2009年06月25日
出雲平野

蒸気機関車の「さよなら列車」運転日は、ずっと思い続けていた出雲平野に広がる築地松の民家と蒸機との写真を撮ることにして、斐伊川堤防に行ってみました。 ’75.1.15 直江-出雲市 P:高橋 明
投稿者 Yamashita : 2009年06月25日 16:07 | コメント (0)
2009年06月24日
圧縮効果

135mmの視角しか知らなかった高校時代に、野鳥撮影を趣味とする同級生から200mm~500mmという途方もないズームを借り受けた。早速素通しの跨線橋から食堂車付き181系編成の回35Dと701D「だいせん1号」の交換を狙い、強烈な圧縮効果に驚喜したが、10日後には返却して束の間の夢に終わった。 '76.5.22 直江 P:石原裕紀
投稿者 Yamashita : 2009年06月24日 13:18 | コメント (0)
2009年06月23日
夜の福知山
明けても暮れてもDD54しか頭になかった16歳のあの頃。後輩とDD54撮影ツアーの強行となった。急行「だいせん」到着のあと、最後尾に付いたDD54回送を職員立会いのもと線路の中からバルブした。ヤードではDD15が入換えをしていた。 ’77.5.27 福知山 P:野々村康久
投稿者 Yamashita : 2009年06月23日 19:14 | コメント (0)
2009年06月18日
朝の名物

長門市駅の朝のホームは行商の人でいつも賑わっていました。これから家々を訪ねて売りに行くのでしょう。そんな光景もD51と共に消え去ってしまったのかも知れません。 '74.11.9 長門市 P:永井修二
投稿者 Yamashita : 2009年06月18日 19:59 | コメント (0)
2009年05月15日
D51 1との再会
奥羽・東北時代に出会ったD51トップナンバーに再び出会って…、なんと言うか久し振りに仲の良い友人に再会した気分でした。 '71.1 浜田機関区 P:川瀬 剛
投稿者 Yamashita : 2009年05月15日 14:57 | コメント (0)
2009年05月07日
冬の思い出

正月早々の山陰線は、鉛色の空と白い波頭が押し寄せるイメージ通りの世界だった。やがてC57が足早に現れた。しかし肝心の雪がなく、喜びも半減だったことを思い出します。 '72.1.2 馬路-仁万 P:永井修二
投稿者 Yamashita : 2009年05月07日 20:32 | コメント (0)
さらばD51

本州最後の蒸機列車を牽いて来た牽引機が方転後 乗務員さんたちの手によって「さよなら」の飾りが片付けられていました。 '75.1.15 益田 P:高橋 明
投稿者 Yamashita : 2009年05月07日 20:31 | コメント (0)
2009年04月14日
山陰本線京都口蒸機最後の日

保津峡駅発車の汽笛が響いた数分後、軽快なドラフトを刻みながら小倉山トンネルに吸い込まれて行った。 '71.4.25 保津峡─嵯峨 P:石地康司
投稿者 Yamashita : 2009年04月14日 23:37 | コメント (0)
2009年03月25日
山陰の峠道

山陰の里のデゴイチ。特牛駅を発車した列車は、すぐに25‰急勾配にさしかかる。山陰の鄙びた里に響き渡るデゴイチの力強いブラスト音に魅せられて、この日は結局一日ここで過ごしてしまった。 '74.3.25 特牛─滝部 P:古澤成博
投稿者 Yamashita : 2009年03月25日 16:02 | コメント (0)
2009年03月09日
迷走「出雲」号

廣田尚敬さんの『魅惑の鉄道』を見て、中学生なりに“鉄道写真はかくあらねば…”と気負ってみたが、到底真似できるものではなかった。折角のDD54特急「出雲」号も、いささか迷走気味だ。 '72.4.28 来待─玉造温泉 P:石原裕紀
投稿者 Yamashita : 2009年03月09日 18:48 | コメント (0)
2009年02月25日
急行「出雲」発車

時計の針はまだ15時を回ったばかりだが、明朝東京着まで長い道のりである。この日の牽引機は新製後1か月も経っていないDD54 37〔米〕。食堂車オシ17 13の調理室では夕食の支度に余念がない頃であろう。 '71.10.3 米子 P:石原裕紀
投稿者 Yamashita : 2009年02月25日 16:01 | コメント (0)
2009年02月10日
光る海

真夏の日差しが少し弱まった頃「光る海」とシルエットで撮れないかと段々畑に上がってみたが、バックに海が入る良い所を見つけることができなかった。 '74.8 宇田郷-須佐 P:高橋 明
投稿者 Yamashita : 2009年02月10日 20:06 | コメント (0)
2009年02月05日
太田市の朝

D51貨物が朝 大田市駅で1時間ほど停車する間にC57の旅客列車が追い抜くので「並び」を狙ってみたが、C57の煙でD51が少し隠れてしまったかな? '71.8.8 大田市-久手 P:高橋 明
投稿者 Yamashita : 2009年02月05日 22:04 | コメント (0)
2009年02月03日
競演

昭和47年7月中旬に発生した集中豪雨では松江駅が水没したほか、各地で不通区間が発生したので、水害暫定ダイヤとなった。松江駅では普段見ることの出来ないC57とD51の並びが1か月以上続いたが、たった1枚で満足したのか、その後撮影することはなかった。今では考えられないほど贅沢な時代だった。 '72.7.23 松江 P:石原裕紀
投稿者 Yamashita : 2009年02月03日 12:41 | コメント (0)
2009年01月26日
夕方の京都駅にて

日曜日に家族で京都タワーへ行った帰りの一枚です。月曜日、朝の園部発通勤列車牽引機が回送となるため、夕方の園部行きは重連になっていました。 '66.10.2 京都 P:石地康司
投稿者 Yamashita : 2009年01月26日 12:24 | コメント (0)
2009年01月22日
伯耆路の春

残雪の大山をバックにDD54に牽かれた伯備線の旅客列車が日野川を渡ります。ちょうどトンビが大山の上でクルリと輪を描きました。 '72.3.29 伯耆大山-米子 P:高橋 明
投稿者 Yamashita : 2009年01月22日 12:58 | コメント (0)
2009年01月16日
タブレットシュート

当時の山陰線は出雲市以西が通票閉塞区間となっていた。下関行829列車は田儀駅で旧準急型で統一された514D急行「石見」と交換、迫力あるタブレット交換シーンが繰り広げられた。 '72.5.3 田儀 P:石原裕紀
投稿者 Yamashita : 2009年01月16日 18:50 | コメント (0)
2008年12月18日
山陰のクイーン

雨混じりの吹雪が一瞬止んだ、その時山陰線のクイーン、気動車最長特急の82系まつかぜが海岸線を駆け抜けた。 '73.12.25 飯井─三見 P:服部基寛
投稿者 Yamashita : 2008年12月18日 14:03 | コメント (0)
2008年11月06日
大阪行き普通列車

山陰の彼方からやってきた大阪行鈍行を待つ客で賑わうホーム。現在も特急停車駅ではあるものの、スキー場や温泉行きバスの乗換えで賑わった駅は、車社会となった今、閑散としています。 '79.3 八鹿 P:山口 勝
投稿者 Yamashita : 2008年11月06日 13:26 | コメント (0)
2008年11月05日
36年前の旅から
山陰本線へ蒸気機関車を追いかけた頃の一コマです。下り列車のつかの間の休息の時に撮影しました。腕木信号機、タブレット等、すべてに感動しました。 '72.3.11 三保三隅 P:板倉幸弘
投稿者 Yamashita : 2008年11月05日 17:29 | コメント (0)
2008年10月31日
長時間停車

国鉄時代、大きな駅ホームには洗面所を設けてある所が多く、停車時間の長い列車などでは乗客はそこで顔を洗ったりして長旅の疲れを癒していました。人も列車も長い休憩を取りながらの列車旅、ゆったりとした時間が流れていたものです。 ’73.3 浜田 P:高橋 明
投稿者 Yamashita : 2008年10月31日 15:04 | コメント (0)
2008年10月28日
D51のくれたお年玉

お正月なのでウヤかと思っていた貨物が、何と重連で来ました。傾きかけた冬の日差しに、白煙が輝いて綺麗でした。何だかお年玉を貰った気分でした。 '74.1.2 阿川~長門粟野 P:阿部 淳
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投稿者 Yamashita : 2008年10月28日 16:53 | コメント (0)
C56+20系

「出雲」の到着を見ていたら、後部にC56が連結。入換とはいえ、初めて見るC56と20系の組み合わせに思わず興奮! '74.1.4 浜田 P:阿部 淳
投稿者 Yamashita : 2008年10月28日 16:52 | コメント (0)
昔日のお立ち台

この区間の国道9号は、撮影当時Ωループの難所だったが、その後画面右の山が削り取られて線形改良され、道の駅「ゆうひパーク三隅」が造成された。その敷地は山陰線の著名撮影地として181系・58系気動車の末期に多くのマニアを集めたのは周知のとおり。写真は長門市発豊岡行の822列車。 '77.8.22 三保三隅―折居 P:石原裕紀
投稿者 Yamashita : 2008年10月28日 12:49 | コメント (0)
冬の波濤

冬の日本海を象徴するような悪天候のなかD51牽引の貨物列車が海岸線を走りぬける。 '73.12.25 飯井─三見 P:服部基寛
投稿者 Yamashita : 2008年10月28日 12:49 | コメント (0)
2008年10月22日
通票閉塞機
腕木シグナルが現役のころ国鉄の単線区間の駅にはすべてこのような設備がありました。人丸・阿川はそれぞれ隣接する駅名でこの箱の部分は赤い色、その横の専用電話で隣駅と確認がとれたらその箱の下から真鍮製の「通票」が取り出せる、という超アナログな仕組みになっていました。 '73.12.23 長門粟野 P:柿浦和敏
投稿者 Yamashita : 2008年10月22日 22:15 | コメント (0)
2008年10月10日
梨の収穫期

ホームに山のように積まれているのは地元名産「二十世紀梨」の箱詰めで、収穫時期には定期列車の荷物車増結と併せて臨時の荷物専用列車も運転され、大量の荷物を捌いていました。宅配便など存在しなかった時代は荷物を送ると言えば国鉄でしたが、今では覚えている人も少なくなりました。 ’72.9.23 松江 P:石原裕紀
投稿者 Yamashita : 2008年10月10日 18:46 | コメント (0)
2008年09月12日
惣郷落陽
激しい夕立が上がり、その雲間から夕焼け空が顔を見せた。願ってもない幸運、惣郷の橋の落陽だった。 '73.8.15 宇田郷─須佐 P:田中一弘
投稿者 Yamashita : 2008年09月12日 13:15 | コメント (0)
2008年09月02日
昼下がりの浜辺で

いま原色DD51重連貨物で大注目の青浦のSカーブ。35年前の春の昼下がりには列車の空白時間帯に岡見駅からモーターカーが出て来て、大がかりな線路工事が始まりました。 ’73.4 岡見─鎌手 P:
高橋 明
投稿者 Yamashita : 2008年09月02日 19:45 | コメント (0)
2008年08月18日
晩年のお召機

71年4月伯備線でお召し列車を牽引した838号機が夏の青い日本海をバックに走り去る、ボイラーに当時の装飾の跡が残っているのがよく分かる。 '73.8 小田 P:服部基寛
投稿者 Yamashita : 2008年08月18日 14:29 | コメント (0)
2008年07月30日
修学旅行の途中で
京都への修学旅行で、保津峡へ向かう途中の一枚です。静かな山陰1番線ホームで、出発を待っていたDF50 529。当時は、ホームから京都タワーの姿を見ることができました。 '75.11.13 京都 P:中西裕一
投稿者 Yamashita : 2008年07月30日 13:50 | コメント (0)
2008年07月28日
氷雨のイブに

36年前のクリスマスイブの夜。冷たい雨が降る夜でした。 '72.12.24 浜田機関区 P:伴 達男
投稿者 Yamashita : 2008年07月28日 13:17 | コメント (0)
2008年04月11日
D51 1がやってきた!

山陰本線にD51 1号機がやって来たと知ったのは この年の1月。慣れ親しんだ山陰の地に大スターがやって来た気分だった。春休みに当地を訪れた時は火を落とし浜田区のレンガ庫の一番奥に押し込まれていて、半ばD511と会う事を諦めていた夏休み 思いもかけず鎌手駅ですれ違い 大慌てで益田まで戻った。海を入れて撮れる所もあったと少し後悔したが 益田では紛れもなく現役で働くD511と出会うことができた。あの四重連運転が行われる2週間少し前の出来事。 '72.8.9 益田 P:高橋 明
投稿者 Yamashita : 2008年04月11日 19:36 | コメント (0)
2007年12月27日
長時間停車

国鉄時代、大きな駅ホームには洗面所を設けてある所が多く、停車時間の長い列車などでは乗客はそこで顔を洗ったりして長旅の疲れを癒していました。人も列車も長い休憩を取りながらの列車旅、ゆったりとした時間が流れていたものです。 '73.3 浜田 P:高橋 明
投稿者 Yamashita : 2007年12月27日 19:56 | コメント (0)
2007年10月05日
山陰のさよなら列車

まだあまり撮影者のいなかった浜田駅構内の外れで「あの転轍標識を入れて…」とか考えながら蒸気機関車「さよなら列車」の発車を待っていた時の事です。カメラも持たない地元の人が線路内に入ったのをキッカケに後からやって来た鉄道ファンが次から次へと線路際になだれ込み、この日ばかりは先着優先の法則は成り立ちません。中には留置されている客車の屋根にまで登るツワモノまで現れる始末です。そんな喧騒の中、サービス満点に本州最後となった現役蒸気機関車の「さよなら列車」が人波を掻き分けるようにして発車して行きます。お陰でおおらかな良き時代の記念写真を撮ることが出来ました。 '75.1.15 浜田 P:高橋 明
投稿者 Yamashita : 2007年10月05日 21:31 | コメント (0)
2007年08月27日
車内から見た梅小路

機関車館になる前の梅小路機関区。山陰本線下り列車より無我夢中で撮影。 '69.8 P:朝倉淳一
投稿者 Yamashita : 2007年08月27日 18:00 | コメント (0)
2007年07月23日
夏の日に

遠い夏の日、美しい海岸線を駆け抜ける上り「まつかぜ2号」。現在この入江は埋め立てられて三隅火力発電所となり、山陰本線はトンネルの新線に移行している。 ’77.8 岡見-三保三隅 P:遠藤 健
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投稿者 Yamashita : 2007年07月23日 10:50 | コメント (0)
2007年05月31日
休日の保津峡駅

休日の保津峡駅は多くのハイキング客で賑わった。乗客を降ろし終わった3525Dと交換する806D「白兎」。29年前はごく当たり前の光景だった。 ’78.5.14 保津峡 P:鈴木博之
投稿者 Yamashita : 2007年05月31日 13:39 | コメント (1)
2007年04月19日
嵯峨野の風情

嵯峨野の竹林を抜け一路京都を目指す18D特急「あさしお」。野々宮から少し離れたこの陸橋は、嵯峨野観光の合間に列車撮影ができるお手軽ポイントだったが、電化・新線切替でこの素晴らしい風情も失われてしまった。 ’77.4.30 嵯峨-保津峡 P:鈴木博之
投稿者 Yamashita : 2007年04月19日 17:47 | コメント (0)
2007年01月24日
急行「さんべ1号」

昭和47年 梅雨末期の集中豪雨が山陰西部地方を襲い、8月になっても至るところで発生した土砂崩れのため各所で徐行運転を強いられ、山陰本線はダイヤが大きく乱れていた。通常はここで離合することのない「さんべ1号」が、遅れてやって来た各駅停車牽引のC57やD51牽引貨物の待つ大田市駅に進入する。遠くには給水塔も見える。蒸機終焉期だったが、こんな景色が私にとっての典型的な国鉄の風景だった。 ’72.8.8 久手-大田市 P:高橋 明
投稿者 Yamashita : 2007年01月24日 15:56 | コメント (0)
2006年12月15日
修学旅行の収獲

高校の修学旅行で訪れた山陰は萩、DF50を目の前に黙っているわけにはいきません。班行動で一日市内見学の所を鉄仲間で結託し別行動を。乗ったり撮ったりして山陰地方の鉄道を見学して来ました。 ’76.10 P:木村一博
。
投稿者 Yamashita : 2006年12月15日 10:46 | コメント (0)
2006年12月07日
冬の余部橋梁

1985年12月、冬の余部へ出かけた。この時期の山陰は荒天の日が多い。霙がレンズの視界を遮り、鉛雲が露出を下げ、おまけに自身が強い北風に晒される。撮影条件は最悪だったが、強風のため列車が徐行。辛うじて「あさしお」を被写体ブレせず撮れた。 ’85.12 餘部-鎧 P:芝地 寛
投稿者 Yamashita : 2006年12月07日 23:36 | コメント (0)
2006年11月29日
保津川下り

秋の紅葉の頃の保津峡は特に美しかった。この日は列車と紅葉、保津川下りの遊覧船を写しこもうと欲張った。なかなかタイミングが合わず苦労した思い出の一枚。 ’77.11.20 保津峡-馬堀 P:鈴木博之
投稿者 Yamashita : 2006年11月29日 22:42 | コメント (0)
2006年10月18日
海から眺めた餘部鉄橋

8mmカメラを持って香住観光船に乗ったら偶然餘部鉄橋の所でDD54重連貨物に出会えたので、日を改め再び今度はスチールカメラを持って観光船に乗り込んだ。この写真を撮った当時は中学生だったが、その1年少し前の小学生だった頃、今の三人姉妹船長の観光船「香住丸」の真ん中のお姉さんにひと目会ったその日から胸キュンで、生まれて初めて経験した想いだった。それが本当の目的で再度餘部鉄橋のDD54に挑戦したのかもしれない。しかしこの日は悪天候で肝心の観光船は運休。同じ時刻出港のもう一つの観光船で餘部へ向かったが、鉄橋の近くにいる時には貨物列車はやって来ず、船が鉄橋からかなり離れてから鮮魚車を後ろに従えたDD54が単機で鉄橋を渡ってきた。この頃はまだ3人姉妹の一番上の方しか船の操縦はしておらず、お目当てのお姉さんはガイド役だった。こんな不純な考えを神様はお見通しだったのかな? 同じネガの次のコマからは生野峠を登るC57が写っている。甘酸っぱい思い出の1枚。 ’72.6.5 餘部-鎧 P:高橋 明
投稿者 Yamashita : 2006年10月18日 10:27 | コメント (0)
2006年10月11日
「出雲」と「あさしお」

日野川橋梁での出雲(2001レ)とあさしお(18D)との出会い。夏休みを利用して行った中国地方への旅行でのひとコマ。出雲が少し遅れていたようで、たまたま日野川の上で優等列車同士のすれ違いとなった。 ’78.8.23 伯耆大山-米子 P:吉田明宣
投稿者 Yamashita : 2006年10月11日 10:28 | コメント (0)
2006年10月02日
10年後の保津峡

9月24日UPの「時雨の保津峡」の10年後の姿、小雪舞う中走る58系急行「白兎」。主役は82系気動車「あさしお」、58系急行群に代わっていました。 ’80.1.16 保津峡─馬堀 P:吉村元志
投稿者 Yamashita : 2006年10月02日 13:16 | コメント (0)
2006年09月30日
松江駅高架工事一部完成

松江駅の高架工事が一部完成し、島根県知事(左から2人目)も出席して祝賀式が催されました。
この日は脚立を片手に駅までバスで出掛けましたが、こんなに役に立つとは…狙い通りの写真が撮れました。 '77.3.10 松江 P:石原裕紀
投稿者 Yamashita : 2006年09月30日 15:26 | コメント (0)
2006年09月24日
時雨の保津峡

この日は時雨模様のどんよりとした空模様で、撮影条件は厳しかった。蒸機のブラストと汽笛が保津川の渓谷にこだまして旅情を誘う。 ’70.2.7 保津峡─馬堀 P:鈴木博之
投稿者 Yamashita : 2006年09月24日 13:18 | コメント (0)
2006年08月29日
松林の木陰から

暑い真夏の一日。この日は風もあり陰に入れば結構涼しくて汗がスーッとひいた。松林の木陰からプチ俯瞰できる静かな場所を見つけ、無精を決め込み一日中同じアングルでダイヤを確認することもなく来る列車を撮っていた。これは「さんべ」かな? 今から考えれば全てが国鉄車輌!? もっと真剣に撮っておくのだったと後悔することしきり! ’73.8 小田-田儀 P:山陰本線 P:高橋 明
投稿者 Yamashita : 2006年08月29日 16:50 | コメント (1)
2006年07月07日
全盛期のDD54

ブルトレ牽引により一躍山陰本線のエースとなったDD54だが、全盛時代は短く、73年7月以降は「出雲」牽引から降板。残る列車もあっという間に置き換えが進みました。 ’72.11.19 大山口 P:石原裕紀
投稿者 Yamashita : 2006年07月07日 14:20 | コメント (0)
2006年06月21日
82系と181系
同じ「まつかぜ」でも博多行は82系で、181系の天下であった山陰特急の中でも女王的存在だった。一見似ている両者もこうして並ぶとずいぶん違うなぁと思った1枚。 ’83.11.1 宝木駅 P:大串 晋
投稿者 Yamashita : 2006年06月21日 11:58 | コメント (0)
2006年05月29日
滝山信号場
スイッチバックの滝山信号場。鳥取を出た「あさしお」が引上線に入線。間もなく背後から「出雲」が駆け下ます。「あさしお」は一度バックして、轟音とともに駆け上がって行きました。 '83.7 滝山信号場 P:大串 晋
投稿者 Yamashita : 2006年05月29日 13:07 | コメント (0)
2006年04月26日
「出雲」通過!

山陰本線京都口が電化される前、夜中に友人と良く保津峡駅に出かけました。出雲を見るためです。自宅から車で20分ぐらい走り六丁峠を越えると保津峡駅が俯瞰できます。駅に着いて待つこと数分DD51が轟音と共に走り抜けました。 '82.10.3 旧保津峡駅 P:林 信彦
投稿者 Yamashita : 2006年04月26日 13:00 | コメント (0)
2006年04月14日
松江駅南口より

当時の松江駅南口は、裏道からいつでも素通しで眺めることが出来ました。構内は時間が昭和30年代で止まってしまった感じで、映画のワンシーンを見るようでした。 '72.11.3 松江 P:石原裕紀
投稿者 Yamashita : 2006年04月14日 15:55 | コメント (0)
2006年02月22日
「主力機」DD54

出発信号の腕木信号機が下がって何か下りの列車が香住駅を発車して来そうな気配。時刻表からして客レではなさそう。貨物列車でも来るのかな? と矢田川を渡った所で待っていると、この頃の主力機だったDD54が貨物を牽いて現れた。手前に写っている道が舗装されたくらいで、この辺りの風景は今も変わっていない。 '73.3 香住~鎧 P:高橋 明
投稿者 Yamashita : 2006年02月22日 11:44 | コメント (0)
2005年11月30日
落日の名機

梅小路の名機C575も豊岡、浜田と流れ、最後はこんな仕業もしていた。僅か貨車4両の区間貨物491レを牽く。形式入りプレートも失い少々落ちぶれた姿だったが、それでも出会えた事が嬉しかった。 '74.4.4 浜田 宮村昭男
投稿者 Yamashita : 2005年11月30日 11:15 | コメント (0)


