鉄道ホビダス―実物から模型まで日本最大の鉄道専門サイト sp sp
sp
TOP ショッピング 鉄道ニュース ホビダス・ステーション 今日の一枚 編集長敬白 RMMスタッフブログ ホビダスTOP

トップへ

実物のわだい カテゴリー

2008年08月05日
蒸機の整備ボランティア募集 

IMGP0783.jpg

▲今年で開業100周年を迎える横浜線。                        菊名P:(龍)


 
 1908年に東神奈川~八王子間に生糸を運搬されることを目的に敷設された現在の横浜線は、今年9月に開業100周年を迎えます。これを記念してJR東日本ではイベント列車の運行やヘッドマーク装着列車の運行など数々の催しを企画中で、沿線自治体でも神奈川区、港北区、緑区、町田市、相模原市の各地でコンサートや写真パネル展示などが実施されます。

さて、横浜線沿線の淵野辺駅前にある相模原市立鹿沼公園にD52 235が保存されているのはご存知でしょうか?


▲神奈川県相模原市鹿沼公園に保存されているD52 235。正面ナンバープレートが無いのは盗難防止のためで、事務所に保管されている。                  P:杉本昌樹

 現在発売中の姉妹紙の『Rail Magazine』300号で元プロ野球選手の屋鋪 要さんによる新連載『保存蒸機撮りつぶし』でも、正面ナンバープレートの無い保存蒸機としてこの鹿沼公園のD52 235のことに軽く触れています。
 D52は全国的に保存機が見られるD51に比べ、保存機は少なく、その数は全国にわずか7輌しかないそうです。幸いD52が晩年に活躍した御殿場線が近かったこともあり、神奈川県内には70号機(山北町)、403号機(平塚市)、そして鹿沼公園の235号機の3輌が保存されています。

地元、相模原市在住で、保存蒸機の清掃・レストア作業にもボランティアとして関わってきた杉本昌樹さんから、先日こんな話を伺いました。

「保存されているとはいえ、正面ナンバープレートのない姿をうちの子供は蒸気機関車だと喜んで眺めたりしていまして、子供たちに本当の蒸機の姿を伝えなければいけない。このままでは、誰の記憶からも薄れ、いつしか朽ち果てる前に何とか元の姿に戻したい。」

 杉本さんは今年の2月に市の公園管理事務所にD52の清掃や整備のボランティアを申し出たそうです。しばらくして横浜線開業100周年記念事業として「鹿沼公園のD52を一般公開出来ないか」と話が持ち上がり、イベントに使用するための特別整備という名目で市役所の許可を得て7月から運転席周りの整備を始めることができました。一時は新製が必要かと思われた正面ナンバープレートも市側で保存してあることが判り、公開当日は煙室扉にプレートを取付た状態での公開を予定しているそうです。
イベント内容はD52の運転席を開放し、JR東日本から借り受けた子供用の制帽・制服を来場者の子供さんに着用させ、親御さん持参のカメラで撮影できる「ちびっ子SL撮影会」などとなっています。


実際の保存機の整備進行状況を見てもらいましょう。

2008_0224.jpg
▲いたるところの塗装が浮いた状態のキャブ外観。

2008_0628.jpg
▲キャブ内部の様子。

2008_0727-A.jpg
▲機関士側、側窓下部の修復。塗装をはがし、凹みにパテ盛りしたところ。


2008_0727-B.jpg
▲同じく側窓下部の修復。余分なパテを削り下地塗装を施したところ。

2008_0721-C.jpg
▲こちらは機関士イス下部の機器箱の様子。整備開始前は大きな蜂の巣ができてしまっていた。

2008_0721-D.jpg
▲蜂の巣を全てどかし、箱外側の錆びなどを落とす。

2008_0721-E.jpg
▲そして下地の塗装を終えたところ。                作業途中写真:杉本昌樹

 9月13日(土)の公開日を目指し、土曜休日に運転台廻りを中心に、ちょっとずつ整備を進めているそうです。課題は抜け落ちそうな床をどうするか、そのほか人手と資金(ペンキ代など)だそうで、現在SL整備の有志を募っているそうです。

連絡先は 杉本昌樹さん osugi4@ybb.ne.jp まで。

お近くの方は参加されてみては如何でしょうか?

投稿者 龍 : 20:23

2008年07月25日
小田急電鉄江ノ島線にMSE・RSEが・・・

はじめまして、新人編集部員の(T.I)と申します。(龍)のアカウントを借りましての投稿です。

今日は実物のお話を。

小田急ロマンスカーといえば新宿から箱根・江ノ島への特急としてお馴染ですが、今年の夏は唐木田~江ノ島を走る「湘南マリン」号が久しぶりに運転されています。

今夏使用されるのは、千代田線直通ロマンスカーに使われている新型60000形MSEなのですが、今日7月25日の1日のみ、普段は「あさぎり」に使われている20000形RSEが充当されたのです。

MSE01.jpg
▲今夏「湘南マリン」号に使用される60000形MSE。普段は千代田線直通ロマンスカーとしてもお馴染。


「湘南マリン」号はおろか江ノ島線に営業運転として走行するのは初めてとあって、藤沢駅や善行駅など沿線駅には多数のファンが集まっていました。二階建スーパーシートからの江ノ島線の眺めがどんなものなのか気になるところですが。走行写真を撮影したので紹介しましょう。

RSE02.jpg
▲7月25日の「湘南マリン」号に使用された20000形RSE。営業運転としては初の江ノ島線の走行シーン。

ちなみにNゲージモデルとして、20000形RSEはMODEMOより12月に再生産が予告されています。マイクロエースの371系もシングルアームパンタ車が登場したことですし、〈あさぎり〉用ロマンスカーを買い揃えようかなんて考え中です。


ではまた~。

投稿者 龍 : 22:03

2008年07月14日
移転された豊橋鉄道 新豊橋駅

こんばんは、(み)です。
 先日の「とよはし市電を愛する会」による市内電車イベントレポートの際に少し書きましたが、豊橋鉄道渥美線(新豊橋~三河田原間18.0km)の起点かつJR線乗り換え駅でもある新豊橋駅が、豊橋市の土地区画整理事業として2008年6月5日より、旧所在地に対し約50m西側(JR駅寄り)に移転しました。ちょうど訪問時の6月8日は新駅に移転されてから間もなく、旧駅の遺構も垣間見ることができました。ここに当日の模様をレポートしましょう。写真は特記以外2008年6月8日・(み)撮影です。

DSCF2910.JPG
▲新装なった”新”・新豊橋駅。旧駅の1面1線から1面2線ホームへと広がり、交互発着が可能となった。元東急7200系の1800系電車が発着するさまは、あたかも東急の一支線のようだ。

DSCF2875.JPG
▲新駅舎は工事が進行中で全貌がつかみにくいが、現在のところJR駅へはコンコースへ至る通路にて連絡されている。ペデストリアンデッキが完成すれば、駅周辺の移動も便利になることだろう。

DSCF2872.JPG
▲新駅から見た旧駅部分。豊橋鉄道経営によるターミナルホテルの足下に見える駅舎とホームが旧駅のもの。

 かつてJR(旧国鉄)豊橋駅と渥美線新豊橋駅との間には、広大な面積を占める貨物取扱ホームがありました。しかし1998年の貨物取扱廃止にともない土地が遊休化したものの、線路に挟まれた立地とあって、駐車場以外にはなかなか利用価値のない状態でした。

今回の駅移転を含めた区画整理事業では、この貨物取扱ホーム跡に新豊橋駅を移転させることにより、旧駅の跡地を含めた駅前の土地を有効に活用しようとするものです。

DSCF2868.JPG
DSCF2860.JPG
▲新駅開業により閉鎖された旧・新豊橋駅。この写真では使用停止後4日目となるが、すでに架線やホームのレールが取り外されていた。

IMG_5213.JPG
▲この写真のみは旧駅がまだ使用中であった今年5月23日のもの。今となっては手狭な構内もすでに思い出だ。撮影:(宇)。

DSCF2859.JPG
▲旧駅側から見た新ホーム。当然ながら本線から新駅へと至る線路も一部付け替えが行なわれている。

 渥美線ではこの駅移転と共にダイヤ改正が行なわれ、新豊橋発8時台から22時台までの完全15分ヘッド化(毎時00・15・30・45分発)など、わかりやすく使いやすい鉄道へとの脱皮が試みられています。

 地元の方の話によると、この後は駅施設の撤去も急ピッチで進められ、あっという間に更地になってしまったそうです。追って駅施設やペデストリアンデッキなどの整備が進められていくそうで、跡地開発も含め今後の発展が期待される豊橋駅前であります。

投稿者 (み) : 20:28

2008年06月16日
East i-Eを見た。

こんばんわ(龍)です。先日、帰宅時に東海道線に乗っていたら、茅ヶ崎駅の構内に見かけないヘッドライトの車輌が留まっていました。HIDライトの光が強く、近づくまで輪郭がハッキリとは判らなかったのですが、近づくに連れそれが何であるか判りました。
夜目にも眩しい白い車体に赤いライン…その名はEast i-E。JR東日本の在来線電化区間用交直流検測車E491系です。

EAST-i01.jpg

この車輌は従来の検測車の代替として2002年に登場、勝田車両センターに配置されていますが、JR東日本管内の電化区間の軌道、架線、信号の検査を任務に各電化線区に出没しています。

検測中、茅ヶ崎駅で時間調整のため停車しているようでした。

各種検測用の賑やかな屋上機器の中で輝くサーチライトや車体側面から放たれる光線の美しさに、仕事疲れでボーっとしている私の眠気も吹き飛びました。早速、いつも持ち歩いているデジカメを取り出し、激写したのがご覧の写真です。
EAST-i02.jpg

EAST-i03.jpg

通勤ラッシュが終わってからが仕事の始まりとは、まさに縁の下の力持ち的な車輌ですね。
さてこのEast i-E、マイクロエースがNゲージで、僚友の気動車版検測車East i-Dとともに、今年秋頃の発売を予告していますね。果たして製品のサーチライトは点灯したりするのでしょうか? 目の前で作業風景を見たことによって、E491系が楽しみな一品のひとつとなったある夜の出来事でありました。 

投稿者 龍 : 13:03

2008年01月16日
想い出の新潟交通軌道線

niigata000.jpg
▲道路に直接面して設置されていた白山前(旧県庁前)駅。写真は以下も含め1990(平成2)年9月、(み)撮影。

こんばんは、(み)です。今回は久しぶりに、ちょっと昔の実車と風景を振り返ってみましょう。

 いよいよ1月。かねてよりトミーテックから予告されておりました「鉄道コレクション」第6弾の発売も近付いてまいりました。同シリーズには、地方私鉄ファンにとってのお待ちかねとも言える日車標準型電車もセレクトされており、その中には1999(平成11)年にファンから惜しまれつつ廃止され、現在ではバス専業となっている新潟交通の車輌も含まれています。

 これまでも「鉄コレ」では、第2弾のモワ51や第3弾のモハ2229+2230など新潟交通線の車輌が含まれていましたが、今回同線の主力とも言える日車標準型車輌がモデル化されることにより、同線の晩年の姿を再現することも容易になってきました。

 そこで今となっては想い出となってしまった同鉄道の中でも、とりわけ模型ファンの心をくすぐる併用軌道区間を中心に、当時の姿を偲んでみましょう。

niigata002.jpg
▲東関屋を出発した白山前行電車はほどなく併用軌道へと差し掛かる。この併用軌道区間は1999(平成11)年の全線廃止に先駆け、1992(平成4)年に廃止された。この軌道区間は車内禁煙とされていたが、裏を返せばその他の鉄道線区間は禁煙ではなく、車内でタバコを吸う乗客の姿も見られた。

 新潟交通の鉄道線は、1933年(昭和8)年に東関屋~白根間が開通したのを皮切りに、同年中には同じく白根~燕間と軌道線として東関屋~県庁前間が延伸し、全線が開通しました。

 軌道線は将来的には万代橋を越えて、新潟駅へと至る計画でしたが、結局実現できずに終わり、併用軌道内の電停も戦時に廃止されてしまいました。その結果、線路沿いの住民にとっては電車はただ通過するのみの厄介な存在と映り、廃止反対ならぬ廃止促進運動さえ沸き上がったうえでの廃止となりました。

niigata001.jpg
▲終点「県庁前」改め「白山前」駅付近を走る日車標準型電車モハ21号。

 それでは併用軌道線のシンボル的存在でもあった、軌道線終着駅の県庁前改め白山前駅の様子を見てみましょう。1936(昭和11)年に建設されたという駅舎は、曲面を生かしたスクラッチタイル貼りの、いかにも昭和初期を象徴するようなモダンな造りでした。開業以来「県庁前」の名称でしたが、1985(昭和60)年の新潟県庁移転により、白山神社の門前であることから「白山前」に改称されました。

 近接する歩道橋の上から、ここに電車が停車中の姿をとらえた写真はよく見掛けますが、駅舎そのものの写真は意外と少ないので、ここで三面の様子を紹介しましょう。

niigata003.jpg
▲ホーム側を見る。ここから見ていると線路の存在がほとんど目立たないが、左手が東関屋側となる。すぐ右手に道路を駅舎方面へと渡る歩道橋があり、電車と駅舎を絡める格好の撮影地とされていた。

niigata004.jpg
▲こちら側が正式な駅正面と言うべきだろうか。増築が繰り返されて雑然としたイメージだ。左手奥の木立が白山神社の境内であり、ホームはその向かいである。

niigata005.jpg
▲右手奧が白山神社で、線路は右方向に伸びている。壁の各所に見られる補修の跡が痛々しい。

niigata006.jpg
▲改札の中から見たホーム側。電車が止まっていないと、まさにすぐ外が道路であった。

 先述の通り、1992(平成4)年に東関屋~白山下間の軌道線は全廃に先駆けて廃止され、この歴史を秘めた駅舎も道路改修の妨げとされたのか、解体されてしまいました。現在では交差点の形状さえ変わってしまったため、この駅舎が存在した場所を正確に思い出すことすら困難な状況です。

投稿者 (み) : 21:31

2007年09月06日
変わりつつある日暮里駅

こんにちは、副編まるはねです。この間別冊大攻勢が終わったと思ったら、もう月刊本誌の締め切りが間近! 夏休みは一体いつ取れるのかな?(今度の休みは家にこもって模型を作るつもり…)

さて、私が毎日通勤で使っている日暮里駅ですが、昨年も一度取り上げたように現在大変身の真っ最中。大きく分けて3つのプロジェクトが同時進行しているのです。まず一つ目が前回触れた新交通日暮里・舎人ライナーの接続&開業。既存の駅に直角に突き刺さるような巨大な高架駅が既に姿を現しています。開業は来年3月の予定とのことです。個人的にはちょっと楽しみ。そういえば仕事でよく環七をクルマで通るのですが、舎人ライナーとの交差地点ではすごく高い高架でオーバークロスしているのが印象的で、車内からの見晴らしが良さそう…などといつも思っているのです。

日暮里駅北口に出現した新交通の駅舎。

もう一つはJR東日本の部分に関して、コンコースの大幅な拡幅とそれによって駅ナカ施設の充実が図られることになっています。大規模な人口地盤が線路上に構築され、現在乗り換えの通路などはさながら迷路のよう。新聞でも取り上げられた名物のガムテープによる案内表示などもあります(独特な書体ですが確かにけっこう読みやすい…)。まあしかし毎日利用する身にとっては窮屈・不便な思いを強いられているというのも正直なところ。完成は今年度中とされており、辛抱もあと半年あまり、というところですかね。

日暮里駅の上野方、JR線をオーバークロスするための急勾配部分。上空に新たな下り線用の路盤が出現し始めた。

最後の工事、レイルファン的には最も注目と言えるのが、京成線の高架化工事です。下り線を高架化し、2面1線のホームは一般ホームとスカイライナー専用ホームとで分けられるようになります。これは現在工事進捗中の成田新高速鉄道(北総鉄道を延長して成田空港と直線的に結ばれる路線、日暮里-成田空港間で36分と、現状より大幅なスピードアップが見込まれる)と関連があり、都心側拠点となる日暮里駅の利便性を大幅にアップすることが目的です。現在高架路盤の一部が姿を現しつつあり、ダイナミックな変貌の最中と言えます。こちらの完成は2009年度ともう少し先(成田新高速鉄道開業は2010年度予定)。毎晩常磐線のホームに立つ頃には京成線の営業は終了しており、多くの作業員の方がトラックや重機と共に工事に携わってらっしゃいます。長年見慣れた地平ホーム(しかも狭い!)が特徴的な京成日暮里駅も、完成後には全く新たな顔を見せてくれるでしょう。せっかく毎日通るのだから折に触れて記録に残さないと、と思っております。今回はJRのホーム及び駅外からの観察でしたが、京成の改札内も既に変貌の真っ最中らしいので、機会を捉えて観察していきたいですね。

こちらは高砂・成田空港方。手前に見えるのは恐らく人が通るためのコンコース? 奥に見える、三階部分に相当する路盤が線路になると思われます。

駅外の跨線橋から観察。地平の下り線を走る電車というのも工事完成の暁には見納めとなります。

現状の京成線ホームを、常磐線ホームから見たところ。元々狭い上に工事関係の囲いなどもあって非常に窮屈そう。工事が完成したら上り線専用のホームになる予定です。

P:まるはね(2007.9.2撮影)

投稿者 まるはね : 23:27

2007年06月26日
続・弘南鉄道の元旧型国電

こんばんは、(み)です。前回に引き続き、弘南鉄道の旧・17m旧型国電車輌についての紹介です。今回は制御車であるクハ16形を取り上げます。

konan1611-8502.jpg
▲モハ1121同様、「鉄コレ」のモデルとなった弘南鉄道クハ1611(津軽大沢区・1985年2月撮影)

 ここでまず簡単に弘南鉄道の17m旧国の全容について記しますと、1967年以降、国鉄形式クモハ11にあたるモハ11形が1120~1122の3輌、クハ16形が1610~1614の5輌、それとは別にサハ17形(1700)の1輌が順次国鉄・西武鉄道より弘南線へ入線しました。トレーラー車が電動車の2倍であることやサハがあることからも察することができるように、弘南線では当時、モハ1輌に対しトレーラーを2輌連結する1M2T編成が基本とされていました。

 しかし1975年以降、弘南線に東急からの譲渡車3600系列が大量に入線したことにより、この17m旧国グループはクハ1614とサハ1700を除き大鰐線へ転属とされました。弘南線に残ったサハ1700は閑散時の2輌運転に対応して運転台が取り付けられ、車号はそのままにクハ17形とされています。なお結果的に弘南線から旧国群を押し出すこととなった東急3600系列も、その前身は17m旧国が中心であったものの、車体載せ替えにより外観の印象は異なっていました。

konan1610-8508.jpg
▲弘南鉄道クハ1610(津軽大沢駅・1985年8月撮影)

 大鰐線で活躍していた頃のクハ1610です。1輌ごとに大きく姿の異なるモハ11形に対し、クハ16形はこの1輌のみが旧30系で、他の4輌は旧50系と比較的揃ったスタイルをしています。

konan1611-8508.jpg
▲弘南鉄道クハ1611(津軽大沢区・1985年8月撮影)

 津軽大沢区に長期留置中だったクハ1611で、タイトル写真と同じ車輌の雪解け後の姿です。雪で隠れていたベンチレーターが姿を現わしていますが、このクハ1611は前身がクロハだったこともあり、旧仕切板部分のベンチレーターが1個撤去されており、モデルでも再現してみると面白いかも。正面は酷寒の地での使用に対応して、貫通扉が埋め込まれています。

konan1612-8508.jpg
▲弘南鉄道クハ1612(大鰐駅・1985年8月撮影)

 こちらはモハ1122の相棒として、やはり西武鉄道を経て入線した車輌です。1122と同じ旧50系ながら、こちらは張り上げ屋根ではない通常の雨樋位置となっていますが、サッシの交換や西武独特の大型ベンチレーター設置などの改造は1122と共通しています。

konan1613-8508.jpg
▲弘南鉄道クハ1613(津軽大沢区・1985年8月撮影)

 比較的標準的なスタイルを持つ旧50系のクハで、1611とは異なりベンチレーターの欠けはありません。屋上ステップは1611と同様、存置されています。

konan1614-8107.jpg
▲弘南鉄道クハ1614(弘南弘前駅・1981年8月撮影)

 他の写真とは撮影時が若干古くなりますが、弘南線の17m旧国が大挙して大鰐線へ転属した後も、クハ1614については弘南線で継続使用されていました。運用表示がふさがれ屋上ステップもない、かなりスッキリした姿となっています。

 それでは最後に、廃車となった後の弘南鉄道クハ1611の処遇について、写真を掲載しましょう。

1611wine-8907.jpg
▲津軽ワイン工場に置かれた車輌群(津軽尾上付近・1989年7月撮影)。

 弘南鉄道で廃車となったクハ1611は、同時期に廃車となったクハニ1272や貨車とともに弘南線津軽尾上駅付近にある津軽ワイン工場に引き取られ、敷地内に置かれました。1つ欠けたベンチレーターが1611の証です。しかし老朽化のため比較的早期になくなってしまったようです。

wafu8907.jpg
▲敷地内には電車だけでなく貨車の廃車体も…(1989年7月撮影)。

 この一度見たら忘れられない個性的なスタイル、そう「鉄コレ」第2弾の鋼製化緩急車のモデルともなった、旧南海のワフです。弘南鉄道に譲渡されたものが廃車後に、電車とともにここにやってきたものです。扉に家庭用のサッシをはめられてしまった以外は比較的原型を留めているようです。

 この狭い敷地内に、「鉄コレ」のモデルとなった車輌が3輌も存在する!と考えると、全くの偶然とはいえちょっと愉快に思えますね。

投稿者 (み) : 21:37

2007年06月21日
弘南鉄道の元旧型国電

 こんばんは、(み)です。これまでにも弘南鉄道の旧型電車に関しては2回ほど紹介してまいりましたが(弘南鉄道大鰐線の昔の車輌飯田線生まれの買収国電)、今回は「鉄コレ」の17m級旧型国電編も発売されたことですし、同鉄道の中でも生粋の17m旧国の雰囲気を残すモハ11形およびクハ16形について、手元の写真を並べてみることにしましょう。

 まず今回は制御電動車であるモハ11形を取り上げたいと思います。残念ながら今回「鉄コレ」でモデル化されているモハ1121に関しては、前面写真が1枚あるのみというお寒い状態ですが、連結相手も含めて加工の参考にしていただければと思います。

konan1120-8508.jpg
▲弘南鉄道モハ1120正面(津軽大沢区・1985年8月撮影)

 モハ1120は今回の「鉄コレ」でモデル化されたモハ1121とは異なり、元30系(→クモハ11 100番代)を前身としています。ジャンパ栓受けに箱形のカバーが掛けられているのが特徴とも言えましょう。これら旧・旧国グループは当初は弘南線に配置されましたが、元東急車(もっともこちらも前身は17m級旧国がほとんどなのですが…)が大量入線していた末期には、ほとんどが大鰐線に転属され活躍していました。

 さて鋼製車時代の弘南電車と言えば、ベージュとコゲ茶色っぽい塗色というイメージを抱いている方も多いようですが、検査後の塗装はクリーム色と赤紫といった感じでした(このバックに写っている3400形が比較的塗装後に近い)。ただし再塗装までの周期が非常に長いのか、現役時からかなり褪色した状態で運用に就いていた電車もありましたので、元の塗装が判らないという方が多いのも無理ありませんでした。

konan1120-8108.jpg
▲モハ1120側面(津軽大沢区・1981年8月撮影)

 側面から見た1120。旧30系譲渡車の中では比較的原型を留めていた車輌と言えるでしょう。扉の半自動化が弘南らしいポイントです。

konan1120c.jpg konan1120b.jpg
▲左:モハ1120の前面部/右:側面車号部分(津軽大沢区・1985年8月撮影)
 リベットの連なる端正な車体が30系らしいところ。車号が切り抜き文字であったことは驚きでもあります。営業時にはこのようにサボを掛けていましたので、模型でも再現してみると良さそうですね。

konan1121-8508.jpg
▲弘南鉄道モハ1121(大鰐駅・1985年8月撮影)

 残念ながらこの1枚しか撮っていませんが、「鉄コレ」のモデルとされたモハ1121号です。モデルと同様に屋根先端部のステップが撤去されているので、通常の旧型国電顔とはやや雰囲気が異なります。

konan1122-8508.jpg
▲弘南鉄道モハ1122(大鰐駅・1985年8月撮影)

 こちらは西武鉄道を経て入ってきた旧50系電車(張り上げ屋根)です。国鉄のクモハ11は更新修繕により、もともと張り上げの車輌も雨樋を下げたり、グローブ型ベンチレーター化されるなどの標準化が施されましたが、この車輌については国鉄流の標準化はされなかった替わりに、窓枠のアルミサッシ化(ただし外観は塗装済)や大型ガラベンの取付など、西武流の標準化がなされました。

 今後追ってクハ16形(写真が出てこればクハ17形も)について取り上げようと思います。


投稿者 (み) : 20:18

2007年05月31日
1985年の栗原電鉄

こんばんは、(み)です。先月から3回にわたり、まるはねが書いていたくりはら田園鉄道(旧栗原電鉄)の旅行記(1回目2回目3回目)に刺激され、私もちょっと昔の電鉄時代の写真を掘り返してみました。この時は帰りを急いでいたせいなのか石越から細倉まで往復したのみで、車庫のあった若柳駅ですら降りていないなど、私の唯一の栗電訪問としては後悔の残る結果となりました。ほんの一部の記録しかありませんが、ご覧いただければと思います。写真はいずれも内燃化の10年あまり前となる1985年2月撮影です。

kuri0009.JPG
▲細倉駅に停車中のM15形152。ゆるやかなRを持つ前面に対し正面窓は平面とされ、外板よりやや内側に入った感があった。

kuri0014.JPG
▲石越駅にてM152の室内を撮影。外観的には軽量構造のボディに思われがちなM15だが、室内は意外にもニス塗りの木製壁であった。

kuri0005.JPG
▲木造車の鋼体化ながら、M15と類似のボディに更新された制御車C15形C152(細倉駅)。こちらは片運転台であるほか、正面の造りなど細部も意外と異なっている。

kuri0006.JPG
▲上のC152の連結面側。連結相手がM15などいずれも非貫通の車輌であるため、最初から貫通路が設けられていなかった。

kuri0013.JPG
▲1985年当時の石越駅。「国電型ダイヤ」との標記が懐かしいが、なぜこのスローガンが国鉄駅でなく栗原電鉄の方に立っていたのかは不明だ。駅舎は看板以外は最末期までほとんど変わらぬ姿で残存していた。

kuri0004.JPG
▲当時の終点であった細倉駅。この時代ですでに路線廃止への危機感があったことが偲ばれる。後の1990年に「細倉マインパーク前」への延伸にともない、駅としての機能は終えた。

投稿者 (み) : 21:20

2007年04月18日
仙石線に103系復活!

こんにちは、副編まるはねです。さて既にご存知の方も多いと思いますが、昨年3月の常磐線を最後に全廃されたと思われたJR東日本の103系が、たったの1編成とはいえ、仙石線にて復活しました。一旦205系化の完了した仙石線ですが、実は多賀城駅付近の高架化工事の関係で運用数が1本増えてしまったため、期間限定のピンチヒッターとして103系がカムバックしたという次第。無論この事態はあらかじめ想定されていたようで、このT-235編成、運用離脱後も長期間休車状態で留置されており、それが昨年秋に郡山工場で大幅な改造を受けて出場、去るダイヤ改正以降晴れて復活運用となりました。実は去る3月に東北方面へ旅行した際、車庫の比較的観察しやすい場所に止まっている同編成を見かけたので、今日はその時の写真をアップしたいと思います。

晴れて運用復活となったT-235編成。画面右手が石巻、左手が仙台となる。

●クハ103-235…今回の改造中の目玉である、便所取付改造車。けどすいません、見えているのは便所と逆サイドです。便所部分の窓は戸袋窓、妻面窓とともにきれいに埋められており、103系としては非常に違和感のある面白い外観となっているのですが…。また以前種別幕として用いられていた表示窓(前面向かって左側)には「仙石線」の表示が掲出されるようになっていました。前面2枚窓やベンチレーター撤去、ドアスイッチ設置などは以前からの仙石線103系の特徴的なポイントですね。

トイレ部床下の汚物処理装置を見る。

●モハ103-343…この車輌も、シングルアームパンタ取付によって大きく印象が変わりました。しかも霜取り用としてダブルパンタ仕様ともなっているので迫力も満点です。上目からは観察できませんでしたが、両パンタとも母線含む配管フル装備のように見受けられました。

左が元からあるメインパンタ、右が霜取り用パンタ。シングルアーム化されたのは今回の改造だが、ダブルパンタ化自体は以前からのもの(以前は通常の菱型パンタ)。

●モハ102-499…この車輌は今回の改造点はあまり無いようですが、MGは以前からSIV化、コンプもスクリュー式に交換されていたとのことです。

●クハ103-236…後姿で失礼しますが、この車輌も大きな改造点は無い模様。肝心の顔が見えませんが、基本的には235と同じ顔のようです。全車とも、近年の郡山工場出場車特有の青っぽいグレーで下廻りが塗られているのも目を引きます。

現在同編成は平日の早朝に限定ダイヤで運用されているとのことで、走る姿にお目にかかるのは容易ではない感じですが、その力走が今しばらくは確かに行なわれているという事実だけでも、ファンの心を熱くするものがありますね。

2枚窓の仙石線仕様独特の顔。ジャンパ栓受けが撤去され、下部に標識円板掛けが設置されている。

P:まるはね(2007.3.24 仙台車両センター宮城野派出所 ※公道より撮影)

投稿者 まるはね : 23:58

2007年04月17日
1986年の鶴見線正月ダイヤ

mc12-851229a.JPG

▲鶴見駅に停車した初電・扇町行。この日のために1輌用の停止位置目標が新設された。1985.12.29

こんばんは、(み)です。今回は本ブログ2月20日に書きました「クモハ12の思い出」に引き続き、1986年以降鶴見駅乗り入れ運用に復帰したクモハ12形の運行について触れてみたいと思います。

 大川支線封じ込めの運用から一転、1986(昭和61)年3月のダイヤ改正にて突如として実現した鶴見線クモハ12形の本線乗り入れ復帰ですが、復帰する直前にその予行演習とでもいうべきダイヤが存在していました。おそらく鶴見線史上にも残るであろう、1985年暮れ~1986年正月の年末年始ダイヤです。

 このダイヤが実施されたのは1985年12月29日から翌86年1月3日までの6日間で、工場への通勤客が激減するこの時期を見計らい、クモハ12(運行番号01)と101系3連(運行番号03)という2運用・計4輌の車輌で、1日の鶴見線全運用をこなすという、空前の輸送力縮小実験とでもいうべきものでした。

 通勤客さえなければこの輸送力でも何とかさばけるだろう…というまさにギリギリのダイヤで、しかも3連の101系が応援に入るのは朝夕のみ、それ以外の時間帯は早朝の初電から最終電車まで、クモハ12が1輌で全線の運用をこなすという、それは極限のダイヤでした。

mc12-851229b.JPG

▲初電のクモハ12運用が扇町駅に停車中。本線復活後、イベント運転以外で扇町までの営業列車が運転されたのは、この年の年末年始ダイヤだけではないだろうか。1985.12.29

 ほとんどの時間帯を1輌で全運用こなすことから、運行形態は鶴見→扇町→鶴見→海芝浦→鶴見→大川という具合に、すべての列車を鶴見始発とする点が特徴的で、現在の運行形態の原点とでも言えるかもしれません。ただしクモハ12が鶴見に帰ってこないことには次の路線へは入れませんから、列車は終日ほぼ40分間隔で鶴見を発車し、本線や各支線に入っていました。

mc12-851230a.JPG

▲年末年始ダイヤ中の大川支線は1日わずか3本。現在の休日ダイヤを先取りしていたかのようだ。武蔵白石駅にて。1985.12.30

 当時の平常ダイヤでは最盛期より本数が減らされていたとはいえ、日中でも鶴見基準で1時間に4本という本数が確保されていましたから、40分に1本というのはかなりの減便です。しかも途中折り返しもあるなどで末端の支線まで行くとさらに本数は減り、大川行に至っては1日3本という、現在の休日ダイヤ並みの減便となっていました。

mc12-851229c.JPG

▲国道駅停車中の夜の上り鶴見行。通勤客で超満員状態だ。1985.12.29

 それにしてもいくらラッシュ時に101系の3連(03運行)が応援に入るとはいえ、29日の朝に突如登場した単行電車に、鶴見駅はパニック状態に。年の暮れとはいえ通勤客もそこそこいますから、通常のラッシュをはるかに越える状態となり、朝8時前の扇町行ではついに多数の積み残しすら出してしまいました。そのうえダイヤの余裕時間も少なく、一度遅れたダイヤは当分復帰できません。そこでこの日以降、対策を迫られることとなり、翌日以降は混雑する時間帯のみ、クモハ12による01運行分も101系3連に振り替えての運行となりました。

mc12-860103a.JPG

▲武蔵白石駅で大川支線入線のために転線するクモハ12。下り本線ホームで客扱いの後、渡り線で上り本線上へ引き上げ、さらに支線ホームへと入る。1986.1.3

 さて趣味的に面白いのは鶴見線本線から大川支線への入線の時です。安善方から入線できるようになった現在とは異なり、当時は大川支線の起点となる武蔵白石駅で転線を行なわないと、大川支線へと入れない線路配線となっていました。したがってこの武蔵白石では転線前と転線後の2度に渡って客扱いすることとなっており、最初の停車で乗り遅れても支線ホームから乗車できる、という面白い現象が見られました。ちなみに転線が必要なのは下りの直通便だけで、上りは線路が直接上り本線とつながるため必要ありませんでした。

mc12-851230b.JPG

▲混雑時には101系が代走することになったが、運用上大川行に101系が入るひとコマも。鶴見駅
。1985.12.30

 もちろん当時は武蔵白石駅の急カーブ上に支線ホームがあったことから、クモハ12以外の電車は大川支線へは入線できませんでしたが、困ったのは前述の混雑時における101系への車輌振替時です。そこで大川行の運用に101系が入った際は、途中の弁天橋にてクモハ12へ車輌を振り替える(つまり運用を元に戻す)形で、支線への入線が行なわれました。

mc12-851231a.JPG

▲安善駅に到着するクモハ12053。6日間のうち2日間がクモハ12053で運転された。1985.12.31

 このように通勤客はとんだ迷惑を被り、ファンは大喜びだった6日間の運転を経て、その教訓を生かし日中のみのクモハ12形鶴見駅乗り入れという、1986年3月以降の標準となっていたダイヤが生まれることとなりました。車齢60年近い電車が、イベントでもない通常営業列車にいきなり復帰するという珍事は、いくら昭和の時代だからといっても、当時なりの驚きを持って迎えられた出来事でした。



〔ホビダスからのお知らせ〕

 ホビダスより発売しておりました、鶴見線クモハ12も作ることのできる「17m級旧型国電キット(2輌入)」ですが、お陰様で未塗装キットについては品切れとなりました。塗装済キットにつきましては引き続き販売しておりますので、どうぞお早めにお求めくださいませ。


投稿者 (み) : 20:57

2007年03月26日
さよなら、北総7000形

こんにちは、副編まるはねです。今日のブログは昨日行なわれたばかりの北総鉄道7000形のさよならイベントの模様をお伝えします。と言っても実際に行ったのは私ではなく、RMM140号のNEW MODEL PREMIUMでマイクロエースの北総7000形の解説・加工記事を担当された鈴木重幸氏。思い入れも一際とのことで、悪天候にも関わらず楽しまれてきたそうです。いやしかしこのイベント、来場者は抽選で選ばれたのですが倍率は6倍だったとのこと。当選された鈴木さんがうらやましいですなぁ。なにしろ私にとっても「地元電車」ですし、以前は自宅最寄の松戸駅にも乗り入れていましたしね(かつて北総開発鉄道自身が発売した金属キットも持ってるんですよ、マイクロ製品ある今組み立てる可能性は低いですが…)。それでは鈴木さんによるレポートをご覧ください!

グッバイ、ゲンコツ…(泣)。


集合場所の印西牧の原駅にて、受付の様子。皆さん朝からご苦労さまです。この後係の方の誘導で、ホームへ。

9時15分頃、本日の主役7000形が入線。車内の広告類は、ステッッカー式のものを除いて全て撤去されていました。

20070326_06.JPG20070326_07.jpg

発車まで20分ほど時間があったので、前面などを撮影。前後で異なるヘッドマークが取り付けられていました。

さよなら列車の行程は、印西牧の原9:37→10:05矢切10:16→10:37印西牧の原10:38→10:46車輌基地というもので、途中牧の原→矢切間は往復ともノンストップ、車輌基地への入線も含めて滅多にない乗車体験。しかも7000形で、となると(恐らく)最初で(間違いなく)最後…。
また、車中では営業部の社員の方が北総鉄道の沿革や7000形の歴史に就いて放送で解説して下さいましたが、特に後者はなかなかマニアックでした。何でも高砂方先頭車の7004号車は、製造価格が7000万円だったとか。また、復路のNT中央→牧の原間で「ただいま最高速度の105キロ出ております」と実況が入りました。まさに最後の力走。

車輌基地に到着して、いよいよ撮影会へ。売店も出ており、記念グッズ等販売していましたが、満員盛況でした。

線路内での撮影は乗車車輌によって時間を分けて行われ、殺伐とした雰囲気もなくまったりと楽しむことが出来ました。また方向幕は頻繁に回して、様々な種別・行き先を表示していました。

僚車も名残りの友情出演。全てトップナンバーです(7800番代は元々1編成しかありませんが)。

車輌基地から牧の原駅まではロールアウトしたばかりの7500形最新編成で(この時一段と風雨が強まり、ブレてしまいました)。

この種のイベントには、実はあまり参加したことがなかったのですが、今回は社員の方の仕切も手際良く、天候には恵まれなかったものの存分に楽しむことが出来ました。関係者の皆様には本当に感謝の気持ちで一杯です。

乗車証明書と特別乗車券です。

PHOTO & REPORT:鈴木重幸


投稿者 まるはね : 19:49

2007年02月20日
クモハ12の思い出

mc12-9202a.JPG

▲雪を載せた鶴見行クモハ12が浅野駅に入る。1992年2月。

 久しぶりになります、(み)でございます。
  すでにRMM139・140号の誌面上でも発表しておりますが、RMM100号の発行記念に付録とした17m旧型国電キット(旧31系電車)がホビダス上で再登場、受注を開始しております(未塗装塗装済の2種)。ここでは17m旧型国電の中でも、鶴見線で最後まで定期営業を行なっていたクモハ12について、少々振り返ってみるとしましょう。

 鶴見線で最後まで残存していたクモハ12はいずれも50番代と呼ばれる両運転台化改造車で、もともとは片運転台のクモハ11形(200番代車、改番前はモハ31形)でした。モハ31は1929~32(昭和4~7)年に製造された初期の鋼製車で、これまでのダブルルーフを廃し丸屋根とした最初の国電でした。戦後の1959(昭和34)年に鶴見線の閑散時用として両運転台に改造されますが、1970年代以降本線の20m車(73系)化・続けて新性能化(101系化)で、わずか1区間の大川支線での封じ込め運用となってしまいました。

 当時の大川支線は現在と違い武蔵白石~大川間の折り返し運転となっており、武蔵白石駅に設けられていた支線専用ホームが曲線通過の支障になるとされ、20m車の入線を拒み続けていました。このまま大川支線のみの運用で生涯を終えると誰もが思っていたクモハ12ですが、国鉄民営化を1年後に控えた1986年3月より1994年12月までの間、鶴見駅乗り入れを含めた鶴見線本線での定期運用が奇跡的に復活したのでありました。

 この長くも短い8年半の間、鶴見線では単行運転とはいえ、リバイバル気分で旧型国電の走行が楽しめたわけです。今回はその当時の写真で振り返ってみることにしましょう。

mc12-8603c.JPG

▲鶴見へ向けてダッシュするクモハ12。1986年3月、鶴見小野~弁天橋間。

mc12-8603f.JPG

▲海芝浦支線沿線は一面の工業地帯だ。1986年3月、浅野~新芝浦間。

mc12-9201b.JPG

▲白熱灯の光が見た目に暖かい室内。1992年1月、海芝浦駅。
 

mc12-9201a.JPG

▲海芝浦駅に停車中のクモハ12。1992年1月、海芝浦駅。撮影はすべて(み)。

 追っていずれ機会をみて、クモハ12"復活"の序章となった1985~6年の年末年始輸送について触れてみたいと思います。

投稿者 (み) : 23:22

2007年02月14日
見て来ました、SL南房総号!(龍)の場合

tateyama001.jpg
▲久里浜~浜金谷間の東京湾フェリーから、一足早い春を越え夏さえも感じる南房総の陽ざし。

こんにちは(龍)です。昨日の(まるはね)氏に続き私も2月11日に館山に行ってきました。
私の周辺でも、みなさん気合を入れて早朝から千葉入りしているのに対し、のんきなわたくしは当日明け方まで、家でプチプチと模型作り、出発する寸前まで外は寒いし、行こうか止めようか、このまま模型を作っていようか、ふん切りがつかないまま、出発となった。(旅への出発はいつもこんなです)

tateyama002.jpg
▲東京湾フェリー久里浜港。乗り場には早くも乗船待ちの車列でにぎわう。

 天気が良かったのでバイクで出かけることにしたが、ヤッパリ寒さにはかなわず家を出たのは8時。だいぶ遅い出発になってしまった。

tateyama003.jpg
▲フェリーの便は40分毎の運行

久里浜港に着いたのは9時20分。乗ろうと決めていた船は、こちらが港に着くと同時に出港してしまい、次の10時の便に乗ろうと諦めた。

tateyama005.jpg
▲やはり目的は、みなSL南房総号のようです。


tateyama004.jpg
▲3連休と天気の良さも重なり、一足早い春を求めて、観光客が千葉に殺到。いつもは並ばなくても買えるきっぷ窓口はご覧のような混雑ぶり。

 乗船待ちの車列の最後尾に着き、前の人に聞くと、なんとこの時点で2便待ちだそうで。バイクなので待たずに乗れると考えていたのが甘かった。折からのデスティネーションキャンペーンと連動するかたちでのSL運行。観光客にゴルフ客、さらにはレイルファンが南房総に向かうわけで、このぶんだと船を降りてからの道路の渋滞も気がかり。

tateyama006.jpg
▲「さらば祖国よ~」そんな感じの画。正味40分の船旅では在るが手軽に東京湾クルーズが楽しめる。
車やバイクでなければ、ビールでも飲みたくなる気分にさせられる。


乗船した時点で11時、この時点でSL南房総号の走行写真は諦め、目的地を変えて館山駅を目指すことに。

tateyama014.jpg
▲フェリーは降船時のハッチが開く時が、一番気分の高揚する瞬間だ。

tateyama008.jpg
▲近年に南欧風の橋上駅舎に改装され、西口側にも出入り口の出来た館山駅。

館山駅に到着したのは12時もだいぶ過ぎた頃。SL南房総号はとっくに到着して、既にホームには
D51をはじめ12系客車の姿もない。しばらく駅周辺を探すと、館山駅の東京寄りにある電留線の一番奥に留まっていた。
tateyama009.jpg
▲レイルファンと地元の方々の見物で混み合う電留線側道。交通整理には館山市の職員の方々が当たっていた。



▲走行写真は無理だったものの、まともに撮れた方の一枚。


tateyama011.jpg
▲帰りの列車となるDL南総号のために再び、館山駅2番線に入線してきたD51に集まる人たち。
18年ぶりの蒸機列車運転とあって地元の人の関心も高そうだった。


 折り返しの「DL南総号」ではDE10 1715(宇都宮)と12系(高崎)の6連そして、最後尾にD51 498が赤円盤付きとなるが“とり”を務める。

tateyama016.jpg
▲館山駅を出発する「DL南総号」。先頭車DE10の汽笛に合わせ最後尾のD51からも汽笛が鳴らされる。

館山駅を去る「DL南総号」を見送っていると見物客に手を振る機関助士の姿が、ちょっとしたことかもしれないが、多分こんな姿が、普段鉄道に関心のない人でも、親しみを感じることなのかも知れない。

列車が過ぎ去って10分程たったあとでも遠くで蒸機の汽笛がこだましているのが、今どきの車輌にはない、深みのある“音”として印象に残った。

tateyama012.jpg
▲帰りの浜金谷港では、再び2便待たされの帰還。

上の写真を撮影してから更に2時間。日中は汗ばむほど、とは言え日が暮れれば寒風吹き荒む港で待ちぼーけ。乗船したのは日がとっぷり暮れてからとなった。

tateyama019.jpg
▲帰りの船で久里浜港に着く寸前。見たことのある顔が、と思いきや「ホビダス営業大モリ」だった。

「いやいや、奇遇ですなぁ~。ヤッパリD51 ですか?」

大モリ氏いわく午前3時出発の午前6時に現地に着いてスタンバイしていたとのこと。いやはや気合入っていますなぁ。

大モリが居ることを知っていれば、港で2時間待ちぼーけすることもなかったのに・・・。


tateyama015.jpg
▲大モリ氏撮影 富浦~那古船形間 2007.2.11 大モリ氏いわく「本命はポジで撮ってますんで、デジタルはこんな後追いの写真しかありません」とのこと。       

明日にはポジが仕上がるので、その写真は明日以降の当ブログにご期待ください。 では。

投稿者 龍 : 17:42

2007年02月13日
見て来ました、SL南房総号!

こんにちは、副編まるはねです。この3連休は天気も良くて暖かくて、どこも人出がすごかったようですね。ただいまデスティネーションキャンペーン中の千葉地区では目玉行事としてD51 498による〈SL南房総号〉を運行、こちらも多くの人が見に集まったようです。私としても今回始発駅の木更津は故郷と言える町ですし、終点の館山は親父の故郷ということもあって馴染みもあり、なんとか仕事をやりくりして運行最終日2月12日に見て来ました。

朝イチでクルマを飛ばして木更津入りした私。実家近くの木更津-君津間でポイントを物色します。このあたりは市街地かつ内陸でもありとても風光明媚というものではありませんが、私的には「絵になる風景」よりも「木更津を走るD51」を見たいので、むしろ駅近くの住宅地ど真ん中の陸橋で撮ることに決定。発車1時間前くらいの段階ではまだ無人だったので安心して次に駅の様子を窺いに行きました。そしたら駅はもうすごい人出! ホーム上はD51の登場を待つ多くのファンであふれそうでした。

木更津駅でフォトセッションとして並ぶD51とDE10。DE10はわざわざヘッドマークをこちら側に付けてます(上り列車牽引時には当然反対側に付く)。

木更津駅では2番線ホームにD51、中線にDE10が入線。今回主役の2台を並べる粋な演出が見られたのは嬉しかったのですが、人波が切れずに写真はデジカメ見ずテンで撮ったこの程度(笑)。ところでDE10がなんでいるの?と思われた方がいるかもしれませんので一応説明しますと、今回D51が牽引するのは館山行きの下り列車だけなのです。だって館山にはターンテーブルがありませんし、バック運転での牽引は支障がありますからね。そこで上り列車ではDE10が牽引を担当、D51は列車後尾にぶら下がっていく形になり、列車名も〈DL南房総号〉となるのです。

20070213_2.jpg

12系客車に掲出された側面サボも特製。ちなみに客車はおなじみ高崎の12系6連でした。

発車40分前くらい駅を出て、先にチェックしたポイントに戻ったところ、「うお、いつの間に…?」というくらい陸橋上は既に人が集まっていました(笑)。でももともとレイルファンにとっては物足りないポイントですので、集まったのは主に地元のおっちゃん、兄ちゃん、おばちゃん、お子様…という感じ。最近そこここで感じるのですが、こうした鉄道イベントに結構一般の方がよく集まってくださりますよね。いい傾向だと思うのです。我々ファンとしては、今後もこうしたイベントが続くよう、一般の方に対して恥ずかしくない振る舞いをしなくてはなりませんね。

20070213_3.jpg

…見事なまでに地元ピープルっぽい方々が集まりました。鉄ちゃんぽい人はほとんど見当たらず…。

発車時刻が近づき、まずは露払いとして先のDE10(1751号機)が単機で回送されます。その後待ちに待ったD51の登場。盛大に汽笛を鳴らして眼下を堂々通過してきました。やっぱり蒸機はいいなぁ…。天賞堂のサウンド付きD51で498号機が出たら買っちゃうかも…。

20070213_4.jpg

陸橋上から捉えたD51 498。周囲のシーナリーはまるでジオタウン的で、D51に似合っているとは言いがたいですが、そこが(私にとっては)いいんです!

さて本日はこれで鉄活動は終了の予定でその後実家に立ち寄ったのですが、なんと両親の方から「クルマでSLを館山まで追い掛けよう!」と提案(驚)。なんとここにまで「鉄道に興味を持つ一般人」が…(笑)。普段ならクルマで館山までは一時間ほどですから、途中でD51を追い抜けるという大甘な見込みで発車。しかしさすがキャンペーン中だけあって行楽客が大挙押し寄せた房総地区。館山に着いたのはとうに列車が到着した12時過ぎでした。しょうがないので〈DL南房総号〉の入線・発車を見物していきました。単にぶら下がっていくだけだと思ったD51も蒸気を盛大に吹き上げて汽笛を鳴らしてサービスしていたのは嬉しかったですね。

午後の〈DL南房総号〉として館山駅に入線したD51。赤色円板が付けられていますが、もちろん有火で乗務員の方もしっかり3人乗務されていました。

20070213_8.jpg

なんと区名札に「千」と入っていたのは芸が細かいですね。

20070213_6.jpg

午後の主役、DE10 1751。いつの間にかこちら側にちゃんとヘッドマークが付いています。

20070213_7.jpg

館山駅での、入場券入場者への嬉しいサービス。本来は乗客のために用意されたスタンプを、「無効印」としてプレゼントしてくれました!

ということで千葉地区では18年ぶりとなった蒸機列車の運行。運行をめぐって小さなトラブルはあったようですが、幸い大きな事故はなく大きな思い出を作ってくださった関係者の皆様に感謝したいと思います。

最後に、デジカメで撮影した簡単な動画をアップしてみましたので、お暇な方はご覧になっていってくださいね。

D51動画・木更津-君津間

P:まるはね 全て2007.2.12撮影

投稿者 まるはね : 17:47

2007年01月25日
富山地方鉄道の車輌・1983年

 こんばんは、(み)です。久しぶりに昔の車輌写真を掘り返すシリーズです。今回は1983年8月に撮影しました富山地方鉄道の電車を紹介します。現在でこそ黄色と緑色の新塗色が幅を利かせる同社ですが、当時はオレンジ系の普通色・青系の急行色・白系の特急色と車種による塗り分けが徹底していました。掲載写真はごく一部の車輌のみですが、いずれも稲荷町車庫にて、現場の方と同行で撮影しています。

tym14713.JPG

▲富山地方鉄道モハ14710形14713。

 1948(昭和23)年より製造された名鉄の運輸省規格型電車、モ3800形を前身とする車輌です。1968(昭和43)年以降に同系の制御車クハ10形(←ク2800形)も含め16輌が富山地鉄へ入線しました。このグループは急行系車輌と位置づけられ、青色に白帯2本と、国鉄のブルートレインを思わせる塗色に整備されたほか、もともと貫通であった正面の非貫通化や前照灯の2灯化がなされ、さらに昭和末期には白系の特急塗色にも塗られました。形式の14710形は、モーター1つあたりの出力110kwが、馬力換算で147であることからの付番です。

tym13.JPG

▲富山地方鉄道クハ10形13。

 前述のように名鉄3800系列の制御車、ク2800形を譲り受けた車輌です。電動車とモーターのない制御車とで大きくケタの違う車番が富山地鉄の特徴でもあります。

tym10025.JPG

▲富山地方鉄道モハ10020形10025。

 1961(昭和36)年に日本車輌で誕生した高性能車で、当時新製されていた名鉄5500系や長野電鉄2000系と類似した側面デザインが特徴です。1983年時点では当時の特急色と呼ばれるホワイト系の塗色で、この車輌にはよく似合っていました。

tym14765.JPG

▲富山地方鉄道モハ14760形14765。

 1979(昭和54)年より特急車輌の主力として、7本14輌が新造された冷房付の高性能車です。地方私鉄車輌というイメージを払拭した正面2枚窓の斬新なデザインが評価され、当時の鉄道友の会のローレル賞を受賞しました。京阪3000系を譲り受けた10030系の塗色に合わせ、ホワイト系から黄・緑のツートンカラーに塗色変更されつつあります。

tym175.JPG

▲富山地方鉄道クハ170形175。

 1981(昭和56)年に1輌のみ新造された増結用のクハで、当時新製されていた14760形に合わせた形態で新造されています。クハとはいえ連結相手が非貫通車であるため、連結面も非貫通であることが特徴です。

tym12021.JPG

▲富山地方鉄道デキ12021(右)とクハ175の連結面。

 1958(昭和33)年、黒四ダム建設を契機に新造された東芝製の電気機関車です。武骨で角張ったデザインが多い凸型電機の中で、丸みを帯びたスマートなデザインと明るい塗色が特徴です。左に停車している電車は上のクハ175の連結面です。

投稿者 (み) : 21:09

2006年12月15日
昇圧前の福島交通電車

 こんばんは、(み)です。また今回も毎月恒例の昔の電車シリーズ「福島交通」(福島~飯坂温泉)です。1991(平成3)年に1500Vに昇圧され、旧東急7000系電車に統一された福島交通ですが、750V時代には自社発注車を中心とした個性的な車輌が多数活躍していました。今回はそのうち一部のみを紹介します。
fkk5020.jpg

▲飯坂温泉駅に停車中の5000形5020。5000形5020~5023は東急5000形を降圧改造(1500V→750V)のうえ投入したもの。皮肉にも1500V昇圧により廃車された。1982年4月。

fkk1202.jpg

▲1200形1202(1982年4月、桜水車庫)。
 1201~1203は自社発注の木造車を戦後に鋼体化した車輌で、ウインドヘッダーのない側面に横長の窓と他になかなか類を見ない車体が特徴となっています。両運転台であることを生かして貨車の牽引にも使用されていました。

fkk1210.jpg

▲1200形1210(1982年4月、桜水車庫)。
 1208~1211は製造工場はさまざまながら、2扉で小窓の並ぶ比較的おとなしい形の旧型車輌です。大型車の導入後はラッシュ時を中心に、サハを挟んで3連で用いられていました。

fkk5319.jpg

▲5300形5319(1982年4月、桜水車庫)。
 5318と5319は1971(昭和46)年製の比較的新しい両運転台の電車でした。外観は当時の福島交通自社発注車としては標準的なスタイルです。経年の新しさが幸いして昇圧後には栗原電鉄へ譲渡されましたが、同社の内燃化により活躍は短期間にとどまりました。

fkk3017.JPG

▲3000形3017(1982年4月、桜水車庫)。
 3000形(3016~3017)は5300形などと同型の近代的な車体を持つ付随車で、主としてラッシュ時に1200形に挟まれて使用されていました。

投稿者 (み) : 18:50

2006年11月30日
プチ・ディテールファイル 上信電鉄 デキ1・3

RMM-banar.jpg

RM MODELSサイトのNEW MODEL INDEXも参考としてご利用ください!


deki1-3-001.jpg

▲下仁田で入替え作業中の“デキ”。手前側がデキ3、奥がデキ1となる。


こんにちは(龍)です。またまた上信ネタで申し訳ありません。今日は先日の「天賞堂ツアー・・・」のときの下仁田で撮影したデキ1・3のディテールを紹介します。参加スタッフがそれぞれ自身模型資料のために撮った写真を寄せ集めたもので見苦しい写真もあるかと思いますが、デキを製作中もしくは製作しようとしている方の少しでも助けになれば幸いかと思います。


deki1-3-002.jpg
▲デキ1の側面。下仁田方向に向かい右側となる。ボンネット側面の点検蓋は逆側となる。
deki1-3-003.jpg
▲デキ3の側面。下仁田方向に向かい右側となる。デキ3では、ボンネット側面の点検蓋はこちら側でデキ1とは逆向きになる。
deki1-3-004.jpg
▲デキ1の下仁田方向に向かい右側、高崎寄りの台車。
deki1-3-005.jpg
▲デキ1の下仁田方向に向かい右側、下仁田寄りの台車。
deki1-3-006.jpg
▲連結部の様子向かって左がデキ1、右がデキ3、下仁田方向に向かい右側から見た様子。
deki1-3-007.jpg
▲デキ3キャブ側面手スリ形状を見る。下仁田方向に向かい右側から見た様子。
deki1-3-008.jpg
▲デキ1のキャブ窓下の社章を見る。デキ3も同じとなる。
deki1-3-009.jpg
▲乗務員扉に付くメーカーズプレート上が主電動機を製作したシーメンス社のもの。下が車体製作のマン社のもの。
deki1-3-012.jpg
▲デキ1下仁田寄りボンネット上部を見る。

スペック
1時間定格出力:    200kw/h
1時間定格引張力:    3,087kg
1時間定格速度:    23.3km/h
主電動機形式×個数:S.S-DJ11B×4
歯車比          16:77
制御装置        電磁接触器式 
動力伝達装置     1段歯車減速、ツリカケ式
自重           34.5t
台車形式        固定揺枕、板台枠
製造年          1924年8月

(撮影日2006.11.23 Photo:み、まるはね、大モリ、龍、佐々木)

投稿者 龍 : 20:19

2006年11月27日
上信電鉄の電車たち

RMM-banar.jpg

RM MODELSサイトのNEW MODEL INDEXも参考としてご利用ください!

ブログへは大変ご無沙汰しております、(み)です。
 昨日のブログにあります通り、私も天賞堂模型部創立58周年の記念ツアーに参加させていただきました。全体の流れは(龍)が紹介しておりますので、私は例によって当日撮影した電車をここに掲載します。ただ上信電鉄は路線延長が33.7kmとローカル私鉄としては比較的長い分、車輌のバリエーションも多いので、ここでは当日撮影できた自社発注車のみを選んで掲載します。上信電鉄の自社発注車といえば1000系や6000形が有名ですが、この時は2本とも稼働していなかったのが残念ではあります。

js-mc203.jpg

▲デハ200形203(2006年11月23日、下仁田駅)

 1964(昭和39)年より5輌が製造された自社発注車で、20m級で両開き3扉と西武の通勤車に似た車体を持っています。初期に製造された201~203の側窓は1段上昇式となっています。

js-mc204.jpg

▲デハ200形204(2006年11月23日、下仁田駅)

 前述の201~203に続き1969(昭和44)年に増備された自社発注車(204・205)で、側窓が2段窓となったことにより一層西武電車の形態に近付きました。この2輌は平成に入り東武電車の先頭部を利用して両運車に改造されており、西武車と東武車を組み合わせたような模型的な外観がユニークです。

js-tc304.jpg

▲クハ300形304(2006年11月23日、下仁田駅)

 デハ200形とペアを組むトレーラーとして新造された車輌です。前述の204と304は、沿線にある富岡製糸場を世界遺産にとアピールするペインティングが施されています。ここまでの3輌が今回、デキ重連に牽かれて上信線を往復しました。

js-tc303.jpg

▲クハ300形303(2006年11月23日、高崎駅)

 クハ304と同様、デハ200形に対するトレーラーとして新造されました。現在はペインティングが施され広告電車となっています。

js-mc252.jpg

▲デハ250形252(2006年11月23日、下仁田駅)

 1981(昭和56)年に2輌が新造された両運転台車です。登場時には派手なオレンジ系のストライプで注目を集めましたが、現在では1000系を思わせるシンプルな塗り分けとなっています。

js-tc1301.jpg

▲クハ1300形1301(2006年11月23日、下仁田駅)

 1976(昭和51)年に1000系として製造された3輌固定編成電車がその前身です。登場時は正面1枚窓でアイボリーの車体に黄色のストライプが入る斬新な塗装が施され、地方私鉄らしからぬ車輌として鉄道友の会の「ローレル賞」も受賞しました。

 しかし3連では扱いにくいことから2連に短縮されることになり、このクハの運転台が中間電動車に移植されましたが、一方でこの余剰車体も再度クハとして再生することになり、250形を非貫通にしたような運転台を新造して250形と編成が組まれました。このように育ちの違う2輌編成ですが、見た目に違和感を感じさせません。

投稿者 (み) : 16:58

2006年10月13日
鹿児島交通の昔の車輌

 こんばんは、(み)です。今月は早め進行の仕事を抱えていただけにしばらくご無沙汰していましたが、気が付くと入稿前のピーク時を迎えてしまいました。そのため前回に続き3回連続にはなってしまうのですが、またも昔の車輌シリーズの蒸し返しです。ただ今回はこれまでの電鉄から少し離れて、非電化ですでに過去の鉄道となってしまった、鹿児島交通線の気動車です。

820907.JPG

▲伊作駅で交換するキハ301(左)とキハ102(1982年9月撮影)

 現在でこそバス会社となってしまった鹿児島交通ですが、20年あまり前までは薩摩半島の西側を経由する伊集院~枕崎間49.6kmの鉄道を営業していました。前身は1914(大正3)年より順次開通した南薩鉄道で、国鉄指宿枕崎線に先駆けて枕崎まで到達したほか支線も持っていましたが、末期には伊集院~枕崎間の枕崎線のみとなりました。しかし1983(昭和58)年の集中豪雨の被害を受け、一部区間を除き不通になったまま復旧もなされず、翌1984年には全線が廃止となってしまいました。

102-820907.JPG

▲キハ100形 102(伊集院駅・1982年9月撮影)

 1952(昭和27)年に6輌が製造された、国鉄キハ07形によく似た気動車です。一見キハ07形の譲渡車と思われがちですが自社発注の新造車で、扉付近のステップの構造もキハ07とは異なり、車体下に格納されたステップが停車時にスライドしてくるという構造でした。

303-820907.JPG

▲キハ300形 303(西鹿児島駅・1982年9月撮影)

 1954(昭和29)年に3輌が製造された、国鉄キハ10形によく似た気動車です。こちらも国鉄からの譲渡車ではなく、しかもキハ10よりも早く製造されたという特異な車輌です。伊集院から鹿児島本線を経由し西鹿児島まで乗り入れる運用があり、もっぱらこのキハ300がその任に就いていました。

101-820907.JPG

▲キユニ100形 101(加世田駅・1982年9月撮影)

 6輌新製されたキハ100形のうち、101と105は後になって郵便荷物合造車に改造されました。

投稿者 (み) : 23:03

2006年09月28日
飯田線生まれの買収国電

こんばんは、(み)です。二週連続になってしまい恐縮ではありますが、本日も昔の車輌シリーズの続編です。今回はつい四半世紀ほど前まで「旧型国電の博物館」として知られていた、国鉄(現:JR東海)飯田線の前身となった私鉄の車輌を中心に紹介します。

koto820-8202.jpg

▲高松琴平電鉄820(瓦町駅・1982年2月撮影)

 もと豊川鉄道(現:飯田線豊橋~大海間)のクハ100形101で1940(昭和15)年製。製造時には張り上げ屋根で二扉、室内には転換クロスシートを備えるなど、買収国電の中でもとりわけ豪華車輌であった。1943(昭和18)年の国鉄買収でクハ5610形となり、さらに最後は琴電に譲渡されて電装され、2003年まで活躍した。

koto810-8202.jpg

▲高松琴平電鉄810(瓦町駅・1982年2月撮影)

 820と同様、もと豊川鉄道のクハ100形102が前身。国有化でクハ5611となり、やはり5610と同様に琴電へ譲渡された。820とは車体更新などの改造時期が多少異なり、写真の時代では一段窓・シルヘッダー付・張り上げ屋根とより原型の面影が残っていた。アンバランスなグローブ型ベンチレーターは国鉄時代の改造によるもの。

toyo1712-7908.jpg

▲豊橋鉄道モ1712(高師検車区・1979年8月撮影)

 もともとは直接飯田線の前身ではなく、途中本長篠駅から分岐する田口鉄道(本長篠~三河田口間)用の車輌として1929(昭和4)年に新製されたモハ100形102である。当時の豊川鉄道所有のモハ30形と同形とされ、典型的な川崎造船スタイルの外観を持つものの、実際は日本車輌製であった。田口線は国鉄に買収されなかったものの、旧豊川鉄道の車輌と同様に飯田線と相互乗り入れを行なう形での運用がしばらく続けられた。田口線は後に豊橋鉄道の路線となったが、1968(昭和43)年の田口線廃止により渥美線に転属となった。

kona1271-8502.jpg

▲弘南鉄道クハニ1271(中央弘前駅・1985年2月撮影)

 もと伊那電気鉄道(現:飯田線天竜峡~辰野間)のサハニフ400形404が前身で、当時の伊那電特有の付随荷物合造緩急車であった。もともと軌道線として開業した伊那電では電動車が付随車を牽引するという連結運転がなされており、終端駅で入れ替えを行なう必要があった。国有化後はサハニ7900形となり仙石線で活躍、後に弘南鉄道へ譲渡され、制御車化されクハニ1270形となった。

kona1272-8108.jpg

▲弘南鉄道クハニ1272(津軽大沢駅・1981年8月撮影)

 クハニ1271同様、旧伊那電のサハニフ400形403が前身で、写真は連結面側。もともと伊那電時代より同形式であった別の2輌が後に日本最初の交直両用試験電車クヤ(→クハ)490形となっている。

投稿者 (み) : 21:15

2006年09月20日
日車標準型電車 三題

 こんばんは、(み)です。いつものように昔の車輌シリーズです。今回は模型ファンにとっても定番的アイテムの一つでもある、いわゆる「日車標準車体」を持つ電車三題です。
 これらはいずれも1960年前後に木造車など旧車輌の機器を流用し、車体を日本車輌で新製したもので、上段をHゴムで固定したいわゆる「バス窓」の客窓や張り上げ屋根など、当時としては近代的な外観で地方私鉄のイメージアップに貢献しました。
 いずれも老朽化や路線廃止により姿を消しましたが、模型ファンにとっては1輌でも遊べる手頃さや外観のまとまりの良さから、永遠のスタンダード的存在と言うことができます。

gata14-9009.jpg

▲新潟交通モハ14(白山前駅・1990年9月撮影)

 各社の日車標準型の中でも、2枚窓の非貫通前面とステップ付の客扉が特徴。軌道線乗り入れ用に排障器を備えている。

matsu10-8608.jpg

▲松本電鉄モハ10形(新村車庫・1986年8月撮影)

 独特の塗り分けで人気の高かった車輌。窓周囲は灰色に見えるが、実際にはやや緑がかった色であった。

ohmi101-8308.jpg

▲近江鉄道モハ101(高宮駅・1983年8月撮影)

 もともとは岳南鉄道のモハ1100形で、朱色に白帯のいかにも地方私鉄らしいカラーで活躍していた。廃車後に近江鉄道へ譲渡され、当時同社で最新の車体であった500形506号のカラーに準じ、黄色にシルバーグレーの帯とされた。

mtyuka8608.jpg

▲松本電鉄モハ10形の床下(新村車庫・1986年8月撮影)

 意外とさっぱりとした床下機器。車輌の向きはサボの標記を参照(クリックでポップアップします)。

投稿者 (み) : 20:40

2006年09月05日
暖簾に腕おし・・・?

Noren020.jpg
▲ステンレスカーと言えば東急の専売特許だった20年ほど前の東横線を彷彿とさせる唯一の「帯無し」編成8039F。巷では幸運を呼ぶ電車だとか・・・。 

こんにちは(龍)です。久々のRMM徒然ブログ更新、おまっとさまでございました。

「車輌工作派モデラーへのアンケート」〆切は9月6日 12:00までとなっております。ドシドシご応募ください。
(↑沢山の応募ありがとうございました、上記期日を持って閉め切りさせていただきました。)


さて、今日は先日、行われたレイル部門の慰労会での話。
Rail Magazine編集部の(N村)さんが「東横線の女性専用車が5号車に変わったんだけど、6号車側に仕切りドアのない8000系は、ピンク色の暖簾が掛けられていてさ、それがもう・・・」。
この話にRMM編集部副編まるはね氏は酔った勢いで、「(龍)君、張込み取材いってらっしゃい」と一言。
下っ端編集部員のツライところ、でもネタは欲しい、しかし駅張込みは・・・。
Noren021.jpg
▲東横線を走る9000系と5050系の女性専用車の5号車と6号車の仕切り。しっかりした仕切りのためシールのみの警告表示となる。

Noren002.jpg
▲そしてこちらが8000系の仕切りとなる暖簾。ピンク色がなんとも・・・。

そんなわけで通勤途中、横浜駅で何本待たされるか覚悟の上の“駅張込み”。
運が良いことに1本目の電車で8000系に当った。
車内での撮影のため、乗客の入替わる元町・中華街に向かい折り返しの停車中に撮影。
Noren003.jpg
▲暖簾をめくってみる。午前10時以降、午後17時前のため女性専用車は解禁中。

電車の中のだが、暖簾がピンク色というだけで、なんともいらぬ想像を掻き立ててしまう“画”。
どこかの暖簾に似ていると考えていたら、銭湯の入口にある「牛乳石鹸」提供の水色の暖簾を思い出した。

Noren004.jpg
▲裏側を見ると流石、鉄道車輌用品、耐火対策も万全なようです。

この暖簾は、東横線8000系の全列車、5号車、6号車の車輌間で見られます、気になる方は、8000系が来るのを待って、乗ってみてください。

さてホビダス事業部からのお知らせです。


東急線もの
↑東急線の模型おもちゃ取り扱ってます。


ZJゲージ動力車ユニット
↑話題のZJゲージマニュアル付録の編成に動力車をプラスするなら・・。


天賞堂 リアルサウンドコレクションシリーズ D51東北タイプ
↑好評発売中です。


投稿者 龍 : 14:34

2006年08月16日
高松琴平電鉄の鋼体化電車

 こんばんは、(み)です。RMM134号(8月21日発売号)の編集作業も一段落し、編集部内にもやや安堵の空気が流れていますが(といっても別冊の「Nゲージニューモデルズ2006」の入稿が目前に控えているため、いつものようにはいかないのですが)、入稿前にいつも私が書いていた「昔の車輌」シリーズを楽しみにしてくれている方もいらっしゃることと知り、今月分を新たに書き起こしてみようと思います。今回は現在でもなお「電車博物館」として知られる琴電(高松琴平電鉄)のバラエティあふれる電車の中から、とりわけ珍妙なスタイルが特徴であった鋼体化電車について取り上げてみます。

koto11-8202.jpg

▲高松琴平電鉄10形〔11〕(琴電屋島駅・1982年2月撮影)

 京浜急行の前身・京浜電気鉄道で1921(大正10)年、デ41として製造された木造電車がルーツとなります。当時は正面5枚窓の前面を持ち京浜間を疾走していましたが後に電装解除され、戦後は京急クハ120形となりました。琴電では再電装とともに鋼体化されましたが、木造車時代のフォルムにノーシルノーヘッダー・アルミサッシというアンバランスぶりがユニークでした。1983年廃車。


koto67-8202.jpg

▲高松琴平電鉄60形〔67〕(瓦町付近・1982年2月撮影)

 JR(←国鉄)仙石線の前身・宮城電気鉄道で1926(大正15)年に製造された木造電車クハ300形が前身となります。鋼体化の際には比較的木造車の面影を残したスタイルで更新されました。何と21世紀にまで生き延び、末期はクリーム&茶色の「レトロ電車色」に塗り替えられ、2003年まで活躍しました。

koto230-8202.jpg

▲高松琴平電鉄2000形〔230〕(瓦町駅・1982年2月撮影)

 こちらも67号同様、宮城電鉄のクハ300形が前身となります。鋼体化は67より先でしたが、こちらはいわゆる「バス窓」の車体が新造され面目を一新しました。床下に覗くトラス棒がその前身を物語っていましたが、後に撤去されています。さすがに21世紀目前で廃車となりました。2000形なのに230号という、形式より車号の数字が小さくなる付番方法は、琴電特有のものです。

koto610-8202.jpg

▲高松琴平電鉄6000形〔610〕(瓦町付近・1982年2月撮影)

 ルーツは1921(大正10)年の木造省電にまでさかのぼります。国鉄線で使用されたのち1953(昭和28)年に琴電入りしますがしばらくは木造車として使用され、1960年に鋼体化改造されました。こちらもダブルルーフの外形が残るなど、「いかにも木造車」的なスタイルを保っていましたが、1983年に廃車されました。

 トミーテックの「鉄道コレクション」の発売もあり、他鉄道での実在車輌を自社に譲り受けた想定での「架空鉄道」を始めた方も多いかとは思いますが、そんな「一目で分かる」譲渡車輌の中に、1~2輌だけでもこのような珍妙な車輌を混ぜてみると、より一層あなたの鉄道の魅力も増してくるかもしれませんね。

投稿者 (み) : 20:46

2006年08月02日
東急目黒線の立体化

こんにちは、副編まるはねです。

さて、編集部からも程近いところを走る東急目黒線ですが、去る7月2日より武蔵小山・西小山の両駅が地下化されたということで、ちょっと乗りに行ってみました。

真新しくて綺麗な地下トンネル。あ、ちなみに高感度撮影ですので実際にはこんな「トイレの100W電球」みたくムダに明るくはありません。

東急の目黒線とは、以前は目蒲線と呼ばれていた路線。かつては「あってもなくてもどうでもい~い♪」なんて歌われたこともあった路線ですが、2000年の営団(現東京メトロ)南北線及び都営三田線との相互直通乗り入れ開始に伴い、目黒-多摩川-武蔵小杉間が目黒線、多摩川-蒲田間が多摩川線と系統分離され大きく生まれ変わっています。今回地下化された武蔵小山・西小山は、起点の目黒から2・3駅目にあたり、従来はいかにも私鉄沿線っぽい込み入った住宅地すれすれを行く感じだったのですが、今回の地下化により一挙18箇所の踏切が解消されて雰囲気は一変。特に武蔵小山駅は9月からの目黒線急行運転開始のため待避線を持つ中核駅へと変貌しました。

廃止となった武蔵小山の地上駅。さっそく橋上駅舎の撤去に取り掛かっている模様。


広々とした地下駅に生まれ変わった武蔵小山駅。目黒線初の急行運転に備え、待避線を持つ2面4線の駅となった(現時点では急行用1・4番線は未使用)。


同じく廃止となった西小山の地上駅。既にホーム屋根などは撤去が進んでいる。


西小山の地下新駅の様子。ホームドアを持つ近年の地下駅として標準的なつくり。


しかし一言で地下化と言っても、込み入った住宅地での工事、一体どういう順序でやっていたのでしょう。月に一度くらいの割合で利用していたのですが、「なんかいつも工事しているけど、線路そのものはいつまで経っても元のまんまだな~」なんて見ていたので、切り替わりのニュースを聞いた時は「え゛、いつの間に出来てたの?」と一瞬焦りましたよ。

なんのことはない、東急電鉄のHPにはちゃんと工事の順序が解説してありました(初めから見れ、自分!)。一言で言えば、私が「元のまま」と思っていた地上の線路は既に仮の路盤に載った状態になっており、その真下に当たる地下では粛々と新しい地下路線が建設されていた