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信越本線の最近の記事

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善光寺平を走り抜けた下り急行「白山」は豊野駅を過ぎると妙高高原への勾配区間に差しかり、D51重連はブラスト高く駆け上がる。この築堤からは、晴れていれば志賀の山々を望む美しい風景が広がる。 '65.3.6 信越本線 豊野−牟礼 P:中島正樹

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ED42 19を先頭に3輌のED42を先頭に碓氷峠を下ってきた上り急行「志賀」。峠道は第3軌条からの集電のためパンタをたたんだままである。空気ばね台車を履いた5輌のキハ57、うち2輌は須坂経由で長野電鉄湯田中まで直通していた。 '63.3.29 信越本線 横川 P:柿浦和敏

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現在、北しなの線の北長野ー長野間ではJR入出区線にスカ色クモユニ143職員輸送が運転されています。さて、この区間でクモユニ...といえば、'81年7月に撮影したクモユニ81003の廃車回送。大糸線で"海坊主"と親しまれたクモユニがDD16に牽かれて最期の旅路につきます。当時新鋭の115系1000番代が、今は廃車期を迎えました。 DD16 302〔篠〕+クモユニ81003〔長キマ〕ほか。 '81.7 信越本線 北長野−長野  P:大久保広樹


補機連結

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大人は「峠の釜めし」を買いに、少年は機関車連結を見に行く時間。 '85.3 信越本線 横川 P:浅川卓也

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中央西線、篠ノ井線が電化された年の年末、何気なく訪れた長野運転所で何気なく撮影した1カット。松本所から運用が移管された181系 「あずさ」やお客の181系DC「しなの」も並んでのオールスターキャストとなった。181系「あさま」が写っていないのが残念。 '73.12.28 長野運転所  P:牧 光一

浅間山麓

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浅間山を背景にした大カーブは信越本線屈指の撮影名所。「あさま」を撮影すべく信濃追分から歩いていると、途中から仔犬がついてきた。浅間颪が吹く寒い野原で遊んでやりながら列車を待った。 '76.1.1 信越本線 信濃追分-御代田 P:富田 岳

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停車していた下りD50牽引貨物が小諸駅を発車、この先長野までは千曲川沿いを走り、上り勾配もなく足取りは軽い。 '61.3.6 信越本線 小諸 P:中島正樹

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春はまだ足踏み状態、冷たい北西風に浅間山上空を雪雲がたなびく。かつてD50やD51が喘いだ信濃追分の大カーブを181系下り「あさま1号」が軽やかに通り過ぎて行った。 '73.3.25 信越本線 信濃追分-御代田 P:中島正樹

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C62「ニセコ」重連遠征の往路に新津に立寄った。D51 29〔酒〕+D51 609〔新〕の重連を取った瞬間、後追いすると「佐渡」が。絶妙のタイミングで次位機の区名板までしっかり撮れました。 '71.8 新津 P:須田 剛

高原のD50

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信濃追分を発車したD50牽引貨物が軽やかに浅間高原を下って行く。この切通しを抜ければ、間もなく雄大な浅間山が望める大カーブの築堤上に飛び出す。 '61.9.28 信濃追分-御代田 '61.9.28 P:中島正樹

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慰安旅行で伊香保温泉に行った帰り、一泊して長野方面へ。立ち寄った長野機関区では庫内手の手で入念に整備される信越本線の古豪、「白ヒゲのD50」の姿があった。 '64.7.14 長野機関区 P:中島正樹

C57 4

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学生時代の夏休みに訪れた新津機関区。信越本線を始めとする3路線が集まる新津は「鉄道の街」として知られるが、昼下がりの時間帯はC57がのんびり転車していた。 '57.8.12 新津機関区 P:中島正樹

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列車の写真にはロクなものがなかったけれど、たまたま撮ったこのカットはいい思い出になりました。小学校6年生のときの小旅行。 '72.6.25 横川 P:佐藤圭樹

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豊野を発車した下り列車が妙高高原に向けて勾配を登り始める辺り、右手車窓に志賀高原の山々が展開する。ここを碓氷峠を越えて来た169系急行「妙高2号」が軽やかな足取りで登って行った。 '72.1.3 豊野-牟礼 P:中島正樹

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信越・北陸本線経由で上野と大阪を結んでいた気動車特急「白鳥」キハ82系。その一番の見せ場がED42に助けられて走るここアプト区間。間もなく新線に切り替わり消えてしまう。 '63.9.15 :信越本線 横川-熊ノ平 P:中島正樹

海岸を行く

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撮影仲間の友人3人で久しぶりに会おうと柏崎に出かけた時の思い出のカット。その中の一人はもう故人となった。気楽なゴハチ撮影行だったが、今思えば、もっと頻繁に友人とゴハチの撮影に行けば良かったと悔やまれる。 '76.9 鯨波 P:齋藤孝行

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浅間山をバックにした築堤のカーブをD50牽引の貨物が下って来た。真横から見ると種々雑多な貨車で構成されているのが良く分かる。本当は煙を吐く上り列車を撮りたかった。 '61.9.28 信濃追分-御代田 P:中島正樹

D51 96

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信越本線長野以北で活躍していたD51 96を長野駅ホームから撮影、背景にはレンガ造りの国鉄長野工場が写っている。その後、機関車は碓氷峠鉄道文化むらで保存、工場は長野総合車両センターに統合された。 '65.3.28 長野 P:中島正樹

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旧碓氷線を利用した遊歩道「アプトの道」が、2012年4月めがね橋から熊ノ平まで延長された。長い間立ち入り禁止だったが、ようやく往時をしのぶことができることになった。この一枚、信越線のクイーン「白鳥」と各停の交換シーン。この写真を見ると、ED42のホイッスルが今でも聞こえるようだ。 '63.9 P:高橋孝一

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かつて鉄道貨物の輸送網は、あまねく地方私鉄にまで及んでいた。線路は続いていた、どこまでも...。 '76.3.16 屋代 P:井芝七路

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下り列車がアプト式区間最後のトンネルを抜けると平坦な軽井沢構内にさしかかる。やって来た旅客列車をよく見ると3輌の後部補機の手前に貨物が連結された混合列車だった。 '61.9.28 軽井沢 P:中島正樹

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当時小学5年生だった私は、土曜日の午後、クラスメイトと上越新幹線の建設工事が本格化した長岡駅で撮影。181系「とき」、70系ローカル、EF15の貨物など被写体には事欠かず。長岡運転所に115系が配属される前で、70系新潟色全盛期です。このクハ68の写真は、GMのキットの組立て塗装にも貢献。貴重なカットです。 '74.12 長岡 P:源川浩和

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アプト式解消のために造られた碓氷峠越えの新線。アプト起点付近をEF63重連に押されて下り準急1605M「軽井沢1号」80系が行く。この時期アプトもまだ健在で双方の運行が見られた。 '63.9.15 横川-軽井沢 P:中島正樹

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家族旅行中の長野駅で、たまたま「ファミリーD51号」に遭遇、発車風景にあわててカメラを向けた。そのカットの端に、たまたま地上時代の長野電鉄長野駅が写っていた。それに気づいたのはつい最近のことである。 '72.8 長野 P:井芝七路

浅間の煙

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浅間山が噴火の情報に夜行で早朝の中軽井沢へ。高原のひんやりした冷気の中を線路伝いに山の見える信濃追分方面に歩いた。肝心の噴煙はすでに穏やかになっていたが何本かのD50、D51の列車を撮ることが出来た。 '61.8.28 中軽井沢-信濃追分 P:中島正樹

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横川駅下りホームでEF63を連結する見慣れた風景だが、もう40年以上も前のこと。この年の夏、東京-中軽井沢間に運転された臨時急行「碓氷」、真新しい大きなヘッドマークも、なつかしい。 '66.7.23 横川 P:高橋孝一

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旅行で軽井沢に行った際に出会えた碓氷峠を越える貨物列車の姿です。 '82.9 軽井沢-横川 P:齋藤功郎

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