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2006年5月アーカイブ

EF60 13

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1960年に登場した直流電気機関車。写真の13号機は1次グループ(1~14号機)でクイル式駆動。同方式は起動時に車輪と主電動機との間に設けられた緩衝部分の空転により部品の磨耗が激しく、2次型以降は釣り掛け式に変更された。1次型はクイル駆動車を改造され瀬野八越えの補機専用機EF61形200番台になったものもあるが、他は1982年までに廃車された。13号機はEF61 200番代に改造されることもなく1982年6月に岡山で廃車となっている。 ’73.9 塚本─尼崎 P:高橋 明

オヤ41 1

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1968年(昭和43年)にマロネ40を改造して誕生した工事用宿泊車。区分室1室の仕切りを取りはらったうえで車輌中央部に談話室を設けたほかは、寝台はほぼそのままの配置で使われた。ただし、ベッドは畳敷き。オヤ41 1は元マロネ40 7。'87年に廃車となった。  '76.8.28 東海道本線 三島 P:原 将人

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いわゆる南海タイプの凸電として有名な電気機関車。このタイプのルーツは大阪高野鉄道が国産の電気機関車としては日本で最初に製造したことに始まる。詳細は省くが、戦後の南海タイプの凸電はED5105形とED5120形が戦前の面影を残す電気機関車であった。これらの電気機関車は電車用のモーターを流用するなど貨物用としては見かけによらず、高速性能(当時の国鉄貨物列車の最高速度は65km/h)に合わせ、南海本線や高野線の優等列車の合間をぬって、かなりの速度で走っていた。写真は南海本線経由天王寺行きの貨物であるが、南海独特の緩急車「ワブ」1輌のみの列車である。1500Vの昇圧を控え、大阪口の貨物輸送の末期の姿である。戦前型の電気機関車のうち、同系のED5120形tの1輌は三重県の国見鉱山専用線に払い下げて、1992年まで活躍した。ED5105形とED5120形の違いは側面の窓の数が異なる。なお南海のパンタグラフは一見PS13のように見えるが、三菱の大型パンタグラフのタスキを横方向に戦後改造したもので、模型化には注意を要する。 南海本線 岸里─玉出 '71.3 P:永野晴樹

ED60 2

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支線区の老朽化した輸入雑形機や国産古典機を置き換えるため、1958(昭和33)年から製造された新系列の直流機。川崎車輌の2号機が最初に落成し、三菱電機の1号機、東洋電機の3号機ともども、“くろよん”建設資材輸送が急務の大糸線に投入された。1960年までに追加された4~8号機は阪和線に使われた。全長13mで56tと小柄だが出力は1560kW、阪和線で重連を組んだEF15と大差ない。北松本に配属された2・3号機は1962年に甲府に移り、3年後に阪和線の応援にまわって7年間働き、その後は大糸線に戻った。保存される1号機が1984年3月にさよなら列車を牽引、2・3号機は年末に廃車になった。 ’69.2.18 竜華機関区 P:内藤健作

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1973(昭和48)年に三菱重工で製作された55トンクラスのディーゼル機関車で、動力性能は国鉄DD13 111以降と同じである。ただ、台車がDD13のものとは異なり、三菱重工オリジナルである。このディーゼル機関車3輌の投入で9600形蒸機を駆逐し、無煙化を成し遂げたものの、石炭産業そのものが立ち行かなくなり‘87年には鉄道廃止。それとともに廃車、譲渡先も見つからないままに解体されてしまった。 '74.9.14 清水沢 P:青柳 明

ソ300

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橋桁架設用操重車でソ200の改良型。1966年(昭和41年)、日立製作所で2輌が製造。扱い荷荷重はソ200より5t重い35tで、300PSのディーゼルエンジンで20km/hで自走する。2001年(平成13年)までに2輌とも廃車となった。ソ301は現在、碓氷鉄道文化むらに静態保存されている。 '76.3.13 山手線 目白 P:原 将人

オロハネ10 503

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日本では少ない中央扉の1・2等合造寝台車(当初は非冷房でナロハネ10)で、ロネ側はプルマン式。1958(昭和33)年に誕生し、1~5は中央東西線の準急「アルプス」「きそ」に連結された。信越本線の準急「妙高」などに使われた6~9は北海道に転属後、耐寒改造工事を受けて501~504に改番(のちに2が追加され505)。冷房化はロネが1964年、ハネが1969年。北海道では準急「石北」(のちの「大雪」)「たるまえ」、「利尻」などに投入された。本州では急行「さんべ」に5年間ほど使われ、北海道では1977年以降「利尻」と「大雪」から外され、1979年に全廃を迎えた。 '75.9.18 札幌運転区 P:内藤健作

近鉄2200系

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世界中でお前の好きな電車を言え! と言われたら私は躊躇なくこの電車を挙げる。33‰の連続勾配もなんのその、平坦区間では110km/hで疾走。200馬力のモーターを装備、4M2Tの6連で大阪上本町から宇治山田、後には鳥羽まで足を伸ばしたわが国電車史上歴史的な名車である。先頭車はもとデトニと呼ばれた荷物室とコンパートメントの特別室、後ろ半分はクロスシートの一般席であるが、戦前の国鉄二等車並のデラックスさを誇った。そして何よりも大型パンタグラフを振りかざした豪快なスタイルがいっそう魅力的であった。昭和5年から16年にかけて製造された戦前型は1975(昭和50)年11月23日の新青山トンネル開通の前日に惜しまれつつも引退した。 '67.5.28 近鉄 大阪線 安堂-河内国分 P:永野晴樹

EH10 3

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2車体を永久連結した8動軸式マンモス機EH10が神崎川の鉄橋上に下り貨物列車を牽いて姿を現した。牽引機は初期型の3号機でパンタグラフが車体中央寄りに装備されている。高速走行中に架線にダメージを与えるという理由で量産型ではパンタグラフは車体両端に位置を変更された。車体長は量産型より200mm短い。黒い車体に黄色のラインが入り、そのカラーリングから「熊ん蜂」と呼ばれた。1981年に形式消滅している。 '74.3 東海道本線 塚本-尼崎 P:高橋 明

DD51 20

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DD51はまだ消えた車輌ではないと思われるかもしれないが、この写真の20号機のような初期形はとっくの昔に過去帳入りしている。20号機は1964年日立で製造された第4次車で、この年次からエンジンが100PSアップのDML61Zになった。当然SG付きだが非重連タイプである。廃車は1986年、もう20年も前だ。 '80.1.28 会津若松 P:宮村昭男

能勢電気軌道10形

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能勢電には元阪急の木造車デロ10系がポールをつけて活躍していたが、阪急の320形全鋼車の入線を機会に1966年にパンタグラフ化された。デロ10系もパンタグラフとなり、往年千里山線で活躍したような姿が復活した。能勢電では2個モーター車を10形と称しMc+Mcで使用。4個モーター車は20形でMc+tcで偶数番号がMc,奇数番号がTcであった。現在山下駅は高架となり長大編成が走り回る様は隔世の感に堪えない。木造車は1968年には廃車となった。 '67.5 能勢電気軌道 山下 P:永野晴樹

キハ81

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151系電車特急「こだま」の成功を受け、1960(昭和35)年に誕生した初の特急形気動車。スハ44系客車で運行されていた「はつかり」を置き換えたが、初期故障の続発に悩まされた。「こだま」を意識した先頭のキハ81は非貫通スタイルで、ボンネットには発電エンジンが収まっている。43・10改正後は「つばさ」、1969年から「いなほ」「ひたち」と引き続き東北地方で使われたが、最後は1972年に紀勢本線の「くろしお」に転進して、1978年の電化まで働いた。 '64.8.10 常磐線 小高~岩城太田 P:内藤健作

小田急 2400系

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小田急2400系は4輌固定編成でHE車とよばれ先頭車が16.5m中間車が19.5mと変則的な長さを持つ車輌でした。1959(昭和34)年から1963(昭和38)年までの間に、1963年までに29編成116両が製造。1983年までは急行の箱根湯本行きに必ず使用されていました。本線では9000系の6輌編成との混成10輌編成も見られました。 '79.7 柿生 P:深山 剛志

D50 231

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D50 231は昭和3年に日立で製造され、戦前は広島地区に在籍して、戦後九州に転属してきた。永く出水機関区で活躍して最終配置区は若松機関区。昭和44年に廃車になった。同機は、形式入りの大型プレート、シールドビーム、パイプ煙突と他のD50と比べて異彩をはなっていた。 '69.10 若松機関区 P:松崎昌一

阪神電鉄 国道線 210

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金魚鉢と言われた阪神国道路面電車。渋滞の根源ということでご多分に漏れず やがて同鉄道会社の路線バスにとって変わられることになるが、国道を行き交う車の数は今と比べものにならないくらい少ない。 '74.3 阪神電鉄 国道線 武庫川附近 P:高橋 明

小田急1800形

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小田急の63形改造車デハ1800形。当時準急以外ほとんどの優等列車が高性能車だった中、白昼堂々と快速準急に活躍する珍しい姿。90㎞/h以上の速度は出たが凄まじい乗り心地だった記憶がある。後に2灯化、列車種別表示幕を取り付け顔つきが変わった。台車も枕ばねをコイルばねに改造され、秩父鉄道に売却の後廃車となった。 '68.4 和泉多摩川~登戸 P:永野晴樹

クモハ53007

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流電なき後、飯田線一番の人気者だったクモハ53007だが、実際は4連の中間に入ってなかなか先頭に立ってくれなかった。この日は2連運用を追い掛けて撮影。飯田線から旧国が消えるまであと4か月あまりだが、美しく整備された車体に現場の人々の愛情を見る。'83,2,9 飯田線 本長篠 P:宮村昭男

DF50 5

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DF50は1957(昭和32)年に登場した電機式ディーゼル機関車。国産ディーゼル機関車としては初めて量産ベースに乗った形式。1~65までが三菱重工がライセンス生産で製作したスイスのズルツァー社のエンジンを搭載、川崎車輌と日立製作所のものは500~で、ドイツのマン社のエンジンをライセンス生産し搭載している。DF50 5正面窓が大きなのが特徴の初期型で、亀山機関区で’78年12月に廃車となっている。'78年10月の宮電化直前。すでに架線がはられている。 '78.8 紀勢本線 新宮 P:松尾彦孝

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