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2008年9月アーカイブ

C55 1

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溶接工法の大幅採用、砂箱と蒸気ドームの一体化、補強された美しいスポーク式動輪等国産近代化蒸気の第一号と称されるC55型。1号機は昭和10年新製と同時に小樽築港機関区に配置され、その後下富良野・旭川・室蘭と配属したが終始北海道を離れることはなく、晩年は宗谷本線で活躍した。昭和46年秋鉄道100年の映画撮影のため梅小路に回送されたが、利尻の仕業を失ったC55には余剰があり、動態保存が予定されていたためか旭川に戻ることはなかった。小学校6年の時、機関庫の中でC55のトップナンバーを発見して興奮し、2回目の機関区訪問で撮ったのがこの写真。 '71.1
旭川機関区 P:佐々木裕治

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モハ113-1050

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武本線と東海道・横須賀線との地下新線を介し直通運転計画に基き、地下線乗入対応用とされたのが1000番代。基本番代に加え、当時の旧運輸省A-A基準に則り、車体使用部材の不燃化・難燃化が図られた。この-1050は初期1000代後半に製造で、'72年3月汽車製。昭和46年度第1次債務車予算で製造、大船区に配置。'71年(昭和45年度第1次債務車)製造-1045~から電機機器関係のMF化(メンテナンスフリー)の一環で主制御器内補助接点継電器類の無接点機器(RLS33化等)を図った以降の標準となる制御器CS12G形を採用。写真は主制御器、遮断器が見える2-4位側の通称、山側。この反位側に主抵抗器(ブロワ付MR61形)が吊られる。'80年10月以降、地上線へ転用により国府津区へ。湘南色で活躍。後、東海道地区ATS-P化等に伴う車種統一化で'89年幕張区へスカ色に戻り活躍。'98年5月廃車。なお、同車は汽車会社製として末期の車輌でもあった。 '87.12.30 東京 P:梶村 昭仁

キハユ15 4

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国鉄初の優等気動車キロハ18形を1961年に改造して誕生した2等郵便合造車である。6輌が改造されたが、この4号車を除く5輌はキユニ15へ再改造された。改造されずに四国から出た4号車は前面補強を追加されることなくスッキリした顔のまま関西線を中心に1978年10月まで使用された。 ’75.4.28 和歌山線 隅田 P:長谷川武利

167系

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167系は1965年に165系をベースに修学旅行列車用に製造された系列。乗降頻度が少ないことからドア幅を狭め、新造時は脱着可能な折畳式テーブルを備えていた。当初の塗色は、カナリヤイエローとライトスカーレットの修学旅行色だったが、修学旅行色廃止後に湘南色に変更した。写真は1988年12月。瀬戸大橋線を走るマリンライナーが1時間ヘッドだった頃に、それを補完する形で高松ー岡山間に4連の快速として設定された。急行「鷲羽」が越えることができなかった瀬戸内海を越え、マリンライナーが30分ヘッドになるまでのわずかな期間だけ、国鉄急行型電車が四国を走ったのである。2003年春季臨時大垣夜行での運用を最後に、老朽化のため同年内に全車廃車となった。 '88.12 予讃線 端岡 P:田井 直

国鉄クモハ20 0番代

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国電と言うより、もと阪和電鉄のモタ300形である。昭和4年の部分開業、翌年の天王寺・東和歌山(現和歌山)間の全線開業に際し、200馬力の大出力モーターを装備して登場した。写真の元モタ300はロングシートの3扉車であるが、2扉セミクロスシートのモヨ100形ともども並行する南海本線に対抗して最高速度120km/hの超特急が45分で走破し、当時の日本の鉄道で最高速度記録で合ったことは広く知られている。旧阪和形は昭和42年限りで一部のクハ25を除き廃車となった。しかし旧モヨ100形のうちの2輌は松尾鉱山鉄道に払い下げられ、同鉄道の廃止後は弘南電鉄に転属し、様々な変遷を経て、昭和の時代を生き抜いた。 '66.12 阪和羽衣線 鳳─東羽衣 P:永野晴樹

クロ381形10番代

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JR化後の'88年3月ダイヤ改正時にしなの号の特別車輌(グリーン車)について、中央線沿線の木曽路または信濃路の沿線展望を堪能出来る様にとのコンセプトにより、短編成化によるサロ→クロ化改造の折、3輌残って居たサロ381形の前頭部を展望車(パノラマ)スタイルを採用。0番代と異なり、運転台後部から車体中央部に2人掛リクラニングシートを海山3列配置の特別室構造とし、側引扉、専務車掌室を中央に移動、後半を一般席とした。特別室部分は車体側部に大きな連窓に改造、運転台部はぎ装を組んだ鋼製の運転台ユニット結合とした。前頭部の愛称表示にはLED式を採用した。投入時は速達系しなの号に優先使用。利用増に大きくアッピールする事に。'98年以降383系投入で順次引退(写真の-13は'78年8月川重製、元サロ381-20が種車)、'08年5月までに引退、番代消滅。 '88.5.25 名古屋 P:梶村昭仁

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