鉄道ホビダス

レイトン・バザードの秋。(下)

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▲すっかり晩秋の装いとなったレイトン・バザードの市街を抜け、落葉の絨毯を踏みしめるようにコッペルの牽くレギュラー・トレインが行く。このAppenine Way踏切の横にはレイトン・バザードの盛衰を見守ってきた老舗のパブ=クレイ・パイプ・パブがある。'02.10.23
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戦後も採砂軌道として隆盛を極めてきたレイトン・バザード鉄道ですが、1960年代に入ると、ご他聞に漏れず輸送手段が次第にトラックにシフトしはじめます。そんななか、1967(昭和42)年に一部のエンスージャストがこの鉄道そのものを買収して保存鉄道化することを計画、会社との交渉に乗り出したのです。

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▲レイトン・バザードには“ビジター”と通称される他の保存鉄道や保存団体からの訪問車輌も少なくない。これまた年代もののトレーラーに載せられて搬出されてゆくのは個人所有の“JACK”。'02.10.23
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lb081015n4.jpgこの時点ではまだまだ軌道そのものが輸送手段として機能していたこともあって、結局交渉は実りませんでしたが、週末だけなら…という条件で借り受けられることとなり、“Iron Horse Railroad”というアメリカナイズされた愛称名で保存鉄道としての第一歩を踏み出しました。最初のパブリック・トレインが走ったのは1968(昭和43)年3月3日のことで、この時点では客車と呼べるようなものはなく、乗客はフレイトワゴンに立って乗るという状況だったと言います。
▲この“JACK”は1925(大正14)年バークレー製の超小型機。残念ながら走る姿を目にすることはできなかった。'02.10.23
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▲本来の採砂軌道としての姿を後世に遺すこともこの保存鉄道の大きな役割。“インダストリアル・デー”にはこのラストン・ビザイラスのビンテージ・フェース・ショベルでのナベトロへの積込みも再現される。'02.10.23
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翌1969(昭和44)年に保存のプラクティスそのものをイギリス式に変更し、鉄道名も“LEIGHTON BUZZARD NARROW GAUGE RAILWAY”に変更、より本格的な保存鉄道への路を歩み始めました。面白いのはこの時点でまだ平日の採砂軌道としての機能が失われていなかったことで、インダストリアル・ユースとプリザベーション・ユースの2面が上手く共存していたわけです。最後の砂運搬列車が走ったのは1977(昭和52)年3月27日。この日以降、レイトン・バザードは純粋な保存鉄道としての歳月を過ごすこととなります。

081020-002nn.jpg私が前回レイトン・バザードの地を訪れたのは6年ほど前のちょうどこの季節。肌寒さを感じる晩秋の2フィートは、クリスマス・トレインを残して年内の運転を終了しようとしていました。“ビジター”として活躍してきた機関車たちもトレーラーに載せられていずこかへと去ってゆきます。ボランティア・スタッフの皆さんに見送られて、神々しいまでの西日に照らされたストーンヘンジ・ワークスを後にしたのが昨日のことのように思い出されます。
▲復元用募金箱が置かれた№778は第一次世界大戦時に西部戦線で活躍したいわゆる“アメリカ鉄聯”の生き残り(1917年BLW製)。何とこののち大規模な復元工事に着手、昨年動態復活を果たしている。'02.10.23
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▲ストーンヘンジ・ワークスの一日が終わろうとしている。イングランドの夕暮れは“神”の存在を信じたくなるほどにドラマチック…。'02.10.23
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というわけで、このレイトン・バザード鉄道再訪を含め、今週末にロンドン近郊で開催される“EXPO NARROW GAUGE 2008”に参加のため、明日から遅い夏休みをいただき、小ブログも30日まで休載させていただきます。今年のエキスポ・ナローゲージは25周年記念の“アニバーサリー・チャレンジ”なるレイアウト・コンペも開催されます。どうか帰国後のレポートにご期待ください。

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