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2010年3月アーカイブ

伊豆箱根鉄道 1000系

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1000系車輌といっても伊豆箱根鉄道オリジナルでなく、西武鉄道の501系を'75~'79年に掛け譲渡された編成で、オリジナル編成からの連番となりモハ1009~の付番となっていた。3編成9輌の陣容で、編成はMc・T・Mcの2M1T。外観や車内はさほど西武時代と変らず運用。譲渡後、Mc車の台車が旧型国電の廃車発生品である、DT10・DT17・DT20型台車等を履いていた他、第3編成となる、モハ1013+サハ2008+モハ1014は、導入一時期に3000系車輌のブレーキ装置品の試験の一環から、電気指令式制動装置の試験運用を実施していたことがあった。吊掛式及び非冷房とあって、西武の701系の廃車が始まった事もあり、それらとの置換えられ、'87~'90年に廃車、消滅。 '89.3.30 駿豆線 三島二日町─大場 P:梶村 昭仁

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1988(昭和63)年にキハ65形とキハ28形を改造して誕生した欧風グリーン車3輌編成。JR西日本金沢総合車両所所属。大阪と和倉温泉を結ぶ485系雷鳥と併結し運転された「ゆぅトピア和倉」の2号機として誕生。実際には団体臨時列車の運用が多かったとか。先頭のハイデッカー展望席や中間車のサロン、カラオケやモニターテレビなどの音響機器など設備が充実していた。2006年11月臨時列車「ありがとうアストル」の運転をもって引退、廃車となった。 '06.11.5 高山本線 猪谷 P:宮島昌之

タキ1500形15551

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タキ1500形はガソリンを除く石油類輸送用に製造されたタンク車で、製造初年が1947年と古いことからストレートのタンクをもつ。JR化後も少数が生き残ったものの、老朽化と容量の大きい異径胴タンク車の増備に押し出されて2002年に形式消滅した。写真は日本石油輸送所有の燃31専用タキ15551で、沼垂駅常備ながらタキ35000形に挟まれて蘇我─東武鉄道・北館林荷扱い所間に運用されていたときのもの。本形式の最末期の姿で、タンク体の塗装劣化が目立つ。 '00.10.30 総武本線 市川 P:小西和之

EF70 1007

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EF70形二次車の内の22~28号機を、1968年10月のダイヤ改正時からの20系寝台客車牽引に向けて高速対応改造したものであり、本機は元28号機で1000番代の最終車である。改造内容は、応速度増圧ブレーキと電磁ブレーキ制御装置及び引き通し線回路の増設、連絡電話回路の増設であり、一般車との外観上の差異は、元空気溜め管・ジャンパ連結器の追加と前面ナンバープレートのブロック化である。特急牽引をEF81形に譲った後は、九州に渡って再度特急牽引に返り咲くこともなく1986年3月に廃車となった。 '74.11.3 越前花堂 P:長谷川武利

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'68年に製造の西武鉄道801系を自出とする車輌。従来在籍していた501系譲渡車の1200系が、吊掛け、非冷房に加え、老朽化も進行して居たため、冷房付きの代替車として'97年廃車になったクハ1809+モハ809+モハ810+クハ1810のうち、モハ809にクハ1809の運転台を接合改造し3輌編成化。西武所沢車両工場で改造後の'97年10月に、二代目「流馬」として空色+白帯+Nストライプカラーで登場した。性能、車内は西武時代と変らず。801系で唯一制御車(クハ1801形)として譲渡されたクハ22の台車がオリジナルのFS067から、701系が履いていたFS072に交換されたことくらい。これは前後で譲渡を受けていた701系との仕様統一化の一環のための処置。'06年以降3輌編成の運用が減少する等により'07年11月の運用を以て引退、消滅した。 '03.10.16 幸谷─小金城趾 P:梶村昭仁

EF63 15

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このEF63機関車は信越本線の碓氷峠用補機として1963年にデビューし、従来はアプト式で運行していた横川・軽井沢間は路線変更も行った上で、アプト式の廃止と所要時間短縮を図った直流電気機関車である。製造車輌数は25輌で、すべて横川運転区に所属し運用は2輌ペアであったが、長野新幹線開通に伴い横川─軽井沢間の鉄道廃止に伴い運用はなくなった。EF63 15は'63年3月東芝製。'98年5月廃車。 '89.12 信越本線 横川─軽井沢 P:長岡行夫

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この車輌はキハ28・58形気動車を改造した3輌編成で1988年に登場した。車輌の先頭車が魚の顔のように作られ、口が開閉するユニークな構造が特徴であったが、2003年に廃車となった。 '90.8.14 山陰本線 宇田郷─須佐 P:長岡行夫

名古屋鉄道7000系

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言わずと知れた、前面展望電車のはしりである7000系。'61~'75年までの14年間、九次にわたり製造された、名鉄を代表する車輌。運転台を二階に上げ、その分客室を最前部にまで伸ばし、走る列車から前面を眺められるように、という夢と願いを具現化したスタイル。前面展望のみならず側窓も連続性を持たせたものを採用。これら功績が称えられ、鉄道と友の会ブルーリボン賞を受賞している。性能は'59年登場の5500系が規範となっており、屋上(冷房装置も)・床下機器等はほぼ同一。台車は5500系のコイルサスから車体直結式ベローズ方式エアサス台車採用。その後、増備の際に編成のみならず先頭車・中間車と細かく続き、最終(九次車)は、側引扉に1300mm開口幅の両開式を採用。優等列車から普通列車までオールマイテイに活躍。また、一部を除き、ほぼ全線で運用。主力として活躍するも旅客増から二扉クロスシート車が年々嫌われるようになり、更新は実施したものの、老朽化等も相まって廃車が始まり、最終的に'08年12月ダイヤ改正を以て定期運用を離脱。イベント等に残って居た編成が'09年09月で廃車となり、このエポックメイキングな同車は舞木検査場の静態保存車(モ7001とモ7002)を除いて消滅した。 '07.11.19  呼続─桜 P:梶村昭仁

12系800番代「江戸」

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国鉄時代の1986年に12系客車を改造した6輌編成の列車で、東京支社が保有し、2000年に老朽化に伴い廃車された。 '88.3 川越線 川越電車区 P:長岡行夫

クハ77-006

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クハ77形式は、1968年の両毛線電化用70系の先頭車不足を補うために80系の2等車サロ85形式を改造して誕生したもので、1,2位に運転室と出入り扉、車体中央に出入り扉を設置して3扉車となり70系に編入された。クハ77-006は、サロ85-030(1956年製作,モハ80-200代に相当)を種車としており、クハ77形式中唯一の下降窓車であった。115系導入により1978年に廃車となった。 '74.11.15 吾妻線 岩島 P:長谷川武利

クモハ84001

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1988年に瀬戸大橋線の開通に伴い、盲腸線となってしまう宇野線 茶屋町─宇野間の区間運用に使用するため、大阪地区で使用の後、余剰となっていたクモニ83を種車に改造され、岡山区に配置された車輌。車体は改造費用を低減するため、荷物ドアを利用した前後非対称の独特のスタイルであった。宇野線・瀬戸大橋線(児島まで)で単行、2輌編成などで使用され、1995年6月にクモハ123に置き換えられ、廃車された。クモハ84001はモハ63434として製造の後、モハ72098を経て、クモニ83005から改造された。 '89.3 瀬戸大橋線 児島 P:角中武大

東急 デハ3300形

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この電車は明治末期から大正初期に目黒蒲田電鉄並びに池上電鉄が譲渡された木造車を昭和12年から15年にかけて、半鋼体化改造したものである。池上線で活躍したが昭和50年7月末で引退した。 '75.7 池上線 旗の台 P:永野晴樹

ED5010形 ED5013~15

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ED5010形はED50000を基本に日立製作所で1957年より製造され、12~15号が東上線用として坂戸機関区へ配置された。機関車運用は主にセメント工場への原料及び製品の輸送であったが、貨物輸送の削減により84~86年にすべて廃止となった。尚杉戸機関区(東武線)配置機関車も87年に廃止となり形式消滅した。 '82.5 坂戸機関区 P:長岡行夫

遠州鉄道 モハ35+クハ87

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遠州鉄道の主力形式だった、30系のうち、電動車モハ35は'66年06月日車製。制御車クハ87は'62年02月日車製。元々、互いに異なる車輌と編成を組んでおり、モハ35の方は30系新車としては最後の片開扉車として製造。ND507トーションバー台車等、遠鉄の特徴が出ている車輌であったが、クハ87は元々モハ37と組んでいた機器流用の更新車。車体は同形態ながら、元クハ52から流用のTR11系台車を履いていたほか、車体装備も製造年月の違いから異なる部分(車体側字幕が巻取式か札差込式、前面字幕の有無、アンチクライマの大きさが異なるなど)があった。この編成は'72年から組んでおり、それまのモハ35は特定の連結相手がいない増結用途であった。'81年にクハ87の台車がND306エアサス式に換装され、片やコイル式、エアサス式と異なる仕様となり、ラッシュ時等の車体の沈み込み具合に差が出るなど特徴があった。他編成同様冷改などのサービス向上が図られたものの、新形式車と代替して'96年12月に引退、消滅。 '87.8 西鹿島線 自動車学校前─遠州上島 P:梶村昭仁

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'68年の都市交通審議会答申第10号を受けて計画、建設された都営地下鉄10号線(=新宿線)用として製造された車輌。このうち、'78年12月東大島~岩本町間に1次車(東急製50輌)、'80年3月岩本町~新宿間開業時に2次車(日車製54両)としてこのグループ108両が製造。車体はスキンステンレス製20m四扉。制御付随車を先頭とした4M2Tで登場。また京王帝都との相互乗入の為、1372mm軌間の採用となった。路線識別カラーはリーフグリーン(萌黄色)を採用。性能は電機子チョッパ制御、回生制動付電気指令式、ワンハンドルマスコンは乗入相手の京王と仕様が合せられている。この次車は側窓二段式が特徴。新宿線内は車内信号機のATCだが、京王線内はATSの為、二方式の保安装置を搭載。台車は円筒案内式エアサス式。'86年と'88年にそれぞれ3次、5次車2輌を組込んで8輌化。増備車はオールステンレス車体の一段下降式窓となったため、編成のバランスが合わないものとなった。冷準で製造も後に冷房搭載。新宿線ATCの更新と車体の老朽化を理由にこの次車は廃車となり、'05~'06年に消滅。 '05.8.1 明大前~京王下高井戸 P:梶村昭仁

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