鉄道ホビダス

2008年12月アーカイブ

キハ12 19(釧イケ)

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キハ12形は旧形式キハ48200として1956年に誕生。二重窓や客室・デッキ間の仕切りなど北海道向け気動車の礎をなすも、翌年以降キハ21・キハ22形の量産に移行したため、製造輌数は22輌にとどまる。晩年は池田機関区に残り広尾線や士幌線などで使われたが、キハ40形の増備により1980年に姿を消した。写真のようにキハ56形と連結されていると、10系気動車の狭い断面がより強調されて見える。 '80.1.14 帯広運転区 P:大沢敏文

名古屋鉄道 モ700形 (703)

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初代名古屋鉄道デセホ700形として1927(昭和2)年に10輌製造された。同社初の半鋼製車である。また、同年11月の昭和天皇犬山行幸の際、デセホ707と他1両が貴賓車SCⅢと共にお召列車の大役を果たしたことは特筆すべきであろう。瓜二つの弟分モ750形との見分け方は車体の裾部の形状で、凹凸が深い方がモ700形である。当初西部線の主力として活躍したが、同線昇圧後は600v各線を転々とし、各務原線昇圧時までに7輌が他社への売却や廃車となっている。残る3輌が瀬戸線での活躍を経たのち、モ704が1973(昭和48)年に、残る2輌も1978(昭和53)年に揖斐・谷汲線へ転属、主にク2320形を従え揖斐線内のローカル列車や谷汲線の多客時輸送に従事した。モ702がモ755の事故復旧用部品供出のため1992(平成4)年に廃車、残る2両も1998(平成10)年のモ780形増備時に引退した。写真は当時1本設定されていた夕方の急行運用に就くモ703。 名古屋鉄道揖斐線 黒野-相羽 '97.3.27 P:古川泰典

京阪電鉄 1929-1930編成

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2008年12月20日、京阪1900系がついに引退した。旧1810系としてのデビューから52年、総勢45輌のうち最後まで活躍したのは5連x2編成の10輌であった。最終日のさよなら運転では、2編成とも「臨時特急」として京阪間を快走し、非常に多くのファンの見送りを受けた。中でも、特急色に復元されて引退を迎えた1929-1930編成(写真は同編成の約25年前の姿。編成は引退時と異なる4連)は、今回に限り前面に「原型」を思わせる装飾(幌枠・幌吊・ドアノブ・窓枠など)が行なわれてひときわ大きな注目を集めた。大きく括れば3度の改造を受けた同系(2扉特急車から3扉通勤車へ、そして昇圧準備工事、さらには冷房改造)であるが、今回の「原型ふう」装飾は、この写真の時代のものに近い(幌枠・幌吊・Hゴム等の色のイメージが近い)と個人的には感じた。1900系としてのデビュー直後、今は亡き祖父に背負われて「赤い特急」として疾走する姿に強烈な印象を受けて以来四十数年間、数え切れないほど乗車し、撮影した車輛の引退に、大きな拍手を送りたい。 '82年 八幡市 P:清水祥史

モハ112-224

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113系直流近郊型の中間電動車。モハ112形は主に高圧補助機器(MG・CP等)を搭載するため、非冷房車床下はスッキリ感。この車輌'68年12月、大阪東急車輛(=旧帝国車輛)製。昭和43年度本予算製造車両(-218~-232)の1両で新製配置は大船区。前年度からの改良として、関ヶ原地区を始めとした降積雪区間へ運用拡大に伴い、屋根上通風器を従来の煙突式に替え、115系で御馴染の押込式に。M'車には6個(M車=7個)並ぶ。性能上は大きな変化はないが、上述の運用区間拡大により、主電動機が絶縁・機密性向上型MT54Bに、当該製造車から測重弁式応荷重装置の取付準備対応用で主制御器がCS12Fに。また客室内のSUS無塗装化(側引扉のSUS化)等、目に付く改良も多かった。なおこの年度を以て、暫く地上線向け車輌製造が一時中断となり、原型0番代最終ロットとなった。-224は'75年以降幕張、津田沼(後に幕張)と房総各線運用に転属し長らくスカ色のまま活躍。'94年5月廃車。 '87.5.20 総武本線 千葉 P:梶村昭仁

高松琴平電鉄 30形

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もと阪神の喫茶店電車と言われた800番代のグループは昭和40年夏に阪神本線の優等列車運用から引退、その中で製造年代が比較的新しい881形は16輌が高松琴平電鉄に転入、当時600Vだった志度線と長尾線に活躍した。後に両線が1500Vに昇圧した際に引退したが、昭和53年に引退した京急の230形が高松琴平電鉄の30形として登場の際には、もと阪神電車のモーターを譲るなど、複雑な台車やモーターのたらい回しが行なわれた。 '75.8 瓦町 P:永野晴樹

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'72年、McTMTc4輌固定編成で名古屋線に登場。2800系冷房車と同時期ながら旧1300・2200形からの機器流用吊掛駆動(150kW)車。非冷房、ラインデリア装備で、車体のみ新製。'80年以降冷改、また'85年以降、高性能カルダン車化と同時に1C8M界磁位相制御・回生制動付の省エネ車に。編成がMcMTTcに。また搭載補助電源装置の都合で1810系ク1924と形式交換。4輌固定故優等運用に多用の関係から'86年、サ1151にWC設置。'98年に運用都合で大阪線2430系のク2546とサ1151・ク1101と車輌交換、以後他1000系3連車と同様に活躍。その後活躍するも大阪線系統への新製車投入の玉突き及び車体老朽化とも相まってモ1001・モ1051が'07年2月に、大阪線2430系(モ2446・モ2466)と編成を組んでいたサ1151・ク1101も翌3月に揃って廃車となり、編成で廃車、消滅。写真は3輌編成でモ1001+モ1051+ク2546の近鉄名古屋行普通で活躍中の晩年の姿。 '02.10.14 名古屋線 箕田-伊勢若松 P:梶村昭仁

ED75 501

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D75 501
1966年(昭和41年)三菱重工で製造された北海道電化のパイオニア。東北地区での性能試験後、先行して建設された手稲~銭函間の試験線で、711系900番代とともに北海道最初の電化に向け各種試験が実施された。小樽~滝川間の電化は昭和43年、翌年旭川まで延伸した。ED75 501は、酷寒地仕様として特別高圧機器の室内への収納や冷却風を床下より取り入れ雪の進入を抑える構造とする等耐寒装備が強化されている。最大の特徴は、サイリスタ移相制御を採用したところ。ED75 500は唯1輌で、量産機は列車暖房のSGを搭載したED76形500番代とされた。本機は、主に岩見沢~旭川間の貨物列車の任にあたっていたが、1987年(昭和62年)に廃車され、現在は小樽市総合博物館に保存されている。 '81.7 奈井江─豊沼 P:佐々木裕治

D51 60

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追分からの石炭列車牽引を終え,暫し休息のD51 60号機。昭和12年8月20日川崎車両製造株式会社で落成,新製配置は追分区,その後旭川区,名寄区,最終配置は岩見沢一区で北海道一筋のカマでした。昭和51年3月1日廃車となり,その後解体されましたが,解体により発生した部品の一部,第3動輪が小樽総合博物館、ロッドの一部があのCC57 135に使われています。現役時代,ナメクジドームの砂撒管基部のカバーがなかったのがわずかな特徴と言えるでしょうか。キャブは密閉タイプでした。 '75.2.9 室蘭機関区 P:中川富士明

近畿日本鉄道 モ1650形

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1959~1966年に名古屋線の主力通勤車として製造された1600系の「増結用Mc車」(クモハ)がモ1650形。1963~1966年に合計9輌が製造され、長く名古屋線で活躍したのちも「増結用Mc車」の機動性が買われ、多彩な車歴を刻むこととなった。まず、総数9輌のうち4輌は、1982年の京都線急行5連運転開始にあたって同線に転属して1990年まで異彩を放ち、その後も全車が救援車・入換車といった事業用車に転用された。また、名古屋線に残った5輌については、1輌が1989年に廃車となったが4輌は冷房改造を受けて1992~1994年まで活躍、さらには養老線(現・養老鉄道)に転属して今なお現役を続けている。写真は京都線で活躍した時代のもの。朝ラッシュ時に4連急行の先頭に途中駅(新田辺)で増結され5連となった急行の先頭に立ち京都駅にやって来たのち、同駅で解放・単車で留置され、別の到着列車(折り返しが車庫のある新田辺どまりとなる列車)の最後部に増結されて車庫に戻る、というユニークな運用も存在した。 '82.7 近鉄京都 P:清水祥史

DD20 2

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1964(昭和39)年汽車会社で製造。1台のエンジンで入換用のDD13形と同等の性能を発揮し、主要部品をDD51形と統一して製造費・重量・保守費の低減を図るべく試作された。本機はDD51形の量産車をもとに製造されており、外形は運転室が中央よりずれているセミ・センターキャブ形で、1号機のL字形と異なる。この形状は、後のDE10形等に引き継がれた。降雪期間はDD53とコンビを組み、DD53形が両エンジンを除雪用として使用した場合、総括制御により推進運転を行う。降雪期間外は入換用として使用できる設計としたが、軸重が重く空転しやすいという問題点があり、量産には至らなかった。1977(昭和52)年にはすで休車状態で、1986(昭和61)年に廃車された。 '78.1 新津 P:佐々木裕治

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京福電鉄福井支社 モハ252
1930年日本車輌製のホデハ11形17であったが、1957年の福井口車庫火災により焼失した。1958年日本車輌に於いて車体を新造し、ホデハ252形252として竣工。1973年にホデハ251形に統合され、後にモハ252となった。モハ251が2000年12月17日に正面衝突事故を起こし、同構造の252も廃車となった。 '00.5.21 東古市 P:佐野 徹

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