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2006年12月アーカイブ

大井川鉄道311系

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元・西武クモハ374と371が大井川鉄道に流れ着いた。1輌は電装解除されクハになりMc-Tc編成で活躍した。前身は旧国鉄クモハ11424と421。旧省電モハ50の面影を残す17m車。晩年は2扉クロスシートに改造された。 '82.2.10 新金谷 P:奥 清博

東急電鉄 旧デハ5000系

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1954(昭和29)年、この電車の登場時のことが今でも鮮烈な記憶として残っている。最初の編成が営業に就いた時は、渋谷~新丸子間の区間運転に用い、パンタグラフがあるのにモーターの「音がしない」(その当時の電車はすべて吊掛式)ので引率の父に、当時幼稚園児の私は「この電車はパンタグラフがあるのにクハなの?」と質問したところ、この電車は最新式のモーターをつけていて、父の会社(東芝)で造った! と自慢げに教えてもらった。数編成が増備されると、急行運転が復活した。当時の急行は、車内放送に当時珍しかったテープレコーダーによる女性アナウンスをするという力の入れようだった。この電車の設計最高速度は135㎞/hだそうだが、当時の東横線では急行でも80㎞/h程度のダイヤだったので、弱め界磁をカットしても急行運転に支障がなかった。写真は5000系が東横線の6連急行に活躍する、最も華やかな姿である。当時、初期の車輌は、ユニット窓やドアー窓の小型化が始められた時で、未改造で揃った急行は珍しかった。現在なお熊本電鉄に数輌が活躍。トップナンバーの5001は最近渋谷のハチ公前広場に登場したが、近年まで折角復元保管してあった歴史的車輌だけに、嘆かわしい限りである。  '71.3 東横線 代官山 P:永野晴樹

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元西武551系と1651形のMc+Tc2輌。クモハ1210(元クモハ561)クハ81(元クハ1658)で西武式湘南形ともいうべきスタイル。種車の違い(551系は'61年、1651形は'62年製造)で、前車は運転台ワイパの支点が上部に後車は下部配置の違いがあった。20m両開3扉車と地方向けスタイルのため他私鉄でも重宝がられた。'84年から活躍するも吊掛け、非冷房のため、同じ西武の後輩701系と交替し'97年2月に廃車、愛称名を後輩に譲って消滅した。 '88.11.3 小金城跡-幸谷 P:梶村昭仁

江若鉄道 キハ18形22

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もと国鉄のキハ42000形、後のキハ07系である。当時は機械式のままで、各車輌に運転士が乗務、ブザーの合図でクラッチの切り替えを行っていた。この列車の場合、車掌を含めて4名が乗務していたことになる。トルコンに改造した同系の一部は今なお鹿島鉄道に活躍している。江若鉄道は近江今津までの非電化私鉄としては比較的長距離の路線で、後に近代化に力を入れ始めたが、湖西線の建設に伴い、廃止となった。 '66.7 雄琴 P:永野晴樹

京阪電鉄 石坂線 10形

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元をただせば阪急創業時の1形である。終戦直後、四ノ宮車庫の火災により多数の電車が焼失したが、当時京阪と阪急は同一の会社だったので、応援に駆けつけたものが、そのまま居座って活躍した。戦前、阪急時代にダブルルーフのまま半鋼車に改造されていたもの。阪急では当時すべて廃車されていたが、阪急では同系車の1輌が保存されている。 '66.7 錦織 P:永野晴樹

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1988(昭和63)年、瀬戸大橋開業を機に下津井電鉄は観光鉄道として再生すべく27年ぶりに導入した新車がこの「メリーベル号」。大正ロマン調のデザインでモハ2001+サハ2201+クハ2101の3輌編成は、ダブルルーフでカウキャッチャー付。アルナ工機製。のちにサハ2201を外し、2輌編成で運用された。しかし、1990(平成2)年の路線廃止で実質運用期間3年という短命な生涯を終えた。 ’90.11.25 下津井電鉄 下津井 P:田中一弘

南海電鉄 ED5201形

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1963(昭和38)年貨物輸送の近代化のため4輌製造した。南海の伝統的な凸形電気機関車の近代版である。主に南海本線の長大貨物列車重連で活躍、当初はグリーンの濃淡によるツートンカラーであった。昇圧後生き残り、晩年は和歌山市付近の貨物輸送に用いられたが、貨物輸送の廃止により廃車。1輌は三岐鉄道に身売りして現在も入替用に活躍している。なお高架以前の南海本線は住吉公園(現・住吉大社)までの複々線区間で、本線直通を西線(さいせん)、住吉公園までの区間電車と岸里手前から分かれる東連絡線を介して走行する高野線電車は東線(とうせん)を走行した。南海本線の貨物列車は天下茶屋から天王寺支線の天王寺に直通し、国鉄に連絡するため、住吉公園から東線を走行した。 南海本線東線 玉出-粉浜 '65.8 P:永野晴樹

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1961(昭和36)年から1971(昭和46)年に掛けて製造された車輌。当初は2輌だった編成は最終的に8輌まで増強。日比谷線とつながる東急・東武線にも乗り入れ。車体はセミステンレス製、パノラミックウインドウ採用等洒落たデザインであった。写真の3073Fは66年の7次車として6輌揃って登場、'71年の8輌化で中間増結を行った後、冷改されることなく'94年7月までに全廃となった。なお、写真の車輌は'71年中間2輌増結車以外、原型(側扉と窓、通風器等)を保つ貴重な存在であった。 '88.4.30 日比谷線 南千住 P:梶村昭仁

近鉄旧ビスタカー10000系

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欧米では二階建て車輌は戦前から存在し、ドイツでは蒸気機関車による二階建て客車のプッシュプルトレインもあったほどであるが、いわゆる電車では世界最初の二階建てと言われる近鉄10000系は、歴史的電車と言えるだろう。両端に2輌の電動車、中間は2輌のビスタドームを含む3輌の連接式トレーラーで、中間車も両端に運転台を装備していた。合計7両編成であるが、後に名阪直通用の新ビスタカーの登場により主役の座を譲り、乙特急と呼ばれる途中駅停車の大阪上本町・宇治山田間の特急に用いられた。写真は宇治山田寄りの電動車をはずした編成である。この編成でよくも大阪線の急勾配区間を走ったものである。宇治山田寄りの先頭車モ10007は1966年11月5日河内国分駅での追突事故により大破、18200系のような貫通式の形態で復旧した。後にスナックカーの増備や、座席指定のコンピューター化により、特殊な車輌なので、いち早く廃車となった。 '66.8 近鉄大阪線 関屋-二上 P:永野晴樹

東急電鉄 6000系

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1960(昭和35)年5000系に代わる通勤型電車として製造された。5200系のセミステンレス構造を基本とし、電力回生ブレーキを装備。1台車1モーターという珍しい構造。東横線で運用されたが、その後は田園都市線に配置。晩年は大井町線で活躍した。1990(平成2)年までに、東急からは引退。弘南電鉄に譲渡されたものは大鰐線で運用されたが、2006(平成18)年10月31日の快速列車廃止のあおりで運用離脱してしまった。 ’72.1 田園都市線 長津田-つくし野 P:永野晴樹

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10010形電車は先の10000形の後を受け、1955年に帝国車両で製造された、当初は2枚窓の私鉄版湘南顔で製作されたが、なぜか台車や電装品に手間取り5年後国鉄型のTR-14型台車を装備してようやく走り始めた。当初はクロスシートを装備し10000形と共に「こんぴら2号」として活躍。その後、沿線の通勤需要に合わせ、79年頃に在来車との併結運転のため正面の貫通化やHL制御装置への変更を受けた。さらに1983年に台車を交換しカルダン駆動になり、朝夕のラッシュ時に活躍したが2003年に引退。 '82.8 仏生山 P:深山剛志

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24系寝台用客車の食堂車。1975(昭和50)年3月ダイヤ改正で、「はやぶさ」「富士」「出雲」の24系寝台客車化による食堂車不足を解消するため、14系のオシ14形から5輌が改造(写真105の種車はオシ14 14)。外観的には14系時代と比較して白帯→銀帯(塗帯)化程度で大きな改造は行われなかった。JR化後も活躍するも食堂車廃止により99年に編成から外され廃車、形式消滅となった。 ’88.2.4 東京 P:梶村昭仁

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極めて複雑なので、あえて昭和40年当時と記載したが、この電車こそ1923(大正13)年、わが国で初の食堂やトイレ、さらに以前からあった特等席付、なおかつ全編成を貫通幌で連結した豪華電車、電七系の成れの果てである。もとはダブルルーフだったが、戦前にドアの拡幅やシングルルーフに改造、戦前に木造車を含めて全部の電車に自動ドアをつけたのも南海が唯一であると思われる。戦後は一部が荷物電車に改造、車体の傷みが激しいので旅客用の廃車体と取り替えたりしながらも、昭和43年頃不要となった半鋼製車の車体に取り替えるまで往時の面影を残しつつ活躍していた。なお製造当初はウエスチングハウス製の高速型100馬力モーターであったが、この当時はジェネラルエレクトリック製の105馬力モーターを使用。台車はオリジナルのブリル27MCBである。 ’65.8 南海本線西線 玉出-粉浜 P:永野晴樹

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ポール時代の京阪・京津線、行き止まり式の旧浜大津駅を発車した三條行き。かつて本線からの直通用にパンタとポールの両方を備え高速運転にも適応できる性能を併せ持っていました。京津線に転じてからは低床ホーム用のドア付きであることを買われ80型(当時は単行運転)とともに各駅停車にも運用されていました。このあと今も800系の巨大な4連が堂々と走る大津市内の併用軌道を進み、逢坂山越えに挑みます。 ’63.4 浜大津 P:柿浦和敏

江若鉄道 キニ9形

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戦前日本車輌で製造した流線型気動車。京阪本線と京津線直通用の連節車60形によく似た顔つきであるが、奇しくも浜大津でしばしば顔を合わせていたことになる。 ’66.7 江若鉄道 浜大津 P:永野晴樹

伊予鉄道 130形

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元をただせば1926(昭和2)年に製造された旧帝都電鉄の200形で京王帝都電鉄の1400形となり井の頭線で使用された。1975(昭和50)年に西武所沢工場を経由し伊予鉄道に譲渡された。130形は4輌譲渡され、中間に同じく元京王の1800形2輌がサハ化されサハ510となりオール京王の3連2本が使用された。今でこそ、京王は全国に車輌を譲渡しているが、’82年当時は伊予鉄道の13形のみ。写真の133は後に台車変更しカルダン化され’90年頃引退した。 ’82.8 松山市 P:深山剛志

南海電鉄 モハ21201形

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昭和31年、トンネル内での火災事故により焼失したモハ1251系3連の代車として、本線の急行用高性能車11001系並のセミクロスシート車が高性能車ズームカーに先駆けて昭和32年に登場した。下回りは1251系と同じ回生制動を装備した吊り掛け式で、弱め界磁率52%の高速性能であるが台車も旧型のいわばニセズームカーとも言うべき存在である。昭和42年に帝国車輌で空気ばね台車に改造、昇圧により使用中止となった。先頭の21201だけはクハに改造の上、貴志川線に転属して、モハ1201形と連結して活躍したが、貴志川線の旅客減少のため3連運転を中止したため、廃車となった。 ’65.4 高野線 北野田 P:永野晴樹

名古屋鉄道 5500系

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1959年に戦後の一般(通勤)用として初めての冷房を装備して登場した車輌として有名。1957年登場の5200系を範にまとまったスタイルで人気の高かった。システム的でもオールMで冷房用MGを装備し床下が一杯の為コンパクトな制御器を搭載する等技術的な苦心も。写真は←モ5506+モ5555+モ5556+モ5506で00年9月の東海豪雨で水没廃車第一号となった。老朽化等で2003年1月末セントレア開業に伴うダイヤ改正までに全廃となった。 ’90.8.16 西尾線 米津~桜町前 P:梶村 昭仁

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