鉄道ホビダス

関西本線の最近の記事

夕暮れの柘植にて

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梅小路蒸気機関車館での動態保存のために転区してきたD51トップナンバーが「デゴイチ伊賀号」運用として12系客車を従え、夕暮れの中を威風堂々と通過していった。 '72.11.19 柘植-新堂 P:西田達哉

うららかな日

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陽光輝く5月ともなると、線路際の草も目に鮮やかな新緑となり、汽車を待つ間も退屈しなかった。通過してゆく荷物列車も長閑さを映し出すかの様な煙の薄さだった。 '72.5.5 加太-中在家(信) P:田中一弘

霧の朝

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桑名駅前に泊まり、翌朝の列車に期待をかけた。しかし朝から濃霧に見舞われて写真どころではなかったが、待った甲斐あって224レは珍しく門鉄デフのC57 83が牽引して来た。 '69.1.26 桑名 P:中島正樹

汽車とテスト

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中間考査を前日に控えていたのによいお天気に我慢できず撮影に出掛けてしまった。写真の出来は満点でしたが翌日は答案用紙を見るなり泣きそうになった苦い思い出の一枚です。 '73.6 加太-中在家(信) P:高橋 明

朝の王寺駅

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東京発湊町行き急行「大和」からスハネ1輌を受け取り和歌山市へ向かう普通列車が発車するところ。おりしも関西線の優等列車「かすが」も名古屋に向けて出発、王寺駅の奈良寄りの跨線橋がお立ち台でした。 '67.8.30 王寺 P:柿浦和敏

加太越え

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有名な加太の大築堤へダッシュする直線区間での撮影は、いつも築堤での撮影後になることが多かった。この日は正月明けで貨物が少なく、残念ながら補機はついていなかった。 '72.1.6 加太─中在家(信) P:早瀬文朗

驟雨の三重連

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今度の日曜日、関西線に三重連が走るらしい! 学校中の鉄仲間にそんな情報が流れた。詳しいことがわからずとにかく始発の王寺まで行き混乱の中で撮影。秋雨の中での三本の汽笛は今でも忘れられません。 王子 '71.9.26 P:石地康司

初詣臨

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お伊勢さん参りの初詣臨時列車が走ると聞き元旦から出掛けた、前後のネガを見るとDDも写っているが臨時列車は二本ともD51が牽いてきた。 '73.1.1 加太-中在家(信) P:服部基寛

その後の加太越え

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蒸機が消えて数年後、再び築堤を訪れてみました。牽引機が変わっても、以前と同じように後補機を従えた貨物列車ががんばっていました。 '79.3 加太-中在家(信) P:雨皿 亮

鈴鹿越えに挑む

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781レを牽いてやって来たのは紀伊田辺からの転属機キリ番の800号。運よく後補機の姿も少し写っていました。 '72.1.23 関-加太 P:高橋 明

冬の加太越え

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正月気分がまだ残る関西本線。荷41レはいつも通り加太越えに挑んできた。 '71.1.4 加太─中在家(信) P:吉村忠修

思い出の「柳生号」

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私の関西本線撮影行は、いつもこの「柳生号」から始まりました。乗るか、先行して撮るかの楽しい選択。今日は重連、もちろん先行です。毎度の人の多さも今となってはなつかしい風景です。 '71.11 天王寺 P:正垣 修

後補機奮闘

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D51が客貨に活躍していた関西本線において、梅小路行き貨783レは、信楽線運用のC58が後部補機として運用されて注目を集めていた。D51に比べ非力なC58が懸命に補機を務める姿は、なかなか見応えがあった。 '72.10.1 加太-中在家(信) P:田中一弘

鳩とかもめ

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D51の装飾デフで楽しませてくれた関西本線は、また、行楽シーズンともなると各地から仕立てられた団体や臨時列車が運行され、さらに多くの楽しみを増やしてくれた。この日の臨時列車の先頭に立つのは「鳩」と「かもめ」のD51だった。 '73.9.2 加太-中在家 P:田中一弘

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行楽シーズンに運転されていた「SL近江路号」のさよなら運転。車内はデッキまで満員だったが加太の大築堤で待ち構えるファンの数もすごかった。 '72.10.1 加太-中在家(信) P:石地康司

デフのツバメ

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加太駅を出発する荷41レ、デフにつばめのマークがついたD51 944の牽引でした。 '73.3.18 加太 P:齋藤隆行

加太越えのキハ30

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加太の大築堤の登るローカルDC。 '73.3.8  加太─中在家(信) P:齋藤隆行

夜のゴハチ

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室内灯に照らされ闇夜に浮かぶ大窓66号機には魅了された。次位は夜行「いそつり」牽引用99号機。この後青春18きっぷで仲間と天王寺─新宮間を66号機牽引の924列車の旅を楽しんだ。 '85.8.9 竜華操車場(関西本線久宝寺駅のホームより)  P:山田 優

ガリ版刷りの時刻表

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簡単に情報が入手できる現在と違い、有名撮影地の駅でもらった手作りの時刻表は当時の鉄道小僧の宝物でした。 '71.1 加太 P:石地康司

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梅小路蒸気機関車館の開館を機にやってきたD51 1号機が「デゴイチ伊賀号」を牽引。集煙装置付きのカマに慣れていただけにとても新鮮で、幾度となく通った。   '72.11.19 関西本線 大河原-月ヶ瀬口 P:西田達哉

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ネガブックのベタコマ落ちしたネガを確認したところ、D51の合間に片側が中間車で走行する気動車を発見、反対側を見ると「なんとボンネット」。便利な時代になったもので、ネットで調べたところ「いなほ」からの転用で回送中のキハ81と判明、「くろしお来就」のため、海ナシ県の奈良駅に接近進入する一コマでした。 '72.9頃 木津─奈良 P:安東大介

関西本線電化の頃

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1973年10月1日、関西線湊町~奈良間電化完成記念ヘッドマークが取り付けられた関西線色113系。灰色9号に朱色3号の帯を巻いた113系はとても新鮮であった。 '73.10.1 河内堅上─柏原 P:三津安永

朝の喧騒も一段落して

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関西線名古屋口で運転されていた旧客の機回し風景。普通列車大増発の電化開業を直前に控えているものの、このときはゆっくりと時間が過ぎていきました。 '82.5.5 名古屋 P:鵜飼功一

快速「柳生号」

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加太の築堤を行く快速柳生号、35系で編成された臨時列車、排気音は豪快だかエンジン1基で峠の登りは厳しく、飛び降りれそうなくらい脚は遅かった。 '71.7.4 加太─中在家(信) P:服部基寛

出発準備

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石炭を満載し、出発の準備をする機関助手。コンピューター時代の今日では、想像できない光景ですが、ほんの三十数年前までは、これが日常でした。 ’72.12.29 柘植 P:中西裕一

42年前の夏

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昭和41年の夏、関西本線の今宮駅で助役さんに許可をいただき撮影した。前年まではC57牽引だったが、この時はC58 137牽引で荷物列車がやってきた。助役さんは「坊ちゃん、写真は写し終わりましたか?」「ハイ、終わりました」。との合図を確認したか、C58は次の湊町(現JR難波)に向けてノロノロと走っていった。今思うにC58の後につながれている荷物車は、戦災復旧の70系である。背後左手は大阪環状線の内回り、右手は外回りの線路であるが、当時大阪環状線の電車は、天王寺から大正まで駅がなかった。 ’66.8 今宮 P:永野晴樹

河内堅上の風景

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地すべり対策で架け替えられた橋梁上ですれ違う上り奈良方面ゆきのDC列車と下り湊町方面行きのC58牽引貨物列車。このホキは、当時、河内堅上駅に隣接して設置されていた砂利積載用のホッパー施設に横付けされ待機していた。列車に乗るべく、砂利道を駅に向かって歩く親子連れ…時代を感じさせてくれます。 '65.2.14 河内堅上 P:柿浦和敏

初秋の加太越え

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有名な加太の築堤に入る直前のストレートは後補機も写せる人気ポイント。この日は工場送りの回送DFが付いていた。稲穂がたわわに実って収穫を待つ初秋の頃。 ’71.9.15 加太-中在家 P:服部基寛

夕暮れの峠道

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夕暮れの峠道を荷45レが軽快に駆け抜けていきました。 '72.3.26 加太-中在家(信) P:坂本宜聖

木曽川橋梁を渡る

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近鉄名古屋線で10100系の3重連運転を撮影していたこの日、ふと時刻表を見るとお隣の関西本線にキハ81系の「くろしお」も撮影できることに気がついた。時間にあまり余裕がなく、木曽川橋梁での窮屈なアングルになってしまったが、撮影できただけでもラッキーであった。今は、上流側の新橋梁に架け替えられており、キハ81とともにこの古い橋梁も過去のものとなってしまった。 '78.4.30 弥富─長島 P:寺沢秀樹

鈴鹿峠に向けて

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梅雨の日曜日。D51 499を補機に従え鈴鹿峠にアタック開始、雨の峠路に2輌のD51のドラフトがこだまする。 '72.6.4 柘植─中在家 P:服部基寛

生まれたばかりのDD51 750

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昨今、なにかと話題のDD51 750。一泊の予定で加太越えのD51撮影に出かけた夜、亀山駅でバルブ撮影中に現れた荷物列車をなにげなく撮影しました。今になってナンバーを見ると750、しかも新製2か月後のピッカピカの新車です。 '72.3.27 亀山 P:坂本 宜聖

電機が並んだ扇形庫

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竜華機関区のラウンドハウスにずらりと並んだ愛着のあった機関車たち。現在は跡形も無くなってしまったが、当時仲良くしていただいた機関士さん達は今もお元気でしょうか? '85.9.22 竜華機関区 P:山田 優

C51 225お別れ式

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鉄道友の会主催のC51 225お別れ式の様子です。隣のDF50も当時は「脇役」に徹しきっており、3本並んだ腕木シグナル、うしろの木造のねぐらとともに今は懐かしい国鉄風景です。
 '65.2.28 亀山機関区 P:柿浦和敏

せせらぎを聞きながら

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子供たちが川遊びをする梅雨入り前の日曜日、D51499の荷物列車が走り去る。 '73.6.3 笠置 P:服部基寛

70年代の天王寺

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関西本線(湊町~奈良間)がまだ非電化の頃の17・18番ホーム。到着列車はキハ20が先頭の湊町行き普通。手前は、16番ホーム停車中のキハ35系2連柏原行き普通列車。右奥には廃止になった南海電鉄天王寺支線のホームが見える。 '72.4.2 天王寺 P:西田達哉

キハ35奈良行快速

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電化直前の関西本線を走る奈良行快速キハ35系2連。ここは当時、休日を中心に運行されていたSLデゴイチ号のお手軽お立ち台的ポイントであった。 '73.9.23 柏原─河内堅上 P:西田達哉

本番前のためし撮り

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この年、奈良地区でのキャンペーンで走ったC56の回送列車を撮ろうとカメラを構えた。本番前の試し撮りではあったが、夏の日の日没近くの残照に映えたのは「春日塗り」と言われる113系の朱色であった。 '86.7.27 三郷-河内堅上 P:田中一弘

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中在家信号場、上り待避線・後補機D51 1154、下り本線D51 882。ネガを確認すると、上りの本務機を撮影していないので、もしかしてDD51だったのか? ’73.4 頃 中在家信号場 P:安東大介

D51 499加太発車

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奈良機関区のデフ装飾機(882/月と鹿、906/鳩、940→831/カモメ、944/ツバメ)とは違った魅力のある499。後藤式デフ+集煙装置+重油タンクの威風堂々の面構え。なぜかよく来るD51でした。 ’73.4 加太 P:安東大介

初めて見た快速色

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高校1年の秋、初めて乗った関西線快速。湘南、横須賀色しか見たことない私にとって、国鉄らしかぬ華やかなカラーリングで、関西への憧れを抱かせたのでした。 '85.9.16 奈良 P:八鍬俊彦

加太越えに挑む

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’73年1月、この頃の関西本線は無煙化こそされていなかったが、本務機へのDLの進出が著しかった。後部補機のみ蒸機の列車では撮影対象とならず、撮る列車が限られてしまっていた。そんな中、従来通り2輌の蒸気機関車で運転されていた貨261レは、峠の通過時間帯からも、関西本線最後の華であったと思う。 ’73.1.15 加太-中在家信号場 P:田中一弘

DL化直前の急行「大和」

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東京~湊町(現・JR難波)間の急行「大和」。ディーゼル化直前の最終日曜日、ボイラ前面を角型に改造したC57 146がやってきた。ちょうど城東貨物線のD52(番号不明)と並走。オール寝台車5輌という軽量かつデラックスな編成を牽引し、C57本来の高速性能を発揮した見事な列車だった。なお、翌月10月1日改正からC57より高速性能の劣るDF50牽引となりスピードダウン。途中駅の停車時間を短縮してダイヤを確保した。 ’65.9.26 旧・加美駅上りホーム P:永野晴樹

初めて見たD51 1

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鉄道100年、梅小路蒸気機関車館がオープンし、D51 1が臨時列車を牽いて、関西本線に入るようになった。それまで集煙装置についた、いかつい感じのD51しか見たことがなく、半流線型の滑らかな「ナメクジ」を見るのは初めてで、いつまでも飽きずに見ていた記憶がある。 ’72.11.19 柘植 P:田中一弘

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前年より少しずつD51のDD51への置き換えが始まっていた関西本線。休日の臨時列車の運転は相も変わらず多かったが、長年親しまれてきた臨客の「デゴイチ伊賀号」の運転が最後を迎えると、いよいよの感が強くなった。自分にとって、この運転が何度も通った関西本線の実質的なサヨナラ運転だった。 ’73.9.2 月ヶ瀬口-島ヶ原 P:田中一弘

加太駅にて

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蒸機時代から有名だった加太の大築堤を初めて訪れたのは1981年。DD51重連の貨物やDE10+DD51の荷物列車を撮影しました。駅に戻ると、ちょうど重連の貨物列車が到着しました。 ’81.3.18 加太 P:鈴木正敏

重連 発車!

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暑い日でした。撮影目的は近鉄電車でしたが、主客転倒、重連発車の迫力は忘れられません。 '70.7.25 桑名 P:谷口裕明

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