鉄道ホビダス

サッポロビール川口工場のこと。

080710db15n1.jpg
▲サッポロビール川口工場専用線唯一の動力車=日本通運川口支店DB15。1966(昭和41)年日車製の、当時は“どこにでもいた”標準型機。その後、北王子に転じて(車番はDL15に変更)再会するとは、この時点では思ってもみなかった。'80.10.14
クリックするとポップアップします。

30年ほど前は足しげく私企業の専用線を訪問していましたが、その対応も千差万別で、まさに当時の社会の縮図を見るかのようでした。往々にして製鉄関連や重化学工業系は、撮影許可をいただくだけでもたいへんな前交渉が必要でした。しかもようやく許可をもらっても、撮影角度まで制限され、場合によっては係の方が三脚に据え付けたカメラのファインダーで画角の確認をされることさえありました。

080710db15n2.jpgその一方、結構おおらかで“余禄”が楽しみだったのが食品関連の工場専用線訪問でした。小学生の社会科見学などの一般見学コースを設定している工場はもちろんのことながら、たいていの工場が試食やお土産を用意してくれていました。そんななかでも一番のお薦め(?)は何と言ってもビール工場で、どの工場でも必ず「せっかく来たんだから出来たてを飲んでいってください」ということになります。
▲ラジエータグリルに日車の社紋エンブレムが付いたフロントビュー。ホーム上にはビールケースが山積みされているのが見える。'80.10.14
クリックするとポップアップします。

今はなきサッポロビール川口工場の専用線を訪ねた時もご他聞にもれず、撮影が終わると総務の方が別室を用意してくださり、生ビールのジョッキとつまみの数々が…。「お好きなだけどうぞ」とありがたい言葉をいただき、もともとが嫌いな方ではないだけに、ついつい杯を重ねることに…。

080710db15n3.jpg
ところでこのサッポロビール川口工場の専用線は、距離こそ短い(0.8km)ものの、東京近郊の専用線としてはなかなか古い歴史を有していました。大正末期に日本麦酒鉱泉の東京工場としてスタートした同工場ですが、昭和5年版の「専用線一覧表」(『トワイライトゾ?ン・マニュアル11』所収)にはすでに「日本麦酒鉱泉会社」側線として記載があります。1933(昭和8)年に大日本麦酒と合併して同社の川口工場、1964(昭和39)年にサッポロビールとなってからも、専用線は脈々と引き継がれてきました。
▲板バネを用いた機関車らしからぬ足回りが特徴で、同系機に自重10t、20tバージョンもあった。キャブ側扉はなく、正面デッキ部から出入りする。'80.10.14
クリックするとポップアップします。

果たしてどういった経緯でこのサッポロビール川口工場専用線を訪ねようと思い立ったのか、今となっては記憶にありませんが、もちろん試供品のビール目当てではなく、前任機でも残されていればとの淡い期待があったのかもしれません。ただ、車窓から見えるのはいつも日車製の変哲のない15t機(1966年製/製番2550、機関DA59‐8035)1輌のみで、結局それ以外の収穫はなくこの日の訪問は終わりました。

この写真を撮影した7年後の1987(昭和62)年には“川口工場”は埼玉工場と名を変えました。工場内には「川口ビール園」なども併設されて賑わっていたようですが、2003(平成15)年秋に工場自体が閉鎖され、現在では跡地は現在スポーツクラブとなっています。ちなみに専用線の用途廃止は1986(昭和61)年秋だったそうです。

keihaku-banner2.jpg

レイル・マガジン

ネコ・パブリッシングCopyright © 2005-2018 NEKO PUBLISHING CO.,LTD. All right reserved.