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2011年12月アーカイブ

79667

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1926年汽車会社製、昭和生まれのキューロクの一輌。戦前は上諏訪機関区に所属、戦後すぐに野付牛(北見)機関区に転属、以後一貫して同区に所属1974年12月に廃車となる。正面のナンバーは形式入りでローマン体の数字の格調高いもの、テンダーはキャブ側に覆いが付いて、炭庫がやや小さく、手すりの付いた変型である。 '73.3 北見 P:吉葉富雄

203系

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'82年から登場。常磐(緩行)線と営団(現・東京)地下鉄千代田線との相互直運転用として活躍。それ以前に使用の103系1000代が抵抗制御車故の地下線内排熱問題等と、非冷房車両故の地上区間でのサービス向上を兼ね、当時、新形式として製造の201系のシステムを、サイリスタチョッパ方式に、車体を301系以来のオールアルミ車体に改良して登場。'82年に第一編成が登場し、各種試験に供された後、'84年2月以降、103系1000代車両の他線区転用計画の捻出用に第2~8編成が登場。この時は201系と類似の足回り(DT46A=踏面片押し式、TR234=踏面両抱き式ブレーキ)、主電動機をMT60(150kw)ながら歯車比を地下線内急勾配対策で高く(1:6.07)に。性能はサイリスタチョッパ(CH1A)、回生制動併用電磁直通式。運転仕様は営団との協定上、縦動式のMC54B、ME41Aを採用していた。'85年以降も増備の際、当時登場の205系に準じた足回り(DT50、TR235=ボルスタレス式)が改良され、番代も-100番代となった(9編成)。常磐緩行線用として、取手~綾瀬~代々木上原間で活躍。'11年9月末で運用離脱した。 '88.5.2 常磐線 亀有 P:梶村昭仁

近畿日本鉄道 デ37

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吉野鉄道1~3号機で、1924~1925年
に輸入されたブラウン・ボベリー製の電気機関車。1500V、直接制御。吉野鉄道が近鉄となった際にデ3~5に改番、南大阪線、吉野線で貨物列車を牽引していただ、名古屋線改軌を機に標準軌、間接制御に改造デ81~83に改番、その後デ35~37に改番され、主に工事用列車を牽引していたが、1976年に全車が廃車された。 '73.8.10 名張 P:浅野 治

C57 199

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1947年、三菱重工製。四次型。熊本、長崎、早岐、鹿児島、大分と九州内で活躍し、1967年より宮崎機関区に配置、日豊本線延岡~西鹿児島間で貨客の運用についた。四次型では196号機とともに最後まで生きて、1974年6月20日に廃車となっている。 '73.12 宮崎機関区 P:吉葉富雄

クハ411-523

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交直流用近郊型電車、415系の制御付随車。この内、'82年1月に登場の-500番代は、近郊型初の車内オールロングシート(WC対面部は枕木方向に座席配置)として登場。車内は201系以降、標準色となったクリーム系デコラ板にブラウン+ヘーゼルナッツのモケット色を採用。車体幅を除けば、'81年登場の105系電車の車内と類似点が多かった。写真の-500代が奇数向き、反対側は-600代で偶数向き車輌として製造。車体の特徴として、この番代から屋根上通風器が201系等と同様の箱型押込み式となった。また製造当初は側行先字幕は準備工事で幕板中央部にサボ挿し式を使用していた。写真の-523は'85年1月の日立製で、登場直後のショット。廃車は'07年10月で、終始常磐線中距離運用で活躍していた。 '85.2.18 上野 P:梶村昭仁

8000系初期型車

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東武鉄道は輸送力強化のため8000系を登場させた。登場時はライト、窓が丸く特徴的だったが昭和61年に8000系を修繕工事をし6050系に準じた顔となった。初期型車は新型車輌に置き換えられ、最終的には東上線に1輌のみ残ったが2011年6月30日を最後に営業運転を終了した。写真はイベント時に撮影した8000系初期型車。 '11.12.4 東武鉄道南栗橋車両管区 P:植木雅斗

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