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2006年10月アーカイブ

名鉄モ590形593

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岐阜市内線用として1957年(昭和32)年5輌が製造。その後、全車美濃町線へ。’83年に2輌が廃車となるが、残る3輌は’05年の美濃町線廃止までまで活躍。593号は最後まで冷房化改造はされず、最晩年、緑とクリームの往年の塗装に戻された。’05年、美濃町線が廃止となり、591、592は土佐電気鉄道に譲渡、593は廃車となった。 ’05.3.31 名鉄美濃町線 野一色付近 P:田中一弘

EF11 1

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EF10に回生ブレーキを追加した機関車がEF11である。全部で4輌あったが、1~3号機はEF10の1次型の車体を全溶接で組み立てたタイプ、4号機はEF10の半流型と同型の車体とわずか4輌の小世帯なのに形態が違っていた。拝島に留置されていると聞き行ってみると、すでに休車でプレートも外された姿だったが、ペンキ書きの字がとても丁寧に書いてあった。 ’74.6.9 拝島 P:宮村昭男

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331系連接車は昭和32~39年にかけて川崎、日立、九州車両で13組製造された。台車はメーカー別に異なっている。北方線廃止後は一輌も保存されることもなく解体されてしまった。 ’80.8 北方線 北方 P:松崎昌一

クハ381-6

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381系特急形車輌の制御車。旧国鉄初の量産自然振子式特急車両として1973年中央西線全線電化時にデビュー。また通勤型301系以来のオールアルミボデイを採用。重心を下げる必要から空調装置を床下装備で屋根上スッキリ。写真の-6は1973年川重製。長野区に投入されるも1982年に神領区へ転属後は、そのままJR化後も変らずに活躍。高運転台の貫通構造を初めて採用し、以後の旧国鉄特急車輌の先頭デザインの礎となった。後継の383系登場で1998年廃車となった。 ’89.3.24 名古屋 P:梶村昭仁

関東鉄道 キハ42202

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1936(昭和11)年生まれ、元東京横浜電鉄キハ1形のキハ8。こんな車輌が単行で渋谷と横浜を往復していたわけである。鉾田線には1950(昭和25)年(当時は鹿島参宮鉄道)に入線。もう1輌キハ42201という仲間が居たが、そちらは途中で流線型をバッサリ切り取られ切妻形のキハ651になってしまった。この写真の頃はもう使用されておらず、機関区の片隅に半ば放置状態であった。 '76.11.7 関東鉄道 鉾田線 石岡 P:宮村昭男

西鉄 1000系

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西鉄ライオンズ球団の全盛期、1957(昭和32)年急行用として登場、’59年大牟田線のスピードアップとともに設定された特急用として颯爽と筑紫平野を駆けた。この名車も2001年の3月25日をもって引退、直ちに解体されてしまった。 '01.3.14 大牟田 P:吉村元志

西鉄 323系 324号

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西鉄北方線。昭和31年に2輌製造。当時のバスを参考にして作られたという。おでこの両サイドにマーカーライトを配置して愛嬌のある顔立ちをしていた。 '80.9 北方車庫 P:松崎昌一

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381系特急形車輌の制御グリーン(特別)車輌。元サロ381-3で1973年川重製。長野区→神領区と変遷しJR化後の特急増発&短編成(9→6輌)化によりサロ→クロ改造を名古屋工で1987年実施。1-2位側客室部を切断し貫通構造の鋼製で新製した運転台部をつなげて改造。3-4位側便洗面所を生すため乗務員室直後に側客扉&デッキ構造となった。晩年は編成増結対応として貫通路に常時幌を取付けイメージが変ったが大した改造もなく、1998年に383系後継車と交代廃車となった。  '89.8.24 名古屋 P:梶村昭仁

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元小田急キハ5000形晩年の姿。1955年東急製で私鉄初の2エンジン搭載気動車であった。小田急でお役御免となった1968年に関東鉄道が譲受。3扉化改造後、ラッシュ時に2エンジンの強みを生し一緒に来た電車(元クハ1650形)改造キクハ・キサハを牽引して活躍。他の仲間3輌と共に活躍するも、1988年廃車となった。 '85.8.27 関東鉄道常総線 水海道機関区 P:梶村昭仁

阪急810形

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神戸線用の特急電車として1950(昭和25)年に登場。電圧の違う神戸線・京都線を直通で運転できるよう複電圧となっている。神戸線が600Vから1500Vに昇圧された際、全車宝塚線の運用となった。晩年は今津線などの支線で余生を送り、’85年に全車廃車された。写真は今はなき西宮北口の平面交差をゆく姿。 ’81.8 阪今津線 西宮北口 P:深山剛志

ED61 15

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ED61の製造初年は1958(昭和33)年。中央本線八王子-甲府の旧型電気機関車を置き換えるために誕生。1号機は日立、2号機は東芝でそれぞれ試作され、翌’59年に量産開始、3~18号機が製作された。ED60と同じ構造だが、回生ブレーキを装備している。’79年までに全機ED62に改造。15号機は’79年に改造されED62 18となった後、’85年に廃車となった。 ’75.3.9 八王子 P:宮村昭男

小田急キハ5000系

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小田急の御殿場直通特別準急「長尾」号。御殿場線の電化によりSSE車と交代、関東鉄道に身売りした。私鉄の国鉄乗り入れディーゼル優等列車は、名鉄の高山本線乗り入れ気動車は別格として南海、富士急、島原鉄道等があるが、ほとんどが国鉄同系車で、私鉄オリジナルのスタイルは珍しかった。国鉄のキハ55系誕生以前から活躍していたためである。  '68.4 小田急電鉄 和泉多摩川-登戸 P:永野晴樹

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601系ボギー車は1950(昭和25)年から1953(昭和28)年まで日車、日立、近畿車輛で計50輌製造され、北九州線の顔として1001系連接車と共に全線廃止の日まで活躍した。 '85.9.30 北九州市内線・中央町 P:松崎昌一

函館市交通局 521

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日本車輌で製造された半鋼製低床車ボギー車。製造初年は1948年(昭和23年)で、51年までに30輌が製造された。長きにわたって、函館市電の主流だったが、路線の縮小とともに廃車が進み。 現在は、529、530を残すのみ。521は1993(平成5)年4月、ガス会社線の廃止に伴って廃車になった。 '91.5.1 函館市交通局本線 五稜郭付近 P:田中一弘

東急デハ3450形 3450他5連

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東急田園都市線(当時は大井町~つきみ野間)の電車編成が1980年頃に4連から5連になりました。当時、田園都市線は、最新の8500系をはじめ、8000系、5000系などが主力でしたが、3450形も残っており、5連化の際、新性能車と共通のダイヤで走れるようにするためでしょうか、付随車なしのデハ3450形のみオールMの5連が組まれ、5つのパンタが上げて豪快は走りを見せていました。そのうちの1編成の大井町側先頭には、日車製のトップナンバーの3450が付いていました。 '80.11 田園都市線(現・大井町線) 緑が丘 P:松尾彦孝

名古屋鉄道 モ3400

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名古屋鉄道が1937(昭和12)年に製造した特急用電車。当時流行していた流線型となっており、下回りはスカートで覆われて「いもむし」の愛称で親しまれた。性能は「いもむし」どころか、最大112.5kWの主電動機を搭載、最高速度は110㎞/hを誇った。1950(昭和25)年に中間電動車を増備し3輌固定編成に、1953(昭和28)年に中間付随車を増備し4輌固定編成となった。1988年(昭和63)年、事実上引退。保存車となってからはモ3400+ク2700の登場時と同じ2輌編成となり、'93年より塗色も登場時のカラーリングとなって2002年まで休日の臨時列車などに活躍した。 ’01.9.8 名古屋鉄道 広見線 明智─顔戸 P:田中一弘

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常磐線国電区間の終端、取手駅から水戸線下館駅までの約51km余りの非電化鉄道線の関東鉄道常総線。その配置区でのスナップ。写真のキハ721は元々富山県の加越能鉄道から1973年に興し入れした車輌。気動車には珍しく新製(1964年富士重工)時から片開三扉車であったが、入線後暫くして、中央扉のみ両開扉とされた変り種。1989年に廃車となった。 '85.8.26 関東鉄道 水海道機関区 P:梶村昭仁

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