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2007年5月アーカイブ

西武鉄道E851

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西武秩父線開業に際し、25‰の正丸越えにおける石灰石輸送用に製造した、私鉄としては前代未聞の、国鉄EF81の技術を導入したと言われる大型電気機関車。国鉄形とは異なり、側面に丸窓を配置するなど、従来の西武のイメージを一新する姿は、多くのファンの人気を集めた。石灰石貨物輸送の廃止に伴い、お別れ運転として、JRから12系客車を牽引するというイベントが実現した。最終日の上り列車は重連で、4つのパンタグラフを上げて横瀬から正丸峠に挑んだ。現在も一両が保管されている。 ’96.5.26 西武鉄道 秩父線 P:永野晴樹

豊橋鉄道 3300形

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1961年(昭和36)日本車輌で2輌製造された元北陸鉄道金沢市内線用最後の新車、モ2300形。'67年廃止後、豊橋鉄道にお輿入。当初モ300形だったが'68年現行形式へ再改番。全金車体、二段式サッシ窓の明朗スタイル、吊掛駆動ながら間接非自動制御、金属式エリゴバネ+弾性車輪装備等、路面電車としては高性能の部類。移籍後大した改造もなく活躍も、中形(11.5m)車体故、冷改危機スペース確保と車体強度から出来ず、'00年3月末の運用最後に引退。廃車後'02年東京・国立の鉄道総合技術研究所の試験車輌として2輌共余生を送っている。 ’84.3 東田本線 駅前 P:梶村昭仁

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1983(昭和58)年に昇圧を行った京阪電鉄では、昇圧対応出来ない旧型車は廃車になるため、車輌不足を解決するために、元特急車の1800形のカルダン駆動の足回りと通勤型の大きい車体で旧性能の足回りをもつ600形・630形の車体を利用し1800形の車体更新車を登場させた。ただし、冷房化は見送られたため、6000形の増備が進むと1989年には早くも引退した。 ’82.4 京阪電鉄本線 P:深山剛志

京都市電500形(508)

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1924(大正13)年から1928(昭和3)年にかけて40輌製造された半鋼製低床ボギー車。京都市電初の空気ブレーキ装備車。空気ブレーキの装備は京都市電初。514~517は1935~36年にかけて中扉を取り去って小型化、514形と称した。残る500形は1958年座席数を増やすため中扉を廃止、ポールもビューゲル化され、写真のような姿となった。1970年、伏見・稲荷線の廃止を機に全廃。 ’66.10.27 四条烏丸付近と思われる。 P:柿浦和敏

東京都交通局 5000形

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'60年11月都営1号(浅草)線、押上~浅草橋間開業時に16輌(2輌×8本)が登場。都・京成・京急との三社「直通車両統一規格」とし、日本初地下鉄と郊外民鉄との直通運転の礎となる。後路線延伸時に増備、中間車も登場し'68年10月まで五次に渡り152輌製造。当初は窓下オレンジ+窓上ベージュに窓下ミステイーベージュ(グレー)帯の京成近似色。'81年7月以降の更新時にクリーム+赤帯に。性能は全M、MMユニット、直並列抵抗制御、HSC-D(電制付)制動の高性能車。三扉両開扉、全鋼製18m車で側肩部通風器埋込の二重屋根スタイル。晩年は8輌で活躍。老朽化と車体強度不足で冷改出来ず、後継車投入で'95年7月に引退、消滅。 '88.9.13 京浜急行電鉄 本線 北品川─新馬場 P:梶村昭仁

西武鉄道 5000系

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「レッドアロー」の愛称で親しまれた西武初の特急車。'69年10月秩父線開業で登場。アイボリー地に前から側面への赤帯。前面窓下にSUSエッチング板、中央に西武「社紋」、前・標識灯をまとめたライトケーシングを左右、中央に愛称表示板(後、電照式に)を配した押出し感のあるスタイル。大型固定式ペアグラス、空調完備、2枚内開折扉採用。性能、台車は101系と変らず。当初は2M2Tで、車内は回転クロスシートを号車毎に色分(青・茶・赤・緑)。'74~'76年に増備され6輌6本36輌に。晩年、座席の簡易リクライニング化、公衆電話設置等改良も実施、秩父特急以外の通勤特急の役割にシフト。西武の顔として活躍するも、'93年登場の10000系に'94年から順次交替、'95年10月までに全廃。機器類は10000系製造に流用された。 ’82.12 池袋線 東飯能 P:梶村昭仁

近江鉄道 モハ1系

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近江鉄道モハ1系は神姫電気鉄道の木造電車を譲受し1963年に鋼体化のため湘南顔の2扉車体に生まれ変わった。この時期西武系の会社は必ず、湘南顔にベージュとローズピンク塗装をされた車輌が必ず在籍していた。末期は黄色に塗装されて活躍し2004年頃に引退した。 ’82.2 彦根 P:深山剛志

名古屋鉄道 モ750形 (758)

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初代名古屋鉄道のデセホ750形として、1928(昭和3)年~29(昭和4)年に10輌製造された。当初は西部線の主力として活躍、名古屋市電乗り入れ用にポールを併設していたことや、一部は半室畳敷き化の上、高山線下呂まで乗り入れたこと等、エピソードも多い。1948(昭和23)年の西部線昇圧後は、各務原線、小牧線、広見線、瀬戸線等の600v線区に転じたのち、その間に廃車された1輌を除いて1966(昭和41)年~1978(昭和53)年の間に順次、揖斐・谷汲線に転属した。内6輌は平成に入るまで活躍を続けたが、3輌が1998(平成10)年のモ780形増備時に、残る3両も2001(平成13)年の揖斐線(黒野─本揖斐間)、谷汲線の廃線時に引退した。長年に亘り運用されたため、台車・電動機換装、ワンマン化、一部車両の片運化(のち再び両運化)等、仕様変更は多岐に渡るが、車体の基本的な形態は変わることなく、70年余の間、尾張や美濃の山野を駆け続けた。写真のモ758は1928(昭和3)年製。揖斐・谷汲線には1973(昭和48)年の入線で、1998(平成10)年まで使用された。両運転台と車体付けの尾灯を最後まで堅持した車輌で、尾灯下の車体裾にスノープロウ固定用の台座を装備していたことが晩年の特徴。 ’98.3.29名古屋鉄道谷汲線 谷汲 P:古川泰典

名古屋鉄道 3850系

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'51年に名古屋本線の特急用に2輌10本が登場。車内は転換クロスシートで、車体も従来の狭幅窓から扉間広幅窓5個が並ぶ開放感在るスタイルに。車体色も特急用として上半ライトピンク、下半チョコレートマルーンのツートン採用。性能はモ800系から変わらずの間接自動加速式(AL)。吊掛ながら発電制動付。高性能車登場後も優等系列車で活躍。後、車体更新の際、Mc車ノーシルノーヘッダに対し、Tc車ノーヘッダと編成でバランスに掛けたスタイル(事故復旧車体新製除)に。塗色も、ライトパープル化、ストロークリーム+赤帯を経て、晩年スカーレット化。本線ローカルや支線運用で活躍も冷房化促進により'90年まで引退、形式消滅。 ’88.3.14 西尾線 西尾口─西尾 P:梶村昭仁

相模鉄道 2100系

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'70年9月から4年間で5次に亘り17m級2000系を更新大型化して30輌登場。20m片側両開四扉ながら'67年試作のモハ6021号の実績からオールアルミ車体採用。全車東急製。当初は吊掛駆動の旧性能車だったが'76~'79年に(直角カルダン・130kw主電動機・エアサス台車化等)高性能化。新6000系同様高運転台、無塗装故に側面樋下と裾部、貫通扉に赤色が入った。当初の1・2次は側2段窓'73年増備3次以降は登場時稀であったパワーウインド式1段下降窓採用。客室内の他運転台内ボタンで一斉に側窓を操作できる優れ物。クハ2609が3次車クハ2603が2次車で車体形状も若干、差異があった。新形式車と交替し'04年2月までに引退、形式消滅。 ’83.1.18 かしわ台工機所(検車区) P:梶村昭仁

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1964年に運転が開始された京都-奈良・橿原神宮前間有料特急の増発対応として、1965年・1966年に合計4輌が製造された特急車。趣味的に最も注目されたのは、主電動機等が在来一般車から流用されたため、吊掛モーターを装備していた点。製造されて以降、1982年に12600系と入れ替わって廃車となるまでほぼ全生涯を「近鉄唯一の吊掛特急車」(めったに運用されなかった683系予備特急車を除く)として過ごした異色の存在。写真は最晩年に京都-奈良間の修学旅行生貸切列車に運用された時の姿。 ’82.6 近鉄京都線 伏見 P:清水祥史

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昭和26年に特急専用車として2連9本が現在でも使用している赤とオレンジの特急色で初登場した。その後、カルダン駆動で後輩の1800形や1810形と伴に特急運転に活躍したが、昭和31年頃から徐々に特急運用を離脱、ロングシート化を行い、昭和41年頃から3扉化され塗装もこの頃に緑の濃淡である一般色に変更になった、晩年はカルダン車の11800形や釣り掛けの600形と7連を組んだりしたが、昇圧直前に1700形だけの編成に戻り、昭和58年12月の昇圧まで活躍した。 ’80.1 京阪本線 P:深山剛志

東武鉄道 キハ2000

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昭和29年に非電化の熊谷線用として3台製作された、16.5m・液体式のディーゼルカーで湘南顔の車輌であった。終始熊谷線で活躍し、同線が廃止になった昭和58年まで活躍した。同型が最近まで鹿島鉄道キハ430形として活躍した。 ’82.10 妻沼駅付近 P:深山剛志

相模鉄道6000系

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'61~'69年に120輌が日立で製造。直角カルダンの高性能車。20m四扉、MT比1:1のエコノミーカーとしてMc(6000形)Tc(6500形)の2輌編成で登場。のっぺりとした平妻貫通三枚窓でいつでもどこでもどの様にも編成が組る機能性を重視。車体は関西に多い非対称扉配置(運転台背後に窓と座席有)で後に中間(M6100形、T6600形)車も製造。全鋼製だが'67年にモハ6021をアルミ車体で試作、後の試金石となった。晩年は冷改、シールドビーム2灯化程度で、原型を保ち万能を遺憾なく発揮。'96年までに新形式車と交替して消滅。引退後、モハ6001、6021が保存される。 '90.4.3 本線 鶴ヶ峰─二俣川 P:梶村昭仁

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