鉄道ホビダス

2011年2月アーカイブ

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先般発行「鉄道車両ガイド vol.2」内の鶴見線「国道」駅で目が止まった。カーブのホームと共に独特な円弧状の架線ビーム。役者変われど舞台変わらず半世紀。 '63.3.26 国道 P:青木一郎

「蒸気の旅」

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昭和46年、山陰線京都口のC57が消えた後の6月27日に撮影とメモにあります。おなじみだった梅小路のC57 5と39の重連が梅小路方面から東海道下りホームに入線してきました。この後、出発を撮らず、すぐ奈良方面に撮影に出かけたことが今も悔やまれます。 '71.6.27 京都 P:大西東太郎

岩見沢の夜

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夜間撮影の経験はほとんどなかったが、ホームから手軽に撮れる岩見沢で実施。照明で明るく照らされた構内には日中室蘭本線で活躍していたC57が静かに憩っていた。漆黒の空に白煙が西風になびく。 '75.1.26 岩見沢 P:中島正樹

清水港線最終日

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清水港線が廃止になる最終日。朝の1番電車で清水に向かった。迎えてくれたのはDD13と旧型客車。眠気も去り短い時間を楽しんだ。帰りは夕方、三保の海岸で時間をつぶし帰る頃には日が傾いていた。 '84.3.31 清水 P:藤村巌雄

大雪丸

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北海道の玄関として、青函連絡と歩んだ函館。連絡船が消えて23年。今こうして写真を眺めていると、寒風の吹くデッキで出港時の録音していた当時の姿が思い出される。17時00分出港 4便 大雪丸 函館港 '82.5.27 P:小西 明

乗船名簿

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スタンプ帳の中から、懐かしいものが出てきました。すっかり忘れていました。 P:吉村昌則

C59邂逅

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糸崎駅から運良くC59の牽く列車に乗れた。途中、須波で急行「安芸」と列車交換したが、牽引機はなんとC59 161。C59同士の交換と言う、願ってもない(一日早いが)お年玉となった。 '68.12.31 須波 P:古屋伸夫

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盆地の朝

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朝霧が周囲の山々を隠す静けさの中、腕木シグナルが下がりD60牽引大分行き列車が出発した。見れば後方からも8620の貨物が出発、今日の一日が始まった。 '69.2.11 日田 P:中島正樹

交代近し

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この地域の年末年始は毎年、比較的穏やかなのだが、この年は肌寒い三が日であった。普段着のままの風情が漂う遠江二俣駅であったが、ホーム右端に見える、「新生二俣線」の車輌がやけに眩しく見えた時、着実に交代へのカウントダウンが始まっている事を痛感した思い出のスナップ。 '87.1.2 遠江二俣 P:梶村昭仁

盛岡のC61 20

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夜間撮影に挑んだ。まずは、盛岡機関区を訪問したが、夜間なのに詰め所で応対してくれありがたかった。その後は、このカマの盛岡駅の発車シーンを撮影。増感現像の技術もろくにないまま夢中で撮影した夜だった。今になって、このカマが復活する20号機だとは...。 '68.5.4 盛岡機関区 P:高橋孝一

四国の玄関

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四国の旅は高松駅に始まる。頭端式ホームには連絡船からの乗換え客を迎える急行列車が停まっていた。夏服を着こなす車掌さんが優等列車の証だった。 '86.8.14 高松 P:田中一弘

早春の薩摩路

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南国南九州の春の訪れは早く3月下旬には菜の花畑は満開になる。黄色に染まった菜の花畑を真っ黒なD51が駆け抜けて来た。 '70.3.30 上田浦 P:松崎昌一

豪奢な離合

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磐越西線山都駅。ひっそりとした山間の駅に、朝8時30分ごろ4輌のDD51が集まってくる。数分のにぎわい。向かって右がDD51 681の新潟方面貨物(ここで1時間40分ぐらい停車)、真ん中が会津若松行き普通列車だが、後ろに朝方若松から野沢へ行った列車(DD51 512)が回送となり、前と後ろにDD51が付くことになる。そして右がDD51 506新潟行き普通列車。その後DC化、貨物廃止などで、こんな単線の魅力の豪奢な離合も見られなくなった。 '83.8 山都 P:長津 徹

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鉄道開通祝97周年で行われたクラウス17号公開運転の模様。車掌車2輌を連結して工場内の専用線数百メートルを何度か往復するだけのイベントだったが、これだけ古い蒸機が元気で走る姿を見ることができ感激したことを覚えている。 '69.10.26 麒麟麦酒 横浜工場 P:宮山幸雄

153便

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蒸気機関車の撮影に明け暮れた時には、連絡船を撮ることなどあまりなかった。この度は連絡船の撮影に絞り、北海道を訪れた。函館山山頂より函館駅を望むと丁度、二岸に石狩丸が入港する所だった。赤と白の船体は夕陽を浴びて輝いていた。 1982.5.28 函館桟橋 P:小西 明

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裏日本が大雪との情報に、すぐ夜行列車で長岡へ。目的は廃止間近の栃尾線をもっともそれに相応しい雪の中で撮りたかった。乱れたダイヤに悪戦苦闘の末、苦労した甲斐があって機関車さながらの荷台付きモハ209が混合列車を牽引してやって来た。 '73.2.11 上北谷-楡原 P:中島正樹

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旅行で軽井沢に行った際に出会えた碓氷峠を越える貨物列車の姿です。 '82.9 軽井沢-横川 P:齋藤功郎

雪の終着駅

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ローカル線と言えども朝夕の通勤力確保のため、比較的編成の長い客車列車が運転されていた。終着駅の氷見での機回し作業の途中、雪が深く、客車の屋根にも雪が積もる。SG灯が眩しい。 '85.1.5 氷見 P:田中一弘

巨人機整備中

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あこがれのC62の2号機と整備している機関区の職員の方々。庫内には蒸気があふれていた。 '70.2.9 小樽築港機関区 P:高橋孝一

足柄への路

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御殿場線は谷峨を過ぎると相沢川に沿いつつ鉄橋とトンネルと急勾配で高度をかせぐ。冷たい冬空の下、第五、第六相沢川鉄橋間に白煙が広がる。国府津発沼津行917列車、機:D52 '65.1 駿河小山─足柄 P:青木一郎

須磨海岸を行く

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兄がカメラを買って間もない時、私を連れて須磨海岸にやってきた。電化はしていたものの、まだ蒸気機関車の牽く優等列車が走っていた。兄がセットしてくれて、私はシャッターを押しただけの一枚である。京都9時10分発、博多行 5レ「かもめ」 機:C59 190〔梅〕 '58.5  須磨─塩屋間 P:小西 明

蒸機展示会

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常磐線の蒸気機関車お別れ運転に合わせ、高萩の引き込み線を利用して蒸機の展示会が行われた。場所的にはよくなかったが、平機関区からも駆けつけたのであろうかC12、C50、D51、8620、9600と多彩な顔ぶれで、皆思い思いにカマの側まで寄ることが出来た。 '70.3.21 高萩 P:中島正樹

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上野→青森→大宮で運転された583系臨時特急「ふるさと」です。サロ・サシを含む13輌編成で、昭和60年のダイヤ改正(東北新幹線上野駅乗り入れ)で廃止されました。 '84.12 東大宮-蓮田 P:采女 誠

雨の新居浜

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中学卒業して高校入学までの春休み、四国に一人旅。雨の新居浜駅で亀山から転勤してきた元お召機DF50 26号機が給油をしていました。 '81.3 新居浜 P:神谷真悟

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年の瀬のある日、代々木駅の緩行線ホームから新宿駅構内を見やったところをスナップ。ちょうど、183系がホームに入線を開始したところや、貨物輸送のEF65PFなど懐かしいカラーとともに、東口の都心方面の空がこんなにも高く見えたことに改めて驚いた懐かしのひとコマ。 '86.12 新宿─代々木 P:梶村昭仁

渋谷1976

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渋谷駅で入替えをするDD13。このころ山手線でも貨物扱いをしていた駅が何駅かあった。廃止後住宅展示場を経て、再開発されいまは、面影もない。旅館の看板が懐かしい。 '76.7.16 渋谷 P:志井純一

間藤の風景

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この時代、精錬所のある足尾本山へは数本の貨物列車があった。足尾まで重連で牽引された貨物は小単位に組成され、C12単機で勾配に挑んだ。スイッチバック形式の間藤駅構内は駅へ立ち寄らず、構内外れからダッシュしてそのまま本山へと向かった。 '69.3.16 間藤 P:中島正樹

寒い朝

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気温が氷点下20℃近く、日の出直後ということもあり、全体的に暗い。ナンバープレートが朝日に照らされたことが救い、編成は見えないが1527列車(大雪くずれ)。 '75.2.27 緋牛内 P:宮山幸雄

ED16 14

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ED16の14号機は、青梅線で運用されていたED16の中で唯一スノープラウが装着されており、足回りがしまってかっこよかった。ここぞの場面で撮影したかったが、撮れずじまいに終わってしまった。この編成写真もネガに染みが出来てしまい、つくずく縁がなかった。 '81.10.10 拝島 P:鈴木岳人

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当時D51-906号機は奈良機関区に所属していた。デフに描かれたマークは多種あったが"ピースマーク"と呼称されて関西本線の名物機関車であった。デフの柄にも特徴があるD51を追いかけていた思い出がよみがえる一枚。 '73.5 柘植 P:原田敬司

冬の七尾線

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正月明け、親戚帰りに初めて立ち寄った七尾線。雪もなく、ただ寒い中を七尾湾が見えるところまで歩きました。やって来たのは、形式入り赤ナンバーのC56124号機でした。このあと、能登中島駅へ立ち寄って停車中を撮影したのですが、この日は誰一人としてファンに出会いませんでした。 '74.1.5 西岸-能登中島 P:大西東太郎

539列車

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朝の寝台列車を撮りに行ったが、その中で客車と気動車が連結されている列車があった。「539列車!」花輪線に行く気動車を連結していると知った。ネガの劣化が悔やまれます。 '79.8 盛岡-厨川 P:藤村巌雄

EF58 160〔東〕

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SGを使用して品川区81系和式客車を牽引するEF58 160です。93号機とともに東京区最後のブルーのEF58として注目を集めました。 '85.2 新子安 P:采女 誠

天嶮、矢岳越え

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大畑のループを越えた845レは、いったん姿を消し、大野のSカーブに差し掛かった時再び姿を現す。矢岳までの険しい道のりはまだまだ続く。 '71.11.2 大畑─矢岳 P:鈴木博之

C11重連

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標津線中標津。標茶へ向うC11重連。ローカル線とはいえ貨物本数は多かったが、原野をアップダウンする単純な線路なため、撮影地は少なく、駅での撮影が中心にならざるを得なかった。住宅と町並みが北海道らしさを物語る。 '71.5 中標津 P:志井純一

ただいま準備中

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昭和53年10月ダイヤ改正で多くの特急列車から食堂車が廃止された。上野駅で撮影していた時、特急「とき」サシ181‐11の車内であわただしく準備をしている従業員の姿にシャッターを押しました。 '78年 上野 P:藤村巌雄

C61 2とC61 20

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梅小路保存機のC61 2と先月火入れ式の終わったC61 20の宮崎機関区でのツーショット。高鍋、佐土原などでの撮影のあと、雨模様のなか、駅ホームから撮ったと記憶している。 '71.12.18 宮崎 P:吉村昌則

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鹿児島本線の洞海湾沿いには、岸壁から直接船に石炭を恥込む施設がありました。D60の後方に見える一段高い線路に石炭専用貨物車セラを引いていき、セラの下部ハッチを開け、石炭を船に積み込んでいました。若戸大橋も見えます。 '74.7.20 西戸畑 P:衛藤哲也

春の淡雪

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春の淡雪が降り、久しぶりに都内で積雪を見た。すぐ融けてしまうため、まずは地元の駅に駆けつけ撮影開始。山手線は丁度103系から205系に移行する時期にあたり、新旧の並びを撮影。205系の電動ワイパが着雪の状況を強調してくれた。 '86.3.23 池袋 P:中島正樹

発車前の表情

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カメラをぶら下げ駅にやってくると前方に煙を発見!駅沿いに走ると貨物の先頭にはD51200号機が。空高く立ち上る一筋の黒煙がとても印象的でした。この機が梅小路機関車間に保存されたのを知ったのはずっと後になってからでした。 '71.7 坂下 P:森 潤宏

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旭川発稚内行の列車は285キロの道のりを8時間かけ走破するが、まだ行路の3分の1に過ぎないこの駅でカマ替えと給水を行う。多くの諸兄がその光景にカメラを向けられたことだろう。 '74.8.26 名寄 P:井芝七路

冷水峠に向けて

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博多方面への篠栗線全通で冷水越えの旅客は減ってしまったが、この時期貨物はまだ健在だった。午後から筑前内野側で撮り始めたが、重連はD60+D51の1本のみ。現地で知り合った人から手作りダイヤを頂戴し、今でも記念に持っている。 1765レ D60+D51 筑前内野-筑前山家 P:中島正樹

寒川支線の風景

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線路は柵もんなく、併用軌道みたいに道と完全に一体化していた。そんな中、茅ヶ崎発の3輌編成キハ10が入ってくる。 '70.5 寒川-西寒川 P:志井純一

初詣臨

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ED75 701+50系客車4輌+ED78 1という驚きの編成で、24年前のお正月(卯年)に初詣臨時列車が運転されました。二本松─藤田間で、元旦の午前中に3往復というフリークエントサービスでした。雪の藤田駅に進入する初詣臨です。 '87.1.1 藤田 P:阿部 淳

D51全力の発車

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長大な貨物列車の先頭に単身で挑む1118号機。発車時の大きなドラフト音は数秒で消え、ほとんど無音でゆっくりと眼前を通過、その直後激しい勢いで蒸気を排出しながら少しずつ速度を上げ始めました。力を溜め、何度も挑戦しながら貨車を引っ張るようなその姿に、当時少年だった私は感動すら覚えたものです。 '74.7.23 追分 P:森 潤宏

最長ドン行

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最長鈍行824列車での旅の一コマ。蒸気機関車はもう走っていないけれど、のどかで懐かしいホームの光景は、汽車の時代を彷彿させる。 '78.5 岡見 P:蒲生 洋

EF60健在

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武蔵境駅を通過するEF60牽引の貨物列車。当時の中央線は東小金井駅や飯田町駅など八王子駅よりも東側の駅でも貨物営業を行っていました。 '81.11 武蔵境 P:鈴木岳人

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綺麗な木立の中、冷えびえとした空気を震わせ勾配を駆け上がる。靴を濡らしながら駅間を歩いた思い出。機関車は3シリンダ、油専燃機の012のようだ。 ''73.1.4 西ドイツ ノイエンマルクト─マルクトショルガスト P:青木一郎

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小田急8000系が完成、試運転が始まった。珍しくヘッドマークを付け、なぜか多摩センターの行き先表示を出してやってきた。この車輌で鋼製車両は終わり小田急ではステンレスの通勤車の製作が始まった。 '82年 座間─海老名 P:藤村巌雄