1976年5月青森運転所に新製配備、1987年7月南秋田運転所に転属、1992年7月青森運転所に戻る。2003年3月上沼垂運転所に転属、国鉄色のまま夜行快速「ムーンライトえちご」用K2編成6号車(赤い座席のレディースカー)になった。写真は間合い運用の快速「フェアウェイ」、6号車も一般指定席となっている。2009年3月に「ムーンライトえちご」は臨時化、2010年3月~2012年2月は臨時夜行急行「能登」のレディースカー、2012年3月~2014年4月は再度臨時「ムーンライトえちご」で運用されたが、2014年6月上旬長野総合車両センターに回送され廃車となった。 '08.3.30 黒磯 P:楢井勝行

クハ481-351

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1976年5月クハ481-300番代最終増備車として新製、青森運転所に配備される。1992年7月南秋田運転所に転属、その後1997年3月上沼垂運転所に転属する。2006年5月からは6連化された快速「くびき野」に、T16編成6号車として投入された。写真は快速「くびき野」3号の送り込みとなる直江津発新井行き普通列車である。老朽化により2014年4月中旬、廃車となった。 '09.1.15 信越本線 直江津 P:楢井勝行

クロハ481-1030

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485系の新製最終形態である1000番代、秋田運転区ではサロサシ付き12輌の長大編成が「つばさ」「やまばと」「いなほ」で運用された。1982年11月東北新幹線開業によりサロ込み9輌編成が「つばさ」「やまばと(1985年3月消滅)」「あいづ」、モノクラス6輌編成が「たざわ」「はつかり」となった。1986年4月からはクロハ481-1000とクモハ485-1000の改造により短編成化が進み、堂々とした485系1000番代編成は過去の姿となった。1979年6月クハ481-1041が485系1000番代最終増備車として新製、秋田運転区に配備された。1992年7月青森運転所に転属、1993年11月半室グリーン席のクロハ481-1030に改造された。2003年3月上沼垂運転所に転属、K2編成1号車となり「ムーンライトえちご」で活躍するも、2014年6月廃車となった。 '08.3.30 東北本線 黒磯 P:楢井勝行

クモハユ74001

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1969年にクモハ74001として改造された車輌で、他の2輌に構造を合わせた改造後の姿である。郵便室部分の窓が埋められたが、種車のモハ72の面影は残っている。行先幕は「三鷹」となっているが実際には隣の両国駅止りでに新聞類を積んで「千葉」駅まで4連で運転後に房総各地に分かれて走っていた。 '69.6 大崎 P:中静政信

EF58 35

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EF58は、戦後の旅客輸送を支える切り札として昭和21~33年にかけて172輌が製造された。初期型は箱型車体で、品質が悪く故障が頻発したが、製造期間の途上で品質改善が図られていった。EF58 35は、1949年に東芝府中工場で製造がはじまりデッキ付の初期型として完成する予定だったが未完成のまま放置され、その後流線型車体の改良型EF58形として1952年3月竣工した。その際、半完成していた旧型車体の両端を切断して流線形の前頭部を接合した。完全新製の流線型車体の側面窓は5枚だが旧車体は7枚で、35・36号機は側面窓が7枚窓の異形車体として登場した。晩年は長岡二区に配置され上越線等で活躍したが、1981年6月廃車された。 '80.8 長岡第二運転所 P:佐々木裕治

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1937年8月日立製作所で製造された9600形式(製造番号876)で自社発注機。炭水車はC56のようにバック運転時視界を容易に確保できるよう両側を大きく切り欠いた5-10形を装備していた。僚機9600形No.4(1941年1月日立製作所:製造番号1300))も同様な形態をしていた。1973年大夕張炭山の閉山に伴い南大夕張~大夕張炭山間が廃止され、さらにDL3輌が導入されたため、9600形No.2~No.8の7輌全機が翌年までに廃車された。No.3号機は野幌にある個人宅に保存された。 '74.5.3 野幌 P:佐々木裕治

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1983年に登場した12系客車改造の和式6輌編成で、国鉄高崎管理局(現在の高崎支社)が保有していた。登場当時の外観塗装は青を基調に太い白帯であったが、1987年にぶどう色を基調に白帯・窓回りには金色塗装に、それに合わせてEF64 1001号機を牽引指定機としてぶどう色と白帯に変更された。その後老朽化により1999年9月にD51 498牽引によるさよなら運転が行われた。 '98.6.8 八高線 明覚-越生 P:長岡行夫

115系 長ナノN22編成

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立川寄り クモハ115-1081 モハ114-1187 クハ115-1228 直江津寄り からなる長野総合車両センター所属車。大糸線に残る旧型国電置き換え用として1981年7月新製、松本運転所北松本支所に配備された。その後所属先が 松本→長野→松本→長野 と変わった。長きに渡り中央東線・篠ノ井線・信越本線などで活躍するが、長野地区向けに改造された211系3連車に置き換えられ2014年3月廃車となった。 '09.1.15 篠ノ井線 姨捨 P:楢井勝行

サロ113-1006

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1973年から74年にかけて横須賀線・総武快速線用として17輌製作されたが、定員が48名と少なく乗客の不評を買い、全車関西地区に転属の上、湘南色化された。1980年の関西地区のグリーン車廃止に伴い、再度関東地区に戻ってきて順次スカ色に変更された。写真の車輌は所属区が書かれていない。1997年から98年にかけて全車廃車となった。 '81.4.4 錦糸町 P:中静政信

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1941年(昭和16年)7月川崎車輛(製造番号2530)で製造された自社発注機。軸配置1D、重量55.75t、全長16,563 mm、動輪径1,260mm、炭水車15.24t、幅2,616mm、高さ3,885mm、国鉄9600形式と同形で、9600形式としては最後に製作された機関車。1975年3月夕張鉄道が廃止されまで在籍し、晩年はもっぱら平和坑での入換えや平和駅から栗山方面に向かう石炭列車の後部補機に使用されていた。補機仕業では、平和駅を発車しサミットの第三隧道手前の46.5㎞地点で走行解放しバック運転で平和駅に戻るため、連結器解除用のテコを装備している。現在、栗山町の栗山公園に保存されている。 '73.8.14 平和-錦沢 P:佐々木裕治

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