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特集・コラム

遥かな父への賛歌~ムスタファ・ケマル初代大統領とその専用客車~

2020.05.10
 ここで一旦、時計の針を寝台列車に乗り込む前まで巻き戻したい。トルコの首都アンカラの空港に着いた私たちがまず向かったのは、ムスタファ・ケマル・アタテュルク初代大統領の霊廟だった。

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▲アンカラの丘の上に聳え立つ、初代大統領の霊廟。伝統的な柱廊建築とモダンな近代建築の双方を感じさせるような、静かで力強い佇まい。

 アタテュルク、すなわちトルコ人の父という名が与えられている通り、トルコ共和国を樹立した人物として今なお広く尊敬されている存在である。そのムスタファ・ケマルが生前に乗った専用客車が、アンカラ駅1番線の片隅に保存されていた。日本で言うところの御料車か。1935年、ドイツ製。ムスタファ・ケマルは1938年に亡くなっているので、彼が専用客車に乗った時間は決して長くない。それでも今日まで大切に保管され続けているこの客車を見ると、トルコで彼がいかに愛されているかが判る。

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▲ムスタファ・ケマル大統領の専用客車は、今でも艶やかな姿のままアンカラ駅ホームに佇んでいた。

 今回の取材では特別に、この専用客車を見学させてもらえた。車内に入ると、通路に沿っていくつかの部屋が並んでいる。ムスタファ・ケマルの寝室や浴室、女性向けコンパートメントや守衛室といった具合に、それぞれの部屋で設えも変えてある。まさしく、走る大統領官邸だ。日本の御料車は夜行列車としての使用を想定していないように思えるが、この客車では暮らすことすらできそうだった。通路の突き当たり、客車の四分の一くらいは執務室が占めていた。柔らかそうな臙脂色のソファが机を囲む部屋の一角には、チェスとバックギャモンの盤が置かれている。木目調の壁面と家具の上品さには溜息が出た。

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▲専用客車の執務室。やはり霊廟と同じく、装飾的というよりはシンプルで素材の風合いを感じさせる設えである。

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▲ムスタファ・ケマル大統領の肖像画。彼の肖像画や写真は、トルコの至る所で―田舎の小さなカフェにさえ―誇らしげに掲げられていた。

 客車の一番奥には、在りし日のムスタファ・ケマルの写真が掲げられていた。ガイドのムラトさんがムスタファ・ケマルについて語る時、話はしばし彼の功績である政教分離に及んだ。彼がトルコ共和国を樹立した際、信教の自由を保証したのだ。どのような宗教に、どれほど厳格に従うかもその人次第。このことは私のような外国人がトルコを旅する際の快適さや気軽さに繋がっている。例えば、第1回で述べたアルコール。トルコでの旅の夜、美酒にありつくことができるのも、ムスタファ・ケマルのお陰というわけだ。

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▲今回特別に専用客車の車内を案内してくださった、アンカラ駅鉄道博物館のTolga Bengü氏。

 車内の見学を終え、ホームに降りる。専用客車の前で櫻井 寛さんと記念写真を撮ったりしているうちに、 ホームの反対側に列車が滑り込んできた。これから私たちが乗る、カルス行き長距離寝台特急「ツーリスティック・ドーウ・エキスプレシ」である。

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▲大統領専用客車の脇に「ツーリスティック・ドーウ・エキスプレシ」が入線する。古今トルコの豪華列車のご対面である。

 初代大統領の専用客車と同じホームからの旅立ちとは、レイル・ファン冥利に尽きるというものであろう。16 時過ぎ、85年前の豪華客車に見送られて、新顔の寝台特急はアンカラ駅を後にした。終着駅カルスまで約1,300km余り、32時間の旅路には、様々な出会いが待ち受けているのであった。

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▲トルコ国旗の掲げられたアンカラ駅1番線。出発時刻にだいぶ余裕を持って入線した列車に、東へ旅立つ人々が乗り込んでゆく。

※本取材旅行は2020年3月上旬に行ないました。2020年5月1日現在、トルコ共和国に対しては新型コロナウイルス感染症の影響により、渡航中止勧告が出ています。(レイル・マガジン編集部)
文・写真:原田佳典 協力:トルコ共和国大使館・文化広報参事官室

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