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2012年10月アーカイブ

南海電鉄上町線 モ103

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高校のころ通学に乗っていた南海上町線のモ101形です。ツーというホイッスルと足踏みベルを併用してまだ煉瓦舗装の残っていた阿倍野筋をBrill77E1を軋ませて堂々と走っていました。下部の救命ネットは現在の地下鉄に着けれは人身事故の救命率があがるのでは? 車内の天井を走っている紐を引っ張ると運転手に降車を知らせてくれました。中央扉は発車時外からガチャンと鍵がかかったので未だ手動だったのでしょうか? 車体外板の羽目板や窓の鎧戸、車内天井の太い梁とモニターから漏れる外光は、夜間のシャンデリア風白熱灯とともに佳き時代の風情でした。 '61年夏頃 大阪市阿倍野区姫松 P: 飯田 勝

キハ25 1

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キハ20系の片運転台車輌で、地味な存在ではあったが、キハ55系同様に近代的な車両構造を取り入れた。先輩格のキハ17系を淘汰する前に、キハ40・47が登場して、JRには引き継がれていない。 '70.4 芸備線 三次 P:清原正明

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1989年に大阪~浜坂を福知山線経由誕生した特急列車。電車特急の「北近畿」を非電化区間に延長する形で登場した。種車はキハ65形であるため、最高速度は95km/hである。この車輌はそれまでの「エーデル丹後」や「エーデル鳥取」のように485系などの電車との連結はできない。「エーデル北近畿」として運用が終了した後は、急行「だいせん」として運転されたが、2004年10月のダイヤ改正で「だいせん」が廃止され、後にこの車輌も廃車された。 '92.6.14 山陰本線 鎧-餘部 P:田中博憲

キハ52-156

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キハ52最終号機として1966年製造された。JR西日本に引き継がれ越美北線、大糸線で活躍した。大糸線所属のキハ52は3輌とも2004年に塗装変更されキハ52−156は朱色5号(首都圏色)となった。2010年3月、キハ120に置き換えられ定期運用から外れた。2010年8月、後にいすみ鉄道に譲渡されるキハ52-125と組んで臨時快速「ジオパーク号」で花道を飾った。 '08.3.10 大糸線 糸魚川 P:楢井勝行

キハ35 0番代

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キハ35系気動車は、'61年から製造された通勤型気動車である。形式はキハ35形・キハ36形・キハ30形で本系列の中核となるキハ35形は258輌製作された。片運転台・便所付きで0番代・500番代・900番代が設定され、温暖地向けの一般形である0番代は、最も多い217輌が製造され活躍したが、老朽化や電化に伴い'90年代半ば('96年12月)には全てが廃車となった。 '87.3 東飯能-高麗川 P:長岡 行夫

キハ28-2380 ・キハ28-2318

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前方のキハ28-2380は1964年12月に新製、水戸に配備された。その後、真岡、山形、新庄を経て1993年12月小牛田運輸区に転属となった。屋根上に常磐線列車防護無線を装備していたためクーラーの間隔が一部偏っている。後方のキハ28-2318は1963年9月に新製、和歌山に配備された。1980年10月水戸に移籍、その後、真岡、山形、新庄を経て1993年12月小牛田運輸区に転属となった。両車とも1991年「月山」用にアコモ改造(側面行先表示の取付、リクライニングシート化)されている。小牛田に転属後は主に快速「南三陸」指定席車として運用された。2007年6月キハ110系に置き換えられ保留車となり2009年1月廃車となった。 '08.1.14 東北本線 小牛田運輸区 P:楢井勝行

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