鉄道ホビダス

2007年8月アーカイブ

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本年10月の近鉄からの分社(伊賀鉄道への移管)が迫っている近鉄伊賀線。この5000系は、1977年に実施された同線の第一次近代化の際に投入された車輌で、もと名古屋線急行用車輌6301系(モ6311形・モ6331形など)。同線創業以来の古豪を置き換えたが、その活躍も長くは続かず、1986年末までに全車がもと奈良線用車輌800/820系(伊賀線での系列名は880/860系。現在は860系に統一)に置き換えられて消え去った。 '83.3 丸山─上林 P:清水祥史

南海電鉄 サハ4801

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私鉄客車のカテゴリーとしては、戦後もっとも華やかな活躍をしたのが南海のサハ4801であろう。何しろ紀勢本線の新宮まで直通、南海本線内は、おもに2001系電車に牽引され、大阪難波・和歌山市間を57分30秒と言う特急ダイヤ(評定速度67km/hあまり)で走破したことは語り草となっている。昭和27年製造、昇圧を控えた昭和47年に南紀直通客車の運転廃止まで活躍した。製造当初は国鉄のスハ43を模範としたが、シートをはじめ外装に到るまで、スハ43をはるかに上回るデラックスな客車だった。なお、南海では戦前から国鉄客車を借用しての南紀直通列車を運転していた実績がある。 '66.8 南海本線高石町(当時)─北助松 P:永野晴樹

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総武流山 電鉄クハ51

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流山電鉄クハ51ですが、元は飯田線の前身豊川鉄道のサハ22(昭和2年川崎造船所製)として竣工し昭和12年TC化しクハ61となる、国鉄買収後宇部線、福塩線を経て昭和28年の改番でクハ5600となり昭和31年廃車、同年流山電鉄クハ51となった。 ’75.1.2 流山車庫 P:田中健吉

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終戦直後、国鉄のいわゆる63形は東武や小田急など各地の私鉄にも登場した。南海も戦前から20m車を運転していたし、国鉄客車を用いての南紀直通列車を走らせていた実績(?)と私鉄では最大の戦災車を出したため20輌の63形がモハ1501形としてすべて電動車で登場した。ただし、南海は電圧が600Vだったので、そのまま走らせるわけにはゆかず、制御器も200馬力の大出力を誇る2001系並のものを装備し、1947年と他社にやや遅れての登場であった。当初はすべて電動車だったので、中間に17m級の木造車を挟んだりして活躍した。後に昭和34年、和歌山市寄りの電動車8輌をクハ1951形とした上で、電装品をモハ1521 形に譲りさらに昭和40年3月頃より4輌の電動車を貫通化改造、これによって63形による2M1Tが4編成出来るという寸法であった。写真はまだ改造過渡期の時代で、モハ1511は貫通改造されたものの中間に標準型18m車、クハ2851形を挟んだ和歌山市行きの普通電車である。折角の改造にもかかわらず、7001系の増備により63形ことモハ1501系は昭和43年には廃車となった。 765.5 南海本線 浜寺公園─羽衣 P:永野晴樹

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1950(昭和25)年製の電動付随車デハ1761の電装品を撤去、クハ化したもの。クハ1258+デハ1804+クハ1259+デハ1805で渋谷寄りの先頭車だった。1980年廃車。 富士見が丘車庫 P:田中健吉

西武鉄道 401系

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'63~'68年に300番代形式である旧国17m車の代替目的で製造した旧411形(クモハ411形・クハ1451形)を種車に'78年から改造、と云うより新製同様で冷改の際、台車新製(FS372=101系)、主電動機(120kw=701系)等を使用。性能は701系に合わせたためHSC化されるも電制はない。車体は種車が流用されるも窓上行先字幕新設、SUS飾り板等他車並みに。19編成38輌が新宿線系統で活躍。'97年2月までに引退。なお、全車が他社へ譲渡された。 '88.9.2 多摩湖線 一橋学園─青梅街道 P:梶村昭仁

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近鉄6441系は昭和33年に名古屋線用通勤電車として、大阪線の1460系に似た20m3扉を持ちクリームに青帯の塗装で登場した。但し、足回りはモニ6231系のモノが使用され釣り掛けのD-16を使用していた。一年後に名古屋線が改軌されシュリレーン型台車になった。1979年ごろから養老線に転属が始まり再度狭軌化されて形式も440系になったが、非冷房・マルーン一色のまま1994年に引退した。 ’80.1 近鉄名古屋線桑名付近 P:深山剛志

C57 89

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炎天下の中、一日中、国鉄嵯峨駅のホームで列車の撮影をしていた。梅小路機関区に最後に残ったC57はC57 5、C57 15、C57 39、C57 89、C57 127、C57 190の6輌。89号機は北陸本線から5号機とともに転属してきた。デフから煙突にかけて帯材を渡し、ツララ切りにしている。山陰本線京都口の無煙化後、宮崎に転属日豊本線で活躍した。’74年6月に廃車となっている。山陰本線 嵯峨(現・嵯峨嵐山) ’69.8.24 P:朝倉淳一

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'72年にMcTMTc4輌ユニット1200系として、名古屋線に登場。大阪線に同時期登場の2800系一次車と同様の冷房車として新製。ただし下回り電気機器は旧1300・2200形(MMC型等)から流用の吊掛け車。'82年、名古屋線用界磁チョッパ車に系式を譲って1000系列へ編入、同系の1002編成となる。'84年、他1000系同様高性能(界磁位相制御回生制動)化(但し抑速無)。編成が組替り、McMTTc編成に。同時にTcをク1910形(ク1925)とMG容量の関係で振替、'86年サ1152にWCを取付。名古屋線急行運用を中心に活躍するも、老朽化、新製車投入による玉突き転用で余剰となり'05年廃車、消滅した。写真は1826F+1002F。 ’02.10.14 名古屋線 箕田─伊勢若松 P:梶村昭仁

京阪電鉄1300系

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1948(昭和23)年から20輌が製造された当時の運輸省規格型電車で、京阪線の車両限界を現在のサイズに広げるなど、京阪の戦後の輸送に大きく貢献した。1983年、架線電圧の1500Vへの昇圧に伴い廃車された。 '81.8 三条 P:松本テツヤ

東葉高速1000形

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東葉高速開業に際し東京メトロ(当時営団地下鉄)5000形を冷房改造し12編成購入したが、改造が間に合わない1091編成1101編成は5000形からJR機器の取り外しと東葉高速ライン、並びにマークの取替えを行っただけで平成8年7月頃までの4ヶ月間ご覧の姿で営業した。 写真は譲渡前のメトロ線内試運転です。 '96.4 営団地下鉄(現・東京メトロ)西葛西駅-南砂町 P:田中健吉

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めでたく保存対象車となった300号ですが、この頃は琴電独特のパンタグラフをつけていました。電柱が邪魔していますが、このパンタグラフを見ていただきたく投稿しました。 ’63.8.2 瓦町付近・車窓より P:柿浦和敏
【編集部】このパンタグラフの詳細をご存じの方、編集部までご一報ください。

京阪電鉄600系

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1961(昭和36)年、戦前のロマンスカー600形(初代)、700形(初代)などの機器を利用して車体を新造した車輌。1983(昭和58)年、1500V昇圧時に廃車となった。写真は京阪電鉄600V時代の末期に運転されていた吊り掛け車600系による急行。複々線を豪快に飛ばした。 ’82.11 京阪電鉄本線 千林─森小路 P:松本テツヤ

近畿日本鉄道 2470系

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1968(昭和43)年特急用旧エースカーパワーアップ化(125→145kw新製)に伴い捻出された主電動機、台車(エアサス→コイルバネ化のKD-51G形)等の機器を流用して車体新製。2M1T・3輌編成で6輌が登場(モ2470形Mc車偶数、M車奇数。Tc車は1480系増備車のク2580形)中間車体は当時増備中の奈良線8000系に準じた左右非対称形態に。三菱製ABFM単位スイッチ式1C8M制御、抑即発電制動装備。当初1480系同様大阪線系で活躍。'80年代に冷改、扇風機装備車。晩年は名古屋線系統で普通列車中心に地味ながら'02年08月まで活躍。 '02.2.09 名古屋線 近鉄蟹江─冨吉間 P:梶村昭仁

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