鉄道ホビダス

魚梁瀬森林鉄道跡をゆく。(下)

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▲「赤鉄橋」の通称で親しまれ、現在は遊歩道の一部として保存されている安田川線明神口橋梁。1929(昭和4)年に木製トラス橋から架け替えられたものという。'07.7.20
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田野貯木場から海沿いを西進し、安田川左岸に取り付いた魚梁瀬森林鉄道安田川線は、しばらく緩やかな川の流れに寄り添うように上流へと遡ってゆきます。現在、県道は右岸を通っており、通行量のない左岸の軌道跡は驚くほどはっきりと残されています。

yasudagawa2nn.jpgかつての本線であったこの安田川線最大の遺構は、大河を思わせる安田川が次第に山深くなり渓谷と化した明神口に架かる明神口橋、通称「赤鉄橋」です。 『魚梁瀬森林鉄道』によればかつては木製のトラス橋だったこの明神口橋が鉄橋に架け替えられたのは1929(昭和4)年、つまりは奈半利川線が着工された年だったそうです。魚梁瀬森林鉄道は最終的には奈半利川線が輸送の中心となってゆきますが、この橋梁は安田川線の輸送力確保が急務だった時代の名残と言えるかもしれません。安田川線はこの明神口橋を渡ると県道と同じ右岸に移り、明神口停車場を経て馬路へと向かいます。
▲県道から明神口橋をのぞむ。この橋梁から下流側(画面右側)は県道の対岸に軌道跡がそっくり残されている。'07.7.20
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▲旧版地形図に見る魚梁瀬森林鉄道安田川線。田野貯木場から安田川を遡った軌道は馬路を経て釈迦ヶ生で奈半利川線と合流して魚梁瀬をめざす。左隅に位置するのが明神口橋。(地理調査所発行1:50000
地形図「馬路」昭和35年発行より加筆転載)

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yasudagawa3nn.jpg河口付近(安田不動)からこの明神口橋までの軌道跡は農道(遊歩道)などに転用されており、比較的容易くトレースすることが可能です。ことに内京坊地区から明神口橋までの区間は線路を剥がしたそのままと言っても良いくらいくっきりと軌道跡が残されています。農耕車が通るのか轍跡もついていますが、さすがに一般車で通行するのは憚られる狭隘な山道で、途中には隧道もそのまま残されています。明神口橋から上流の馬路方が県道の改修工事などで痕跡が少なくなってしまっているのに対して、この付近が安田川線廃線跡探訪のハイライトと言えるでしょう。
▲内京坊付近まで安田川を下ると、険しい峡谷は緩やかな山里の風景へと変わる。軌道跡も河岸に寄り添うように海(画面前方)を目指す。'07.7.20
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▲現在でも当時のトンネルが3箇所ほど残されており、農道として一部は通行も可能。立派な石積のポータルがこの森林鉄道の規模を物語る。'07.7.20

ところで、この明神口橋を含む安田川線廃線跡のハイライト部分は行政区分とすると安田町に属します。同様に初回にご紹介した奈半利川線法恩寺参道跨線橋は奈半利町、次にお目にかけた立岡のコンクリート高架橋は田野町と、管掌自治体が複雑に入り組んでいます。もちろん線名でもある魚梁瀬は馬路村、さらに奈半利川線の大半は北川村と、いわば沿線自治体が5町村ある形です。日本鉄道保存協会の加盟団体でもある馬路村で保存活動の中心となってきた清岡博基さん(馬路村村議会議長)によれば、現在、これまでにご紹介してきたような森林鉄道遺構群を5町村共同で顕彰し、後世に残してゆこうという取り組みが始まっているそうです。