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薄命の層雲峡森林鉄道。

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▲層雲峡発電所の下流2キロほどの地点に残る謎の石狩川橋梁。層雲峡森林鉄道の遺構とされるが、残念ながら確証は得られなかった。'07.9.17

昨日ご紹介した丸瀬布森林公園いこいの森に続いて、かねてより気になっていた層雲峡森林鉄道の跡をのぞいてきました。層雲峡森林鉄道は石北本線の上川駅を起点に、奇岩が続く景勝の温泉地として知られる層雲峡へと路線をのばしていた旭川営林局上川営林署の森林鉄道で、着工は戦中の1944(昭和19)年、延長は19,025kmに及びました。

souunkyou2n.jpgこの森林鉄道が不思議なのは戦後の1949(昭和24)年に全線が開通しながらも、なんとその翌々年1951(昭和26)年には撤去・自動車道化されてしまった点です。林政統一後の層雲峡国有林開発計画の一環としていちはやくトラック輸送に転換を図ったため…とされていますが、なんとももったいない話ではあります。ちなみに『旭川営林局史』(1960年)によれば、層雲峡森林鉄道の生産材輸送実績は昭和23年度72,000石、24年度62,000石、25年度38,000石、最終の26年度に47,000石と記録されています。
▲層雲峡キャンプ場横に続く軌道跡。写真右手が石狩川。'07.9.17

さらに興味深いのは、層雲峡森林鉄道廃止3年後の1954(昭和29)年、春の旋風と秋の台風15号によって層雲峡地区に空前の風倒木が発生し、この処理のために隣の北見営林局に応援を求め、留辺蘂からの温根湯森林鉄道が石北峠を超えてここ層雲峡まで延長された点でしょう。「大幅の計画の変更を余儀なくされた」(前掲『旭川営林局史』)とはいうものの、一旦は軌道を撤去した層雲峡地区に、今度は他局の軌道が敷設されるとはなんとも皮肉な展開です。

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さて、層雲峡森林鉄道そのものはこのように実質4年ほどの薄命に終わったため、残された資料はことのほか少なく、各縮尺の地形図にもついに記載されることがありませんでした。それだけに果たして遺構らしきものが発見できるものか案じられましたが、石狩川沿いの軌道跡は何箇所かそれらしき痕跡を残していました。
軌道の隧道ではないものの、層雲峡温泉街の地獄谷を潜る層雲峡隧道はトラック転換時に2年近くの工期をかけて掘削された延長417mのトンネルです。この層雲峡隧道、温泉中心街を避けるために開削されたもので、それまでの軌道時代は、観光地・地獄谷の絶壁に設けられた木橋上を散策する湯治客があとを絶たず、おまけにあたりには温泉の湯気が立ち込めており、運材列車の運行に支障をきたすこと甚だしかったと伝えられます。
▲キャンプ場に隣接した「自然観察舎」の奥へと続く軌道跡(左)を辿ってゆくと層雲峡隧道の下り方ポータルを発見。残念ながら崩落して半分埋まってしまっている。'07.9.17

さすがに半世紀以上も前に廃止された軌道とあって、何か手がかりはと伺ったビジターセンターでもこれといった収穫はありませんでした。ただ発電所の下流側に橋梁が残っているとのことで、さっそく確認に行きました。層雲峡森林鉄道本線には25箇所の橋梁があったとされ、そのひとつかも知れません。ただ、潅木に阻まれて近寄ることができないため詳細はわかりませんが、どうも軌道橋ではなくトラック道に転換した際の橋のようでもあります。

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▲そしてこちらが層雲峡消防署の構内裏手に残る上り方ポータル。署員の方に藪漕ぎをして案内していただいた。工費8604万円、セメント927tが使用されたというたいへん立派なもの。'07.9.17

昨年は北見方の温根湯森林鉄道跡を垣間見ましたが、今回は石北峠の逆側、層雲峡森林鉄道をのぞくことができました。わずかな期間ながら、「雨宮21号」の僚機18号も活躍していた薄命の層雲峡森林鉄道に思いを馳せた一日でした。

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