鉄道ホビダス

2005年10月アーカイブ

D51 70

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1937(昭和12)年日立製作所で落成後、岡山機関区に配属。戦後は北海道に渡り、岩見沢、小樽築港などを経て追分機関区に。同区が最終配属区となった。室蘭本線、夕張線で活躍。キャブは密閉式に改造されていない。'74.8.6 室蘭本線 白老 P:山下修司

京王帝都電鉄 デハ5119

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5000系の附属編成として誕生し、当初は台車、電装品を2700系から流用した2輌編成で5070系を名乗っていた。5113Fからは完全に新車となり、1968年の9次車、5119Fからは冷房装備の3輌編成で登場し、5000系と7連の特急を組んだ。追ってカルダン車の5113F以降の編成にも中間M車が増備されて3連になった。5000系共々この9次車は冷房車の試作的要素が強く、分散クーラーを8基(パンタ車は7基)搭載した姿は壮観だった。1985年に廃車。'68.4.28 高幡不動検車区 P:青柳 明

マヌ34 28

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戦後間もないころ、SG搭載の電気機関車もあるにはあったが、暖房装置のない電気機関車が圧倒的に多かった。電化の進展と列車本数の増大から暖房車が不足気味となり、1949(昭和24)年にB6(2120形)のボイラとトキ900の台枠を組み合わせたマヌ34形暖房車が登場した。暖房車の中ではもっとも大型で、長距離旅客列車を中心に使用された。マヌ34 28は1950(昭和25)年郡山工場で落成、1970(昭和45)年10月に米原で廃車になっている。'68.3.7 米原 P:笹本健次

D51 651

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新見機関区所属機で伯備線で活躍していたD51 651は、実はいわくつきの機関車で、水戸機関区に所属していた1949(昭和24)年7月6日、常磐線の貨物列車を牽引中、下山定則国鉄総裁を轢断した機関車といわれている。事件は謎に包まれており現在でも経緯については諸説ある。1972(昭和47)年9月に廃車。'70.4.25 伯備線井倉 P:笹本健次

小田急電鉄 クハ2680

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1964(昭和39)年に車体裾を絞った大型車体を持って登場した。全長20mで、Tc+M+M+M+Tcの5輌編成だったが、1967(昭和42)から翌年にかけてサハを組み込んで6連にした。電動車が3輌のため、1台の制御器で6台のモーターをコントロールするという珍しい方式だ。5000形の登場で塗装もアイボリー化されたが、最後に2670Fが青と黄色の塗装に戻されて、'04年6月にさよなら運転を行ったのも記憶に新しい。 '68.9.8 経堂検車区 P:青柳 明

井笠鉄道 ホワ4

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1913(大正2)年、日本車輌製の木造ボギー貨車。軽便らしく荷重は4t。撮影当時はもうすでに輸送の担い手はトラックに変わり、貨車の出番はあまりなくなっていた。ホジなどに1輌だけつながった姿が、ローカルムードをかもし出していた。 '68年 笠岡 P:笹本健次

夕張鉄道 キハ201

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1952(昭和27)年に新潟鐵工所で製造された機械式気動車で、国鉄キハ07とほぼ同じ設計だが、前面窓は最初から4枚であった。その後1957(昭和32)年には液体式に改造、1960(昭和35)年には中央扉を埋めて2扉化されるなどの改造を受けた。旅客営業廃止の1974(昭和49)年には岩手開発鉄道に僚車キハ202と共に売却されたが、キハ201は部品取りであったという。 '74.9.7 鹿ノ谷 P:青柳 明

阪急 974

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920系は1934(昭和9)年から製造された神戸線用の電車。900系とともに戦前を代表する鋼製車。170kWの大出力の主電動機を搭載し、梅田〜三宮間を25分で結んだ。総数は56輌で晩年は宝塚線で活躍した。'82年までに全車引退している。'77.3.19 中津 P:山下修司

ED77 901

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1965(昭和40)年に試作されたサイリスタ制御の交流機ED93を改造、ED77に編入し901とした。正面に貫通扉を設けるなど、ED77量産機と規格を合わせたが、屋根上に機器を収めたドームがあるために遠目でもそれと分かる。ED77量産機と共通運用で、磐越西線で活躍したが、1986年に廃車された。 '82.5.2 郡山 P:山下修司

京浜急行 デハ268

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湘南電鉄が開業用に製造したデ1形と、ほぼ同型の京浜電鉄のデ71形などが大東急合併時にデハ5230形となり、戦後の京浜急行分離のときにデハ230形となったもの。大きな側窓と浅い屋根が軽快な感じを出しており、京浜急行の特徴ともなっていた。'63年からの更新工事で全車の仕様統一がはかられた。'78年のさよなら運転を最後に、全車姿を消した。'76.6.27 新町検車区 P:青柳 明

C59 162

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最後のC59、3輌のうちの1輌。3輌とも戦後型で糸崎機関区に配置、1970年9月30日の電化開業まで活躍していた。平から転属の軸重軽減されたC62に比べ、C59は空転しにくく〈音戸〉〈ななうら〉などの重量列車では頼りにされていた。僚機C59 161は広島に保存され、C59 164は梅小路入り、C59 162のみ解体された。キャブ側面窓追加、清罐剤送入装置の載る部分のランボードを一段下げた山陽筋に見られるタイプ。'68.3.6 広島 P:笹本健次

C11 41

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1933(昭和8)年川崎車輌製。関西地区から米子機関区に転入。倉吉線を中心に活躍した。倉吉線のお別れ列車牽引に際して、デフに巨大なツバメのイラストをペンキ書きされ、ファンの度肝を抜いた。この写真はお別れ運転当日の朝、米子機関区で撮影したものだが、さすがに写欲が大いに削がれたのを覚えている。その後、九州・志布志機関区に転属。「おばけツバメ」は日南の海を背景に走った。 '74.4.28 米子機関区 P:山下修司

秋田中央交通 EB‐111

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1952(昭和27)年、日本鉄道自動車製の電気機関車。B‐Bの軸配置だが片軸駆動のためEBを名乗る。越後交通長岡線から1967年に転入したものの、1969(昭和44)年の鉄道廃止とともに廃車となった。その後、五城目町の小学校に客車とともに保存されていたが、惜しくも2002(平成14)年に解体されてしまった。 八郎潟 '68.1.3 P:青柳 明

DE50 1

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1970(昭和45)年に日立製作所で試作された貨物用ディーゼル機関車。2000PSクラスの大型エンジン1基で5軸全軸を駆動させる方式をとり、DD51の後継機となるべく企画・設計された。竣功後は中央本線、伯備線で試験的に使用されたが、故障が多発、電化の進展もあって、結局、量産には至らなかった。休車となって長い間岡山機関区の片隅に放置されていたが、'86年廃車となってしまった。現在、岡山電車区気動車センターで保存されている。 '77.4.7 岡山機関区 P:山下修司

美唄鉄道 4

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国鉄4110形の設計を流用して美唄鉄道が自社発注した同形機3輌のうちの1輌。国鉄4110が全機川崎造船所製だったのに対し、美唄の自社発注機は三菱鉱業だけに三菱造船所で製造されている。大煙管本数も国鉄4110より1本多く、全伝熱面積もわずかに広い。美唄は戦後国鉄の4110形4輌の払い下げも受け、この自重65tもあるEタンク7輌が主力機として活躍した。1972(昭和47)年5月の廃線時まで在籍、生涯を美唄で通した機関車であった。'68年 美唄 P:笹本健次

小田急電鉄 クハ4051

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2600形と同じ20mの大型車体に、HB車、AFB車といった旧型車のモーターを流用して新造した形式で、1966年に登場した。当初はMc+M+Tcの3連で、台車もパイオニアを履いていた。1974年からは中間にM車を2両組み込んで5連化された編成も登場した。1985年から冷房化・高性能化改造が施されたが、3000形の投入で2005年に全車廃車。写真は1967年11月の小田急デパート完成記念塗装が4001Fに施されたときのもの。 '67.11.29 成城学園前 P:青柳 明

ED27 14

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国鉄ED27形電気機関車。国鉄/JR南武線の前身である南武鉄道が、1928(昭和3)年に日立で4輌製造した1000形(1001〜1004)50トン電機は、南武鉄道の国策買収により国鉄1000形を経て1952(昭和27)年に実施された形式称号改正でED34形に。さらに1961(昭和36)年の形式称号改正ではED27形の11〜14とされている。本形式は終始一貫して南武・青梅・五日市線の貨物列車牽引機として活躍し、1968(昭和43)年に11、12号機が廃車となった。12号機は幸いにも、各地より電気機関車を集めていた岳南鉄道に引き取られ同社のED27 1として1973(昭和48)年まで活躍した。一方、国鉄に残った13、14号機も引き続き南武線界隈で活躍した後、1973(昭和48)年に廃車となり姿を消した。'69.6.28 東川井(信) P:笹本健次

セキ8000

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国鉄セキ8000形石炭車セキ8043。古い順に、セキ1、600、1000、3000、そして6000形と続いてきた北海道向けの2軸ボギー側開き式石炭車だが、1981(昭和56)年に誕生したセキ8000形はグループのトリを務める形式となった。ク5000形の廃車発生品であるTR63F形台車を用いた改造車という名目だが、実際には車体を完全に新製し、台車を流用したもの。75km/hでの運転を可能とする155輌が誕生している。北海道のみならず、本州西端の地域でも使用された。'84.7.29 上砂川 P:滝澤信久

DD90 1

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東芝が米国GEと技術提携して1954(昭和29)年に試作したディーゼル・エレクトリック機で、エンドキャブ側には米国流にデッキが備えられている。エンジンはクーパーベッセマーFWL6T(600ps/1000rpm)1基で、運転整備重量も60t近くあった。試験的に借り入れ後、1958(昭和33)年に国鉄籍となり、大宮の入換えに使用された。当初は赤と黄色の斬新な塗り分けが目をひいた。'66.3.19 大宮 P:笹本健次

加悦鉄道 ハ10

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1926(大正15)年梅鉢鉄工所製の木造ボギー車で、全長13m弱と加悦鉄道在籍車輌の中では異例に大きい。座席定員は32名。ダブルルーフと不釣合いな台車が特徴で、朝夕の通勤・通学列車を中心に活躍していた。現在でも加悦SL広場で保存展示されている。’70.4.23 加悦 P:笹本健次

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