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2006年4月アーカイブ

クハ86 1次型

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1949(昭和24)年に登場した最初の“湘南電車”は塗り分けが斬新だったものの、制御車は過渡期のデザインの3枚窓で、翌年の二次車から2枚窓になって、有名な湘南形が定着した。その後、一次車もこの写真のようにライトを屋根に埋め込み、窓まわりのHゴム化などの改造を受けている。これは高崎・上越線に運転されていた時代で、東海道の湘南形とはライト部分の塗り分けが異なる。 '63.4.3 高崎 P:内藤健作

D62 20

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D62形式は1959年、20輌全機が一ノ関庫に集中配属され、東北本線の長町~盛岡間の貨物仕業に就いていた。1966年9月30日最後まで残っていた、10、15、20号機がそれぞれ惜別列車を牽引して引退。20号機は長町~一ノ関間の第153列車牽引の乙組19仕業が最終であった。 '66.3.21 一ノ関機関区 P:大山 正

京阪80形

京津電車

初めて京都に行ったときに三条駅付近で撮影。昨年おなじ場所に行ったが、地下化されていたために、まったく様変わりしていた。80形は1961(昭和36)~1970(昭和45)年までの間に近畿車輛で16輌が製造された。京津線のローカル用電車で、三条~四宮間が基本的な運用範囲だったが、準急や急行に使用されることもあった。81~93号は登場当初はポール集電・両運転台で、単行運転していたが、'70年にパンタグラフ化される。これら両運転台車は'71年までに片運転台化され、撤去した運転台のあとに貫通路を付け2輌編成化された(94~96号は登場時からパンタ装備で片運転台)。'97年京津線区間廃止を機に廃車。 '80.8 三条-東山三条 P:深山剛志

C57 135

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1975年12月14日に国鉄最後の旅客列車を牽引した135号機は、1940年に三菱重工業で製造された1次型で、高崎に新製配置後、1952年に北海道へ渡り、廃車となる1976年3月31日まで北の大地で活躍した。切り詰めデフ、フロント右側の入れ替え作業用四角い手すり、密閉キャブ、旋回窓等改造が施されている。廃車の一ヶ月半後から、交通博物館のメインホールに展示されている。 '75.3.26 室蘭本線 苫小牧 P:矢野登志樹

クハ16215

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昭和元年~3年にかけて製造された鉄道省初の鋼製車体の電車、モハ30系の電装を解除してクハ化したグループの最後の1輌がこのクハ16215である。この時点ですでに齢50年あまり、南武支線に最後に残った17m級国電の中でもピカ一の古さであった。なんと言っても国鉄電車のご先祖様のような存在だ。残っているのが奇跡的に思えた。 '76.8.10 南武線 矢向電車区 P:宮村昭男

キハ391

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山陰本線 米子~益田間にいよいよ「さよなら列車」が走る日。時間があったので米子駅に立ち寄ると、なんと! 何か月か前の鉄道雑誌で伯備線での試験走行の記事が載っていたキハ391が留置線に置かれているではないか。キハ391系は1972(昭和47)年に3輌1編成のみ製作されたガスタービン試験車。中間車のみにエンジンを搭載、前後の2輌は付随車で振り子構造になっている。伯備線、八高線などで試験をしたが騒音が大きい上、燃費が悪く、結局は量産化されなかった。 '75.1.15 米子 P:高橋 明

両棲バス043-2001

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鉄道開業90周年記念の「伸びゆく鉄道科学大博覧会」に出品された「両棲(アンヒビアン)バス」。アンヒビアン(amphibian)とは英語で両棲類のこと。国鉄自動車局は当時西ドイツで実用化されていたアンヒビアン・バスを地方閑散線に切り札として投入することを計画。この2年前の第2回アジア鉄道首脳会議で、市販トラックを改造した試作の軌道モーターカーが出品されている。この「043形」は三菱ふそう製R-480形のシャーシを用いて試作されたもの。レール上の走行ではバスのタイヤは使わず、手前に見える鉄道用の台車に乗るため転換は簡単ではなく、実用試験をしたのかは不明。 '62.6.11 晴海 P:内藤健作

C55 19

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C5519は、昭和10年12月日立製。東北地方を転々とした後、九州に転属して来て人吉区から昭和43年10月に若松区に転属、以後3年余りを筑豊線で活躍した。昭和46年4月一休になり、鳥栖区に据付ボイラーとして転属。再び走る事はなかった。九州のC55では数少ない標準デフ装備。また、この機関車はあまり調子がよくなく冷水峠越えのある飯塚以南の運用にはあまり使用されなかった。 '70.5.20 筑前埴生 P:松崎昌一

キハ22 222

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北海道でいつもお世話になったのがキハ22形。これに乗ると「ああ、北海道に来たなぁ」という思いになった。夕張線に入る為に追分で下りると、キハ22 222というゾロ目ナンバーのキハ22が待っていた。キハ22形は1959年キハ21形をさらに耐寒強化した形式として誕生。乗降口にデッキを設けるほか、窓も小型の一段上昇窓とし保温性を高めている。もとろんエンジンや冷却装置などの耐雪・耐寒能力も一層高められた。この形式は以後の北海道向け車輌の基礎になった。 '75.7.29 室蘭本線 追分 P:宮村昭男

C60 33

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当時の仙台庫にはC58、C59、C60、C61、C62が合計30輌以上配属されており、仙台庫のC60は主に常磐線で運用された。C62廃車の置換えで盛岡や青森のC60が補充された時期があり、盛工式補助デフのC60も在籍していた。 '68,1.9 仙台運転所 P:大山 正

新京成電鉄 モハ127

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京成電鉄のクハ126形として1928(昭和3)年に雨宮製作所で作られた3扉の16m車だが、ほどなく電装されている。これは新京成に移籍してまもない頃で、前面5枚窓のクラシカルな風貌だったが、このあとすぐに大栄車輛で鋼体化改造を受けて印象が様変わりした。本来の台車は雨宮A-1だが、すでにD16に変わっている。他形式とも編成を組んで長らく活躍したが、1985年2月に廃車になった。 '63.03.26 新京成電鉄 藤崎台 P:内藤健作

阪神電鉄 国道線 87

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国道2号線の真ん中に「安全地帯」と称する立派なホームがこれを撮影する少し前までは存在したのだか、路面電車の末期には交通渋滞の原因になるということでホームは撤去され、老若男女を問わず乗降客は停留所で電車から直接車の行き交う国道に飛び降りていた。 '74.3 東難波付近 P:高橋 明

EF57 7

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年末年始やお盆と並び、ゴールデンウイークはゴナナの稼ぎ時である。普段はなかなか来ないEF57だが、臨客が走る時期はよく顔を見せてくれた。8103レ〈八甲田52号〉。EF57 7は1942(昭和17)年、日立製作所製。沼津機関区、浜松機関区時代は華の東海道で活躍。'56年長岡機関区に転じ、上越線に活躍の場を移す。'60年より宇都宮機関区に。宇都宮で過ごした期間が18年ともっとも長い。 '75.5.4 上野 P:宮村 昭男

C57 65

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C57 65は、昭和13年8月に川崎車両で製造され、梅小路区に新製配置された。以後九州に転属して最終配置区は宮崎区。昭和49年4月の宮崎電化で廃車となった。同機は門司港区時代にC57 11と共に特急「かもめ」の専用機として活躍した。なお、熊本県の高森町に静態保存されているC12 241に付いている切取デフは同機のデフをカットして取り付けた物である。 '68.3.27 日豊本線 海崎 P:松崎昌一

三菱大夕張鉄道 No.2

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元は‘40年に美唄鉄道が自社発注した5号機で、鉄道省9600形と同型機である。製造は川崎車輌で鉄道省の製造が終わって15年後のことであった。これを大夕張鉄道では南大夕張鉱の出炭用に‘69年に購入し、No.2に改番した。入選に際してはデフの取り付けなどの改造が施されている。大夕張炭鉱の閉山に伴い‘73年秋には火を落とした。 ‘73.3.20 清水沢 P:青柳 明

ED21 3

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前身は富士身延鉄道210形で、日立製作所で1928(昭和)3年に製造、第二次大戦直前に買収され、そのまま身延線でED213となる。戦後は飯田線に移り、1号機は廃車され、2号機は中部天竜に留まり、3号機は大糸線に転出して1973年まで使われた。全長12.5mで56.6tだが出力は740kWと低い。貫通路の脇の梯子が特徴。 '69.11.27 大糸線 信濃大町 P:内藤健作

クエ28002

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クハ16から改造された救援制御車。クエ28002は山間部を通る身延線用に改造された車輌で、ヘッドライトが増設され、妻面の観音開きの大扉と相俟って特異な面構えとなっている。クエ28への改造は大井、吹田、浜松の各工場で1962(昭和37)年から1965(昭和40)年にかけて行われた。総数は5輌。1985(昭和60)年までに全機廃車となった。 ‘76.8.28 沼津機関区 P:原 将人

京都市電1903、1856

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京都には市電が良く似合っていた。観光にも一番利用しやすい乗り物であったのに、末期には外郭線は30分近い運転間隔にもなり、利用客も激減していた。雨の九条車庫で出発を待つ1903と1856。1976.7  烏丸車庫前 P:神谷武志

キハ17 228

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気動車といえばこれが思い浮かぶキハ17。228号車は昭和30年新潟鉄工所製である。廃車はこの写真を撮った昭和54年の12月25日。10系気動車の貧弱な車内や椅子も、今となっては懐かしい。 '79.3.11 関西本線 亀山 P:宮村昭男

ミ10

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水槽車は特急「燕」用のかまぼこ形のミキ20と、普通の円筒タンクのミム100が知られているが、これは荷重13トンの小さい箱型の水槽車。車体には高崎操常備とあるが、上武鉄道から出る貨物の入換に来る機関車の給水用だったのか。なお宮沢模型からこの形式の製品が出ている。 '63.4.3 八高線 丹荘 P:内藤健作

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