2010年11月 2日
細江貨物ヤード
現在の下関駅から、東に約1kmの場所に、かつて鉄道連絡船と接続していた、元の下関駅の跡地があり、貨物ヤードとして使用されていました。ただ、車輌の出入りは少なく、事業用車や幡生工場での解体待ちの車輌が留置されていて、とても"楽しい"ところでした。 '79.3.3 細江貨物ヤード(旧下関駅) P:小林慎治
投稿者 Yamashita : 2010年11月 2日 12:38 | コメント (0)
2010年10月29日
山陽本線全盛時代

三原発急行「びんご」を退避させ、宇野発特急「ゆうなぎ」が岡山駅に到着した。急行、準急にもヘッドマークが取り付けられ華やかであった。山陽本線の全盛時代は何時間いても飽きることはなかった。 '68.8.10 岡山 P:内田博行
投稿者 Yamashita : 2010年10月29日 13:08 | コメント (0)
2010年10月13日
修学旅行の思い出

九州から神奈川までの帰路、電化後一年を経過したにもかかわらず不定期団臨のためか下関から広島まで思いがけずの蒸機牽引。山陽路のシロク二の汽笛と煙の匂いはこれが最後と思い脳裏にも焼き付けた。3038列車、機:C62 31。 '65.10.24 下関 P:青木一郎
投稿者 Yamashita : 2010年10月13日 12:53 | コメント (0)
2010年10月 8日
C62 1との対面
「トップナンバーがいるらしい」、そんな話を聞いて九州への行きがけに立ち寄ったところ、果たして扇形庫の一角にお目当ての1号機はいた。火を落としてもう何年もたっていたはずなのに、朝日を受けたその姿は現役さながらの佇まいだった。 '72.7.26 小郡機関区 P:井芝七路
投稿者 Yamashita : 2010年10月 8日 21:58 | コメント (0)
2010年8月 5日
三重連発車

岡山平野を走ったD51三重連485レは平坦路線ゆえに煙は期待できなかったが、岡山操車場発車の時だけは、布原に匹敵する盛大な煙を吐いてくれた。 '70.5.10 岡山操車場 P:鈴木博之
投稿者 Yamashita : 2010年8月 5日 12:10 | コメント (0)
2010年8月 1日
広島のゴハチ

まだ荷物列車が全盛の当時、年末の臨時荷物には広島のゴハチが充当された。普段はあまり関西では見られないゴハチが撮れるとあってよく通った。右は福知山線の客レ、奥は臨時「但馬55号」の先頭に立つEF58 46〔宮〕。 '81.12.5 大阪 P:岡田光紀
投稿者 Yamashita : 2010年8月 1日 15:58 | コメント (0)
2010年7月30日
SL白鷺号
梅小路蒸気機関車館開設を機にに「SL白鷺号」がC61 2、C62 2等の大型機関車よって京都-姫路間に休日を中心に比較的頻繁に運転された。この日は下りを加古川鉄橋で撮影して。姫路の機関区に行って、これを撮影した。帰りは12系客車を牽引した上り「SL白鷺号」に乗って帰った。 '74.5.12 姫路機関区 P:松本卓彦
投稿者 Yamashita : 2010年7月30日 16:09 | コメント (0)
「安芸」は西へ
我が愛機、父の55mm標準レンズ付ペンタックスS2は、高速シャッター1/500、露出はカン。撮影済フィルムを現像に出して、仕上がりは2日後。そして、写真屋の親父さんから出来具合をアドバイス。この「安芸」の写真は、「タイミングだけはgood」と褒めてくれました。中学時代のアナログな思い出です。 '78.4.30 埴生-小月 P:小林慎治
投稿者 Yamashita : 2010年7月30日 16:08 | コメント (0)
2010年7月27日
特急「しおじ」

新幹線の開業と合わせて、山陽路の昼間の特急として誕生。新幹線の博多開業の'75年まで走り続けた。ここは、その昔C59牽引の客車が走る撮影ポイントだった。一日いても飽きることはなかった。ひっきりなしに、各種の特急列車や急行電車、旧型の国電等懐かしい思いでの場所だ。 '71.3 須磨-塩屋 P:小西 明
投稿者 Yamashita : 2010年7月27日 14:37 | コメント (0)
安芸丸
国鉄分割民営化を1か月半後に控えた昭和62年2月、ゼミ旅行で宮島に渡りました。桟橋には、大島航路から転属してきた安芸丸が係留されていました。冬の瀬戸内は穏やかで、水面に映る朱色の「JNR」が、誇らしく、そして寂しく感じました。 '87.2.13 宮島航路 宮島口桟橋 P:小林慎治
投稿者 Yamashita : 2010年7月27日 13:42 | コメント (0)
2010年5月21日
若き日のスター

当時は、吹田第二機関区所属だったEF65 57ですが、地道に貨物運用に就いていました。高速貨物牽引といっても、やはりFやPFに比べ地味な存在でした。そんな同機も今や現役65の最若番機。「茶ガマ」として、岡山区のトップスターになろうとは! '79.10.27 八本松─瀬野 P:中司純一
投稿者 Yamashita : 2010年5月21日 12:57 | コメント (0)
2010年5月20日
関門の主
関門の主、EF30の1号機です。中学生になり本格的に鉄道写真を撮り始めた頃の、ピンボケ・手ブレの写真ですが、私がとても大切にしている一枚です。(カメラは、親父から借りたペンタックスS2でした) '77.5.1 下関 P:小林慎治
投稿者 Yamashita : 2010年5月20日 12:44 | コメント (0)
2010年4月22日
運転停車
新幹線工事たけなわの深夜の岡山駅で次々と西下してくるブルートレインを捉えました。バルブ撮影に慣れていないこともあり、かろうじて数枚がモノになったようです。このあと伯備線の始発で爆睡しながら布原へ向かいました。 '68.3.25 岡山 P:柿浦和敏
投稿者 Yamashita : 2010年4月22日 12:37 | コメント (0)
2010年4月13日
瀬野八の「とびうお」

EF90の登場は、私が小学校低学年の頃で、地元吹田のチビッ子ファンは大騒ぎでした。量産化されたEF66が冷凍貨物「とびうお」号を引き始めると、学校帰りに見物に行きました。その「冷凍貨物」の補機付の姿を求め、セノハチへもよく通ったものです。 '79.10.28 瀬野-八本松 P:中司純一
投稿者 Yamashita : 2010年4月13日 16:15 | コメント (0)
2010年4月12日
朝の賑わい
「明星」「彗星」「あかつき」「なは」「阿蘇」「くにさき」「雲仙」「西海」「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」「安芸」「金星」「あさかぜ」の順番だったかなぁ...、山陽本線の下り夜行列車は、次々とやってきました。 '78.4.30 埴生-小月 P:小林慎治
投稿者 Yamashita : 2010年4月12日 12:56 | コメント (0)
2010年4月 5日
見慣れた編成

1つ目のEF60が二軸貨車を牽引する姿は、当時は日常そのものでした。うなるモーター音、テンポの早いジョイント音、どれも良き想い出です。 '79.10.27 八本松-瀬野 P:中司純一
投稿者 Yamashita : 2010年4月 5日 13:57 | コメント (0)
C62 1との対面
「C62のトップナンバーがいるらしい」、そんな話を聞いて九州の行きがけに立ち寄ったところ、果たして扇形庫の一角にお目当ての1号機はいた。火を落として何年もたっていたはずなのに現役さながらの佇まい、その姿に感激した。 '72.7.26 小郡機関区 P:井芝七路
投稿者 Yamashita : 2010年4月 5日 13:55 | コメント (0)
2010年3月30日
岡山平野の三重連

布原の三重連がまだ健在だった頃、もうひとつの三重連として注目されていた伯備線493レ。平坦区間で煙が期待できないので、丘の斜面に開けた桃畑から編成全体を狙った。 '71.4.4 庭瀬─中庄 P:鈴木博之
投稿者 Yamashita : 2010年3月30日 14:49 | コメント (0)
2010年3月17日
ボンネット「つばめ」快走!
山陽本線を下る481系「つばめ」。1975年3月でこのボンネットも消えてしまいました。今見てもすばらしいスタイルだと思います。私のとって「つばめ」はこの形です。 '75.3 玉島―西阿知 P:浜 忠彦
投稿者 Yamashita : 2010年3月17日 14:45 | コメント (0)
2010年1月15日
瀬野八のシェルパ

複線の片側支持架線柱。山陽本線では何箇所か見られますが、瀬野川沿いのこの区間は、セノハチの中でも、私の好きな撮影地でした。 '79.10.27 瀬野-八本松 P:中司純一
投稿者 Yamashita : 2010年1月15日 20:06 | コメント (0)
2010年1月13日
瀬野八越え華やかなりし頃

瀬野駅の広島方にあった機留線には、次の仕業まで待機するEF59の姿があった。機関区が消えた今も、ここの痕跡だけは残っているはず…。 '78.8.13 瀬野 P:長柄篤弘
投稿者 Yamashita : 2010年1月13日 16:51 | コメント (0)
2010年1月12日
拓本採り
蒸機廃止間際の倉敷駅伯備線ホーム。地元の小学生達が、デゴイチのナンバープレートの拓本をとっていた。若い機関助手が快く協力している姿が、とても微笑ましく思わずシャッターを切った。861号機は煙室扉上部に欠き取りがあり前後に尖った戦時型ドームが特徴、記憶しているファンも多いと思う。 '72.3.10 倉敷 P:中浦秀和
投稿者 Yamashita : 2010年1月12日 17:37 | コメント (0)
下関駅4番ホーム
ブルトレブームの頃の、下関駅4番ホームです。ここは、機関車の付け替えが狙える、ファンにはお馴染みの場所でした。私を含め、カメラを構えている少年たちは、今では立派な「アラフォー親父」になっていることでしょう…。ちなみに後ろの「クモニ83」は、この場所が定位置でした。 '78.11.5 下関 P:小林慎治
投稿者 Yamashita : 2010年1月12日 17:36 | コメント (0)
晩年のEF58
上り荷物列車を牽引するEF58 5号機です。当時は寝台列車が本命で、他の車輌はフィルムの残枚数と相談しながら、シャッターを押していました。ちなみにwebで調べたら、この機関車は一体鋳鋼製先台車が付いていたそうで、確かに正面の印象もちょっと違います。撮影から28年たって気がつきました…。 '81.3.21 新下関-長府 P:小林真治
投稿者 Yamashita : 2010年1月12日 17:35 | コメント (0)
2010年1月 8日
583系快走!
特急301M「しおじ2号」です。山陽新幹線が博多開業直前は「つばめ」「はと」「しおじ」などの特急が消えるのを惜しんで、カメラ片手に撮影に没頭していました。「国鉄色」て本当にいい色ですね。 '75.3.2 本郷-河内 P:浜 忠彦
投稿者 Yamashita : 2010年1月 8日 19:00 | コメント (0)
2009年12月28日
山陽路を駆けたC57
新幹線岡山開業を記念して岡山交通博覧会が開催され、同時に山陽本線を「汽車ポッポ交通博号」が糸崎-岡山間を走りました。乗車記念に倉敷駅での停車中の一枚です。 '72.4.2 倉敷 P:浜 忠彦
投稿者 Yamashita : 2009年12月28日 14:36 | コメント (0)
2009年12月14日
西の函嶺の荷物列車

1970年代末期、ここ「セノハチ」では、貨物列車の後部補機はまだEF59でしたが、荷物列車はEF61 200番代に代わっていました。本務機には、まだまだゴハチが大活躍していた時代です。廃車末期には下関に移動した原型小窓の142号機ですが、この頃は浜松区所属。補機を画面に入れるのに苦労した思い出があります。 '79.10.28 瀬野-八本松 P:中司純一
投稿者 Yamashita : 2009年12月14日 17:16 | コメント (0)
2009年12月11日
急行「さつま」

夏の強い陽射しの中、煙突からの煙は陽炎に。11輌の先頭に立ち快走する鹿児島発名古屋行き602列車。山陽本線全線電化直前の頃。機:C59 2。 '64.7.28 下松-光 P:青木一郎
投稿者 Yamashita : 2009年12月11日 17:38 | コメント (0)
2009年10月27日
轟音とともに

放課後のポカポカ陽気に誘われて、自転車で市川の鉄橋に向かった。遠くに鉄橋を渡る音が聞こえ、しばらくするとマンモスEH10の貨物列車が轟音とともに通過して行った。 '75.12 御着-姫路 P:寺沢秀樹
投稿者 Yamashita : 2009年10月27日 15:09 | コメント (0)
2009年10月20日
幡生機関区
捕鯨などの遠洋漁業の基地、下関市の中心に位置し、山陰本線が山陽本線と交わる幡生駅。その周辺は、国鉄工場と操車場が広がる「国鉄の街」でした。操車場の南端に架かる金比羅橋からは、蒸機から新鋭機EF66まで、様々な機関車を眺めることができました。 '77.10.1 幡生機関区 P:小林慎治
投稿者 Yamashita : 2009年10月20日 20:48 | コメント (0)
2009年10月 9日
朝の下関
下関駅3・4番線の朝は、下り夜行列車が次々に到着し、とても活気がありました。「なは」や「金星」以外は、機関車の付け替えの時間があったので、うどん屋さんは大忙し。写真は、14系座席急行「雲仙・西海」が到着したところです。 '80.9.28 下関 P:小林慎治
投稿者 Yamashita : 2009年10月 9日 18:38 | コメント (0)
2009年10月 7日
本線の両雄
広島までの電化が完成し、山陽本線の蒸機もいよいよ最後の区間に追いつめられていた。下関まで下り「さくら」を牽引して来たC62がヘッドマークもそのままに、C59と肩を並べ合った。 '63.12.20 下関機関区 P:中島正樹
投稿者 Yamashita : 2009年10月 7日 21:01 | コメント (0)
2009年10月 2日
広島機関区創立90周年記念号

教習車ナヤ11 3が連結された「広島機関区創立90周年記念号」を牽きセノハチを駆け上るEF59 1。 '85.2.10 瀬野-八本松 P:遠藤 享
投稿者 Yamashita : 2009年10月 2日 14:39 | コメント (0)
2009年9月29日
臨時列車との遭遇
前日までの台風で当初の予定より遅れて糸崎に到着。C62 17+C59 164の臨時列車を偶然にも撮影。 '70.8.22 糸崎 P:宮山幸雄
投稿者 Yamashita : 2009年9月29日 13:49 | コメント (0)
2009年9月14日
浜松のスター

当時の国鉄は、特別の塗装をすることなどなかった。その中で茶色のEF58は特別の存在でした。61号機と違い、それほど手入れもされず、荷物列車の運用に入っていました。現在と違い牽いてくる機関車の番号を知る手段は皆無で、この写真と撮った時も心臓がドキドキでした。 EF58 60〔浜〕 荷42レ 朝霧-舞子 P:山口龍次
投稿者 Yamashita : 2009年9月14日 15:11 | コメント (0)
2009年8月19日
黄金時代のEF58

このころEF58はまだありふれた機関車でした。近所で午前中だけで10本以上撮れました。36レ「あかつき」を牽いて来たのはEF58 31〔関〕。下関の機関車はいつもきれいでしたが、全般検査出場直後の運用だったのか、本当のピカピカでした。 '74.12.22 塩屋-須磨 P:山口龍次
投稿者 Yamashita : 2009年8月19日 21:28 | コメント (0)
2009年7月27日
D52の庫
小郡は現在駅名が新山口に変わってしまった。小郡機関区には山陽本線電化前、貨物用のD52がゴロゴロしていた。本線沿いの基地らしく給炭塔も一際大きい。 '63.12.20 小郡機関区 P:中島正樹
投稿者 Yamashita : 2009年7月27日 20:20 | コメント (0)
2009年6月23日
電機から蒸機へ

下関駅では、交直流の関係で機関車の付替え作業が頻繁に見られた。門司からの山陰線乗入れの列車がEF30に牽かれてやって来て、ここでD51と交替した。 ’73.3.30 下関 P:松崎昌一
投稿者 Yamashita : 2009年6月23日 19:18 | コメント (0)
2009年6月 1日
深夜の岡山駅
新幹線工事たけなわの深夜の岡山駅で次々と西下してくるブルートレインを捉えました。バルブ撮影に慣れていないこともあり、かろうじて数枚がモノになったようです。このあと伯備線の始発で爆睡しながら布原へ向かいました。 '68.3.25 岡山 P:柿浦和敏
投稿者 Yamashita : 2009年6月 1日 14:53 | コメント (0)
2009年5月12日
瀬野点景

ステップに係員の乗せて、長大貨物列車の後補機業務につく、EF59 7・15の重連。どこを見回してもデッキ付きF級電機ばかりで、夢中でシャッターを押したことを思い出す。 '82.3.13 瀬野 P:中島祐樹
投稿者 Yamashita : 2009年5月12日 14:51 | コメント (0)
2009年4月22日
80系堂々

堂々の10輌編成でセノハチの勾配区間を登る336M。当時の普通列車は今では考えられないほどの長大編成だった。 '74.10.5 瀬野─八本松 P:鈴木博之
投稿者 Yamashita : 2009年4月22日 14:32 | コメント (0)
2009年3月16日
未明の瀬野にて

4月から大阪府下の大学進学が決まったため、静かな春休みを過ごしていました。当時、漠然とながら、瀬野八撮影はライフワークになるかもしれないと思いつつ、深夜の機関区撮影を申し出たところ快く受け入れていただき、一晩中後ろ向きの列車撮影をしました。写真は本務機EF58のブルトレ40レ後部補機EF61 201です。 '79.3.18 瀬野 P:綿崎真澄
投稿者 Yamashita : 2009年3月16日 16:05 | コメント (0)
2009年2月 9日
マンモス電機の出会い

新旧のマンモス電機が市川橋梁上で顔を合わせた。EF66はレサの特急貨物を全力で、EH10は力を持て余し気味に短編成の貨物列車を牽引してきた。 '75.12 御着─姫路 P:寺沢秀樹
投稿者 Yamashita : 2009年2月 9日 19:58 | コメント (0)
2009年2月 4日
ウグイス色の73系

オレンジ色の警戒色がよく似合うクモハ73009以下4連。可部線の73系は、横川から可部までの折返し運用が基本であったが、一部は広島や呉線へも足を伸ばしていた。 '82.3.13 広島 P:中島祐樹
投稿者 Yamashita : 2009年2月 4日 15:14 | コメント (0)
2009年1月20日
EF65 57
終焉間近のEF58を撮影する合間、偶然にも茶色の旧客を引くEF65がやって来たので、とりあえずシャッターを切った。まさか、茶色になって帰ってくるとは、想像さえしなかった。 '84年秋頃 垂水 P:梅野 寿
投稿者 Yamashita : 2009年1月20日 12:55 | コメント (0)
2009年1月 5日
EF61重連 荷37レ

EF58なき後、広島近辺の荷物列車はEF61が牽引していました(併用された時期もありました)。美しい海岸線をゆくEF61重連を撮影したいと思い、広島・山口県内をさまよった記憶があります。その後牽引機はEF62にバトンタッチされましたが、それまでの間、国鉄時代の最後を駆け抜け、荷物列車もなくなりました。 '84.1.5 由宇─神代 P:綿崎真澄
投稿者 Yamashita : 2009年1月 5日 11:51 | コメント (0)
2008年12月16日
特急待避

急行「阿蘇・くにさき」は一般型のマニ37荷物車に14系座席車という編成がトレードマークだったが、牽引機は前年8月から新鋭のPFに交代していた。55.10ダイヤ改正に伴う廃止を数日後に控えていたのに、昨今のような熱狂も無く、「くにさき」編成の指定席車は私一人きりであった。 金光駅で41レ「あかつき1号」に先を譲る。 '80.9.26 P:石原裕紀
投稿者 Yamashita : 2008年12月16日 16:04 | コメント (0)
2008年11月17日
急行「玄海」
475系 急行「玄海」は、名古屋~博多間を結ぶ、珍しい昼間の長距離急行! その後、'72年3月の新幹線岡山開業で岡山~博多・熊本('74年4月より岡山~博多)と運転区間が変わり、新幹線博多開業を機に実施された'75年3月に消えたが、多くのファンの心のレールを永久(とわ)に走り続ける。 '69.12 庭瀬~中庄 P:中浦秀和
投稿者 Yamashita : 2008年11月17日 13:24 | コメント (0)
2008年11月11日
D52発見

修学旅行で関西に行く途中、列車が小郡駅に近づいた時、機関区の隅に蒸機が止まっていた。最初「D51かな」と思っていたがやけにボイラーが太い。「違うD52だ」と判って、あわててシャッターを切った。山陽本線の電化以来、4年もたっていたのにまだD52が残っていたとは夢にも思わなかった。 '68.5.21 小郡 P:松崎昌一
投稿者 Yamashita : 2008年11月11日 12:51 | コメント (0)
2008年10月27日
L特急
山陽新幹線博多開業まで、「数自慢、カッキリ発車、自由席連結」をキャッチフレーズにしたL特急が運転され関西・岡山~九州間を結んでいた。 '75.3.5 岡山 P:松崎昌一
投稿者 Yamashita : 2008年10月27日 16:36 | コメント (0)
須磨海岸にて

28年前の山陽本線須磨付近、ごく日常の風景。いつまでも続くと思っていたこの光景が、気がつけば忘却の彼方へ。 '80.7 須磨─塩屋 P:芝地 寛
投稿者 Yamashita : 2008年10月27日 16:35 | コメント (0)
2008年10月24日
思い出の駅

東京生まれの大阪育ち。転勤で広島に来ましたが、自宅の最寄駅が横川駅…。昔、可部線を走る旧型国電を撮るために降り立った駅でした。 '84.3.21 横川 P:倉田秀夫
投稿者 Yamashita : 2008年10月24日 18:59 | コメント (0)
2008年10月 8日
7年後のヘッドマーク

市電を撮影しようと広島駅で下車したところ、呉線 急行「安芸」のヘッドマークが展示されていました。消え去って7年以上、思いがけない再会に胸が熱くなったことを思い出します。 ’77.12.30 広島 P:永井修二
投稿者 Yamashita : 2008年10月 8日 13:28 | コメント (0)
2008年10月 3日
深夜の広島駅

EF65 P型牽引の下り「みずほ」が到着した。「みずほ」の前後にも他の九州ブルトレが相次いで到着しており、夜中ではあるが、一種のブルトレゴールデンタイムの様相を呈していた。 '77.12.29 広島 P:寺沢秀樹
投稿者 Yamashita : 2008年10月 3日 21:18 | コメント (0)
2008年9月10日
583系東へ

昭和50年代前半、関西~九州夜行は客車に混じって581・583系といった寝台電車がまだまだ第一線で活躍していた。「明星」・「彗星」として早朝に相次いでやってくる長編成の寝台電車にも魅力を感じ、EF58牽引のブルトレと合わせてよく朝練に出掛けた。当時、輝きを放っていた寝台電車の活躍は今もしっかりと脳裏に焼きついている。 ’78.10.9 英賀保─網干 P:寺沢秀樹
投稿者 Yamashita : 2008年9月10日 19:12 | コメント (0)
2008年9月 9日
通学は小旅行

「はまかぜ」の通過を見送って、2番線から特急に道を譲った上り米原行きに乗り込む。これが当時の私にとって、2時間以上掛かる大学通学、さながら小旅行開始のイベントでした。 ’80.5 土山 P:芝地 寛
投稿者 Yamashita : 2008年9月 9日 19:14 | コメント (0)
2008年8月12日
私のお立ち台

家から近いこの場所は、私のお立ち台でした。やってくる列車は片っ端からパシャパシャ。今年、ここに新駅ができ、もう撮れなくなりました。C57重連よかったなぁ。 '71年 鷹取─須磨 P:正垣 修
投稿者 Yamashita : 2008年8月12日 21:48 | コメント (0)
2008年7月23日
雪の瀬野

一面の雪景色の中、いつもと変わらず、補機仕業につくEF53改造のEF59 10・11号機。降り続いていた雪が一瞬止んだ。次位の11号機は、PS22装備。 '80.12.28 瀬野 P:中島祐樹
投稿者 Yamashita : 2008年7月23日 12:57 | コメント (0)
2008年3月25日
C62+C59お別れ列車

呉線電化で姿を消すC62、C59のために岡山~糸崎間で運転された「さようなら記念臨時列車」。畦道の草いきれの中での撮影が懐かしくよみがえる。 '70.8.23 金光─鴨方 P:鈴木博之
投稿者 Yamashita : 2008年3月25日 19:59 | コメント (0)
2007年7月26日
キハ80系「かもめ」最終日

山陽新幹線全線開業前日。大好きだったカモメとのお別れのため広島から乗車し小郡まで2時間の力走を味わった。宮島口で車中から対向の上り山陽を撮ったこの写真の左下に偶然写り込んだ白い点は何なのか、当時も今も分からない。カモメの涙だったのか。 ’75.3.9 宮島口 P:山本 栄
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詳細はこちら>
投稿者 Yamashita : 2007年7月26日 12:45 | コメント (0)
2007年6月27日
瀬野八通いの思い出
春休みを利用して5日間セノハチに通い続けた。貧乏学生の寝処は西条駅の待合室。うどん屋のおばさんが見かねて段ボールをくれたのを今でも憶えている。 ’80.4 瀬野─八本松 P:南 浩之
投稿者 Yamashita : 2007年6月27日 17:54 | コメント (0)
2007年6月16日
EF59三昧

冬の朝日を浴びて補機仕業に活躍するEF59。ほとんどの上り貨物列車にはEF59の補機が付き、時折、下りの回送の重連や四重連もやって来て、かなりの本数が稼げた。まさにEF59三昧といった一日であった。 ’76.12.28 山陽本線瀬野─八本松 P:寺沢秀樹
投稿者 Yamashita : 2007年6月16日 10:05 | コメント (0)
2007年3月28日
地上時代の加古川駅

今や高架化・電化されて当時の面影が全くない加古川駅。写真は三木・北条線等にも直通していた頃です。 1978~80年頃 加古川 P:山口 勝
投稿者 Yamashita : 2007年3月28日 18:53 | コメント (0)
2006年11月10日
EF59回送4重連

セノハチ名物、EF59の回送4重連。後押しの仕事を終えたEF59を瀬野まで効率的に回送するために運転されていた。牽引する貨車や客車はないものの、車体長の長い旧型電機が連なって目の前を通り過ぎていく姿は予想以上の迫力があった。 ’77.12.29 八本松-瀬野 P:寺沢秀樹
投稿者 Yamashita : 2006年11月10日 22:04 | コメント (0)
2006年11月 1日
消えた看板
EF58牽引の荷物列車が運転されていた当時に見られた詰所の看板。SGを使用する列車や機関車がなくなった今では見ることが出来ませんね。 ’84.12.28 岡山 P:川上岳也
投稿者 Yamashita : 2006年11月 1日 12:54 | コメント (0)
2006年8月25日
急行「屋久島」運転最終日

この日、急行「屋久島」の最終列車に乗車しましたが、サボには門司行きと紙が貼られ、寝台車も有りません。茶色のオハ35が主力の寄せ集め6両編成にはガッカリしましたが、辛うじて1号車にはスロフ62、5号車にはスハ44が入っていました。 ’75.3.8 上郡-三石 P:石原裕紀
投稿者 Yamashita : 2006年8月25日 16:34 | コメント (0)
2006年7月18日
亀山所属機、姫路に現る!

蒸機で行く姫路城見学を目的とした三重県の子供を対象の団臨だったと思う。13時少し前、昼食も食べずにカメラを首からぶら下げ、自転車に乗って近くのガードまで復路の列車の写真を撮りに出かけた。長駆、三重県からホントに蒸機牽引でやって来ているのかな? と半信半疑で待っていると、亀山区のC57 148が、まるでEF58に押されるようにしてやって来た。ちょうど113系の下り西明石行きの新快速が尼崎駅を通過するところだ。 ’71.8.7 姫路 P:高橋 明
投稿者 Yamashita : 2006年7月18日 13:42 | コメント (0)
2006年7月 5日
瀬野の活況

瀬野駅に隣接する瀬野機関区。セノハチのプッシャーEF59の基地として活況を呈していた。ホームから機関区を眺めるといつも数両のEF59が待機していた。 '76.12.28 瀬野 P:寺沢秀樹
投稿者 Yamashita : 2006年7月 5日 12:41 | コメント (0)
2006年5月19日
好対照

この時の撮影目標は水島臨海鉄道。のんびり走る水島のキハ321をねらっていたら、後ろから581系の明星7号が猛然と追い抜いて行った。 '77.8.14 倉敷~西阿知 P:宮村昭男
投稿者 Yamashita : 2006年5月19日 13:55 | コメント (0)
2006年4月11日
同時進入!
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当時まだ82系だった「はまかぜ」を撮影していると運良く153系「新快速」と同時進入となった。どちらも国鉄を代表する形式である。姫路駅の風景も高架工事により大きく様変わりしてしまった。 '76.12.19
姫路 P:寺沢秀樹
投稿者 Yamashita : 2006年4月11日 13:28 | コメント (0)
2006年3月 9日
瀬野八の20系臨客
セノハチでEF59の4連下り回送を撮影しようと移動していると、上り線(国道2号線トンネル)トンネルから轟音が聞こえました、ふと見るとEF58が顔を出しています、臨客??(当時はダイヤなど調べもせずに撮影していたので何が来るかはその日の運でした)確かに客ですが20系寝台を従えています、慌ててカメラを向けましたが、露出がイマイチでしたが、私の中では「セノハチ」の一番の記録です。 '
78.8 13 瀬野~八本松 P:村瀬 勉
投稿者 Yamashita : 2006年3月 9日 15:01 | コメント (0)
2006年2月14日
高嶺の花

伯備線を訪ねての帰途、夜行列車待ちの間にスナップした「うずしお3号」。当時は均一周遊券での特急利用は認められておらず、ただ眺めるだけの存在であった。 '69.3.08 岡山 P:内藤健作
投稿者 Yamashita : 2006年2月14日 11:00 | コメント (0)
2005年8月26日
「あさかぜ」暁を駆ける

山陽本線の三原〜広島の山越え区間には片ポールの箇所がいくつかあった。瀬野〜八本松に2箇所、入野〜白市に1箇所、本郷〜河内に1箇所。写真は本郷〜河内間11㎞のちょうど中間あたりにある片ポールである。この場所で「あさかぜ」を撮るためには前日に行って野宿するしかなかった。そこで一計を案じ、友人をそそのかしてバイクで向かった。大カーブを全部収めようとすると、せっかくの「あさかぜ」が小さくなる。迷った挙げ句片ポールの箇所を中心にして構図をきめた。写真には写っていないが、画面右側に山陽本線随一の大カーブがのびている。この年の秋、「あさかぜ」は20系から24系に置き換えられた。 '77.6.2 本郷〜河内 P:山下修司
投稿者 Yamashita : 2005年8月26日 11:47 | コメント (0)
2005年7月26日
特急〈富士〉5時間遅れ

C6217+C59164のお別れ列車を待っていたら、次々に姿のいい列車が通過する。当時小学生だったぼくは、それが「ブルートレイン」しかも台風のによる遅れで本来はこのあたりを夜明け前に通過する列車だとは知らなかった。周囲がなにを騒いでいるのか不思議に思いつつ、シャッターも切らず、何本も見送ったが、かろうじて〈富士〉だけは写していた。1970.8.22 岡山─庭瀬 P:山下修司
投稿者 Yamashita : 2005年7月26日 10:51 | コメント (0)
2005年7月25日
岡山機関区 39647

初めて撮影した日のフィルムに写っている岡山のキューロク。岡山操車場、岡山駅の入換用に岡山にはキューロクが配置されていたが、昭和44年3月8日をもって、DE10、DE11に置き換えられた。残念ながら、写真は休車となってしまってからのもの。岡山や、糸崎の警戒色(トラ塗り)は北海道などのものと違って逆V字型に塗られていた。1969.8.12 P:山下修司
投稿者 Yamashita : 2005年7月25日 11:10 | コメント (0)


