鉄道ホビダス

常磐・総武各線の最近の記事

千葉機関区

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千葉駅が最近リニューアルされたが、この付近にはかつて旧千葉機関区があり、構内には総武・房総方面の8620やC58が集結し、整備に当たっていた。背後の架線は総武線、房総方面は右手に分かれて行く。 '59.3.11 千葉機関区 P:中島正樹

常磐線のC57

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石岡駅を発車する常磐線C57牽引列車を撮影した。当日は鹿島参宮鉄道鉾田線の古典蒸機などを求め鉾田線の構内で撮影中、天気が悪かったため手近なところで撮った。 1958.11.3 常磐線 石岡 P:中島正樹


荒川橋梁

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終着まぢか千住の鉄橋にさしかかるEF80牽引の「ゆうづる」。鉄橋は旧線時代のもので今や、「つくばエクスプレス」も通り昔の面影はありません。 '79.8.17 常磐線 北千住−綾瀬 P:稲毛信夫

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夏の房総方面は海水浴客で賑わい、蒸機牽引の臨時列車も多かった。この列車は定期列車だったが10輌の客車を牽引し築堤を駆け上って来た。当時電化工事は保田付近まで進んでいた。 '66.7.24 房総西線 岩井−富浦 P:中島正樹

機関車交換 

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青森から上って来た12レ急行「みちのく」は平で機関車の交換が行われた。たまたま機関区を見学中でC62同士の並ぶ姿を間近で見ることが出来た。 '63.4.21 常磐線 平 '63.4.21 P:中島正樹

朝の浜通

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「北斗」や「十和田」の夜行急行が慌ただしく上って行った後、C60牽引の原ノ町発ローカル上り列車が駆け抜けていった。 '65.5.23 常磐線 木戸-広野 P:中島正樹

A8健在なり

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常磐線平以遠に蒸機を求めて出かけた帰り、古典蒸機の活躍で知られた四ツ倉を訪問。早速岩城セメント専用線を元気に走り回るナスミス600形の出迎えを受けた。 '65.5.23 岩城セメント専用線 四ツ倉 P:中島正樹

ナメクジ奮闘

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常磐線平以遠の電化工事が着手され、撮影区間も少なくなってきた。幸いこの区間はまだポールも見られず、自然豊かな丘陵地をナメクジのD51貨物がやって来た。 '65.5.23 常磐線 木戸-広野 P:中島正樹

C50の里

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小山駅構内で入換え中のC50。昭和4〜8年の製造ながら化粧煙突などにはまだ大正時代の名残が見られ、地味な存在ながら小山機関区には多く配置され貨客に活躍していた。 '60.10.11 水戸線 小山 P:中島正樹

北海道観光号

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10月の常磐線全線電化開業を迎え最後の夏、晴れ渡った中C61 21〔平〕の牽く「北海道観光号」が絶気運転でやって来た。今、1番違いの兄貴分の20号機は復活し第2の道を歩み私たちにいろいろな希望を与えている。 '67.8.6 常磐線 小高-磐城太田 P:渡部 司

D51発車

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D51貨物列車を待っていたら、"写真を機関区に届けてくれ"と大声で言って走り去って行った。が、届けることはできなかった。ある機関士様すみませんでした。 '67.6 常磐線 原ノ町-鹿島 P:渡部 司

電化前夜

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10月1日の電化開業を控えた夜の平機関区。C62 22号機と23号機が並んだ。23号機には「ゆうづる」のヘッドマークが掲出されている。下りの夜行の蒸機牽引列車は、この日が最終で、深夜にもかかわらず「徹夜ファン」で熱気があふれていた。 '67.9.29 平機関区 P:高橋孝一

C57 1の里帰り

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新製配置が水戸のC57 1。新津から出張し久しぶりに故郷を走りました。ちなみに私はこの時が初対面、以来長いお付き合いとなりました。 '71.10.17 平(現いわき) P:石毛英一

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「第2みちのく」を牽引するC62 49〔平〕。颯爽とかろやかに北に向かう。 '66.10 原ノ町-鹿島 P: 渡部 司

お召機が来た!

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つくば万博の団臨を牽引するEF81。情報のない時代に何度も撮影地を訪れ、目的の車輌が来た時の喜びは、今も忘れない。 '85.8 牛久-佐貫 P:采女 誠

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利根川の広い河川敷内の築堤上、遅れていた上り旅客が待っていた甲斐あって最終ナンバーC62 49牽引でやって来た。後方には利根川橋梁が見えている。 '62.3.2 我孫子―取手 P:中島正樹

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お召装備に復元されて注目を浴びているEF81 81号機ですが、お召に抜擢される一月あまり前、一般運用を淡々とこなしていました。 '85.3.12 我孫子-北柏 P:宮城浩志

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富岡駅を通過したC62牽引急行「みちのく」が、遮るもののない雄大なカーブを駆け上ってきた。 '63.4.21 富岡―夜ノ森 P:中島正樹

C57 1の里帰り

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鉄道開業99周年記念でC57 1による運転会が行われた。阿武隈山脈が連なる常磐路を駆け抜ける蒸機列車に、作業の手を休めて記念列車を見送る農夫の姿があった。 '71.10.17 小木津―日立 P:中島正樹

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通学でいつものように、原ノ町駅で列車到着を待っていると、煙突に小デフを付けた見慣れないC60がやってきたことがあった。青森区から仙台区に転属になった罐だそうである。一度、撮影をしたいと思い、狙っていたら偶然にやってきた。当時のカメラは、ヤシカの「ハーフ17」というハーフサイズカメラであった。今のような機材があれば、どんなによかったかと思う。 '67.4.3 原ノ町駅構内 P:渡部 司

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カメラをいじり出して間もない頃は、露出はフィルム箱記載のガイドに従っていたがかなりアバウトだった。 距離は大体無限遠にセットしていた。 DP屋から受け取るまでは出来具合はわからなかった。この頃の作品は酷いものばかりだった。写真は201レ「みちのく」。牽引機C62 8は尾久区所属て仙台までロングランした。 '61.11 末続ー広野 P:米本健一

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車に同乗させていただき鉄道100年記念列車を1日で5回撮影チャンスに恵まれた。ここでは運よくC57 1のサイドビューを狙うことができた。 '72.9.30 横芝-飯倉 P:宮山幸雄

江戸川橋梁

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「はつかり」蒸機牽引終焉の頃にやって来た江戸川橋梁。松戸側から築堤を喘ぎながら登ってきたD51の迫力は山岳地帯の勾配区間に劣らなかった。 '60.12.4 金町-松戸 P:中島正樹

神田川

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40年前の風景にもかかわらず今も変わらぬ御茶ノ水。今年と同じように梅雨なのに晴れの日なのですね。学生時代ここは本拠地でしたのでスナップ感覚での撮影でした。  '72.6.5 御茶ノ水-秋葉原 P: 中安 輝

ハゼ釣り

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花見川へ友人たちとハゼ釣りに。高価な釣竿まで購入して挑んだ私たちだがアタリは全くない。隣で釣っている小学生のグループはバンバン釣れている。ハゼの天ぷらは夢となり帰りにスーパーでワカサギの唐揚げを購入、なんとも情けない一日だった。 '80.5 幕張ー新倹見川 P:都築雅人

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我孫子から取手までの常磐線撮影に出かけた。まだ天王台駅はなく、利根川堤の水田地帯へ出るまでは低い丘陵地形の雑木林や松林が続き、ここをC57、C62やD51が走り抜けて行った。 '62.3.2 我孫子-取手 P:中島正樹

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仙台生え抜きのC61 4と懐かしき「はつかり」のマーク。常磐線電化の3日前に撮影したもの。 '67.9.28 仙台機関区 P:佐藤 智

新車の輝き

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常磐緩行線用の203系が東急車輛で完成して逗子駅から、横須賀線内で試運転を行い松戸に回送されていった。ピカピカの車体が眩しかった。 '84.3.26 逗子 P:藤村巌雄

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車輌も懐かしいが、腕木式信号機に「かづさなかの」という仮名遣いの木製駅名標が何とも言えず時代を感じさせる。 '86.3.20 上総中野 P:名尾 優

下町の雪

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めずらしく東京地方は大雪に見舞われた。早速、錦糸町駅へ。新小岩区のC57+C57が逆向き回送で両国駅へ向かって走り去って行った。 '69.3.12 錦糸町 P:服部邦義

ハドソン街道

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常磐線の交流電化は勝田まで達したが、水戸以遠の列車はまだ蒸機が活躍していた。手近な撮影地で水戸-勝田間では架線の下ながら、まだハドソン牽引の列車を見ることが出来た。 '63.1.4 水戸-勝田 P:中島正樹

キハ30系

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幕張電車区木更津支区をキハ30系の運転室ごしの撮影したものです。30年位前の首都圏の非電化区間では、どこでも見られたキハ30系もついに引退。時間の経過を感じます。 '84.9.24 木更津 P: 鈴木岳人

快走C57

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この辺は小さな台地が点在し、長い勾配は少ないものの、起伏を繰り返す。最後の上り勾配に勢いをつけるのか速度も高めにやって来た。間もなく成田。 C57 71 久住-成田 P:青木一郎

銚子行き

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天気の良い一日、友人を誘って佐倉周辺の蒸機列車を撮りに行く。総武本線・成田線の分岐する辺りから成田線に沿って進むと里山の間を縫ってC58牽引銚子行き列車が軽快にやって来た。この日は重連を含む各種の列車が楽しめた。 '65.11.28 佐倉-酒々井 P:中島正樹

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友達に誘われて、上野駅到着のブルートレイン撮影に行きました。当時は全く鉄道知識がなく「来た列車を撮る」だけでしたが、20系「ゆうづる」の並びも今見ると貴重な1枚です。 '73.1 上野 P:吉葉富雄

広瀬川とED75

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東北、常磐線で活躍したED75はこの春、定期運用より外され700番代数輌のみが細々と臨時運用の列車、車輌等を牽引する仕事に就いてます。ED75全盛時代、東北、常磐線、宮城野貨物線が平行して見渡せる場所。平行き普通列車が通過して行きました。工事中の東北新幹線の橋脚も手前に見えます。 '75.12.13 仙台−長町 P:武者秀男

第4十和田

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待ちに待った夏休みが来た。その初日、自転車を走らせ、夏のすがすがしい早朝に、「第4十和田」牽引のC62 39〔平〕が磐城太田駅構内進入のため絶気運転でやってきた。ハーフサイズカメラの記録である。 '67.8 磐城太田 P:渡部 司

カン高い汽笛

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よい位置と思い待機していたところ、やって来たのはディーゼル機でガッカリ。だが20輌近くの貨車を牽く姿も今となっては思い出のひとコマにはなった。ここでの煙はとうとう撮れぬまま。 機:DE10 52 久住-滑河 P:青木一郎

電化前日

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電化前日、心づくしの花輪を東北鉄道友の会からプレゼントを受けて、原ノ町構内第1閉塞信号付近を小雨降る中、絶気運転で走ってきた。到着すると直ぐ給炭、給水と砂の補充をしてもらい、246レを牽引して二度と戻ってこない旅路についた。 '67.9.30 鹿島-原ノ町 P:渡部 司

成田線の煙

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成田線は小さな起伏が各所にあるものの背景は比較的単調で、写真には難しい線区に思えた。勾配区間を探して撮り歩いたが列車の速度は速く、煙は流れてしまうことが多かった。銚子発千葉行424列車 機:C57 114。 '69.3.2 久住-滑河 P:青木一郎

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高校生だった頃、機関士の叔父が機関区に行っても写真撮ってやっから、と言われ連れて行ってもらった。すでに、架線に給電されており、特急を除くすべての蒸機は原ノ町で罐換えをしていたのでC62、61、60が待機しており、より取り見取り。迷うことなくC62に乗った。機関士席遠慮して、助手席で記念写真を撮ってもらった。。 '67.8 原ノ町機関区 P:渡部 司

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営団地下鉄東西線乗り入れ用に造られた国鉄301系。デビュー当時は総武線カラーに合わせた黄色帯を巻いていました。西船橋駅から見る風景も長閑ですね。 '71年 営団地下鉄東西線 西船橋駅 P:田中 豊

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岩井-富浦間は変化のある地形で中程にサミットがあり、蒸機列車の迫力あるブラストが楽しめた。海水浴シーズンになると休日には臨時列車が増え、定期列車を含めて10本以上の蒸機列車が走っていた。  '66.7.24 岩井-富浦 P:中島正樹

旧線を行く

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成田電化を目前にした総武本線物井-佐倉間に出かけた。寺崎台地を迂回していた旧線ルートは架線も張られず、最後まで築堤の上を堂々と蒸機列車が走っていた。鹿島川湿地帯に架かる橋梁橋台は現在も有形文化財として残っている。 '68.2.11 物井-佐倉 P:中島正樹

ふるさとの駅

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自分の生まれ故郷の駅を投稿しました。団体臨時列車が通過中の写真。現在は中線や側線もかなり以前からなくなり、また昨年の東日本大地震以来、常磐線の北側はこの亘理駅が終点になってしまいました。常磐線が全通するのがいつの日なのか、遠くシドニーの地から思いはせています。 '74.3 亘理 P:鈴木康一

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国鉄最後の日、当時徹夜で買い求めた「謝恩フリー切符」を使い関東へ行った際に撮影しました。両国駅の団体・臨時ホームには165系9連の遠足列車が停車しており「友愛号」というマークが取り付けられていました。 '87.3.31 両国 P:泉谷 純

101系快速

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総武快速線が完成する前は、101系による快速運転が存在しており、中野~木更津・成田の2系統を走行。各々運転区間を表記したヘッドマークを掲げて、総武線を快走してました。 '71.7 千葉 P:田中 豊

平電化迫るころ

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常磐線の交流電化も平までの延長が目前だった。沿線での走行写真はすでに架線が張られて厳しかったが、水戸駅の下りC62発車シーンは架線の下ながら見応えがあった。 '63.1.3 水戸 P:中島正樹

信号テコ扱い所

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木原線の上総中野駅の信号テコ扱所です。懐かしいのですね。関東地方では四半世紀前の時点でも、一部の路線に残っていただけだと思います。 '84.9.24 上総中野 P:鈴木岳人

深夜の平機関区

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C62の並び。右は先発の「ゆうづる」牽引のC62。左は後発の「第3十和田」牽引のC62。ともに、深夜0時を回った時刻に平を発車して青森をめざした。撮影時は、まだ19歳の青年だった。 '67.8.4 平機関区 P:高橋孝一

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初めて友人と総武本線に訪れ、榎戸駅で下車。地べたにしゃがみ、親父に借りたカメラを構えて待っていると、8620がゆっくりと現れた。初めて見た大迫力の蒸機に圧倒され、手が震えて煙が切れた写真となってしまったが、今でもその時の興奮が忘れられない。 '69.3.26 総武本線 榎戸─八街 P:鈴木一平

電化前日

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国鉄は10月1日に大きなダイヤ改正をおこなっていた。常磐線の平以北の電化による改正もそのひとつ。常磐線からケムリが消えるその前日30日。深夜遅くまで、撮影しまくったあのころであった。 '67.9.30 広野-末続 P:高橋孝一

発車前

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北日本の玄関口、上野駅8番ホーム。C62牽引の昼間の急行「みちのく」が火力を強めて発車を待っている。その発車風景を3人の男性が興味深げに見守っていた。いつの時代にも蒸機には男を惹き付ける何かがある。 '61.5.25 上野 P:中島正樹

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川鉄五田保(ごたっぽ)門から国道16号線を横切って蘇我にやって来た専用線の列車。国鉄側ではDE10による組成やEF80の姿も見られた。 '81.7.18 蘇我 P:平蔵伸洋

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父と同様に弟(通称:オンちゃん)もた原ノ町機関区の機関士で特に機関区の職員の間では、尾久の罐がはつかりが牽引することで話題だったそうだ。たまたま知り合いの乗務員だったので、写真を撮らせてもらったと、聞いたことがあった。それをもらった一枚である。 原ノ町-鹿島 P:渡部 司

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新宿駅に停車中の急行「外房」です。このころは新宿駅始発の房総半島方面に行く急行が何本か設定されていました。使用車輌の165系は雪国や山岳路線のイメージが強く少し違和感がありました。 '82.7 新宿 P:鈴木岳人

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北千住から荒川の土手に向かってはやや上り勾配。黒煙を上げてC57牽引の普通旅客列車が荒川橋梁に差し掛かる。今は隣をつくばエクスプレスが走り、何でもない普通の情景も撮れなくなってしまった。 '61.5.7 北千住 P:中島正樹

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全線電化前の常磐線は、寝台特急「ゆうづる」の他、急行「十和田」がC62牽引で最後の活躍をしていました。かって訪れた常磐線は、今回の大震災と原発事故の影響で大きな影響を受けていますが、一日も早い復興を祈ります。 '67.8 平機関区 P:中川弘一

千葉のC57 1

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C57 1は1972年春に羽越本線でお召列車を牽引した後、鉄道開通100周年記念では総武本線、成田線を走行しました。南酒々井の「お立ち台」に行くと、すでに三脚が林立しており、隙間に入れてもらって撮影した思い出の一枚です。 '72.10.1 南酒々井―榎戸 P:遊川 清

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大学の鉄研の合宿の一環として、総武本線のC57を撮影に行った。築堤を駆け上るC57の勇姿にみな大いに感動した。 '69.9.12 飯岡 P:高橋孝一

平機関区にて

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転車台はどこの機関区にもあり、そこに乗せられている蒸機は、まさに花形役者だった。今、ナメクジドームのD51が回転中。このような光景は、今、上越線の水上でも見られるが...。 '67.4.1 平機関区 P:高橋孝一

C58と機関士

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春休み、総武線に蒸気機関車を撮りに行く途中、千葉駅で撮影。当時としては大変めずらしい、「おヒゲ」がかっこいい機関士サンをカシャッ。そうしたら「あんちゃん、こっちこ~」と、キャブに乗せてもらい、記念写真を撮らせて頂きました。 '69.3.30 千葉 P:寺内 平

奥久慈の8620

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「奥久慈ハチロク号」の撮影に向かうも、踏切事故で常磐線が大幅に遅れ、ようやく帰りの列車を上小川駅で撮ることができた。交換列車のキハユニの湘南顔が愛らしい。 '72.9.23 上小川 P:小林哲哉

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家が線路に近かったので、原ノ町駅場内信号確認の汽笛の音が聞こえれば、いつものように走って行き写真が写せた。この日は、いつもより少し早めに自転車で家を出て、原ノ町駅を通過し力行するC62 47が写せた。 '66.7.23 原ノ町-磐城太田 P:渡部 司

C61 28発車

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構内でカメラを構えていると、突然、目の前でドレインが切られ迫力のある一枚となった。次の日、勤務する機関区から戻った親父(機関士)に「気を付けて撮れよ」と言われた。親父に生前、C61 28はその後、青森と宮崎に移動したと教えたら懐かしそうに「ほお―」と言っていた。家の床の間には実物大のダミーC61 28のナンバープレートがに飾ってある。 '67.5 原ノ町 P:渡部 司

千葉のC57 1

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鉄道100年記念特別列車を車に同乗させていただき1日で4回撮影。この頃は総武本線は未電化で電化柱は立っているが、架線がじゃまにならずとらえることができた。 '72.9.30 八日市場-干潟 P:宮山幸雄

父の思い出

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「第1みちのく」を牽引して原ノ町駅に到着。乗務員の交代を行って出発を告げるブザーの音とともに汽笛。乗務員の交代を行って機関区に戻る機関士は、偶然にも私の親父であった。なつかしい想い出であった。 '67.8 原ノ町 P:渡部 司

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上野、取手間はゲタ電から交直の電車や電機、さらに気動車、蒸機とバラエティに富んでいた。上野発の我孫子経由成田行きが北小金への台地にさしかかる。機:C58 29。 '64.5.3 馬橋~北小金 P:青木一郎

成田臨

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成田山新勝寺のご開帳で走った成田臨。初詣の成田臨同様、上野からは常磐線我孫子経由で成田線に入る。常磐線を走るこの区間は雑木林や松林が連なり、市街地化はまだ始まっていなかった。 '68.4.7 我孫子-柏 P:中島正樹

蒸機展示会

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常磐線の蒸気機関車お別れ運転に合わせ、高萩の引き込み線を利用して蒸機の展示会が行われた。場所的にはよくなかったが、平機関区からも駆けつけたのであろうかC12、C50、D51、8620、9600と多彩な顔ぶれで、皆思い思いにカマの側まで寄ることが出来た。 '70.3.21 高萩 P:中島正樹

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