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烏來台車の決定版。

uraihyou1.jpg台湾の洪致文さんから『沿著輕軌私遠足ー烏來台車與台車博物館的故事』と題する新刊を頂戴しました。烏来(ウーライ)は台北から1時間ほどの台北県最南端に位置する景勝地で、烏来の語源がタイヤル族の温泉を意味する古語からきていると伝えられるように、現在では台湾有数の温泉地としても広く知られています。そして古くからこの烏来郷の交通機関として親しまれてきたのが「台車」と称する人車軌道です。現在では車輌も動力化されすっかり観光用となっていますが、本書はこの烏来台車の歴史を、豊富な資料と写真によってひもとく異色の一冊です。
▲『沿著輕軌私遠足ー烏來台車與台車博物館的故事』表紙。行政院農業委員会林務局発行/230×165㎜判オールカラー252頁/定価350元(日本円換算約1200円)
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▲巻頭の歴史編では多くの貴重な写真を用いて台湾の「台車」の歴史を詳述している。日本時代の台湾総督府が定めた「台湾私設軌道規程」がその基礎となっており、人力や水牛などの畜力(右)はもとよりのこと、“風帆”による風力鉄道(左)も出現したそうだ。かつて本ブログで風車鉄道を紹介したことがあるが(→こちら)台湾にも実用例があったとは…。(『沿著輕軌私遠足ー烏來台車與台車博物館的故事』より)
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urai3n.jpg今でこそすっかり姿を消してしまいましたが、かつてこの「台車」と呼ばれる人車軌道は台湾各地で目にすることができました。本書所収の洪致文さんの研究によると、その発端は日本時代の1912(明治45)年に台湾総督府が制定した「台湾私設軌道規程」に遡り、同規程が蒸気、ガソリン、電気等の動力を認めず、人力、畜力によるものとしたことから独特の発達が始まったとされます。施行からわずか3年後の1915(大正4)年には台湾全土で延長697マイル(約1115km)、台車総数5363輌にも達したそうですから、民間企業を中心にいかにこの規程が歓迎されたかが伺い知れます。ちなみに、ほぼ同時期に日本本土で施行された「軽便鉄道補助法」(1911年)が爆発的な軽便鉄道敷設ブームを巻き起こすのと機を一にしているのも注目されます。
▲現在はバッテリー動力によって観光鉄道となっている烏来。今では日本からも多くの観光客が訪れる。(『沿著輕軌私遠足ー烏來台車與台車博物館的故事』より)
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▲洪致文さんが担当した「日本時代台灣的輕便軌道與労資問題」。戦前の日本時代に特異な発展を遂げた「台車」の消長を数々の統計と写真を用いて説き明かしている。(『沿著輕軌私遠足ー烏來台車與台車博物館的故事』より)
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本書はおおまかに歴史編、携わった人々のオーラルヒストリー、軌道跡探訪、そして第一期工事が完了した烏来台車博物館の紹介で構成されており、歴史的写真がふんだんに盛り込まれています。なかでも注目されるのは百ページ以上を割いている歴史編で、単なるトロッコと思われがちな「台車」が、日本の殖民地政策の中で殖産の手段としてどのような発展を遂げてきたのかが、多くの資料を交えて綴られています。主題である烏来台車にしても、三井財閥による森林開発と製茶事業が誕生の背景にあることが知れます。なお、折込付録として烏来にまつわる戦前の絵図が2点添えられていますが、うち1点は鳥瞰図絵師として知られる吉田初三郎が1935(昭和10)年に描いたもので、これまた貴重な資料といえましょう。

urai6n.jpgところで本書を送ってくれた洪致文(Hung Chih Wen)さんは、台湾鉄道趣味界の若手のホープ…というより今や第一人者のお一人です。台湾の鉄道趣味の開拓者でもあり最長老の古仁榮先生から紹介を受けて最初にお会いしたのが1993年2月のことですから、早いものでもう15年も前のことになります。洪さんは当時、国立台湾大学の学生でしたが、すでに前年に最初の著作である『台湾鐵道傳奇』を上梓、あっという間に数々の賞を受賞され、日本にもその名が聞こえはじめていた頃でした。その後、ご専門の大気科学の学位取得のためカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に留学、現在では台北で学者としての日々を送っておられます。
▲烏来台車博物館では経験者による伝統的な「台車」の製作方法を記録に残す取り組みも行なわれているという。(『沿著輕軌私遠足ー烏來台車與台車博物館的故事』より)
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smallrailstothemine.jpgその洪致文さんが先鞭をつけた感のある台湾の鉄道図書出版ですが、この十年ほどで実に多くのテーマが書籍化されてきました。残念ながら途中頓挫してしまった鉄道雑誌もあったものの、質量ともに驚くべき発展ぶりといっても過言ではないでしょう。かつて主要橋梁や隧道にはトーチカが建てられ歩哨が監視していた状況を思うと、まさに隔世の感と言わざるをえません。そんな中、この『沿著輕軌私遠足ー烏來台車與台車博物館的故事』を手にして久しぶりに本棚から取り出してみたのがチャールズ.S.スモールさんの『RAILS TO THE MINE』です。
▲C.S.スモール氏による『RAILS TO THE MINE Taiwan's Forgotten Railways』(1978年)。台湾の「台車」の世界を総合的に紹介した初めての本であった。

ちょうど30年前、戒厳令下だった台湾の「台車」、つまりは人車鉄道を克明に調査したこの本は、フォトジェニックな写真や手書の美しい線路配線図とあいまって、深く心に刻まれる一冊でした。この本で烏来台車のゲージ(545㎜)がフィート・インチでもメトリックでもなく、和式の尺と寸に基づいている(1尺8寸)ことを初めて知ったのも昨日のことのように覚えています。それだけに今回の『沿著輕軌私遠足ー烏來台車與台車博物館的故事』巻末の多くの参考文献の中に、このスモールさんの『RAILS TO THE MINE』が見出せなかったのは、個人的には少々残念な気もします。

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