鉄道ホビダス

可動橋の詩の最近の記事

←その15 その17→
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宇野が出たついでではないが、青森駅のすぐ近くにも可動橋がある。入江のようになった連絡船の旧第一岸壁付近の沖側に架けられた遊歩道の一部がそれで、八甲田丸が展示されている旧第二岸壁の可動橋の真横に位置するので、ちょっとややこしい。
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この橋、一見ただの斜張橋のようだが、実は橋自体が長手方向に水平移動する日本では珍しいもので、「引き込み式」とか「引き込み橋」と呼ばれる。完成は新しく1993年だそうだ。
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よく見ると橋の裏側に橋が移動するレールと牽引用のワイヤーが伸びている。なぜ跳開橋ではなくあえて引き込み橋を採用したのだろうか、ちょっと気になるところだ。
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現地には可動橋の動作により通行止めになる場合がある旨の注意はあるが、可動橋であることを「売り」にするような掲示などはないようので、可動橋であることを気づかない方も多いのではないだろうか。
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この可動橋は旧第一岸壁側への船の出入りのためのものだが、日常的に出入りする船はないようだし、フェリーのような大型船が通れる大きさではないので、港内の作業などで必要な時だけ開けるものなのだろう(冬季通行止めとの情報もあるので、時期によっては開けっ放しのこともあるやも知れぬ)。(つづく)

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その15 玉野 櫻橋

←その14 その16→
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本四連絡の要衝として賑わったのも今は昔、すっかり盲腸線の終着駅となった宇野線宇野駅。この駅のすぐ近くに跳開橋があるのを知ったのは、つい最近のことだ。
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宇野で可動橋というとフェリーの桟橋の間違いだろう、と思われるかも知れないが、駅東側にある水路にかかる「櫻橋」がそれで、地図や航空写真で見ると、なるほどこれは、と思うシルエットになっている。水路は港から北側に延びているが、船が入れると思われるのは橋から数百メートル程度で、その先は用水路と言う方が相応しい太さになる。
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四国への道すがら現地を訪れると、水路の奥には穀物のサイロがあり、大きな艀が荷役作業の真っ最中で、ひょっとしてもう少し早く来ていれば橋が開くところが見られたかな、と思ったが、まるで転車台のそれのような小さな操作室に人影はなく、尋ねる相手はいなかった。
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遮断機は手動で警報機や信号の類は見当たらないが、警報音はなるのだろうか。桁の銘板には1977年三井造船と書かれていたから、地元で製作されたものだろう。
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駅の近くで買ったタコ飯のおにぎりを食べながらしばらく待ってみたが、動きはないまま時間切れになり、宇高国道フェリーに乗船した。 (つづく)
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←その13 その15→
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 可動橋の中には災害時に備えて設けられたものもいくつかある。その中の一つが、桑名市にある「玉重橋」だ。揖斐川から市街地に引き込まれた住吉入江に架かるもので、以前は普通の橋だったようだが、入江を台風などの際に船舶を避難させる場所として整備するため、1999年に昇開橋となった。
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 電動ジャッキで橋桁全体が上昇する構造だが、周囲の景観整備に合わせて造られたので、可動橋のカラクリを主張するような部分は一切無く、普段は動かないので、見た目は普通の橋だ。もちろん、動くような事態が少ないに越したことはない。
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 そのまま入江沿いの歩道を揖斐川の方へ進んでいくと、小さな歩道橋が架かっていた。これでは船が通れないのでは?と思ってよく見ると...橋桁の端が丸い。なんと片持式の旋回橋だった。
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 支点となる側にシリンダーが露出しており、小さいながら玉重橋よりも見た目は可動橋らしい。
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 橋の名前は書いておらず、案内にも「回転歩道橋」としか書いてない。高い位置に並んで架かる道路橋が「新住吉橋」なので、仮に「新住吉橋歩道橋」と呼ぶ。
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 袂の操作室と思しき小屋にあった銘板を見ると、製造はなんと日本車輌だった。正式には「新住吉橋船止設備」(橋桁の下の柵で船の流出を防ぐ意味?)というらしい。(つづく)
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←その12 その14→
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徳島空港のほど近く、空港のある松茂町と徳島市を隔てる今切川には2本の橋が架かっている。1本は徳島~高松~松山を結ぶ四国の動脈、国道11号の新加賀須橋、そしてそれに並んで架かるのが、県道の加賀須野橋だ。200m近くはあろうかという広い川幅に、まるで古い桟橋のように数多くの橋脚を並べた独特の姿だが、その一部を可動橋として航路を確保している。(写真は拡大可)
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新加賀須野橋から見下ろした可動部分。シンプルな一葉式の跳開橋である。
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松茂町側から見た可動橋部分。可動橋部分は道路も狭く1車線で、橋が閉じていても信号による交互通行だ。地図で見ると、交差点もない橋の真ん中に信号の表示があるので面白い。
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付近は住宅地。自動車、自転車、もちろん歩行者も多い生活道路で、バスも通る。徳島駅からだと徳島バス37系統航空隊または長原行きで、徳島駅から約20分。「広島」というバス停が最寄である。
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開閉は1日10回。ただし船が来なければ開かない。可動部の路面は尼崎の丸島橋と同じようにアミアミのスケスケだ。
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通船時は両側の信号が赤になり、遮断機が下りる。
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航路幅は14.4mと狭いが、やってきた船は油槽船だろうか、意外なほど大きく、見た目に航路幅一杯だ。
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橋の上で船の通過を待っていると、道路の向うを艦橋が通過していく不思議な光景になる。
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写真は2007年と2008年のものだが、2009年末から架け替え工事が始まった。可動橋であることには変わりないが、昇開橋に生まれ変わるとのことで、航路幅は37mに拡大され、橋上も車道2車線+自転車・歩行者道となる。工事については徳島県のサイトに詳しいが、これによれば昇開橋方式の車道橋としては日本最大のものになるだそうだ。(つづく

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←その11 その13
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富山地方鉄道本線の電鉄黒部駅から生地行きのバスで約10分、生地大町を過ぎると、バスはやがて小さな橋を渡る。これが道路橋として北陸唯一の可動橋である生地中橋(いくじなかはし)である。これは富山湾から黒部漁港に入る水路にかかるもので、くろべ漁協のホームページによると、昇開橋だった3代目(昭和34~35年架橋)に代わって架橋された四代目。親柱には昭和57年3月完成とあった。(以下小さい写真は拡大可)
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海側から見た生地中橋。右側が南側で、茶色い建物が操作室。一見、ただのガーダー橋のようだが、実は片持ち式の旋回橋である。旋回橋自体は天橋立の小天橋など日本でも数箇所にあるが、片持ち式は日本唯一の存在のようだ。
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橋の周辺は生地の市街地で、見通しがあまりよくないためか、南北とも少し離れた位置に橋の作動を示す表示灯が建っている。
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開閉時刻を表した案内板。ここに書いてある通り、時刻になっても漁港への船の出入りがない限りは動かない。また、船が来ても、無線アンテナなどを畳んで通過できる大きさなら、やはり橋は動かない。
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親柱の銘。「いくぢ」ではなく「いくじ」である。
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支点は南側。陸地との接点が緩い弧を描いているのは旋回橋ならでは。
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一方、北側の接点はギザギザ。これでは旋回できないのでは? と思ったら...。
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動く際には、まず北側がこのように一旦持ち上がる。
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さらに東側に向かって旋回する。道路は遮断器と信号機(通行止め時は上下赤2灯)で遮断。警報音などはない。
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そして船が通過。南側の陸地部分に橋桁を完全に格納するようなスペースがあるが、実際には船の大きさに合わせた角度で開閉するようだ。
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少し大きな船がきた。今度はかなり大きく開いた。やはり土休日は漁船の出入りが少ないのか、土曜に行ったところ空振りに終わり、平日早朝に再訪して開閉シーンを見ることができた。現地へは北陸本線の生地駅からだと徒歩20~30分強かかる。冒頭のバスは生地駅には行かないので注意が必要だ。(つづく

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←その10 その12→
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九州・天草諸島は広い。天草市役所のある本渡へは、熊本駅から三角線と航路(天草宝島ライン)を乗り継いで約2時間、長崎駅からだとバスで茂木港に出てフェリー、さらに小さなバスを乗り継ぎで約3時間はかかる。その本渡の街の中、上島と下島を隔てる本渡瀬戸という水路に「瀬戸歩道橋」という昇開橋が掛かっている。

工業高校の脇の、本当に細い路地の先にこの可動橋はある。橋が水平に上下する昇開橋は、かつての清水港線や現在でも動態保存されている佐賀線筑後川昇開橋など、鉄道でもおなじみだったが、この瀬戸歩道橋はその名の通り歩行者と自転車などの軽車輌専用の橋だ。

橋の南側には古い橋の親柱が残っていた。以前はここに自動車も通れる瀬戸橋という跳開橋が掛かっていたのだが、航路の改良工事に合わせて1974(昭和49)年度に天草瀬戸大橋が北側に完成して自動車は分離され、その後歩行者専用となった瀬戸橋を架け替える形で1978(昭和53)年に瀬戸歩道橋が完成したそうだ。

橋が2本になったのは無駄に思えるかもしれないが、固定橋で自動車の通行量も多い天草瀬戸大橋は両端をループ式として通船に支障のない高さを稼いでいるから、歩行者や自転車の通行には無理が多い。歩行者用として通行する側がほとんど上下移動しないですむ可動橋が別に掛けられたのは、人の行き来を考えれば至極当然のことと言えよう。事実、ここにいた約1時間弱の間、ほとんど絶えず人通りがあった。

バイクも手押しなら渡れる。夜間は通行止めとなるようだ。

通行可能時。可動部分の入口に信号がある。

通船時。サイレン音とともに信号が赤になり、支柱の中から遮断機が出てくる。
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御所浦方面へ向かう旅客船がやってきた。この橋は船の高さに合わせて昇降するようで、この大きさの船では一番上までは上らないようだ。観光ポスターなどにはこの橋を本渡~御所浦~水俣航路の大きなカーフェリーが通過している写真が使われていたが、この航路は2007年に廃止されてしまい、現在では見ることができなくなってしまった。陸も海も、公共交通には厳しい時代である。(つづく)

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←その9 その11→

日本三景のひとつ、天橋立は、一見陸続きのように見えて、南側2箇所で途切れていて、橋で繋がれている。このうちの一箇所が「小天橋」と呼ばれる可動橋である。この橋が架かるのは宮津湾と内海の阿蘇海を結ぶ文殊水道(別名:天橋立運河)で、阿蘇海に出入りする船は必ずここを通ることになる。観光船の案内を見ると、朝夕のみここを通る宮津発着の便がある。この時刻に合わせて現地を訪ねた。(拡大可)

さすが日本三景、周りには土産物屋が立ち並び、観光客がひっきりなしに渡っていく。他の可動橋とは全く異なる雰囲気。橋自体も転車台のように回転する「旋回橋」(地元では回旋橋と呼ばれている)なので、橋の上には構造物はない。警報機や遮断機もなく、北側に目立たないように操作室がある。(拡大可)

橋の袂で待っていると、係員さんがやってきて鎖で橋を封鎖。橋が旋回をはじめた。観光船の時刻より少し早いが...。(拡大可)

宮津湾側を見ると明らかに観光船ではない、なにやら「カッコいい」船が2隻やってくる。(拡大可)
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一見、一隻の貨物船のようだが、よく見るとタグボートのような小さな船(押船)が艀(ハシケ)を押しているようだ。艀に書かれた機能第一の番号標記が魅力的だ。船にはかつての加悦鉄道と同じ「双輪」のマークが。そう言えば、ここは加悦のすぐ近くだ。

荷を満載した船の通過を待っていたように、今度は阿蘇海側から空荷の船がやってきた。後で調べてみると、遠くニューカレドニアから来たニッケル鉱輸送船の荷を宮津湾上で積み替え、阿蘇海に面した岩滝町の工場までシャトル輸送しているらしい。(拡大可)

かつては船で渡していたというここに可動橋が架けられたのは大正12年のこと。昭和35年に電動化されるまでは手動だったそうだ。転車台と違って渕を歩けるわけでもないのに、一体どういった構造だったのだろうか。(拡大可)
ani01.gif現地にいた時間は50分程度だったが、その間だけでも5回船が通過し、その都度橋が回される。居合わせた観光客も橋が回るという珍しい光景に見入っている。観光ルートと産業の動脈が交差する、不思議な光景だった。(つづく)

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←その8 その10→nagoya01.jpg
 水族館がある1番出口に向かう休日の人々の流れに逆らって地下鉄名港線名古屋港駅2番出口から出る。少し歩くと今でも倉庫が立ち並ぶ一角に、可動橋がある。とは行っても、もう動くことのない廃線の橋で、勝鬨橋とは逆に上がったままになっている。
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 この橋は四日市の末広橋梁と同じ、山本工務所の作品。末広橋梁よりも古い1927(昭和2)年の架橋と言われ、「名古屋港跳上橋(旧1・2号地間運河可動橋)」として国の登録有形文化財にも指定されているのだが、現地には案内とかの類は見当たらない。
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拡大可
 岸にへばりつく様に操作室がある。電話ボックスのような大きさだった末広橋梁のそれよりかなり大きい。現役時代は現在もレール輸送が行われている名古屋港線の一部だったそうだが、現在では橋の部分以外には痕跡は少ないようだ。
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 橋から100m余りの場所には固定橋がかかり、その先すぐに埋め立てられているので、実際に行くまでは運河としてはもう機能していないのかと思っていたが、現地を見ると可動橋から一つ目の橋の間に工場から給水スポートのような荷役設備が伸びている。別の日に行ってみると、貨物船がちょうど橋の間をすり抜けるように出て行くところだった。なるほどこれでは橋を下ろして保存するわけにはいかないわけだ。(つづく)

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←その7 その9→
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門司港から伸びる臨港線。現在は休止中だが、北九州市と平成筑豊鉄道によるトロッコ列車運行の準備が進められている。2009年度からここを元南阿蘇鉄道のDLと元島原鉄道のトラ70000形が走ることになる。
A bascule bridge of Mojiko. A name: Blue wing Moji. Kitakyuushuu-shi, Fukuoka.
その臨港線沿いにしばらく歩いて海に出ると、真新しい歩行者専用の可動橋がある。「旧門司第一船だまり」の入口にかけられた西海岸可動橋「ブルーウィングもじ」である。
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橋の袂にある説明板。かなり詳しい。(拡大可)
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船だまりに定期的に発着する遊覧船は背が低く、開閉に関係なく出入りできる。(拡大可)
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開閉は1日6回。遮断機などはなく、開閉前には係の人が柵を締めにやって来る。開閉は観光的な意味合いが強いようだが、臨時に開閉することもあると書いてあるので、実際に船の出入りのための開閉もあるようだ。(拡大可)
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まず子橋が上がる。(拡大可)
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続いて親橋も。(拡大可)
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手前に見えるのが操作室のようだ。(拡大可)
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歩道橋とはいえ開くとそれなりに迫力がある。(拡大可)
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可動橋の西にある「海峡ドラマシップ」には九州電気軌道(のちの西鉄北九州線)1形電車が復元されている。車体は1/3程度のみながら台車(Brill27GE1)やGE製のコントローラなどは実物のようだから見逃せない存在である。(つづく

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その7 下関・水門橋

←その6 その8→
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 山陽本線が下関を発車して車輌基地の横を抜けると、ちょっと高い鉄橋を渡る。皆さんご存知のことと思うが、渡った先は彦島という関門海峡に浮かぶ島である。つまり橋が跨ぐのは「川」ではなく小瀬戸という「海峡」。下り列車では車窓左側は関門海峡を経て瀬戸内海へ、右側は日本海へと抜けている。この山陽本線の橋の少し日本海側に、水門橋というちょっと変わった可動橋がある。
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 本州側から見た水門橋(橋が上がっている時)。1982(昭和57)年に完成した昇降橋である。その名の通り、海峡を仕切る2つゲート(下関漁港閘門)の間に掛けられたもので、左に見えるのが瀬戸内海側のゲート。ちなみに写真では見えにくいが、橋の手前を線路が左右に横切っている。これは下関駅から小瀬戸に沿って下関漁港へ伸びていたの貨物線の跡。地図上に表記は残るものの、残念ながら部分的に線路が残るのみとなっていた。
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 彦島側から見た水門橋(通行可能時)。立体駐車場を大きくしたような構造である。
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 自動車通行可能時間帯の表示。つまり水門橋が下がっている時間。
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 歩道は2つのゲート上に付いているので、水門橋が上がっていても通船時以外は通行できる。
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 日本海側のゲート上から見た下りている時の水門橋。奥に見えるのは瀬戸内海側のゲート。海峡といってもこの部分はこんなに狭い。
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 関門海峡側のゲート上から見た上がっている時の水門橋。奥が下関漁港。橋は上がっていてもゲートが締まっていては船が通れないではないか…と思われるかも知れないが、ここはパナマ運河などと同じく水位を調整して船を通す「閘門」。つまり、船が来たときだけ片方のゲートを開け、いったん船を閉じ込めた状態で水位を調整してから反対側のゲートを開く。簡単に言えば船のエレベータである。もちろん、通船が可能なのは水門橋が上がっている時間帯ということになる。水位を調整して船を通す閘門自体は東京にもあるのだが、上を可動橋が跨いでいるのはここだけだろう(→追記参照)。
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 関彦橋から見た下関漁港閘門と水門橋。この閘門自体の歴史は水門橋よりずっと古く1936(昭和11)年に建設されたのが最初と言う(現在のゲートは銘板によれば1986年製)。この閘門が小瀬戸を仕切ることで瀬戸内海と日本海の干満の差による潮流の発生を抑えており、日本海側の袋小路となった部分には下関漁港がある。つまり、下関漁港を守っている閘門ということになる。(つづく)

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←その5 その7→
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 兵庫駅から川崎重工の工場を横目に歩いていく。N700系やら<スーパーカムイ>やら、完成間近の新型車輌が目に入ったが、真新しい社屋の前にはそれらに負けないくらいピカピカになったクハ181がいた。目指す兵庫運河はこの工場の向こうだ。
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 兵庫運河を渡る和田岬線の「和田旋回橋」である。現存唯一の鉄道用旋回橋として有名だが、はるか昔から固定されているので、「元旋回橋」と言った方が正しいだろう。そもそも、この橋が旋回している写真というのを見たことがない。一体いつ頃まで可動状態にあったのだろうか。
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 山陽鉄道による和田岬線の開通は1890(明治23)年だが、兵庫運河の開削はその後のことで、この橋は1899(明治32)年頃に掛けられたらしい。確かに中央の橋台や転車台のような橋桁など、旋回橋の面影は残っているが、操作室はもとより可動するための機構は一切残っていないようだ。一体どうやって動かしたのか、気になる。
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 袂には小さな貯木場と模型のような古風なクレーンがあった。反対側にも船が停泊しているから、橋の両側とも運河として機能しているようだが、どちらから来ても船はこの橋で行き止まりである。
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 反対側に出て住吉橋から見下ろす。こうしてみると、広い運河を遮断して線路が横切っているように見える。橋の長さは15.5mというが、跳開橋ではなく旋回橋だから、実際に通船に使える幅は片側1/3ずつ程度で、かなり小さな舟しか通れなかったはずである。この橋が開いていた頃はどんな光景だったのだろうか。(つづく)

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その5 尼崎・東高洲橋

←その4 その6→
A bascule bridge of Amagasaki-shi, Hyogo. Higashi-Takasu Bridge.
尼崎には丸島橋ともう一つ、可動橋がある。高洲運河に架かる東高洲橋である。
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阪神電車の尼崎から乗ったバスは、道路を渡る工場のトロッコの線路を越えたところで東高洲町のバス停に着いた。この辺り一帯は住友金属の工場のようだ。
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バスが走り去った方向を見ると、道路上にやぐらが見えた。東高洲橋だ。道路信号とともに鉄道と同じ警報機と遮断機がある。
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同じ尼崎市内だからだろうか、シルエットは丸島橋によく似ている。
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頭上に大きなウエイトがあるのは丸島橋と同じだが、こちらは路面がアミアミではなくアスファルト。バスも通るし、近くに阪神高速湾岸線ランプもあるので交通量は少なくない。
ギア
丸島橋は油圧ジャッキと思しきシリンダーがあったが、こちらは大きなギアが露出している。
時刻表
開閉は丸島橋と同じ1日5回、船が来た場合のみ上がる。
東高洲橋
写真を撮っているうちに開閉時間が迫ってきた。操作室を見るといつの間にか人影が…。あっ、プレジャーボートが警笛を鳴らして近づいてきた。
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警報機とともに遮断機が下がり、橋が開く。
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残念なことに曇ってきた。ボートが通ると早々に橋は閉じ始める。
東高洲橋
閉まる少し前、陽が出てきた。素晴らしい。ここまで来た甲斐があった。この近くにはもう一つ、西宮にちょっと新しめの可動橋があるのだが、今日はここまで。また今度にした。(つづく)

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その4 尼崎・丸島橋

←その3 その5→
武庫川線
武庫川線の電車は武庫川を発車するとあっという間に東鳴尾駅に着いた。武庫川を渡って河口側に約1km、ちょっと疲れてきたところで左に折れると、目的の橋が見えてきた。
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西堀運河にかかる丸島橋である。やぐらが物々しいが、遮断機と信号のみで警報機はない。
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横から見るとやぐらがT字になっているのが判る。ウエイトと油圧ジャッキでやぐらの一端を上下させ、もう一方の端に吊っている橋桁を開閉させる仕組みのようだ。
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渡ってみるとびっくり。可動部の路面はアミアミのスケスケ。コインくらいの大きさなら、落としたら運河にポチャンだ。車が通る度に結構大きな音がする。
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開閉は1日5回、船が来た場合のみ上げるらしい。12時半をまわったが、船は来ず、橋が上がる気配なし。
丸島橋
海側から見る。袂には何隻かの釣り船は係留されている。しばらく待ったものの開く気配は全くないので、次の橋に向かうことにした。 (つづく)

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←その2へ その4へ→
 ヘルメット姿の自転車の主が小屋に入ってしばらくすると、踏切のような警報音が鳴り始めた。時計を見ると12:30を少し回ったところ。いよいよだ。
末広橋梁
素晴らしい。これを見ただけで四日市まで来た甲斐があるというものだ。せっかくの可動橋なので写真をつないでみたが、三脚を使っていないうえ、つなぐことなど考えずに画角を途中で変えているものだから綺麗につながらなかった。こういう時は動画機能付きのカメラが欲しくなる。

DD51
橋が下りて20数分、DD51の牽く貨物列車がやってきた。鉄道用の可動橋というと芝浦や清水港線のDD13の印象が強いせいか、DD51がやたら大きく見え、どうもイメージしていたものと違い戸惑う。

タキ1900
それにしても長い。数えたら16輌もあった。のどかな風景の路線だが、藤原岳と海路を結ぶ産業の大動脈だということを思い知らされる。DD51はしばらくいったところの機回し線で空車を牽いてきた太平洋セメントの私有機と交代、DD51は空車を牽いて再び橋を渡って四日市へ戻っていく。これで一連の作業は終了のようで、しばらくすると橋が開かれる。下がってから開くまで約35分であった。

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翌日曜日、再び四日市まで来たついでに臨港橋へ行ってみた。開閉を期待したのだが、日曜日は船は通らないらしく、操作室は無人。末広橋梁も下りたままとなっていた。

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臨港橋の上から千歳町側を見ると、臨港橋の警報機と遮断機の向うに臨港線の踏切が見える。踏切名は臨港橋東踏切というそうだ。日曜日でも列車はあった。末広橋梁を渡って機回し線に進入する列車。

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工場から空車を牽いて来た太平洋セメントのDD452。富士重工製。

時刻
線路沿いに歩いていくとこんな札があった。この間は通行ができない場合があるということだろう。列車の運行が始まると上部のスピーカーから甲高い警報音が流れていた。 (つづく)

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←その1 その3→
 手結可動橋に見てから約一ヶ月後のとある週末、さらなる可動橋を求めてに新幹線に乗った。目指すは三重県、四日市である。
倉庫街
驚くほどひと気のない関西本線四日市駅から歩くこと約10分、目的の末広町にはあっけなく着いた。初めて足を踏み入れた通称:四日市港線界隈は、手元の地図に描かれた何本かの側線こそなかったものの、倉庫の向うからDD13が紫煙を上げて出てきそうな、一昔前の“臨港線”の風景が残っていた。
末広橋梁
第一の目的、末広橋梁。昭和6年架橋にして重要文化財。さすがの貫禄である。可動する桁は長さ16.6m、タワー部分は高さ15.6mだそうだ。なにより現役であることが素晴らしい。本誌でも何度も紹介された可動橋界?の重鎮であるが、実際に目にするのは初めてだ。この橋の向うは千歳町という運河と海に囲まれた“島”。この橋が下りない限り、列車は島に出入りできない。列車の来る時刻の目星はつけてきたものの、本当に来るのだろうか。列車を見に来たわけではないが、列車が来ないと橋も下りない(日曜日は逆に下りっ放しと後に知る)。もし運休ならば諦めるしかないと思って辺りを見回す。
防潮堤
橋の両側に備わる防潮堤の扉。運河の両岸に通じる道には全て防潮堤の扉があるが、線路も例外ではない。両側の信号のようなものはなんだろうか。
山本工務所
桁の中央に付く山本工務所の銘板。素晴らしい。
千歳町
千歳運河対岸の千歳町側を見る。現在は橋を越えたところから右にカーブしているが、少し古い地図によると、以前は直進する線路もあり、この先に平面クロスがあったようだ。
可動部分
可動部分を真横から見る。タワーを介してワイヤーで操作する構造が分かる。それにしても土曜日のせいか船は全く通りかからない。そんなわけで背後にある第二の目的である橋は、末広橋梁とは逆に開く気配がない。
臨港橋
第二の目的、末広橋梁と並んで掛かる臨港橋である。ここは現役の可動橋が並んで掛かるという、素晴らしい場所なのだ。もっとも、こちらは1991(平成3)年竣工と書いてあり、末広橋梁とは対照的に、いたってシンプルなデザイン。開閉も油圧ジャッキによる。これは3代目だそうで、初代の橋は1932(昭和7)年架橋だったそうだ。
臨港橋
袂に備わる警報機と遮断機が可動橋であることを主張する。右手に見える建屋が操作室(管理棟と書いてあった)。残念ながら船は一向に来ないが、操作室には人がいるので土曜日でも開くことはあるのだろう。これが開くところを見たかったのだが…。
末広橋梁
臨港橋から見た末広橋梁。つまり可動橋から見た可動橋である。こんな調子でカメラ片手にウロウロしていると、1台の自転車が末広橋梁の袂の小屋に近づいていくのが見えた。 (つづく)

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その1 手結可動橋

勝鬨橋  私は勝鬨橋が好きだ。この橋が最後に開いたのは1970(昭和45)年のことだという。以来36年、日本を代表する可動橋は“不動橋”となったままだ。数年前、この橋を再び開く計画がある聞き心躍ったが、残念ながら現在のところ実現には至っていない。道路事情もあるだろう、資金の問題もあるだろう。しかし、通る度に思う。この橋が開く姿が見られたどんなに素晴らしいことか。
 鉄道車輌に限らず、動くべきものが動かないのは、寂しい。

手結港を可動橋側から見る
 話は南国土佐に移る。かつて土電の安芸線に「手結」と書いて「てい」と読む駅があった。市内からの直通電車が今の「ごめん」「いの」と同じく「てい」と書いた行き先板を付けていたということで、その地名が頭の片隅にあったのだが、高知から室戸岬を目指していた時、「手結可動橋」なる標識が目に入り、ここがあの「てい」なのか、と思い出した。今のごめんなはり線だと夜須駅が近い。
手結可動橋入口。右は操作室だが、上は階段状に展望デッキになっているようだ。
手結可動橋を内港側から見る 標識にあった可動橋は、船溜まりとなっている古い内港の出入り口に掛けられていた。後で調べたところ、この内港は人工的に掘り込まれた港としては日本最古のものだそうで、景観もなかなかのものである。橋の袂には鉄道のそれを流用したと思われる踏切の警報機と遮断機が備わる。非常ボタンもついているが、押すと橋の上昇が止まるのだろうか。中途半端に止まられても困る気がするが。
 可動橋は、日中おおよそ1時間ごとに開閉するよう、標識に書いてある。つまり、1回開くと1時間通行止めということだ。
 とは言え、この日は日曜日。表示の時間が近づいても人の気配が全くない。ひょっとして日曜日は開閉しないのではないか。残念ながらもう時間、“動く可動橋”はお預けか、とその場を離れようとした瞬間、警報機が鳴り出した。
警報機が鳴り出し、遮断機が下りる。右の操作室デッキにはおじさんが赤旗を持って安全監視している
 振り返るといつの間にか操作室のデッキにおじさんが赤旗を持って立っている。


「開く!」
開く!開く!!
 遮断機が下りると警報機が止まり、おじさんは中へ。やがて橋が上がり始めた。いざ開くと、予想以上に大きい。これで1時間は通行止めだ。事情を知らない車がやってきて、遮断機の前でしばらく待っていたが、やがて標識を理解したのか、諦めたように引き返していった。もっとも迂回路はあるので、そんなに困ることはない。
 勝鬨橋と同じ跳開橋だが、片側のみなので、反対側は遮断管1本を隔てていきなり水路。ちょっと見た目に怖い気もする。
 やがて外港で橋が開くのを待っていた漁船がやってきた。小さな漁船だがマストや無線アンテナは可動橋が開かないと通れない高さがある。
完全に開き、漁船が内港に入る。
 後日調べたところ、この可動橋は2002(平成14)年に完成したものだそうだ。観光用でない実用の可動橋を新たに掛けるというのは珍しいのではないだろうか。ちなみに開閉はおおよそ1時間毎と書いたが、よく見ると18時~6時は船舶航行可能と書いてある。つまり夜はひらっきぱなしということのようだ。 →その2

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可動橋の詩 収録一覧

A bascule bridge of Amagasaki-shi, Hyogo. Higashi-Takasu Bridge.

その1 高知・手結港可動橋
高知県香南市夜須町手結(土佐くろしお鉄道ごめんなはり線夜須駅下車)

その2・3 四日市・末広橋梁と臨港橋
三重県四日市市末広町(関西本線四日市駅下車)

その4 尼崎・丸島橋
兵庫県尼崎市丸島町(阪神武庫川線東鳴尾駅下車)

その5 尼崎・東高洲橋
兵庫県尼崎市東高洲町(阪神尼崎駅下車)

その6 和田岬線・和田旋回橋
兵庫県神戸市兵庫区材木町(山陽本線兵庫・和田岬駅下車)

その7 下関・水門橋
山口県下関市彦島本村町(山陽本線下関駅下車)

その8 門司港・西海岸可動橋「ブルーウィングもじ」
福岡県北九州市門司区港町(鹿児島本線門司港駅下車)

その9 名古屋港 旧1・2号地間運河可動橋
愛知県名古屋市港区千鳥2丁目(名古屋市営地下鉄名港線名古屋港駅下車)

その10 天橋立 小天橋
京都府宮津市天橋立文珠(北近畿タンゴ鉄道宮津線天橋立駅下車)

その11 天草 瀬戸歩道橋
熊本県天草市亀場町(熊本より九州産交バスあまくさ号 天草中央総合病院前下車)

その12 黒部 生地中橋
富山県黒部市生地(富山地方鉄道電鉄黒部駅から生地行きバス、生地大町下車)

その13 徳島 加賀須野橋
徳島県板野郡松茂町広島(徳島駅から徳島バス37系統で広島下車)

その14 桑名 玉重橋と新住吉橋歩道橋
三重県桑名市太一丸(桑名駅から徒歩15分程度)

その15 玉野 櫻橋
岡山県玉野市築港5丁目(宇野駅から徒歩5分程度)

その16 青森 ラブリッジ
青森県青森市柳川一丁目(青森駅から徒歩3分程度)

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