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横浜港で“出土”した転車台群・続報。(下)

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この横浜港の転車台に関しては、宮崎繁幹さんからも貴重な絵はがきの画像をお送りいただきました。画面右下に転車台が写っており、起重機と倉庫、そして軌道の分岐状態などから、新港第四号上屋付近ではないかと思われます。転車台自体は今回出土したものより直径が大きそうで、締結装置も別のタイプのように見えます。
▲宮崎繁幹さんからお送りいただいた絵はがき。“Pier of Custom at Yokohama”(横浜税関桟橋)との注記がある。宮崎さんによると、背景の“Empress of Russia”号はカナディアン・パシフィックの船で1913(大正2)年に初航海を行い、大正年間の太平洋航路の花形船だったとのこと。「鉄道と無縁でないのも嬉しい一枚です」と宮崎さん。所蔵提供:宮崎繁幹
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さて、第二次築港工事(1899~1914年)の完成で、新港埠頭構内の臨港鉄道と大桟橋からの鉄道が税関構内でつながり、ここにようやく「水陸連絡網」が形作られることになります。この鉄道について村田 進さんからお送りいただいた『横浜港修築史』のコピーから抜粋してみましょう。

zounohana080906n3.jpg鉄道は幹線として、横浜停車場(現桜木町駅)から鉄道院建設の海陸連絡路線を経て、埋立地中央部に入り右突堤に複線で入り、別に1線分岐して、鉄道橋(新港橋)を経て税関構内の鉄道と連絡。支線として、上屋と岸壁の中間(エプロン)には単線、上屋の背面及倉庫の前面には2?3線を敷設し、また構内貨物車配線用に埋立地中央部に側線を4線設けている(貨車の仕分け、列車組立等は停車場で行う)。
またこれ等の支線は、2号上屋背部、3、4、5、15号上屋エプロン部を除いてすべて転轍機によって列車のまま入替が出来るように配置されている。
列車用鉄道は軌間3呎6吋(1067㎜)60lbの軌条を用い鉄道建設規定に準拠して施工、一部連絡上1/80?1/240勾配を用いた他は水平とし、曲線半径は最小4.5鎖(90m)1ヶ所を除き5?8鎖(100?160m)としている。又、付属設備として転車台、及び遷車台、計重台、車止等を配置している。
(中略)
工期は明治41年6月?大正3年3月で、延長は列車用鉄道740.91鎖(14,907m)、鉄道橋附属1.94m(40m)、起重機用鉄道77.67鎖(15,627m)外に貨物用転車台13台、遷車台12台、車止42ヶ所であった。
▲ついに横浜市の手によって保存されることになった転車台。大桟橋・象の鼻エリアの歴史を語り継ぐ遺産として公開される日を待ちたい。'08.9.5
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▲「横浜港震害復旧工事報告:昭和4年/内務省横浜土木出張所」に見る関東大震災後の大桟橋・新港埠頭周辺。大桟橋上の軌道表記はすでになく、東西上屋付近の軌道も西門を入ったあたりで途切れているのがわかる。(『横浜港修築史』運輸省港湾建設局/1983)
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ようやく完成した鉄道による「水陸連絡網」ですが、1923(大正12)年9月1日、関東大震災によって壊滅的な被害を受けてしまいます。復興に際しては大桟橋~東西上屋間の軌道は放棄され、新たに海側に建て直された東西上屋の南側に新港橋からの線路が延伸されることになります。先日の「横浜港で“出土”した転車台群(上)」のトップの写真解説で「こちらは戦後になって臨港貨物線の側線として敷設されたもの」と誤って記してしまった線路がこれに該当します。

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▲「横浜税関陸上設備震災復旧工事概要:昭和6年/営繕管財局横浜出張所」所収の設備復旧図。新港橋から税関庁舎横を抜けて東西上屋南側に至る線路が上図と比べて多少変化しているのが読み取れる。(『横浜港修築史』運輸省港湾建設局/1983)
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村田さんをはじめとする皆さんのご教示で出土した転車台群の全容が見えてきました。改めてお礼申し上げます。なお、横浜市ではこの転車台群を近代化遺産として保存し、後世に残すことを決めたそうです。実物を見ながら、この転車台群が歩んできた数奇な運命に思いを馳せられる日もそう遠くないはずです。

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