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2009年8月アーカイブ

小田急2600形

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小田急2600形は、昭和39年に登場した、小田急初の車体幅2900㎜で20m4扉を持つ大型車輌で回生ブレーキを装備し、2400形HE車に対しNHE車と言われた、当初は5輌編成で登場し、後にサハが組み込まれ6輌編成になった、昭和58年までは他形式と混結しない単独運用で各停が多かったが、混結で急行運転も使用され、また8輌編成に改編されたりした、平成12年に3000系が登場すると運用を離脱がはじまり、平成16年に引退した。 '79.7 柿生 P:深山剛志

キハ59

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1985年(昭和60年)、苗穂工場においてキハ56系を改造して誕生したリゾート列車。気動車によるジョイフルトレインの先駆的役割を果たした。千歳空港からのスキー客を石勝線沿線に建設されたリゾートホテルへ輸送するため、ホテルが列車を借り切り営業収入を保証する条件で、国鉄とホテルの提携によって改造された。3両編成で登場、両端の車両は展望車両、翌年中間車1両が増備された。内装はホテルのラウンジを思わせる高級感のあるもので、塗色はホテルのイメージカラーのダークブラウンの地色に正面はゴールドとされ、シックで高級感のある外観は、鉄道車両では例のないもので、利用者のみならず沿線住民にも好評であった。最高速度は95km/h、金属バネ台車で乗り心地が悪く、老朽化を理由に1995年に廃車された。 '89.2 苗穂-白石 P:佐々木裕治

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'59年から製造されて居る1000形のうち、'63年から製造された三次車に相当する車輌から若干のマイナーチェンジが実施された。このため、番号が、1101~(~1242までの)付番となった。編成が当初から旅客増の対応用として6輌固定編成で登場。スタイルは61年登場二次車同様に前面貫通式スタイルを採用。また編成の組成方法を変更し、従来のMc+M'背中合わせユニット方式から、先頭車もパンタ付車としたM'+M2両ユニット方式とし、編成の組替を容易にした。当初は全車非冷房で登場、'76~'83年の長期に渡り冷改。搭載冷房装置は、分散式となっており、8500kcai/hが4台搭載。1101~1130が三次車、1131~1242が四次車('64~'68年製)にあたる。主力として活躍するも、新形式車の相次ぐ増備と老朽化により順次引退し、この次車は'05年までに引退。 '88.9.13 北品川~新馬場 P:梶村昭仁

西日本鉄道 1300系

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19歳の誕生日に夜行急行雲海に乗って博多に行った。この1300系は大牟田線の特急列車増発用として1961年に4輌編成2本が製造された。新たに製造された中間電動車2両と、600系から改造された制御車2両からなる。中間車1302.1303は車体・台車とも完全な新製で塗装の色の違いや、窓サッシの大きさの違いからも伺える、側扉は片開き2扉、側面窓は二段上昇窓。製造当初は特急用として使用されたが、2000系の製造により特急運用を離脱し、塗装をアイスグリーン地に赤帯(ボンレッド)の塗色に改められた上で一般車輌に格下げされた。しかし先頭車が半鋼製の狭窓車体であることから3扉化が困難なため2扉のままで、座席もロングシートを増設した以外はクロスシートのままであった。また先頭車の車体構造上、冷房化改造も実施されなかった。このため1985年大牟田線の営業用稼働車両の全面冷房化を実施した際に運用から外された。構造上、宮地岳線への転用改造もできず、1986年に廃車となった。 '79.11.26 福岡天神 P:松本卓彦

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