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RMライブラリー『1950年代の戦前型国電』スタート

RML223H1r.jpg有楽町駅を発車した、30系による山手線内回り電車。背後は旧東京都庁で、現在は東京国際フォーラムに変貌している。 1952.12.18 有楽町 P:長谷川明(RMライブラリー223『1950年代の戦前型国電(上)』表紙より)

 今月からRMライブラリーでは長谷川明さんによる『1950年代の戦前型国電』を上中下の3巻にわたってお届けします。
 鉄道省(国鉄)が初めて半鋼製車体の電車を導入したのは1926(大正15)年のことです。このとき導入されたデハ73200形(のちのモハ30形)は、それまでの木製車の側板などをリベット止めの鋼板に置き換えたもので、屋根は木製車と同じく木製の二重屋根でした。ちなみに現在、名古屋のリニア・鉄道館に保存されているクモハ12041は、丸屋根化・中間車化、事業用車化による両運転台化を経て再びの旅客車化という変遷を遂げているものの、元はこのモハ30形の1輌であるモハ30131です。

RML223_pp18-19.jpg 丸屋根を採用した31系。鶴見線で活躍したクモハ12形50番代もこのグループからの改造である。

RML223H1s.jpg その後、1929(昭和4)年には丸屋根化とともに窓寸法の変更などの改良を加えた31系が、さらに1930(昭和5)年には横須賀線用として2扉クロスシートの車体を持つ32系が誕生。そして1932(昭和7)年に登場の40系では初めて20m級車体の電動車が製作され、関西にも進出、以後の国電の標準形態となりました。これ以降は車体製作への溶接の多用や張上げ屋根化などの変化を重ねつつ様々な電車が増備されていきましたが、戦争の激化とともに次第に車輌の製作もままならなくなり、ついに1944(昭和19)年、極限まで製造工程と資材を節約した"戦時型"モハ63形が製作され、モハ30形以来の系譜は途絶えることになるのです。
 これらの戦前型鋼製国電は、その後も戦後生まれの電車とともに活躍を続けますが、1953(昭和28)年6月の称号改正では17m車を中心に多くの車輌が改番された一方、これに続いて1950年代中頃にはグローブ型ベンチレータ化をはじめとする更新修繕−Ⅱが進められ、戦前型国電は次第に姿を変えて行きました。そして、モハ90系などの新性能電車の増備が進むと、これらの電車は次第に「旧型国電」と呼ばれるようになっていったのです。

RML223-pp32-33.jpg 最初から横須賀線用として設計された32系は、制御車・付随車が20mとなったが、電動車は17mのままであった。晩年の富士急行での活躍をご記憶の方も多いだろう。

 本書はこの1953(昭和28)年6月の称号改正前後の時期に対象を絞り、まだ原形に近い姿で活躍していた戦前型の鋼製国電についてまとめるものです。著者の長谷川さんはこれまでに本シリーズで第60巻『美しき半流国電 40・51系電車』、第112巻『鋼体化国電モハ50系とその仲間たち』とこのグループについてまとめられておられますが、今回はその全体像を俯瞰するもので、上巻では30系、31系、そして32系を収録しています。ちなみに写真の多くは長谷川さんご自身の撮影によるもので、関東はもちろん、関西や飯田線・身延線まで、この時期にほとんどの形式を撮影されておられるのは圧巻です。
 なお、続く中巻では戦前製鋼製国電の中でもその中核をなす40系の収録を予定しております。お楽しみに。

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