鉄道ホビダス

2007年12月アーカイブ

京阪600系(630番台Mc)

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1957年~1958年に、1300形などの増結用Tc(クハ)として10両が製造された1650形がルーツ。数年後には旧型車の機器を流用してMc(クモハ)化のうえ600系の一員となり、1982-1983年まで活躍。写真はこの時代の末期の姿(2輌目・4輌目のオリジナル600系、3輌目の700系からの編入車とは、車体形態が大きく異なっていた)。さらにこのうち6輌は1983年の1500V昇圧に備えて「初代1800系の足回り+当車の車体」という組み合わせで二代目1800系のMc(クモハ)に生まれ変わるという変転を経て 1989年まで活躍した。地味な存在ではあったが、今なお京阪線の通勤車の基本形となっている「両開3扉、緑の濃淡塗装」が初採用されたのはこの形式である。 '82.3 御殿山─牧野 P:清水祥史

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JR東日本が1992年に製作した高速試験用の車輌である。300km/h営業運転に向けての環境対策として「騒音・微気圧波・地盤振動の低減」のために徹底した軽量化と車体平滑化が行われた。東京方952-1~4は、新幹線車両として初の連接構造が採用され、1993年12月には、425km/hの速度記録(当時)を達成した。試験終了後1998年2月に廃車となり、952-1は、鉄道総合技術研究所風洞技術センター(米原)に、953-1,5は仙台車両センターに保存されている。写真は、左が952-1(東京方)、右が953-5(盛岡方)である。 '93年 仙台 P:長谷川武利

ヨ5000

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1959年(昭和34年)に汐留─梅田間で運転されるコンテナ特急「たから号」の緩急車として使用するために、ヨ3500形の軸箱支持装置を2段リンク化改造、最高許容速度85km/hとしたもの。北海道を除く全国で活躍。その後、ヨ5000として新製されたものや、加えてヨ3500から編入されたものもある。 '72.10.29 会津若松 P:中西裕一

DD12 2

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米国ジェネレルエレクトリック社製の、190psのエンジン2基、135kWの発電機2基を搭載し、70kWの電動機4台を駆動する電気式の入換え用機関車である。第二次世界大戦後に占領軍が持ち込んだ8輌の8500形の内の、5輌が1951年に国鉄に払い下げられてDD12形となった。主として東京近郊で使用され、1972年用途停止1974年に廃車された。 '67.3.26 東海道本線 保土ヶ谷 P:長谷川武利

C56 159

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1939(昭和14)年、川崎車輌製。中込機関区で144、149、150とともに小海線の無煙化まで活躍した。小海線無煙化後は七尾区転属し、1974(昭和49)年6月に廃車、石川県羽咋市に保存された。しかし老朽化が著しく解体されてしまった。部品の一部は動態保存機C56 160に転用されている。 '71.8.24 小海線 野辺山 P:中西裕一

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越後交通ED40形は相模鉄道ED10形電気機関車と同じ系列のDT13形台車等の電車の部品を使用した電気機関車で、東洋電機にて製造された、この後車体の色を茶色から青に変更し1995年の越後交通廃線まで活躍した。 ’80.6 来迎寺 P:深山剛志

E991系(TRY-Z)

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E991系の、1号車-クモヤE991-1側から捉えた編成である。クモヤE990-1の巨大な高運転台とは異なり、車体中心より左側に偏って突き出した戦闘機のキャノピーを彷彿とさせる運転台が印象的である。 '95.10 中央本線 青柳 P:長谷川武利

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1974(昭和49)年、南海電鉄の昇圧により廃車となったモハ11001形を8輌購入し、モハ3001形として、越前本線及び三国芦原線に投入した。なにしろ直前まで南海本線の特急や急行などの看板列車に用いられ疾走した20m級セミクロスシート車だけに、一足先に入線した旧南海の1201形、京福福井モハ2001形の入線時にまさる驚きであった。入線当初、正面二枚窓のモハ3001~3006と、正面貫通型のモハ3007、3008という内容であったが、後者も後に正面二枚窓に改造された。前者は2輌ワンマンに改造され、形態は著しく変化したが近年まで生き残ったが、えちぜん鉄道には引き継がれず、廃車となった。 ’83.7 越前本線 小舟渡─保田 P:永野晴樹

JR東日本 E991系(TRY-Z)

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在来線における「21世紀の理想的な鉄道システムの実現」を掲げ「究極の技術開発に挑戦する試験電車」として「TRY-Z」の愛称を持つ3輌編成の車輌。1号車-クモヤE991-1が日本車輛、2号車-サヤE991-1が東急車輛(台車は住友金属)、3号車-クモヤE990-1(本写真の先頭車)が日立製作所製である。3輌は、車体構造,主回路機器,運転台,空調システム,台車(構造,車体姿勢制御方式,アクティブサスペンション)に各々独自の方式を採用して共通性はなく、制御指令とブレーキシステム(油圧ブレーキ+吸着式渦電流ブレーキ)のみが共通である。サヤE991-1は、車体傾斜に呼応するパンタグラフ姿勢制御装置を備えていた。1994年11月完成後何度かの改装を重ねながら、常磐線に於いて高速走行試験、中央線に於いて車体姿勢制御走行試験を行い、1999年3月除籍、6月に解体された。 '95.10 中央本線 四方津 P:長谷川武利

西武鉄道 801系

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1967(昭和42)~1968(昭和43)年に西武所沢工場で20輌新製。701系と変わらぬ性能ながら車体が張上げ屋根、付随台車のエアサス(FS-067形)化、サービス(低圧)関係補助電源の交流MG化による室内灯容量アップ等マイナーチェンジ。翌年登場の101系の試作要素が十分にあった。後、側引扉の無塗装SUS化。'78年以降冷改・HSC化、塗装のレモンイエロー化等を得て、新宿線系統を中心に'97年2月まで活躍。写真の809Fは引退後、総武流山電鉄にて3輌化されて再度のお努めする事となった幸運の車輌。 ’82.7 新宿線 所沢 P:梶村昭仁

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1975(昭和50)年まで東急池上線で活躍していたデハ3300形の成れの果てである。京福福井支社では南海電車を大量に導入したが、手動扉の電車や小型車を置き換えるため、さらに東急からの4輌が登場した。ただし京福福井支社の電圧は600Vのためか、台車などは京福の在来車のものを流用した。写真のモハ284は東急時代中間につながれていたため、当初は貫通幌を装備していたが、後に撤去。正面窓も一部Hゴム化されている。同系車ではノーシル・ノーヘッダーに改造した電車も存在したが、まもなく阪神の中古車が大量に出現するに伴い、姿を消した。 '83.7 越前本線 福井口 P:永野晴樹

弘南鉄道モハ3601

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元東急デハ3601。元は省電のモハ31087。戦災を受け国鉄から払い下げられたのち東急が復旧。弘南鉄道への入線は1980(昭和55) 年。写真の場所はなかなかよい写真が撮れなくて、本当によく通ったものです。この頃朝夕のみの運用となっていた旧型車のモハ側が順光となるのはこの区間だけでした。車体はスッキリとした3000系の標準車体。クハ2輌を従えての豪快な走りっぷりには魅了されました。 '94.10 弘南線田舎館─津軽尾上 P:金上 努

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元名古屋鉄道3300形(初代=旧愛電デハ3300形)の車体のみを譲受、旧国17m車の床下機器を流用した。18m超級半鋼製車体で導入時扉ステップを撤去、自重の関係から主電動機を2輌に分散搭載(2個MM/両)、McMcユニット化。パンタグラフは各車妻端に搭載。車内はロングシート採用。登場時2扉だったが'81~'82年に3扉化、前面も非貫通化改造。その後は特段の変化なく、原型を保ちながら'97年渥美線1500V化まで活躍。 ’89.3.16 
渥美線 新豊橋~柳生橋 P:梶村昭仁

名古屋鉄道 850系

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名岐電鉄(現在の名古屋鉄道のほぼ名古屋~名鉄岐阜間)は優等列車用に貫通形の800系を製造し、軽快なスタイルと高速性能を誇ったが、昭和12年には当時流行した流線型の850形を製造した。正面の屋根を下にたらしたデザインは、他の私鉄や満鉄の気動車ジテにも見られるが、正面窓を二段にしたスタイルは余りにもグロテスクで、「なまず」の愛称で親しまれた。2編成が誕生し、戦後はAL車の一員として高速性能を遺憾なく発揮して活躍したが、1988年までに引退した。 '75.7 名古屋本線 伊那 P:永野晴樹

相模鉄道 ED10形

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沿線の川砂利、セメント類を始め、後に米軍基地燃料輸送等で活躍。'52年に2輌(ED11・12)が登場。同社貨物線は'49年に電化後は電車が牽引していたが輸送量の増大もあり専用車輌として製造。'54、'64年に各1輌ずつ増備し計4輌が登場。東洋電機製の特徴あるスタイルで基本形状は同一ながら、製造年次により側窓、通風口形状が異る。短い車長ながら2パンタ(PS13)、台車はDT13の電車用を履く。晩年は重連総括制御化により重連使用が基本となた。更新により標識灯の角型LED化等行われるも原形を保ちながら活躍。'98年貨物輸送廃止後は搬出入牽引や工事列車等地味な活躍をしていたが、車体・機器老朽化も目立つため、'06年3月のイベントを最後に引退。ED11がかしわ台基地にて保存。写真はED11+ED12の1次車。 ’83.1.8 相模鉄道 かしわ台工機所 P:梶村昭仁

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試作B編成を改造した電気試験車T1編成の老朽置換え用として1974年に新製された7両編成の「電気軌道総合試験車」である。1~4、6~7号車が922系(-11~-16:電気試験車)、5号車が921系(-11:軌道試験車)であり、5号車のみが全長17.5m、3台車方式となっていた。国鉄分割後はJR東海に継承されて、JR西日本のT3編成と共に使用されたが、700系ベースのT4編成の就役により2001年廃車解体された。写真は、1、2号車と6、7号車(日立製作所製)の間に3~5号車(東急車輛製)を挟み込んで編成組成後に留置線に引き上げた、新製直後の1号車側からの写真である。 '74.10 東海道新幹線 大井支所 P:長谷川武利

東京急行電鉄 デハ150形

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'64年に4輌が東急車輛で製造。14m級3扉の路面用車輌としては大型車。耐候性高抗張力鋼を使用、窓下側板にSUS車並みのコルゲーションを持ち、当時の鉄道線の思想を採用した意欲作。前面2枚窓に腰部前照と標識灯を組込んだケーシング2灯式、額部に字幕と標識灯、屋根上FRP通風口と当時の7000系類似に。側窓1段下降式。両運車だったが、「連結2人乗」改造後、連結部は使用されず、後の更新で撤去、客室化。性能は吊掛式HL制御(TDK540 60kW)、SME制動と平凡だった。登場時グリーン濃淡ツートンだったが、'69年以降現色に。'83~'84年に更新工事で上部標識灯撤去、片運化等以外原型を保ち、近代化による新車投入で'01年引退。 '97.6.27 東急世田谷線 松原─山下 P:梶村昭仁

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