鉄道ホビダス

2005年6月アーカイブ

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1926(大正15)年汽車会社製の15m両運車で、南武鉄道が開業時に新製したモハ106がルーツ。南武鉄道買収後はモハ106のまま買収国電として活躍していたが、流山鉄道が電化に際し同形4輌の払い下げを受け、モハ101形106号となった。西武鉄道より501系第2編成「流馬号」が就役し、入れ代わりに1979年廃車。'79.3.9 流山 P:名取紀之

D50 300

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1928(昭和3)年日立製のD50で、晩年は米原区に所属し北陸本線で活躍した。プレートタイプの先輪と、蓋付きバイパス弁点検窓と欠き取りのあるデフが特徴。1968(昭和43)年12月5日付で廃車。'68.3.7 米原 P:笹本健次

ワム70001

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ワム70000形は鋼板をプレスした部材を組み合わせて近代的な車体とした初の形式。昭和33年の製造初年で、5700余輌が製造された。写真は立川駅でキャッチした超若番車。国鉄末期、有蓋車の車体は倉庫として販売されたが、なぜか本形式の事例は極めて少ない。’79 立川 P:滝澤隆久

EF591

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山陽本線瀬野八越えの補機専用機。EF53形から改造されたものが19輌、EF56形からのものが5輌、計24輌、歯車比を変更した上で重連総括制御機能、自連解錠装置を付加されEF59となった。写真の1号機はEF53 8からの改造。基本的には貨物列車は重連で、旅客列車は単機で後部に連結。特急・急行や特急貨物列車は八本松の広島寄りで走行解放された。瀬野 ’78.3.8 P:山下修司

水島臨海鉄道キハ320

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水島臨海鉄道キハ320。昭和44年国鉄より譲渡。国鉄時代はキハ07 202。キハ10系の導入により昭和55年に廃車。そのキハ10系もキハ20系に取って代わられた。倉敷市駅は、現在はJR倉敷駅に隣接した高架駅になっている。後ろの車輌は元夕張鉄道のキハ301。 倉敷市駅 '76.3.24
P:山下修司

C57 182

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動態復活して「SLばんえつ物語号」の牽引機として活躍しているC57 180の僚機で、1961(昭和36)年に新潟機関区から新津機関区に転入し、以後1971(昭和46)年まで10年間を羽越本線・磐越西線の主力として過ごした。新津からは米子に転じ、最終的には1973年6月16日付で南九州・吉松機関区で廃車となっている。独特の五角形のドーム前手摺などに長野工場施工機の特徴が見られる。'61.8.10 会津若松 P:笹本健次

EF6113

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EF60の歯車比を変え高速性能に重点をおいた上でSGを搭載したEF61。18輌製造。末期はEF58とともに荷物列車にもっぱら使用されていた。そんな中で急行「阿蘇」は同機の花形運用で、冬場は蒸気をたなびかせ東海道・山陽路を駆けた。 東海道本線 豊橋 ’78.3.15 P:山下修司

小湊鉄道キハ41004

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首都圏近郊で「原風景」が残る私鉄として人気の小湊鉄道だが、現在の主力車輌キハ200形が出揃うまでは、国鉄払い下げのキハ41000形が主力であった。写真手前のキハ41004は1949(昭和24)年に千葉で事故廃車となった国鉄キハ41006を譲受したもの。'69.3.11 五井 P:笹本健次

D51230

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浜田機関区のD51は昭和45年当時、長躯、岡山まで足を伸ばす運用があった。A10運用で、伯備線内は米子発7:15の922レで岡山着12:43。岡山発17:48の925レで米子着が22:57であった。先端が開閉する浜田機関区特有のスノープラウが岡山でも見られた。岡山機関区 '70.3.21 P:山下修司

スハシ38 6

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1960年代までは2等車主体の急行列車にも食堂車は不可欠で、その要請から2等座席と合造の食堂車が誕生した。このスハシ38 6はスロシ38形の格下げによって誕生したマハ(シ)49を再改造したもので、食堂定員は18名。3軸のTR73形台車を履く。写真は急行「石狩」に組み込まれた姿。'64年 函館 P:笹本健次

京都市電1925

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京都市電1900形電車は、900形のワンマン化改造により1970(昭和45)年に誕生した形式で、1957(昭和32)年増備の916~931を種車として、番号はそのまま+1000としている。全長12880mm、定員100(内座席38)名で、直接制御車。京都市電が終焉を迎えた1978(昭和53)年9月末日まで活躍を続けた。京都時代に廃車となった1922を除く15輌が広島電鉄に譲渡され、現在も活躍中。この1925は現在の広島電鉄1909号である。'78.3.28 烏丸車庫 P:名取紀之

C60 14

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盛岡機関区で十三本木峠越えに活躍したC60。母体は広島地区で活躍したC59 69で、浜松工場の改造。盛岡区のC60には、煙突を取巻くように郡山工場施工の小型除煙板が付けられている。東北本線電化とともに'69年10月1日付で廃車。'67年 盛岡機関区 P:笹本健次

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1949(昭和24)年日立製の762㎜軌間用電機で、正式な形式名は「デキB」。車長に比較して広い前後のデッキが目を引く。貨物営業廃止後も通勤列車牽引用として残されていたが、この写真の一箇月後に運用離脱し、以後は除雪用等に使用されるだけとなった。'69.5.19 悠久山 P:笹本健次

テ689

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テ600形は、生石灰など水に濡れると発熱・発火の恐れのある貨物を運ぶ鉄製有蓋車の一形式で、テ1形、10形、900形と共に明治末期の生まれ。1965(昭和40)年3月現在18輌が辛うじて残存していた。写真は窓をあけられるなど事業用車代用として生き残った姿と思われるが、形式写真は極めて珍しい。'65年 早岐 P:笹本健次

東京都電1534

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戦前に木造車を鋼体化改造して登場した1200形を、戦後の輸送量増加に対応するために、車体を側窓2個分ストレッチして生まれたのが1500形。1961(昭和36)年から3年間で総計46輌が誕生した。錦糸堀車庫所属で、日比谷、須田町以東で使用された。'68.5.5 茅場町 P:笹本健次

キハ45 4

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苗穂工場でオハフ62を改造して誕生した気動車。片運転台で後位側(便洗側)はほとんど種車の客車そのままである。1966(昭和41)年にキハ09(2代目)に改称された。両運転台バージョンはキハ40(→キハ08)であった。’64年 釧路 P:笹本健次

EF14 1

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国産初の大型電機として誕生したEF52形9輌のうち、最後に製造された2輌はEF53と同歯車比のためすぐにEF54形と改称された。さらに戦時中に貨物用として改造されEF14形1・2となった。晩年は吹田二区に所属し、大阪駅の入換えに従事した。1974年廃車。’70.4.27 大阪 P:笹本健次

伊豆箱根鉄道ト18

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旧番号ち18。大正6年天野工場製の10トン積無蓋車。1995年まで大場車庫に残されていた。’80.2.16 大場 P:名取紀之

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小田急のクハ1650形1651~4は廃車後に関東鉄道に移籍。同社の水海道工場で制御気動車キクハ1形1~4に改造された。写真は移籍直後の1654。’71.2.18  水海道 P:笹本健次

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1958(昭和33)年に新潟鐵工所が国鉄向けに試作したとされる50t機。結局国鉄に採用されることはなく、終生を小名浜で過ごした。ロッド式でエンジンはDMF31Sを2基搭載する。’79.5.11 小名浜 P:名取紀之

キ273

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ラッセル車キ100形の中でただ1輌“パラボラ曲線”に改造された異端車。1962年苗穂工の施工。結局、実用にはならなかった。1967年 倶知安 P:笹本健次

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