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RMライブラリー『1950年代の戦前型国電』完結

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急電への80系の投入により阪和線に転じたモハ43040。こののち主電動機の交換によりモハ53008となり、飯田線の旧型国電終焉まで活躍した。 1952.8.13 東和歌山支区 P:長谷川明(RMライブラリー225『1950年代の戦前型国電(下)』より)

RML225H1.jpg ご好評いただいております長谷川明さんによる『1950年代の戦前型国電』の完結巻となる下巻が完成しました。本書はこの1953(昭和28)年6月の称号改正前後の時期に対象を絞り、まだ原形に近い姿で活躍していた戦前型の鋼製国電についてまとめるもので、上巻では鋼製国電初期の30・31・32系を、続く中巻では戦前型国電の中核をなす40系を収録しましたが、完結巻となる下巻では流電モハ52を含む42系と、近郊型電車のパイオニアである51系を収録しています。
 42系は1934(昭和9)年、鉄道省が吹田~明石間での電車運転開始に際して投入した電車です。関西地区の省線での電車運転は1932(昭和7)年の城東線・片町線での40系電車投入に始まりますが、多くの私鉄路線と競合している東海道・山陽本線への投入に際しては、新設計の2扉クロスシート車が製作されました。さらに翌年には急電と通称される急行運転(現在の新快速のルーツ)用として、全く新しい流線形車体を持つ専用の固定編成が製作されました。"流電"モハ52の誕生です。しかし、華やかな時代は長くは続かず、戦局の悪化とともに1942(昭和17)年には急電運転は休止。42系の一部は3扉・4扉への改造が進められました。戦後、急電の運転が復活したものの、1950(昭和50)年には急電への80系投入が行われ、一般型の42系や急行用の中間車の一部は遠く横須賀線へ、またモハ52は阪和線に転じることとなりました。

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戦後、京阪神間の急行運転に復活した"流電"モハ52を先頭にした急行用編成。しかし、80系が投入されると、先頭車は阪和線へ、また一部の中間車は遠く横須賀線へと転じることとなった。(RMライブラリー225『1950年代の戦前型国電(下)』より)

 一方、51系は1935(昭和10)年に登場した3扉セミクロスシート車で、戦後の近郊型電車のパイオニアといえるものでしょう。最初は中央線のサービス向上のため投入されました。ただし、投入されたのはモハ51形一形式のみで、まだ木製車などが連なる中央線電車の高尾方に連結されました。翌年には42系では混雑が目立ってきた京阪神間に投入が開始され、クハ・クロハも製作されました。その後、40系と同様に張り上げ屋根、ノーシル・ノーヘッダ、ノーリベットなど製造年度によって変化が生じます。ただし、その製造年度から平妻の車輌は他系列からの改造による編入車のみです。

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3扉セミクロスシートという近郊型のパイオニアであった51系。クロハは京阪神間で運用された。(RMライブラリー225『1950年代の戦前型国電(下)』より)
 
 本書では、42系は普通型と急行型にわけてその誕生と戦後1950年代までの動きを中心に紹介します。また、51系は製造年度毎の変化を中心に紹介しています。42系はご存知の通り、42001が今もJR西日本に在籍しているほか、52001がJR西日本吹田総合車両所、52004がJR東海のリニア・鉄道館に保存されています。一方、51系は1輌の現存車もないのは残念なことです。
 なお、木製車からの鋼体化による系列である50系に関しては、同じく長谷川明さんが本シリーズ112巻『鋼体化国電モハ50系とその仲間たち』でその詳細を解説されていますので、これを機会に合わせてぜひご覧ください。

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