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山陰本線

2010年12月14日

山陰の浜辺で

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白砂青松の山陰海岸らしい風景の中に現れた561レ。牽いて来たのは角張ったデフにカマボコドームの戦時型D51 1067号機でした。 '73.8 小田~田儀 P:高橋 明

投稿者 Yamashita : 2010年12月14日 14:26

2010年12月10日

キハ181系米子へ

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近く最後を迎えるキハ181系だが、山陰地区への第一歩はD51三重連でにぎわう1971年4月26日新大阪-出雲市間 特急「おき」新設にともなうピカピカのキハ181系が米子機関区に回着した。 '71.4.1 米子機関区 P:石田哲彦

投稿者 Yamashita : 2010年12月10日 21:20

2010年11月 9日

西浜田発車

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薄暗い冬の朝、上りの二番列車がまだ夜の明けきらぬ西浜田を発車する。重装備のC57のブラスト音が集落にこだまする。益田発浜田行526列車、機:C57 120 '70.12.29 西浜田 P:青木一郎


投稿者 Yamashita : 2010年11月 9日 14:28

2010年10月21日

吹雪の後の強風の元日

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1970年元日は、大晦日から降り続いた大雪は上がったものの強風が吹き荒れ、ダイヤは大混乱。最悪の撮影コンディションンで、やっと撮ったD51の煙は、真横に流されていた。 '70.1.1 米子 P:中浦秀和

投稿者 Yamashita : 2010年10月21日 12:18

2010年10月19日

山陰の峠にて

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海岸沿いに別れを告げ、長門二見からの山区間。1000分の25との苦闘でブラスト強くも速度は上がらず、空転を繰り返す。後ろから押してやりたくなるような、つらそうなシーン。878列車。 '71.3.27 長門二見─滝部 P:青木一郎


投稿者 Yamashita : 2010年10月19日 12:52

2010年9月30日

機関区のマスコット

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米子機関区で撮影した倉吉線用のC11です。ターンテーブルにちょこっと乗った姿がかわいらしかったです。 '73年秋 米子機関区 P:山本順一

投稿者 Yamashita : 2010年9月30日 14:58

京都口蒸機最終日

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普段走らない時間帯に園部までの臨時往復が設定されました。時間待ちの間、保津川下りの船に手を振っていたのが思い出されます。 '71.4.25 馬堀─保津峡 P:石地康司


投稿者 Yamashita : 2010年9月30日 14:57

2010年9月14日

レコーディングフィルム

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高校生の頃、超望遠レンズの圧縮効果に憧れたが、とても買えなかったので、ケンコー テレプラスという安価なコンバージョンレンズでお茶を濁していたのだが、絞り値が2段も下がるのが悩みの種だった。そこで行きつけの写真店に教わり、ASA1000というコダックのレコーディング2475という超高感度フィルムを試用したところ、ご覧の通りの粗粒子で、引退間近のDF50牽引列車など、多数の被写体を無駄にしてしまった。 '76.8 玉造温泉─乃木 P:石原裕紀

投稿者 Yamashita : 2010年9月14日 22:39

ナメクジとの出会い

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大学に入って最初の夏休み、前半のバイトで稼いだ資金で初めて山陰本線に行った。どこの撮影地も脚力を必要としたが、この場所は比較的駅に近く客車列車の本数が多かった。列車は幸運にもD51ナメクジ牽引だった。 '73.8.25 長門粟野─阿川 P:宮山幸雄

投稿者 Yamashita : 2010年9月14日 22:32

2010年8月 5日

遠い夏休み

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中学3年の夏休み、受験勉強を忘れ、同級生と山陰の海に繰り出しました。冷房なんて必要なかったころの、あ・つ・い、思い出です(みんな、元気かなぁ)。 '79.7.30 下関 P:小林慎治

投稿者 Yamashita : 2010年8月 5日 11:59

2010年7月29日

「まつかぜ」交換

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特急「まつかぜ」は京都と博多間を結ぶ山陰線のクイーンであった。その「まつかぜ」は出雲市駅で上下交換していた。出雲大社の見学を早めに切り上げ、撮影した。 '68.8.5 出雲市 P:内田博行

投稿者 Yamashita : 2010年7月29日 15:58

2010年7月26日

C51ラストラン

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和歌山から転入した本州ただ2輌の四次型C57、190号機を撮影するため秋の山陰本線に出かけた。まだ自動車が本格的に普及していなかった当時、有名観光地の嵯峨野、保津峡を沿線にもつ山陰本線は観光シーズンの日曜日にはラッシュ時以上の混雑となり、押し寄せる観光客をさばくため、通常は2~3輌編成で運転しているDC列車を2本分まとめて4~6輌に増結し、足りなくなったDCのスジを蒸機牽引列車で埋めるのが常だった。園部でC57 190を撮影した帰途、16時18分に亀岡で交換する131Dは蒸機牽引客車に置き換わっているかもしれないと思って対向列車を見ると、131Dは予想通り蒸機牽引、機関車は見慣れたC51 271。1本遅い列車に乗ることにして下車、夕暮れの亀岡を発車してゆくC51 271を見送った。しかし190号機の転入で余裕のできたC57は臨時運用もまかなうようになり、老いたC51 271に次の日曜日は来なかった。その夜に梅小路に帰区して火を落とし、4日後の10月21日に二休指定、そのまま再起することもなく3か月後の1966年1月21日廃車。この列車が名機C51のラストランだと知ったのは数年たってからのことである。「SLブーム」の直前だったとはいえ、見送ったのは友人と二人だけ、名優の最後はあまりにも静かだった。 '65.10.17 亀岡 P:小西和之

投稿者 Yamashita : 2010年7月26日 16:16

2010年7月21日

ドラフト二重奏

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静かな小駅、特牛(こっとい)を発車。まだ速度も遅く、立ち向かう勾配に二重奏のドラフトが山あいに響く春の朝。浜田発門司行823列車、機:D51 227+D51。 '71.3.27 特牛-滝部 P:青木一郎

投稿者 Yamashita : 2010年7月21日 20:15

2010年7月 1日

宇田郷の海を望む

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静かで鏡のような日本海。白砂青松、山紫水明。受ける朝日にボイラを輝かせこの地を通過する。門司発福知山行824列車。遠い行き先が時代を感じさせる。 '70.12.30 宇田郷-須佐 P:青木一郎


投稿者 Yamashita : 2010年7月 1日 12:15

2010年5月10日

後藤工場標修車

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朝の834レを牽引してやってきた福知山区の41号機。D51 499と同じ後藤工場標修車プレートをデフに付けていた。 '66.10.9 梅小路機関区 P:石地康司

投稿者 Yamashita : 2010年5月10日 12:43

2010年4月14日

圧縮効果

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135mmの視角しか知らなかった高校時代に、野鳥撮影を趣味とする同級生から200mm~500mmという途方もないズームを借り受けた。さっそく素通しの跨線橋から食堂車付き181系編成の回35Dと701D「だいせん1号」の交換を狙い、強烈な圧縮効果に驚喜したが、10日後には返却して束の間の夢に終わった。 '76.5.22 直江 P:石原裕紀

投稿者 Yamashita : 2010年4月14日 16:19

2010年4月 9日

鄙びた小駅

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下りの貨物列車の待避を受けて、C57牽引の上り列車が仁万駅に進入、ひなびた小駅でひとときの豪華な顔合わせが展開しました。腕木シグナルも洒落た脇役を演じていました。 '73.3.8 仁万 P:柿浦和敏


投稿者 Yamashita : 2010年4月 9日 19:35

2010年4月 7日

急行「丹後4号」

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減速して馬堀駅を通過、保津峡に向けてエンジンを唸らせて築堤をかけ登る長い編成の「丹後4号」。現在は「トロッコ列車」の走る嵯峨野観光鉄道となっています。 '69.1.5 馬堀─保津峡 P:柿浦和敏

投稿者 Yamashita : 2010年4月 7日 10:00

2010年4月 5日

今も昔も

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ここは2006年8月10日付「お立ち台通信」で紹介されたポイント。今も昔も変わらない山陰本線の名撮影地、折居の海岸線を行くC57牽引上り普通列車の罐は梅小路から流れてきた5号機でした。 '74.3 折居─三保三隅 P:幾代 裕

投稿者 Yamashita : 2010年4月 5日 13:49

2010年4月 1日

「石州号」がゆく

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山陰線最後の蒸気機関車が、斐伊川橋梁を過ぎ去っていきました。中学時代に数えきれないほどの蒸機を撮影したこの土手で、過ぎ行く最終列車を見送ったあとは、遠くから聞こえる汽笛が寂しく出雲平野に響いていました。 '75.1.15 安来─荒島 P:田渕秀次

投稿者 Yamashita : 2010年4月 1日 10:07

2010年3月29日

僕って荷物なの?

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神戸からの長旅ご苦労様。 '86.10.10 出雲市 P:閑野雅幸

投稿者 Yamashita : 2010年3月29日 14:39

2010年3月25日

山峡の駅

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正月に保津峡を訪れた。川のせせらぎしか聞こえない静かな山峡に発車の汽笛がこだました。そしてドラフトが段々と大きく反響しながらやってきた。現在この線は観光用路線となってしまった。 '70.1.2 保津峡─嵯峨 P:内田博行

投稿者 Yamashita : 2010年3月25日 14:28

2010年3月15日

山陰の山里で

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「ドン行」と呼ばれたありふれた普通列車が、平凡な山里を地味に走っていました。 '73.12.23 長門粟野-阿川 P:柿浦和敏

投稿者 Yamashita : 2010年3月15日 13:22

2010年3月12日

吹雪の海岸

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荒れる日本海をバックに吹雪の中を絶気のデゴイチが音もなくあっという間に通過していきました。 '73.12.24 三見─玉江 P:柿浦和敏

投稿者 Yamashita : 2010年3月12日 14:30

2010年1月14日

北国から来たナメクジ

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貨物列車の交換を撮影のため、早めに湯玉駅に戻る。通過列車が幸運にもナメクジ。背後には助役さんと駅員さんが控えている。現在は無人駅。 '73.8.25 湯玉 P:宮山幸雄

投稿者 Yamashita : 2010年1月14日 16:03

2010年1月13日

嵯峨の竹林を往く

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降り立った嵯峨は小雨。天候の不運を恨みつつ場所探し。フト見ると濡れた緑の竹林が嵯峨の雰囲気を醸し出している。綺麗な白煙と組み合わせられ気を取り直した。京都発園部行き1823列車。機:C57 5。 嵯峨-保津峡 P:青木一郎

投稿者 Yamashita : 2010年1月13日 16:58

2009年12月28日

昼下がりの鎌手

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山陰のクイーン2012D「まつかぜ2号」がD51 524号機牽引の571レと交換する。「山陰本線」らしかった時代の一こま。 '73.8.13 鎌手 P:石田哲彦

投稿者 Yamashita : 2009年12月28日 14:33

2009年12月25日

黄波戸の朝

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初めて駅で泊った翌朝に、朝の斜光を浴びて峠を登っていく列車を撮影した。この場所ではその後何度も挑戦したが、この時期にしか撮れなかった。 '72.5.6 黄波戸─長門古市 P:早瀬文朗

投稿者 Yamashita : 2009年12月25日 13:21

2009年12月17日

西大路通り

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山陰本線は円町交差点の南で西大路通りをオーバークロスする。西大路通りには京都市電が走り、バックには左大文字を望む京都を象徴する撮影ポイントだったが、市電もDD54も消えて久しい。 '76.4.3 花園-二条 P:鈴木博之

投稿者 Yamashita : 2009年12月17日 12:36

2009年12月11日

冬の海

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旅客列車が撮りたくて、早朝の海辺でカメラを構えた。光線が不十分のため、増感で対応することにして撮影した。 '73.12.25 折居-周布 P:早瀬文朗

投稿者 Yamashita : 2009年12月11日 17:27

2009年11月 5日

小倉山界隈

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嵯峨野・野々宮踏切のさらに先、小倉山トンネル入口の上で待ち構えていると、豊岡・敦賀行きの普通列車を牽いてやってきたのは、梅小路機関区のヒロイン・190号機。「やった」集煙装置をはずして煙突が短くなったのもご愛嬌。 '67.6.12 嵯峨-保津峡 P:柿浦和敏

投稿者 Yamashita : 2009年11月 5日 12:52

2009年11月 2日

春の保津峡

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桜満開の保津峡駅。川の流れを遮り発車の汽笛が山々にこだまする。朝もやの中に煙が溶け込む。園部発京都行き1824列車。機:C575。 '71.4.11 保津峡 P:青木一郎

投稿者 Yamashita : 2009年11月 2日 13:59

2009年10月22日

到着

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京都駅の山陰本線ホームに列車が到着した。どっと吐き出されて来た乗客の表情に暮れも押し詰まった時期の慌ただしさが伺える。 '63.12.30 京都 P:中島正樹

投稿者 Yamashita : 2009年10月22日 14:56

2009年10月15日

峠に挑む

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あまりに豪快な煙に圧倒され、通過後もしばらく呆然としていたのを覚えています。 '73.12.23 滝部─特牛 P:柿浦和敏


投稿者 Yamashita : 2009年10月15日 13:32

2009年10月14日

通勤列車

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何度も通った保津峡付近、朝の通勤列車はこの1830レで一段落。曇り空のこの日は馬堀を発車して築堤に向かう登り勾配にさしかかるところを真横から狙ってみました。 '69.1.5 馬堀-保津峡 P:柿浦和敏

投稿者 Yamashita : 2009年10月14日 12:33

2009年10月13日

スタートダッシュ

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下り列車の遅れのあおりを受けて始発の園部を遅れて発車した上りの京都行き臨時列車が、猛烈なスタートダッシュでやってきました。 '67.11.19 園部 P:柿浦和敏

投稿者 Yamashita : 2009年10月13日 18:34

2009年10月 9日

渓谷のトンネル

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何度も挑戦した「トンネル飛び出し」でしたが、自分としてはやっとマシなショットが得られました。 '69.12.30 保津峡-馬堀 P:柿浦和敏

投稿者 Yamashita : 2009年10月 9日 21:35

2009年10月 5日

夏の浜辺で

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夕陽に光るD51貨物を狙って待っていました。波の音に消されて近づく列車に気づかず慌ててシャッターを切った思い出があります。 '74.8 岡見-鎌手 P:吉葉富雄

投稿者 Yamashita : 2009年10月 5日 10:51

2009年9月29日

Wキハ181

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大学に入ってからも高校時代通り山陰線詣では続き、名撮影地小田-田儀に初トライ。この日の下りおき2号は小郡方にキハ181をダブルで連結。 '81.11 小田-田儀 P:石澤 究


投稿者 Yamashita : 2009年9月29日 19:52

2009年9月28日

日本一周「駅」号

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高倉健主演の映画とタイアップしてヘッドマーク付き20系編成列車が山陰線にも回ってきた。当日は素晴らしい天気に恵まれたが、背後の山の稜線を出そうと欲張ったため、主題の列車と鉄橋が霞んでしまい、後悔の一枚となった。 '81.8.24 餘部-鎧 P:石原裕紀

投稿者 Yamashita : 2009年9月28日 16:20

2009年9月14日

山陰の峠

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長門二見から滝部に向かって駅を出るとすぐに25‰の急勾配でした。機関車から出る煙も良かったですが、後ろのトンネルから噴出す煙が印象的でした。 '73.12 長門二見-滝部 P:吉葉富雄

投稿者 Yamashita : 2009年9月14日 15:26

2009年7月10日

滝山信号場にて

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1981年の冬、一人旅、客車の暖房の心地よさについついうたた寝、気がつけば、駅もホームもない山中に列車が停止、何事かと外を見て思い出した。スイッチバックの滝山信号場だった。われに返ってカメラを構えた、そこへ運よく「だいせん4号」がやって来た。 '81.1 滝山信号場 P:芝地寛之

投稿者 Yamashita : 2009年7月10日 19:39

2009年6月25日

出雲平野

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蒸気機関車の「さよなら列車」運転日は、ずっと思い続けていた出雲平野に広がる築地松の民家と蒸機との写真を撮ることにして、斐伊川堤防に行ってみました。 ’75.1.15 直江-出雲市 P:高橋 明

投稿者 Yamashita : 2009年6月25日 16:07

2009年6月24日

圧縮効果

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135mmの視角しか知らなかった高校時代に、野鳥撮影を趣味とする同級生から200mm~500mmという途方もないズームを借り受けた。早速素通しの跨線橋から食堂車付き181系編成の回35Dと701D「だいせん1号」の交換を狙い、強烈な圧縮効果に驚喜したが、10日後には返却して束の間の夢に終わった。 '76.5.22 直江 P:石原裕紀

投稿者 Yamashita : 2009年6月24日 13:18

2009年6月23日

夜の福知山

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明けても暮れてもDD54しか頭になかった16歳のあの頃。後輩とDD54撮影ツアーの強行となった。急行「だいせん」到着のあと、最後尾に付いたDD54回送を職員立会いのもと線路の中からバルブした。ヤードではDD15が入換えをしていた。 ’77.5.27 福知山 P:野々村康久

投稿者 Yamashita : 2009年6月23日 19:14

2009年6月18日

朝の名物

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長門市駅の朝のホームは行商の人でいつも賑わっていました。これから家々を訪ねて売りに行くのでしょう。そんな光景もD51と共に消え去ってしまったのかも知れません。 '74.11.9 長門市 P:永井修二

投稿者 Yamashita : 2009年6月18日 19:59

2009年5月15日

D51 1との再会

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奥羽・東北時代に出会ったD51トップナンバーに再び出会って…、なんと言うか久し振りに仲の良い友人に再会した気分でした。 '71.1 浜田機関区 P:川瀬 剛


投稿者 Yamashita : 2009年5月15日 14:57

2009年5月 7日

冬の思い出

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正月早々の山陰線は、鉛色の空と白い波頭が押し寄せるイメージ通りの世界だった。やがてC57が足早に現れた。しかし肝心の雪がなく、喜びも半減だったことを思い出します。 '72.1.2 馬路-仁万 P:永井修二

投稿者 Yamashita : 2009年5月 7日 20:32

さらばD51

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本州最後の蒸機列車を牽いて来た牽引機が方転後 乗務員さんたちの手によって「さよなら」の飾りが片付けられていました。 '75.1.15 益田 P:高橋 明


投稿者 Yamashita : 2009年5月 7日 20:31

2009年4月14日

山陰本線京都口蒸機最後の日

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保津峡駅発車の汽笛が響いた数分後、軽快なドラフトを刻みながら小倉山トンネルに吸い込まれて行った。 '71.4.25 保津峡─嵯峨 P:石地康司

投稿者 Yamashita : 2009年4月14日 23:37

2009年3月25日

山陰の峠道

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山陰の里のデゴイチ。特牛駅を発車した列車は、すぐに25‰急勾配にさしかかる。山陰の鄙びた里に響き渡るデゴイチの力強いブラスト音に魅せられて、この日は結局一日ここで過ごしてしまった。 '74.3.25 特牛─滝部 P:古澤成博

投稿者 Yamashita : 2009年3月25日 16:02

2009年3月 9日

迷走「出雲」号

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廣田尚敬さんの『魅惑の鉄道』を見て、中学生なりに“鉄道写真はかくあらねば…”と気負ってみたが、到底真似できるものではなかった。折角のDD54特急「出雲」号も、いささか迷走気味だ。 '72.4.28 来待─玉造温泉 P:石原裕紀

投稿者 Yamashita : 2009年3月 9日 18:48

2009年2月25日

急行「出雲」発車

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時計の針はまだ15時を回ったばかりだが、明朝東京着まで長い道のりである。この日の牽引機は新製後1か月も経っていないDD54 37〔米〕。食堂車オシ17 13の調理室では夕食の支度に余念がない頃であろう。 '71.10.3 米子 P:石原裕紀

投稿者 Yamashita : 2009年2月25日 16:01

2009年2月10日

光る海

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真夏の日差しが少し弱まった頃「光る海」とシルエットで撮れないかと段々畑に上がってみたが、バックに海が入る良い所を見つけることができなかった。 '74.8 宇田郷-須佐 P:高橋 明

投稿者 Yamashita : 2009年2月10日 20:06

2009年2月 5日

太田市の朝

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D51貨物が朝 大田市駅で1時間ほど停車する間にC57の旅客列車が追い抜くので「並び」を狙ってみたが、C57の煙でD51が少し隠れてしまったかな? '71.8.8 大田市-久手 P:高橋 明

投稿者 Yamashita : 2009年2月 5日 22:04

2009年2月 3日

競演

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昭和47年7月中旬に発生した集中豪雨では松江駅が水没したほか、各地で不通区間が発生したので、水害暫定ダイヤとなった。松江駅では普段見ることの出来ないC57とD51の並びが1か月以上続いたが、たった1枚で満足したのか、その後撮影することはなかった。今では考えられないほど贅沢な時代だった。 '72.7.23 松江 P:石原裕紀

投稿者 Yamashita : 2009年2月 3日 12:41

2009年1月26日

夕方の京都駅にて

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日曜日に家族で京都タワーへ行った帰りの一枚です。月曜日、朝の園部発通勤列車牽引機が回送となるため、夕方の園部行きは重連になっていました。 '66.10.2 京都 P:石地康司

投稿者 Yamashita : 2009年1月26日 12:24

2009年1月22日

伯耆路の春

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残雪の大山をバックにDD54に牽かれた伯備線の旅客列車が日野川を渡ります。ちょうどトンビが大山の上でクルリと輪を描きました。 '72.3.29 伯耆大山-米子 P:高橋 明

投稿者 Yamashita : 2009年1月22日 12:58

2009年1月16日

タブレットシュート

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当時の山陰線は出雲市以西が通票閉塞区間となっていた。下関行829列車は田儀駅で旧準急型で統一された514D急行「石見」と交換、迫力あるタブレット交換シーンが繰り広げられた。 '72.5.3 田儀 P:石原裕紀

投稿者 Yamashita : 2009年1月16日 18:50

2008年12月18日

山陰のクイーン

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雨混じりの吹雪が一瞬止んだ、その時山陰線のクイーン、気動車最長特急の82系まつかぜが海岸線を駆け抜けた。 '73.12.25 飯井─三見 P:服部基寛

投稿者 Yamashita : 2008年12月18日 14:03

2008年11月 6日

大阪行き普通列車

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山陰の彼方からやってきた大阪行鈍行を待つ客で賑わうホーム。現在も特急停車駅ではあるものの、スキー場や温泉行きバスの乗換えで賑わった駅は、車社会となった今、閑散としています。 '79.3 八鹿 P:山口 勝

投稿者 Yamashita : 2008年11月 6日 13:26

2008年11月 5日

36年前の旅から

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山陰本線へ蒸気機関車を追いかけた頃の一コマです。下り列車のつかの間の休息の時に撮影しました。腕木信号機、タブレット等、すべてに感動しました。 '72.3.11 三保三隅 P:板倉幸弘

投稿者 Yamashita : 2008年11月 5日 17:29

2008年10月31日

長時間停車

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国鉄時代、大きな駅ホームには洗面所を設けてある所が多く、停車時間の長い列車などでは乗客はそこで顔を洗ったりして長旅の疲れを癒していました。人も列車も長い休憩を取りながらの列車旅、ゆったりとした時間が流れていたものです。 ’73.3 浜田 P:高橋 明

投稿者 Yamashita : 2008年10月31日 15:04

2008年10月28日

D51のくれたお年玉

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お正月なのでウヤかと思っていた貨物が、何と重連で来ました。傾きかけた冬の日差しに、白煙が輝いて綺麗でした。何だかお年玉を貰った気分でした。 '74.1.2 阿川~長門粟野 P:阿部 淳


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投稿者 Yamashita : 2008年10月28日 16:53

C56+20系

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「出雲」の到着を見ていたら、後部にC56が連結。入換とはいえ、初めて見るC56と20系の組み合わせに思わず興奮! '74.1.4 浜田 P:阿部 淳

投稿者 Yamashita : 2008年10月28日 16:52

昔日のお立ち台

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この区間の国道9号は、撮影当時Ωループの難所だったが、その後画面右の山が削り取られて線形改良され、道の駅「ゆうひパーク三隅」が造成された。その敷地は山陰線の著名撮影地として181系・58系気動車の末期に多くのマニアを集めたのは周知のとおり。写真は長門市発豊岡行の822列車。 '77.8.22 三保三隅―折居 P:石原裕紀

投稿者 Yamashita : 2008年10月28日 12:49

冬の波濤

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冬の日本海を象徴するような悪天候のなかD51牽引の貨物列車が海岸線を走りぬける。 '73.12.25 飯井─三見 P:服部基寛

投稿者 Yamashita : 2008年10月28日 12:49

2008年10月22日

通票閉塞機

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腕木シグナルが現役のころ国鉄の単線区間の駅にはすべてこのような設備がありました。人丸・阿川はそれぞれ隣接する駅名でこの箱の部分は赤い色、その横の専用電話で隣駅と確認がとれたらその箱の下から真鍮製の「通票」が取り出せる、という超アナログな仕組みになっていました。 '73.12.23 長門粟野 P:柿浦和敏

投稿者 Yamashita : 2008年10月22日 22:15

2008年10月10日

梨の収穫期

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ホームに山のように積まれているのは地元名産「二十世紀梨」の箱詰めで、収穫時期には定期列車の荷物車増結と併せて臨時の荷物専用列車も運転され、大量の荷物を捌いていました。宅配便など存在しなかった時代は荷物を送ると言えば国鉄でしたが、今では覚えている人も少なくなりました。 ’72.9.23 松江 P:石原裕紀

投稿者 Yamashita : 2008年10月10日 18:46

2008年9月12日

惣郷落陽

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激しい夕立が上がり、その雲間から夕焼け空が顔を見せた。願ってもない幸運、惣郷の橋の落陽だった。 '73.8.15 宇田郷─須佐 P:田中一弘

投稿者 Yamashita : 2008年9月12日 13:15

2008年9月 2日

昼下がりの浜辺で

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いま原色DD51重連貨物で大注目の青浦のSカーブ。35年前の春の昼下がりには列車の空白時間帯に岡見駅からモーターカーが出て来て、大がかりな線路工事が始まりました。 ’73.4 岡見─鎌手 P:
高橋 明

投稿者 Yamashita : 2008年9月 2日 19:45

2008年8月18日

晩年のお召機

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71年4月伯備線でお召し列車を牽引した838号機が夏の青い日本海をバックに走り去る、ボイラーに当時の装飾の跡が残っているのがよく分かる。 '73.8 小田 P:服部基寛

投稿者 Yamashita : 2008年8月18日 14:29

2008年7月30日

修学旅行の途中で

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京都への修学旅行で、保津峡へ向かう途中の一枚です。静かな山陰1番線ホームで、出発を待っていたDF50 529。当時は、ホームから京都タワーの姿を見ることができました。 '75.11.13 京都 P:中西裕一

投稿者 Yamashita : 2008年7月30日 13:50

2008年7月28日

氷雨のイブに

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36年前のクリスマスイブの夜。冷たい雨が降る夜でした。 '72.12.24 浜田機関区 P:伴 達男

投稿者 Yamashita : 2008年7月28日 13:17

2008年4月11日

D51 1がやってきた!

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山陰本線にD51 1号機がやって来たと知ったのは この年の1月。慣れ親しんだ山陰の地に大スターがやって来た気分だった。春休みに当地を訪れた時は火を落とし浜田区のレンガ庫の一番奥に押し込まれていて、半ばD511と会う事を諦めていた夏休み 思いもかけず鎌手駅ですれ違い 大慌てで益田まで戻った。海を入れて撮れる所もあったと少し後悔したが 益田では紛れもなく現役で働くD511と出会うことができた。あの四重連運転が行われる2週間少し前の出来事。 '72.8.9 益田 P:高橋 明

投稿者 Yamashita : 2008年4月11日 19:36

2007年12月27日

長時間停車

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国鉄時代、大きな駅ホームには洗面所を設けてある所が多く、停車時間の長い列車などでは乗客はそこで顔を洗ったりして長旅の疲れを癒していました。人も列車も長い休憩を取りながらの列車旅、ゆったりとした時間が流れていたものです。 '73.3 浜田 P:高橋 明

投稿者 Yamashita : 2007年12月27日 19:56

2007年10月 5日

山陰のさよなら列車

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まだあまり撮影者のいなかった浜田駅構内の外れで「あの転轍標識を入れて…」とか考えながら蒸気機関車「さよなら列車」の発車を待っていた時の事です。カメラも持たない地元の人が線路内に入ったのをキッカケに後からやって来た鉄道ファンが次から次へと線路際になだれ込み、この日ばかりは先着優先の法則は成り立ちません。中には留置されている客車の屋根にまで登るツワモノまで現れる始末です。そんな喧騒の中、サービス満点に本州最後となった現役蒸気機関車の「さよなら列車」が人波を掻き分けるようにして発車して行きます。お陰でおおらかな良き時代の記念写真を撮ることが出来ました。 '75.1.15 浜田 P:高橋 明

投稿者 Yamashita : 2007年10月 5日 21:31

2007年8月27日

車内から見た梅小路

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機関車館になる前の梅小路機関区。山陰本線下り列車より無我夢中で撮影。 '69.8 P:朝倉淳一

投稿者 Yamashita : 2007年8月27日 18:00

2007年7月23日

夏の日に

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遠い夏の日、美しい海岸線を駆け抜ける上り「まつかぜ2号」。現在この入江は埋め立てられて三隅火力発電所となり、山陰本線はトンネルの新線に移行している。 ’77.8 岡見-三保三隅 P:遠藤 健

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投稿者 Yamashita : 2007年7月23日 10:50

2007年5月31日

休日の保津峡駅

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休日の保津峡駅は多くのハイキング客で賑わった。乗客を降ろし終わった3525Dと交換する806D「白兎」。29年前はごく当たり前の光景だった。 ’78.5.14 保津峡 P:鈴木博之

投稿者 Yamashita : 2007年5月31日 13:39

2007年4月19日

嵯峨野の風情

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嵯峨野の竹林を抜け一路京都を目指す18D特急「あさしお」。野々宮から少し離れたこの陸橋は、嵯峨野観光の合間に列車撮影ができるお手軽ポイントだったが、電化・新線切替でこの素晴らしい風情も失われてしまった。 ’77.4.30 嵯峨-保津峡 P:鈴木博之

投稿者 Yamashita : 2007年4月19日 17:47

2007年1月24日

急行「さんべ1号」

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昭和47年 梅雨末期の集中豪雨が山陰西部地方を襲い、8月になっても至るところで発生した土砂崩れのため各所で徐行運転を強いられ、山陰本線はダイヤが大きく乱れていた。通常はここで離合することのない「さんべ1号」が、遅れてやって来た各駅停車牽引のC57やD51牽引貨物の待つ大田市駅に進入する。遠くには給水塔も見える。蒸機終焉期だったが、こんな景色が私にとっての典型的な国鉄の風景だった。 ’72.8.8 久手-大田市 P:高橋 明

投稿者 Yamashita : 2007年1月24日 15:56

2006年12月15日

修学旅行の収獲

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高校の修学旅行で訪れた山陰は萩、DF50を目の前に黙っているわけにはいきません。班行動で一日市内見学の所を鉄仲間で結託し別行動を。乗ったり撮ったりして山陰地方の鉄道を見学して来ました。 ’76.10 P:木村一博

投稿者 Yamashita : 2006年12月15日 10:46

2006年12月 7日

冬の余部橋梁

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1985年12月、冬の余部へ出かけた。この時期の山陰は荒天の日が多い。霙がレンズの視界を遮り、鉛雲が露出を下げ、おまけに自身が強い北風に晒される。撮影条件は最悪だったが、強風のため列車が徐行。辛うじて「あさしお」を被写体ブレせず撮れた。 ’85.12 餘部-鎧 P:芝地 寛

投稿者 Yamashita : 2006年12月 7日 23:36

2006年11月29日

保津川下り

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秋の紅葉の頃の保津峡は特に美しかった。この日は列車と紅葉、保津川下りの遊覧船を写しこもうと欲張った。なかなかタイミングが合わず苦労した思い出の一枚。 ’77.11.20 保津峡-馬堀 P:鈴木博之

投稿者 Yamashita : 2006年11月29日 22:42

2006年10月18日

海から眺めた餘部鉄橋

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8mmカメラを持って香住観光船に乗ったら偶然餘部鉄橋の所でDD54重連貨物に出会えたので、日を改め再び今度はスチールカメラを持って観光船に乗り込んだ。この写真を撮った当時は中学生だったが、その1年少し前の小学生だった頃、今の三人姉妹船長の観光船「香住丸」の真ん中のお姉さんにひと目会ったその日から胸キュンで、生まれて初めて経験した想いだった。それが本当の目的で再度餘部鉄橋のDD54に挑戦したのかもしれない。しかしこの日は悪天候で肝心の観光船は運休。同じ時刻出港のもう一つの観光船で餘部へ向かったが、鉄橋の近くにいる時には貨物列車はやって来ず、船が鉄橋からかなり離れてから鮮魚車を後ろに従えたDD54が単機で鉄橋を渡ってきた。この頃はまだ3人姉妹の一番上の方しか船の操縦はしておらず、お目当てのお姉さんはガイド役だった。こんな不純な考えを神様はお見通しだったのかな? 同じネガの次のコマからは生野峠を登るC57が写っている。甘酸っぱい思い出の1枚。 ’72.6.5 餘部-鎧 P:高橋 明

投稿者 Yamashita : 2006年10月18日 10:27

2006年10月11日

「出雲」と「あさしお」

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日野川橋梁での出雲(2001レ)とあさしお(18D)との出会い。夏休みを利用して行った中国地方への旅行でのひとコマ。出雲が少し遅れていたようで、たまたま日野川の上で優等列車同士のすれ違いとなった。 ’78.8.23 伯耆大山-米子 P:吉田明宣

投稿者 Yamashita : 2006年10月11日 10:28

2006年10月 2日

10年後の保津峡

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9月24日UPの「時雨の保津峡」の10年後の姿、小雪舞う中走る58系急行「白兎」。主役は82系気動車「あさしお」、58系急行群に代わっていました。 ’80.1.16 保津峡─馬堀 P:吉村元志

投稿者 Yamashita : 2006年10月 2日 13:16

2006年9月30日

松江駅高架工事一部完成

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松江駅の高架工事が一部完成し、島根県知事(左から2人目)も出席して祝賀式が催されました。
この日は脚立を片手に駅までバスで出掛けましたが、こんなに役に立つとは…狙い通りの写真が撮れました。 '77.3.10 松江 P:石原裕紀

投稿者 Yamashita : 2006年9月30日 15:26

2006年9月24日

時雨の保津峡

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この日は時雨模様のどんよりとした空模様で、撮影条件は厳しかった。蒸機のブラストと汽笛が保津川の渓谷にこだまして旅情を誘う。 ’70.2.7 保津峡─馬堀 P:鈴木博之

投稿者 Yamashita : 2006年9月24日 13:18

2006年8月29日

松林の木陰から

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暑い真夏の一日。この日は風もあり陰に入れば結構涼しくて汗がスーッとひいた。松林の木陰からプチ俯瞰できる静かな場所を見つけ、無精を決め込み一日中同じアングルでダイヤを確認することもなく来る列車を撮っていた。これは「さんべ」かな? 今から考えれば全てが国鉄車輌!? もっと真剣に撮っておくのだったと後悔することしきり! ’73.8 小田-田儀 P:山陰本線 P:高橋 明

投稿者 Yamashita : 2006年8月29日 16:50

2006年7月 7日

全盛期のDD54

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ブルトレ牽引により一躍山陰本線のエースとなったDD54だが、全盛時代は短く、73年7月以降は「出雲」牽引から降板。残る列車もあっという間に置き換えが進みました。 ’72.11.19 大山口 P:石原裕紀

投稿者 Yamashita : 2006年7月 7日 14:20

2006年6月21日

82系と181系

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同じ「まつかぜ」でも博多行は82系で、181系の天下であった山陰特急の中でも女王的存在だった。一見似ている両者もこうして並ぶとずいぶん違うなぁと思った1枚。 ’83.11.1 宝木駅 P:大串 晋

投稿者 Yamashita : 2006年6月21日 11:58

2006年5月29日

滝山信号場

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スイッチバックの滝山信号場。鳥取を出た「あさしお」が引上線に入線。間もなく背後から「出雲」が駆け下ます。「あさしお」は一度バックして、轟音とともに駆け上がって行きました。 '83.7 滝山信号場 P:大串 晋

投稿者 Yamashita : 2006年5月29日 13:07

2006年4月26日

「出雲」通過!

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山陰本線京都口が電化される前、夜中に友人と良く保津峡駅に出かけました。出雲を見るためです。自宅から車で20分ぐらい走り六丁峠を越えると保津峡駅が俯瞰できます。駅に着いて待つこと数分DD51が轟音と共に走り抜けました。 '82.10.3 旧保津峡駅 P:林 信彦

投稿者 Yamashita : 2006年4月26日 13:00

2006年4月14日

松江駅南口より

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当時の松江駅南口は、裏道からいつでも素通しで眺めることが出来ました。構内は時間が昭和30年代で止まってしまった感じで、映画のワンシーンを見るようでした。 '72.11.3 松江 P:石原裕紀

投稿者 Yamashita : 2006年4月14日 15:55

2006年2月22日

「主力機」DD54

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出発信号の腕木信号機が下がって何か下りの列車が香住駅を発車して来そうな気配。時刻表からして客レではなさそう。貨物列車でも来るのかな? と矢田川を渡った所で待っていると、この頃の主力機だったDD54が貨物を牽いて現れた。手前に写っている道が舗装されたくらいで、この辺りの風景は今も変わっていない。 '73.3 香住~鎧 P:高橋 明


投稿者 Yamashita : 2006年2月22日 11:44

2005年11月30日

落日の名機

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梅小路の名機C575も豊岡、浜田と流れ、最後はこんな仕業もしていた。僅か貨車4両の区間貨物491レを牽く。形式入りプレートも失い少々落ちぶれた姿だったが、それでも出会えた事が嬉しかった。 '74.4.4 浜田 宮村昭男

投稿者 Yamashita : 2005年11月30日 11:15