鉄道ホビダス

2009年4月 6日アーカイブ

いつもながらお久しぶりです、(み)です。
前回(2009年3月2日)にお送りした「恵比寿にやってきたEF58(上)」を書いてからはや1ヶ月、まるで月刊ペースではありますが、ここにその続編として、「ビヤステーション恵比寿」開店前の車輌搬入について引き続き掲載します。
PHOTO:(み)、記入以外1985年1月19日撮影

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▲移動機を使って所定の位置に収められたEF58 91。「ビヤステーション」を入店してすぐの、まさに店の「顔」となる位置に設置された。

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▲機関車に続き客車も1輌ずつ、移動機を使って搬入されていく。機関車の次位に連結されるのはオハ47 2259(旧尾久配置)。

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▲続いてスハ43 2365(旧水戸配置)。アルミサッシに更新された車輛で、Hゴム支持とされたトイレ窓が特徴。

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▲最後尾に連結されるのはオハ47 2215(旧尾久配置)。最初から車端となることを見込んでか、ホロが外された状態で搬入された。

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▲搬入が終了し、移動機が引込線を降りていく。ロープにつながれているのは、ウィンチに巻き込まれたものをほどいているのだろうか。

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▲ようやく編成としての姿が整った。

 この日搬入された1輌の機関車と3輌の客車はその後さらに室内外とも整備を受け、特に客車の方は1輌を除き座席を総撤去、レストランとしての内装に整備されたほか、外観的にも金色の帯と電飾を追加され、現役時代の旧型客車とはやや面影の異なった姿としてスタートすることになりました。

 こうして1985年3月、「ビヤステーション恵比寿」はオープンしました。ビール会社直営の列車レストランという物珍しさから、連日何時間待ちにもなるほどの賑わいぶりが繰り広げられました。

 ちなみに先ほど話しに出てきた「座席を撤去しなかった1輌」ですが、これは43系現役当時の内装をそのままに座席間のみテーブルを設け、ボックスごとに4人席としたものでした。しかしご存知の通りさほど広くもない急行型客車のシートピッチ内にテーブルを収めたという点で、旅情的には満点なものの窮屈感は否めませんでした。

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▲営業時の姿。機関車EF58 91には誇らしげにヘッドマークが取り付けられた。1987年4月12日撮影

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▲EF58 91の脇を、JR発足記念の103系臨時電車「おもしろ電車」が行く。1987年4月12日撮影

 営業開始後は予想以上の来客に急遽客席の拡張が求められ、新たに3輌の43系客車がこの地に運び込まれました。現役当時の姿で搬入された後、現場にて最後尾となる車輌(目黒方)が展望デッキ風に改造され、塗色も前の3輌とは異なり、50系客車を思わせるようなエンジ色に塗られました。

 こうして賑わいを見せたビアステーションも、工場跡地再開発によるガーデンプレイス建設用地として明け渡すため、惜しまれつつも1989(平成元)年を最後に閉館となってしまいました。気になる車輌については、せめてEF58だけでも現地での保存を、というファンの願いも空しく、オープン当初からの4輌は解体処分とされてしまいました。

 残った3輌の客車(増備車)はその後、幸運にも目白駅前の旧貨物側線跡地に運ばれ、元の青色に戻された上に今度は「目白倶楽部」なるビアレストランとして、同時に建設されたログハウス調の建物と同時に営業が開始されました。しかしここも安住の地とはならず、また数年後には目白駅前再開発の波に飲まれ、消えていく運命となったのでした。

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