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2006年08月16日
高松琴平電鉄の鋼体化電車 〔実物のわだい〕
こんばんは、(み)です。RMM134号(8月21日発売号)の編集作業も一段落し、編集部内にもやや安堵の空気が流れていますが(といっても別冊の「Nゲージニューモデルズ2006」の入稿が目前に控えているため、いつものようにはいかないのですが)、入稿前にいつも私が書いていた「昔の車輌」シリーズを楽しみにしてくれている方もいらっしゃることと知り、今月分を新たに書き起こしてみようと思います。今回は現在でもなお「電車博物館」として知られる琴電(高松琴平電鉄)のバラエティあふれる電車の中から、とりわけ珍妙なスタイルが特徴であった鋼体化電車について取り上げてみます。

▲高松琴平電鉄10形〔11〕(琴電屋島駅・1982年2月撮影)
京浜急行の前身・京浜電気鉄道で1921(大正10)年、デ41として製造された木造電車がルーツとなります。当時は正面5枚窓の前面を持ち京浜間を疾走していましたが後に電装解除され、戦後は京急クハ120形となりました。琴電では再電装とともに鋼体化されましたが、木造車時代のフォルムにノーシルノーヘッダー・アルミサッシというアンバランスぶりがユニークでした。1983年廃車。

▲高松琴平電鉄60形〔67〕(瓦町付近・1982年2月撮影)
JR(←国鉄)仙石線の前身・宮城電気鉄道で1926(大正15)年に製造された木造電車クハ300形が前身となります。鋼体化の際には比較的木造車の面影を残したスタイルで更新されました。何と21世紀にまで生き延び、末期はクリーム&茶色の「レトロ電車色」に塗り替えられ、2003年まで活躍しました。

▲高松琴平電鉄2000形〔230〕(瓦町駅・1982年2月撮影)
こちらも67号同様、宮城電鉄のクハ300形が前身となります。鋼体化は67より先でしたが、こちらはいわゆる「バス窓」の車体が新造され面目を一新しました。床下に覗くトラス棒がその前身を物語っていましたが、後に撤去されています。さすがに21世紀目前で廃車となりました。2000形なのに230号という、形式より車号の数字が小さくなる付番方法は、琴電特有のものです。

▲高松琴平電鉄6000形〔610〕(瓦町付近・1982年2月撮影)
ルーツは1921(大正10)年の木造省電にまでさかのぼります。国鉄線で使用されたのち1953(昭和28)年に琴電入りしますがしばらくは木造車として使用され、1960年に鋼体化改造されました。こちらもダブルルーフの外形が残るなど、「いかにも木造車」的なスタイルを保っていましたが、1983年に廃車されました。
トミーテックの「鉄道コレクション」の発売もあり、他鉄道での実在車輌を自社に譲り受けた想定での「架空鉄道」を始めた方も多いかとは思いますが、そんな「一目で分かる」譲渡車輌の中に、1~2輌だけでもこのような珍妙な車輌を混ぜてみると、より一層あなたの鉄道の魅力も増してくるかもしれませんね。
投稿者 (み) : 2006年08月16日 20:46

