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2006年7月アーカイブ

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住友セメント唐沢鉱山専用線は、東武鉄道佐野線の終点葛生から約1kmのところにある住友セメント栃木工場と鉱山を結ぶ約3.3kmの762mmゲージの専用線。1962年日立製作所製の10t機である。1974年、輸送力増強のために東洋工機の14.5t機を3輌新製したのにともない、10t機は背中合わせの重連使用されるようになった。一日、40~50往復の鉱石列車が走る楽しい専用線だったが、あまりの輸送量でナローの専用線では運びきれなくなり、1980年に新輸送システムに更新されて廃止になってしまった。 ’77.8.30 P:宮村昭男

東急3450形デハ3471F

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デハ3472+サハ3356+デハ3471。旧東横・旧目蒲電鉄の旧モハ510形として昭和6年から11年にかけて50輌が製造された昭和の名車。写真は最晩年の頃で、引退のはなむけにと1950~60年代中期までの黄と紺のツートンカラー、旧社名標記の「T.K.K.」まで再現。昨今、流行のリバイバルカラー化の先掛けともいえた。この編成を含め、’89年8月までに全車引退となった。 ’89.3.15 目蒲線 田園調布~多摩川園 P:梶村昭仁

近鉄モワ2831形

近鉄モワ 2831 型 .jpg

大正時代関西私鉄で流行したタマゴ形木造電車。日本では明治42年製造の南海電弐形がルーツとされるが、この時代にアメリカのインター・アーバンにも同様な車輌が存在するから、もとをただせばアメリカの電車のデザインとも言える。近鉄デワ2831形は車輌限界の狭隘な奈良線用の木造車の成れの果てである。ただし、大阪線で用いるため1500V仕様となり、パンタグラフも日立製の大型を装備。荷物車ながら高速性能を発揮した。後にもと奈良電鉄のデハボ1000形のボディと振り替えたが、昭和43年頃まで木造荷物電車として大阪線や600Vの奈良線東花園までで活躍した。大阪線では見かけに寄らず、100km/h以上の高速だった。’65.5 近鉄大阪線 高安 P:永野晴樹

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ロマンスカーの代表格になった小田急3100形は初代SE車3000形のあと、昭和昭和38年に登場し、7編成が生産されました、翌年ブルーリボン賞を受賞し前面展望席、11連接の車体で人気を集め、小田急の顔として1999年まで使用されました。停車駅では乗降の際には添乗員が付き添いドアの開閉を行っていました。 ’79.7 柿生 P:深山剛志

EF18 33

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EF58 32~34として1949(昭和24)年、東芝府中工場で製作中、GHQの金融財政引き締め政策よって2年間国鉄引渡しを保留され、結局、貨物機として1951年納入された。SGを搭載せずその代わりにデッドウエイトを載せている。機番は32~34でEF58と通し番号になっており、いずれはEF58に組み込まれるものと見られていたが、貨物機のまま生涯を終えた。側面窓の数などが違うが外観はEF58一次型とほぼ同じ。撮影当時、33号機が標識灯も引っ掛け式で、一番原型に近いのではとも思えた。ただしエアフィルターが新型機と同じタイプの物に交換されている。廃車までそう長くもないのに、この後、前面窓がHゴム化されてしまった。EF18は3輌とも浜松機関区に所属、区間貨物列車など地味な運用についていた。33号機は1979(昭和54)年、廃車となっている。 ’75.9.29 東海道本線 用宗 P:宮村昭男

キハ45

880801 キハ 45515( タカ)+ キハ 45514(タカ)+ キハ 30503( タカ) ② .jpg

1966(昭和41)年から製造された、20系列の気動車の改良版として登場した車輌で、同様の車体幅ながら高運転台、側引扉1300mm幅の両開扉を採用と目に付く範囲で新しさは見受けられるが、台車、性能等はそのまま。写真はキハ45形の寒地向500代車が八高線に転用された際のスナップ。乗り慣れていたキハ30系にはないクロスシートの座り心地のよかったことを覚えている。1995(平成9)年までに姿を消した。 ’88.8.1  八高線 高麗川 P:梶村昭仁

三国芦原線急行長田 1976-1.jpg

元南海電鉄モハ1201形。1500V昇圧で不要となった同車を、京福電鉄福井支社は16輌導入。形式も南海時代の親分たる2001形を襲名(?)した。の認可速度は65km/hなので性能的にも適し、ロングシートながら座り心地、内装ともに定評のある「南海電車」の導入で、京福福井は一挙にグレードアップした。朝夕には急行電車も走らせ、南海時代ではめったに見かけない姿も見られた。写真のモハ2008はもと南海1220で、大きな窓を低くした戦前の南海タイプの絶頂期の逸品である。後に阪神から購入の車体に取り替え、越前鉄道となった現在も下回りは健在なはずである。運転士に言わせると、馬力が強く多少雪が降っても運転可能な頼もしい電車であるそうだが、雪国で高く評価されるとは、南海時代夢想だにしなかったことだろう。 ’76.1 三国芦原線 長田 P:永野晴樹

DD53 1

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DD53は高出力のロータリー式除雪機関車で、汽車会社において1965(昭和40)年~1966(昭和41)年にかけて3輌が製造された。DD51が基本となっているが、車体は箱型で外観は大きく異なっている。DD51同様1100PSの機関を2基搭載しており、降雪量が少ない時は一方を除雪用、一方を走行用に使用、降雪量の多い時は両方の機関を除雪用に回し、DD20またはDE10が補機となり、後押しをする。降雪期以外はロータリーヘッドを外し、通常の本線運用に就くことが可能。写真のDD53 1は旭川配属時のもので、その後、新庄に転属、1987(昭和62)年、廃車となっている。現在、碓氷鉄道文化むら(群馬県)で、ロータリーヘッドを連結した状態で保存されている。 ’73.3.31 宗谷本線 和寒 P:田中一弘

阪神3501形

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阪神電鉄の急行用高性能車輌で、両運転台が3301形、方運転台が3501形。3501形は1958(昭和33)年~1959(昭和34)年にかけて、汽車会社、川崎車輌、日本車輌で20輌が製造された。1965(昭和40)年に昇圧改造が行なわれ、その際に奇数車、偶数車をユニットとし、偶数車のパンタグラフを撤去、制御装置は奇数車に、コンプレッサーは偶数車に取り付けられている。そのため単独走行はできなくなった。本線の特急・急行や西大阪線で活躍したが、1988年までに全車廃車。 ’81.8 武庫川付近 P:深山剛志

東急 デワ3042

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東急の荷物電車。1969(昭和44)年、デハ3204から改造された。中央扉の拡幅のほか、車体をリベットレス化、シル・ヘッダーを平面の帯材に交換するなどの改造がなされている。濃いグリーンの荷電専用色から、一般車と同じライトグリーンに識別用の黄色帯という塗装に変わった直後に撮影。1981(昭和56)年、廃車となった。 ’79.8.12 田園都市線 二子玉川園 P:松尾彦孝

オヤ17 1

オヤ 17-1.jpg

旧型車の下回りを利用し、軽量客車のボディを乗せたオシ17。1956(昭和31)年~1961(昭和36)年の間に30輌が誕生し、各地の優等列車に連結され活躍したが、急行列車の特急格上げや食堂車の連結廃止などで余剰となり、1972(昭和47)年の急行「きたぐに」の北陸トンネル内での列車火災事故により、全面的に連結は廃止されてしまった。1974(昭和49)年、2輌が教習車オヤ17形に改造された。写真のオヤ17 1はマロネ29 101→マハ29 106→オシ17 2055→オヤ17 1という経歴。
’76.4.4 秋田 P:原 将人

南海モハ2001形

南海モハ 2011 +クハ 2804 羽衣付近 .jpg

南海本線の特急・急行に活躍した名車。1929(昭和4)年の阪和電鉄の部分開業、さらに翌年の全線開業に対抗して製造した200馬力(150kW)、の20m級大型車。省電は横須賀線用に17mのモハ32(100kW)をやっと製造した時代。600Vの悪条件の中で開発した歴史的名車の一つである。写真は昭和5年に増備したタイプ。前年の昭和4年タイプとともに側窓が二段完全上昇式となっている。南海の2001形は当初301形と称した。改番歴が複雑なので詳細は省くが、1936(昭和11)年の改番でモーターの馬力を基準としたものとなり、200馬力なので、以後2001形として南海本線の優等列車に君臨した。写真は昭和41年、私にとって最も好ましい昭和5年形が揃った美しい編成で試運転中の姿。当時昭和5年形のクハは2輌しかいなかった。2001形の特徴としてヘッドライトを白塗りにしていて、他の車両と区別していたのも思い出の一つである。 ’65.8 南海本線 羽衣-高石町(当時)  P:永野晴樹

東洋活性白土 2号機

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東洋活性白土専用線は糸魚川駅に隣接した積替えホームと工場を結ぶ延長約800mの専用線で、 軌間は2フィート(610mm)。2号機は協三工業製で重量6tで、もともと762㎜で設計されたため、軌間の割には車体幅が大きい。写真は、まるで庭園のような工場社屋の前に佇む2号機。今思うと、とても実用で使っていたとは思えないような、夢のような専用線であった。1982年(昭和57年) 10月、国道の拡幅工事のために同専用線は廃線となった。2号機は現在、糸魚川小学校に保存されている。 ’77.4.4 東洋活性白土工場 P:宮村昭男

クハ66000

クハ 66000.jpg

1974(昭和49)年に登場した、73系に111系に酷似した新性能車の車体を載せた身延線名物「アコモ改造車」。遠目には新性能車に見えるが、下回りは旧型そのままで、パンタグラフはPS13、車体の裾のRがやや異なるので、近寄って見れば一目瞭然。全身鉄粉まみれになっての活躍ぶりも旧型車然としていた。写真のクハ66の0番代は旧63系改造の73系が種車となっている。 ’76.8.28 東海道本線 富士 P:原 将人

近鉄 10100系

1979年06月04日名古屋線川原町-阿倉川10100系 .JPG

試作車としての意味合いが強かった10000系「ビスタカーⅠ」の経験を踏まえて本格的名阪特急用電車として登場した10100系「ビスタカーⅡ」。3輌連接構造となっており、A編成(上本町寄りが流線型)、B編成(宇治山田寄りが流線型)、C編成(両端とも貫通型)があり、総計18編成54輌が製造された。1979(昭和54)年、「ビスタカーⅢ」に置き換えられることとなり、前年の1978(昭和53)年夏よりA+B+Cの堂々9輌編成でイベント走行を行なっていた。 ‘’79.6.4 名古屋線 川原町~阿倉川 P:田中一弘

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