鉄道ホビダス

RMライブラリー今月は『呉市電の足跡』。

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▲二河橋を行く3003号。背後には鉢巻山がそびえる。西六-呉駅前 P:細川延夫 (RMライブラリー『呉市電の足跡』より)
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二ヶ月にわたって『国鉄コンテナのすべて』をお届けしたRMライブラリーですが、今月発売の第123巻は、地方鉄道史研究のジャンルから長船友則さんによる『呉市電の足跡』をお届けします。

091819nRML123.jpg呉はご存知の通り、明治期に鎮守府(海軍拠点)が設置されて以来、軍都として栄えましたが、呉市電もそれを追うかのように、まず1909(明治42)年に呉市街地の区間が呉電気鉄道により開業しました。その後、東側の郊外へと路線を伸ばす芸南電気軌道が開業、後に市内線を芸南電気軌道が吸収する形で一つにまとまり、最終的には川原石~長浜港間の11.3kmの路線となりました。その成り立ちからもわかるとおり、呉市電の特徴のひとつは、呉の市内電車であるとともに、呉市東側の阿賀、広、長浜などの街を結ぶ郊外電車の性格も持ち合わせていたことです。特に呉と阿賀の間の呉越峠には52‰という急勾配が存在するなど、その沿線はなかなか変化に富んだものでした。

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▲沿革の項では、公式試運転の様子を記録した貴重な絵葉書を交えて呉電気鉄道の創業時が甦る。 (RMライブラリー『呉市電の足跡』より)
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公営化されたのは戦争が本格化した1942(昭和17)年のこと。これは軍の要請によるものでした。戦後は積極的に新車が投入されましたが、これらは1967(昭和42)年の廃止後、仙台市交通局、岡山電気軌道、伊予鉄道に売却されています。一番新しい2000形を譲り受けた仙台市電が一番先に廃止されたのは不運でしたが、伊予鉄が譲り受けた1000形は2002年まで走り続けましたので、読者の皆さんの中でも乗られたことのある方は多いのではないでしょうか。

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▲呉線を跨ぐ呉陸橋を行く(右)。呉線を境に二分されていた西六~川原石間は、この陸橋の完成により再び接続されることになる。 (RMライブラリー『呉市電の足跡』より)
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▲廃止当時の線路縦断面図。その名も呉越をサミットとして、50‰前後の急勾配が続く。 (RMライブラリー『呉市電の足跡』より)
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▲呉市電の最後を彩った超軽量電車1000形やワンマンカー2000形。ライトブルーとオレンジのツートンが最終期の呉市電のシンボルカラーであった。 (RMライブラリー『呉市電の足跡』より)
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本書では呉電気鉄道の開業から呉市電廃止までの沿革とともに、歴代の車輌について著者の長船さんが詳細に解説されているほか、ありし日の呉市電を捉えた数多くの写真を収録しています。1950~60年代の呉の街並みも再現する一冊、ぜひお手にとってご覧ください。

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