鉄道ホビダス

飯田線の最近の記事

ひとときの賑わい

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側線で休憩する飯田行き1291レの乗務員が詰所に向かう中、1223Mと1226Mが行違い交換。静かな山峡の駅に一瞬の賑わいが訪れます。 '75.11.1 飯田線 中部天竜 P:石地康司

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時間がなくやむなく駅撮りしたED19 1牽引の貨物列車。当然機関車の前から撮影したかったはずですが、できなかったようです。ところがスキャンしていたら機次位にこんな貨車が連結されていました。 '73.12.26 飯田線 上片桐 P:牧 光一

ED17 12

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EF10に職場を奪われ、風前の灯となったED17。最後まで残っていた12号機が265レ貨を牽いて、豊川駅へ進入して来ました。 '72.3.12 飯田線 豊川 P:村木勝義

天竜川橋梁

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ED19の牽く下り貨物列車が天竜川の橋梁を渡っていきます。この橋は、側道があって歩行者も列車を見ながら渡っていきます。 '68.8.7 飯田線 中部天竜-佐久間 P:村木勝義

暑かったあの夏の日

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大垣行きの夜行電車で早朝の豊橋駅に降り立ったこの身には、その日の暑さは猛烈だった。この写真も含めて十枚程撮影したが、昼の3時には豊川のユースホステルに逃げ込み昼寝をしてしまった。今となっては、とても悔やまれる「あの夏の暑い日」となった。 77.8.6 野田城-東上 P:森田 宏

クモハユニ64

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友人に誘われて訪れた飯田線。新性能車、運用開始まであとひと月に迫った冬の日。一形式一両の珍車クモハユニ64に出会うことが出来ました。 '83.1.15 飯田線 中部天竜 P:野地 洋

三河路の早春

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これまでの飯田線の主ED17を追い落とし、中部天竜以南では飯田線の主役になりつつあるEF10。田んぼの中で待っているとEF10 14の牽く貨物列車がやって来ました。 '72.3.12 飯田線   三河大海-三河東郷 P:村木勝義


遠い夏の日

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豊川鉄道の名残を色濃く残す旧豊川駅舎。 改札口の向こうには停車中の貨物列車と発車する流電。何もかもが消え去った夏の想い出。'77.8.6 飯田線 豊川 P:森田 宏

最後の80系電車

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栄光の湘南電車80系も、流れ流れて最後の棲家は飯田線。か細い線路をゆるゆると走っていました。 '82.9.27 飯田線 柿平-三河槇原 P:宮城浩志

山峡の駅

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右に天竜川、左側は急斜面の山。その傾斜面に沿って飯田線が走っている。この山峡の地に集落があり中井侍の駅がある。最近では秘境めぐりで訪れる人も増えていると聞く。 '70.4.5 中井侍 P:内田博行

新たな被写体

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蒸気機関車がなくなりかけていた頃、新たな被写体を求めて飯田線にきました。ED19だけでなく、ゲタ電も今思えば貴重でした。 '75.6.1 北殿 P:中村  肇

EF10重連

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この区間では東海道本線を始め、飯田線、名鉄共用区間の列車を気楽に撮ることが出来た。しかし、ここで飯田線のEF10重連貨物に出会うとは思わなかった。 '76.1.16 下地-小坂井 P:中島正樹

朝の新城

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大垣夜行に乗り豊橋で乗り換え。飯田線一番電車新城行で終点に到着するとクモハ52広窓車が待っていた。 '75.7.23 新城 P:高橋卓郎

流電の昼寝

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流電クモハ52は飯田線横の屋外検査線でお休みでした。 '77.10 豊橋機関区 P:楢井勝行

盛夏の大田切川

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ED19 4がワフ22000形1輌を牽いて真夏の大田切河鉄橋へやって来た。 '75.7.23 大田切〜宮田 75.7.23 P:高橋卓郎

雨上がり

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前日からの雨がやっと上がり、南線では随一と思われる景勝地の三河槇原で下車した。見上げれば荒々しい岩山がそそり立ち、これをバックにEF10牽引貨物の交換風景を撮った。 '75.10.19 三河槇原 P:中島正樹

天竜峡を走る

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天竜峡の奥深くを走る飯田線の旧型国電を撮りに出かけました。木々の緑と蝉しぐれが忘れられません。 '79.8.8 金野-唐笠 P:宮城浩志

165系「伊那」

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梅雨空の大カーブを快走する急行「伊那2号」。現在ならカメラの放列がすごいでしょうが、当時は蛙の合唱を聞きながら一人時間をつぶしていました。 '76.7.4 野田城-東上 P:石地康司

役者揃い踏み

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かつて、飯田線の旧型国電を追いかけに、よく出かけていた。七久保駅での役者の揃い踏みを待ち構えていた時の一コマである。戦前型国電と80系の上下普通電車が待機しているところに、165系の急行電車がやって来た。 '82.2.12 七久保 P:関 周一

EF10発車

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構内で撮影していると、助役さんが誘って下さり、機関士・機関助手さんと一緒にお茶を頂いた。268レの出発時は機関助手さんがいつまでも顔を出して見ていてくれました。 '70.11.1 中部天竜 P:石地康司

雪晴れの朝

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飯田線の名舞台である田切の大カーブを80系300番代4輌の普通電車がゆっくりとモーターを唸らせ、去っていった。風光明媚な山郷を行く吊掛け電車。撮るのも乗るのも楽しい時代であった。 '82.2 伊那福岡-田切 P:関 周一

旧国に揺られて

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この日は旧国に揺られて飯田線の全線走破に挑戦した。途中の佐久間では列車交換のために小休止。反対ホームに「伊那」が到着すると静かな山間の駅に人の動きが蘇った。 '82.8 佐久間 P:寺沢秀樹

旧国の両雄

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豊橋駅の飯田線ホーム。旧型国電をウォッチングするにはもってこいの場所だった。この日は運よくクモハ52と43というお気に入りの並びが見られた。 '77..8.17 豊橋 P:寺沢秀樹

2ドア狭窓コンビ

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夏の昼下がり、駒ヶ根まで行って、折り返しはのんびりと辰野まで回送で戻ってくるという運用があった。たまたまこの日はクモハ43とクハ47という2ドア狭窓コンビがこの運用に入った。 均整のとれた美しい編成を目の当たりにし、PEN-Fのシャッターを切った後しばらく「かっこいいなぁ〜」と列車を目で追い続けていた。 羽場-伊那新町 '78.8 P:君島弘道

クモハ53000

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撮影名所の渡らずの鉄橋。電車を待っていると、姿を見せたのはクモハ53000。お気に入りの2扉・狭窓・前パンの車輌に出会えて思わずガッツポーズが出てしまった。 '78.3.25 城西-向市場 P:寺沢秀樹

ED18 2

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機関庫で検修を受けるED18 2。先日リニア鉄道館で35年ぶりに再会してきました。 '76.9.4 伊那松島機関区 P:石地康司

Ωカーブ

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天竜川の河岸段丘上を走る飯田線、Ωカーブを描きながら標高を下げて中田切川を渡り、再び対岸の段丘へと上り返す。このカーブを見下ろすポイントで待つとやがてED19のトップナンバーが姿を見せた。 '74.4.6 田切-伊那福岡 P:中島正樹

ED62発車

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小坂井駅を発車し名鉄との共用区間に向かうEED62 1牽引の貨物列車。高く積み上げられた廃タイヤが時代を映している。 '78.1 小坂井 P:楢井勝行

ED18 1号機

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飯田線の旧国を見ようと予定した日は、最悪の天候、辰野に着いても雨は上がらず、しかし、辰野駅では、運よくED18 1と出会うことが出きました。 '75.5.4 辰野 P:鴨下精一