鉄道ホビダス

山陰本線の最近の記事

信号てこ

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10歳の冬、蒸機の運用が終わった長門機関区に行った帰り、一緒だった祖父が、「駅長さんが、信号機を切り換えているんだよ」と、教えてくれました。(どこの駅だったかは、覚えていませんが) '74.12.1 山陰本線 P:小林慎治

敦賀行き937レ

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敦賀行き937レ 夕方の福知山駅を発車したC58 222。この列車は綾部で山陰本線から舞鶴線に入り、東舞鶴から小浜線の海沿いを走り、3時間半かけて北陸本線の敦賀に辿り着く。 '71.4.22 山陰本線 福知山 P:中島正樹

D51離合

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D51牽引の貨物列車同士の交換も、今となっては追憶の世界。 '74.1 山陰本線 荒島 P:清原正明

D51 1 

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奥羽・東北・山陰で3度目の出会い。重油タンクも取り払って原型に近い綺麗な姿でした。 '72.1.3 P:川瀬 剛

綾部駅

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山陰本線と舞鶴線の分岐である綾部。本屋側3本の荷物線、向い側には11本の貨物線がありいつも賑わっていました。列車左側には駅弁の立ち売り姿が小さく写っています。 '71.5.16 山陰本線 綾部 P:石地康司

京都駅山陰線乗り場

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懐かしの京都駅山陰乗り場。現在のビルの谷間のホームからはとてもではないが想像できない長閑な光景です。時刻表から、園部行きの約20分後に福知山行きが出ることがわかるが、いずれも客レという「贅沢」さ。列車を降りた人々の表情に、一日の日課を終えた安堵が見えます。 '77 山陰本線 京都 P:山下 誠

楽しい校外授業

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浜田機関区で蒸気機関車の写生をしている小学生たちに出会いました。この場所でこんな授業のある子供たちはとても楽しそうでちょっと羨ましく思いました。 '72.10.9 浜田機関区 P:末近義治

終焉前夜

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山陰本線西部で残っていた蒸機も翌年早々には全廃が予想されていた。撮影には比較的列車本数の多い下関側の黒井村を選んだ。駅間には良いカーブもあったが、手軽に駅の発車シーンで済ませた。 '73.11.30 山陰本線 黒井村 P:中島正樹

キハ26 400番代

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キハ55系の一等車キロ25として登場。冷房付キロ28の増備で二等車(キハ26 400番代)に格下げとなりました。当初は急行列車、晩年は普通列車に組み込まれましたが、多くの車輌は座席もそのままでしたから、お得感を味わった人も多いと思います 。'73.1.5 山陰本線 出雲市 P:清原正明

スリムなキハ17

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海岸線に沿って細身のキハ17を先頭とした20系、35系の混結ローカル列車がやってきた。 '76.8.23 山陰本線 須佐ー宇田郷 P:森田宏

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初めての山陰本線、撮影地ガイドの場所で撮影。偶然にも後藤式デフD51 833と遭遇。 '73.8.22 山陰本線 折居-三保三隅 P:宮山幸雄

小鴨川橋梁

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トコトコとC11の牽引する混合列車がやってきました。 倉吉線 西倉吉-打吹 '73.4.29 P:光野 博

力闘

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D51 239〔長〕が25‰の急勾配をゆっくりと喘ぎながら登って来た。罐の調子が悪かったか荷が重かったか、思いのほかの力闘ぶりだ。逆光という悪条件だったが、その煙と割れんばかりのブラスト音に大満足だった。 '74.3.22 山陰本線 長門二見―滝部 P:古澤成博

夜のD51

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旅客列車の発車後に行う入換作業に備えて待機するD51。夜に見る蒸機、昼間とは違った雰囲気でした。 '73.9 山陰本線 長門市 P:清原正明

昼休み

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昼休憩になり、作業を終えた人たちが詰所に戻っていきます。 '74.9 山陰本線 浜田機関区 P:清原正明

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ホーム端にターレット用の台車が並べられ出発前の長閑なひと時です。 '66.10.2 山陰本線 京都 P:石地康司

嵯峨発車

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現在はトロッコ列車の発着駅となり嵯峨野観光の中心地。まだ旧木造駅舎が健在な時代。 客車を牽く蒸気機関車も元気だった。  C57 39〔梅〕 1827レ  '69.7.16 山陰本線 嵯峨 P:小西 明

複線区間

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宍道湖沿いを国道と並行する複線区間。D51牽引の貨物列車が駆け抜けて行きました。 '74.3 山陰本線 玉造温泉-来待 P:清原正明

終焉迫るDD54

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本州最後の"煙"が消えた次の日、ねぐらに頭を突っ込んだカマたちの後ろ姿が、当時10歳の記憶に、鮮明に焼き付いています。 '74.12.1 長門機関区 P:小林慎治

三条の煙

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蒸機終焉の頃、1891レがDL化されたことにより521レ牽引DD51の次位に回送のD51が付くことになり6時27分、まだ明けきらぬ大田市駅に571レ、866レ牽引のD51と合わせ三条の煙が上がることとなった。 '74.9.15 大田市 P:髙橋 明

里の秋

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山陰本線に蒸機を求めて難読駅名の特牛(こっとい)駅で下車。滝部側に歩くと穏やかな山間の農村風景が広がり、古びた茅葺屋根の家を点景にD51牽引の列車を撮った。 '73.11.30 特牛-滝部 P:中島正樹

最長距離鈍行到着

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和田山から回送を兼ねた重連で、23時51分824レ最長距離鈍行が終点の福知山に到着。 '78.5.27 福知山 P:野々村康久

鉄道100年記念号

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山陽本線上を走る記念号です。岡山駅から岡山操車場へ至るこの本線上の区間は、47・3改正以降、旅客列車が無煙化され蒸機が走ることがなかったので、久しぶりの迫力に手が震えました。 '72.10.15 岡山〜岡山操車場 P: 光野 博

渓谷を行く

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京都駅から約15キロと近場に風光明媚な渓谷があります。保津峡駅で降りて対岸に行くとD51牽引の貨物列車が煙をたなびかせてやっていました。 '69.7 保津峡ー馬堀 P:中川弘一

C58発車

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綾部-福知山の区間運転は敦賀区配置C58でした。この日はお召列車・小浜線さよなら列車の牽引機171号機です。 '71.5.16 石原 P:石地康司

DD51快走

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かつては蒸機を操っていたであろう、白髪の機関士の横顔が、とても凛々しく思えました。 '78.11.6 綾羅木-幡生 P:小林慎治

京のC57

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丹波口を出るとやがて左に大きくカーブし、梅小路機関区の裏手を京都駅に向かう。当時の大きなガスタンクは消え去り、中央卸売市場は建て替えで大きくなっている。 1824レ  C57 190〔梅〕 '70.4.22 丹波口 P:小西 明

丹波の山里

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広々とした田園風景が続く静かな山陰路。軽快にやってきた下り貨物。平坦線に見えたが再力行をしたようで白煙に加え、シリンダドレンを出しながら通過していった。
883列車 殿田-胡麻 '70.3.12 P:青木一郎

渓谷をゆく

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山陰本線の京都口は、風光明媚な保津峡の渓谷を縫うように線路が伸びています。保津峡駅では多くのハイキング客が乗降して賑わい、その下の川は保津峡下りの舟が往き交います。 '70.7 保津峡 P:中川弘一

キシ80

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最高の景色を堪能できる、"レストラン まつかぜ"です。 '78.5.13 山陰本線 福江-吉見 P:小林慎治

春の馬堀

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緩やかな上り勾配を白線入りのきれいなC57が保津峡へ向けて軽快に飛ばす。春の陽射しの中、盆地の空に広がる白い雲が印象的。園部発京都行 1830列車 '70.3.15 馬堀-保津峡 P:青木一郎

和田山の夜

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和田山機関支区は終焉間近のDD54最後の砦だった。仲間と事務所を訪れ手続きをしたら「気を付けて撮れよ」の一言をもらい撮影していた少年時代の一コマ。あの日から36年が過ぎた。 '78.5 和田山機関支区 P:野々村康久

潮騒の道

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折居-三保三隅は山陰本線でも屈指の美しい海岸線が続く区間。C57の軽快なブラストと潮騒が交錯する。 折居-三保三隅 '73.8.23 P:宮山幸雄

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蒸気機関車とともに、腕木式信号機などの古い設備もなくなりました。新しい色灯式信号機が横に向けられ、運用準備が進められていました。 '74.12.1 長門市 P:小林慎治

本州西端の海辺

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松が生えた岩と澄んだ海。絵はがきのような景勝地をD51の牽引する旅客列車が絶気でやってきた。多少様子は変わったがこの風景は今も残っている。 '74.2.21 湯玉-小串 P:高橋洋二

丹波路のD51

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この区間は細かな起伏があるようで、荷が重いのか予想以上の良い煙。シャッターを押したくなる気持ちを抑えつつタイミングを狙う一列車、一チャンスの頃。見えるキロポストは京都起点50キロ。 862列車 機:D51527 '70.3.12 下山-胡麻 P:青木一郎

朝の通勤列車

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長大編成の朝の通勤列車を撮るべく、当時有名撮影地だった梅ヶ峠付近を訪れた。3月とはいえ朝はとても寒く、早朝の暗い光の中、かじかんだ手でカメラブレを起こさないように必死で撮影したのを憶えている。 '74.3.22 黒井村-梅ヶ峠 P:古澤成博

洛西の汽車

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山陰本線を跨ぐ通称「双ヶ丘陸橋」から撮影しました。左側の建物は地元の牛乳工場で、その前を"汽車"という乗り物が走っていた時代風景です。 '67.9.3 嵯峨-花園 P:石地康司

C57 15

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梅小路の若番15号機。両サイドと後面が形式入りプレートでサイドビューで撮影することが多かった機関車でした。 '71.4.11 嵯峨 P:石地康司

最後のC51

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京都駅から父親の故郷である園部駅まで親子で山陰線の普通列車に乗り込んで出かけました。当時の旅客列車はC57が使用されていましたが、当日は、梅小路機関区に残っていたC51、2輌のうちの1輌である124号機が任にあたり、大きなスポーク動輪が魅力的でした。 '65.4 京都 P:中川弘一

荒磯をゆく

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カメラと釣り竿は、山陰に出かける際の必須アイテムでした。 '79.4.29 小串-湯玉 P:小林慎治

朝の重連

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間もなく終焉を迎える山陰線京都口のC57。休日運休の回送の重連ももうすぐ見納めかと思うと、中学の朝練をさぼって撮影に出かけたものだった。 '71.1 嵯峨 P:溝川眞司

上り「あさしお」

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冬の鉛色の空の下、ともに京都行きの城崎始発宮津線経由の「あさしお8号」と倉吉発の「あさしお6号」が顔を合わせます。 '78.12.27 城崎 P:平井ヨシフミ

海辺を快走

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山陽本線全線電化2か月前。架線の下ではあったが長い編成を牽く大型蒸機に感激。 機:D52 75 '64.7.28 下松-光 P:青木一郎

最後のC51

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山陰本線で古豪C51 271と新鋭DF50と仲良く並んでいる光景です。この後、C51 271はこの年の10月3日に最後の運用を終え、まもなく廃車されたので、私が見た最後のC51となりました。 '65.7 京都 P:中川弘一

ナメクジ通過

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旧馬堀駅を通過するD51牽引の貨物列車。保津峡を走行中のブラストが徐々に大きくなり緊張が高まる中で撮影しました。 '71.3.21 馬堀 P:石地康司

日陰

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交換待ちで停車中の貨物列車。暑い時季なので乗務員がホームに降りて休んでいました。 '74.8 来待 P:清原正明

通過列車接近

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駅員さんが授受器のタブレットに手を添えて列車の通過を待っています。通票閉塞区間はこうした光景が普通にあり、対向列車待ちの時間に飽きることはありませんでした。 岡見 '72.8.16 P: 髙橋 明

浜風を受けて

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窓を一杯開けた客車を牽き快走するC57。この美しい松林も、その後松食い虫の被害を受けてほとんどなくなってしまったと聞き及んでいます。 '72.8 仁万-五十猛 P:水野秀昭

C57終焉の頃

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山陰本線の京都口から蒸気機関車が姿を消そうとしている頃に旧二条踏切の鉄製跨線橋に、名残を惜しむ市民が蒸気機関車の勇姿を見物に詰めかけました。 '71.4 二条ー花園 P:中川弘一

大雪の日

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餘部YHで蟹を食べた夜、大雪が降り、DD51が雪を押しながら入線して来た。香住駅の職員が懸命に雪かきを行っていた。 '81.1.3 餘部 P:筒井敦己

海岸を行く

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たとえ蒸機でなくとも、"煙"を吐く姿は、カッコいいものです。 '79.4.29 山陰本線 小串-湯玉 P:小林慎治

京都発出雲市行き

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前日に京都まで臨客を牽いてきたC57 128を福知山まで回送します。DD54はトップナンバー。活躍は短かかったですね。 '71.1.23 嵯峨 P:溝川眞司

D51 499

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優雅な曲線美デフを装着する499号機。ターンテーブル上の姿にしばし見とれていました。 '66.10.9 梅小路機関区 P:石地康司

特牛への路

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出雲市発のこの列車、下関まで300㎞を9時間を掛けて走破する。この地にてほぼ9割方の旅を終え、最後の山区間を走り行く。 827列車 機:D51 214 阿川-特牛 P:青木一郎

米子駅'74

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電化前の米子駅は大きな空が広がっていました。上りホームでは急行「石見」が発車を待っています。画面右上にはオロハネ10を含む「さんべ3号」の編成が昼寝をしています。563レ牽引のD51が米操に向け動き出しました。 '74.10 米子 P:髙橋 明

京都のC51

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九州旅行の帰りに途中下車した京都で山陰本線の発車シーンに遭遇。この時期、園部までの区間運転には、うれしいことにまだ憧れのC51が使われていた。 '63.12.30 京都 P:中島正樹

夏の昼下り

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お昼過ぎに田儀駅を発車する561レ牽引のD51 833が勢いよくトンネルから飛び出して来ました。暑い夏の一日で野良仕事をしていたオバさんたちも煉瓦積みトンネルポータルの傍らで日差しを避けて一休みしています。 '72.8.8 田儀-波根 P:高橋 明

急行「白兎」

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堂々11輌の長大編成で終着駅京都を目指す806D急行「白兎」。キハ58系急行型気動車の最も輝いていた時代だった。 '71.4.25  馬堀-保津峡 P:鈴木博之

北長門夕景

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西日で海が輝く頃に宇田郷付近を行く2762レは私にとって格好の被写体でした。ただ山陰西部撮影行の時に晴れるとは限らず、列車が来る頃になると陰ったりとなかなかうまくいきません。そんな2762レでしたが、この日は最高の条件の中で北長門の海を通過して行きました。 '74.9.15 宇田郷-須佐 P:高橋 明

急行「さんべ」

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キロを含む、4輛編成の急行「さんべ」は、特急「まつかぜ」とともに、西の山陰本線を代表する優等列車でした。 '79.4.29 小串-湯玉 P:小林慎治

朝もやをついて

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早朝、朝もやのなか京都へ上がってくる山陰本線の旅客列車を梅小路機関区の横で写しました。この日、家を出る前にケネディ大統領が暗殺されたニュースをアメリカからの初めての衛星中継で流れるテレビで見たのを覚えています。 '63.11.23 丹波口-京都 P:青山春樹

動輪

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本州最後の蒸気機関車が走った次の日、祖父にお願いして、長門機関区に行きました。まだ熱気がこもる庫内は静かで、当時10歳の手には大きい父のペンタックスで、自分の背丈ほどの「デゴイチ」の動輪を撮りました。 '74.12.1 長門機関区 P:小林慎治

終末期のマニ32

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戦前型荷物車の代表的形式であるマニ32も、1960年代末に大量廃車され、撮影時点で残された車輌は、ごくわずかだった。この日の運用「南東荷2」は、はるばる汐留から浜田へ向けて継走されるもので、36・10以前の急行「出雲」と走行区間がほぼ重なっているのが興味深い。 '70.6.28 松江 P:石原裕紀

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D51 1の引退記念列車の三重連です。有名な田儀東港のSカーブは場所を選べるような余地はなく、線路が見える所に立てただけでも幸運なくらいの混雑ぶりです。今なら「後ろから抜かして下さい」と2重三重の人垣ができたことでしょう。当日は前日の大雨が嘘のような青空が広がり、朝陽を受けた主役のD51 1は得意満面な顔で意気揚々と大勢のファンの見守る中を走り抜けて行きました。 '72.8.27 田儀-小田 P:髙橋 明

C57の交換

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47・10ダイヤ改正で無煙化が更に進み、C57の交換は、ついに平日1回きりになってしまった。画面手前がC57 156牽引の休日運休527列車。奥がC57 5牽引の546列車。 '72.12.26 出雲市 P:石原裕紀

梅小路のC51

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今は蒸気機関車館になっている梅小路機関区。主に山陰線を受け持っていて、このC51も山陰線の短距離をオハ61などの旅客列車を牽いて走っていました。 '63.12.17 梅小路機関区 P:青山春樹

朝の峠

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山陰本線でのD51活躍の場所も狭められていた頃、3日間をかけて本州最後の蒸機を追った。近くのYHに泊って朝方の列車を狙ったところ。 '74.9.15 滝部-長門二見 P:宮山幸雄

暁の驀進

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一夜の宿を鈴虫の音色に包まれた特牛駅待合室で過ごした朝、白々と夜が明ける峠道をD51牽引の客車列車が、朝露を踏みしめ颯爽と走って行きました。何年経っても鈴虫の音色を聞くと思い出す場面です。 '74.9.30 特牛-滝部 P:衛藤哲也

蒸機最終日

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嵯峨駅から花園寄りの踏切沿いで待機していると、お母さんと子供さんが最後の雄姿を見にこられた。明日の朝からはこの汽車は赤いディーゼルに牽かれてやって来る。 '71.4.25 嵯峨-花園 P:石地康司

僕は機関士

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山陰本線を益田~下関間というロングランの蒸気機関車牽引の客車があった時代。長門市駅で機関車交換のためになんと30分の停車。家族連れが、男の子をキャブに乗せてもらっていたところを撮影。自慢げな男の子の顔が印象的だった。 '74.4.4 長門市 P:衛藤哲也

気動車の窓から

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気動車の"バス窓"越しに見える、木枠の駅名板。本州最西端のこの駅の周囲では、まだ"ハエタタキ"を見ることができました。 '79.4.29 梅ヶ峠 P:小林慎治

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青い空に碧い海に甍の上を行く「だいせん4号」はいかにも山陰らしい風景です。夏季の間は東浜にも臨時停車するこの列車は豊岡から8輌編成となり福知山線経由で大阪を目指します。 '85.8.5 東浜-居組 P:髙橋 明

「まつかぜ2号」

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三見駅でのD51貨物との列車交換を8㎜で狙う前に新大阪行きキハ82系「まつかぜ2号」を撮ったもの。この当時は7輌編成にグリーン車、食堂車がついていた。 '74.9.15 三見-飯井 P:宮山幸雄

懐かしの嵯峨駅

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駅正面には小さな三角屋根を持つ、モダンな感じの駅舎だった。 近くには私が生まれた官舎があった。 駅舎全体を入れよう思ったが、上りの貨物がやってきたので、慌ててシャッタ-を切ってしまった。 明治37年建築の木造駅舎は、新駅ができるまではJR西日本管内の最古の駅舎として存在感があった。 '69.7.16 嵯峨 P:小西 明

お別れ運転の日

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山陰本線下関口「さよならSL」運転当日、機関区でD51を撮影している横、本線を九州へ485系特急「なは」が駆け抜ける! '75.1.12 下関機関区 P:木部智司

光る海

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真夏の日差しが少し弱まった頃「光る海」とシルエットで撮れないかと段々畑に上がってみたが、バックに海が入る良い所を見つけることができなかった。 '74.8 宇田郷-須佐 P:高橋 明

お召編成回送

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先日この地にお召列車が運転されましたが、85年の「わかとり国体」の時には回送区間でした。予備機を従え、重連で通過する姿はとてもかっこよかったです。 '85.10.21 山陰本線 泊-松崎 P:鈴木敏行

保津峡錦秋

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この年の紅葉は遅く、12月になってようやく見頃を迎えた。午後の斜光線に映える紅葉の保津峡に806D 急行「白兎」がやってきた。 '77.12.4 亀岡─保津峡 P:鈴木博之

荒磯とC57

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なんとか海を前景にして写したい...、探し回っているうちに列車の通過時刻がどんどん迫ってきて、結局このとおり。(C57 101の牽く客544列車) '73.3.7 岡見─鎌手 P:柿浦和敏

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発車まで時間があったので、妹を車内に残し、ホームに降りて写真を撮りました。ベルが鳴り出したので、最後に妹を写し、乗車しました。 '78.3.21 小倉 P:小林慎治

「出雲3号」

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当時のRM誌に載った写真に刺激された先輩に誘われて撮りに行ったものです。先輩、お元気ですか? '86.5.17 鎧-餘部 P:須崎雅宏

昭和の風景

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近所のレイルファンのお兄さんによく連れてもらいました。「汽車がきたらこの辺でシャッターを押せ」と教えてもらいましたが結果はご覧のとおり。しかし懐かしい昭和の風景が写っています。 '67.9.3 嵯峨-花園 P:石地康司

大雪の朝

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大雪の朝、ダイヤの乱れは必至、何かサプライズはないかと家族旅行中の旅館より、カメラを持って駅へ。列車は全面運休、ホームにはDD15のラッセルが佇むのみでした。 '75.12 城崎 P:芝地寛之

DD54の晴れ姿

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お召列車は西舞鶴から和田山間をC58 223とC58 56が牽引し、その後このDD54 1とDD54 3が牽引しました。最初で最後のDD54の牽引お召列車でした。この写真は、久美浜病院院長の赤木先生所蔵のものをお借りし投稿したものです。 '68.10.6 和田山 P:山本順一

京都駅のC57

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京都駅一番線で出発を待つ841列車の先頭に立つC57 190号機。私の記憶ではこの190号機と15号機が先に廃車となり、その後昭和46年春に無煙化により残りの5、39、89、127号機が転属となりました。 '70年夏 京都 P:山本順一

試作機との邂逅

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三菱が西ドイツ製のエンジンを使って試作し、国鉄が山陰本線、福知山線で試用していたDD91 1 当時ぶどう2号一色だったEL、DLのなか白に近いクリーム色に赤の帯の斬新なカラーリングに驚きました。 '62.9.30 丹波口 P:青山春樹

梅小路のC51

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C51 271の山陰線の旅客列車の牽引への出発前の整備、掃除風景です。梅小路機関区の見学の時に写した1コマ。 '63.9.8 梅小路機関区 P:青山春樹

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穏やかな午後のひと時、静かにやって来たのは後藤工場式の変形デフ機。数少ないこのデフが今になって498に装備されるとは驚き。 862列車 機:D51 499 '70.2.28 殿田 P:青木一郎

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JNRとJTBのコラボ「京都汽車ポッポの旅号」。先頭は、関西D51のスター499号機。 '71.5.16 山陰本線 高津-石原 P:石地康司

C51 264

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鉄道写真を写し始めたころの写真で、この日は10月のダイヤ改正でなくなる客車準急の「白兎」を撮りに行き、山陰線のホームから機回り線を使って客車の編成をしているC51 264を写しました。 '61.9.7 京都 P:青山春樹

嵯峨駅

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自宅から自転車で行ける気軽さもあり、この駅にはよく通いました。踏切で山陰本線を行く気動車やDD51に牽かれた客車列車や時には貨物を見れることもありました。写真たくさん撮っておけばと思う今日この頃です。特に馴染みのあった嵯峨駅はその独特の形がかっこよく僕には映り、また重厚な造りや駅前を見渡せる木製のベンチも思い出深く記憶に残っています。 '86.10.16 嵯峨 P:篠原重光

列車交換

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保津峡駅からの山陰本線での帰り、丹波口駅で下りのC57 152の牽く列車との交換風景を客車内から写しました。 '62.6.24 丹波口 P:青山春樹

黄昏の蒸気機関車

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大切な友人のお気に入りの一枚。さよなら列車の本務機を下関機関区で撮ったものです。当時は機関区立ち入りも比較的自由で、昨今とは隔世の感があります。 '75.1.12 下関機関区 P:山縣 博

世代交代

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特急「おき」新設に備えて新製されたばかりのキハ181系がC57と顔を並べる、いつの世にも繰り返される世代交代。 '71.4.1 米子機関区 P:石田哲彦

汽車は出て行く

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D51 1号機がC56、C57と共に出雲市駅を出発して行く光景を撮影しました。「SLブーム」で駅構内には鉄道ファンはもちろん、家族連れが多く見られました。 '72.8.20 出雲市 P:浜 忠彦

小雨にぬれて

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中学の卒業式を終えて すぐに寝台特急「出雲」に乗り込んで始めての山陰本線の撮影旅行に出かけた。小雨の浜田駅構内でC56が忙しく入換作業をしていた。 '74.3.17 浜田 P:新川 裕

最長ドン行

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最長鈍行824列車での旅の一コマ。蒸気機関車はもう走っていないけれど、のどかで懐かしいホームの光景は、汽車の時代を彷彿させる。 '78.5 岡見 P:蒲生 洋

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