鉄道ホビダス

訃報、吉川文夫さん。

yushikawasan1n.jpg
今朝、国際展示場駅を降りてJAMコンベンション会場へ向かう途中のことです。携帯電話が鳴り、吉川文夫さんの訃報に接しました。降り注ぐ灼熱の太陽光の下で、一瞬立ちくらみがするようなショックでした。かねてより体調を崩されておられたのは伺っていましたが、11日朝、息を引き取られたそうです。
▲吉川さんが遺してくれた著作の数々。このほかにも共著ではRMライブラリー『静岡鉄道開秋葉線』や『N電 京都市電北野線』、さらに佐竹保雄さん・佐竹 晁さんご兄弟の『私鉄買収国電』や、三谷烈弌さんのRMライブラリーNo.50『昭和の記憶』の解説原稿も担当していただいている。

yoshikawasan2nn.jpg吉川文夫さんは1932(昭和7)年12月のお生まれ。日本大学工学部を卒業後、池貝鉄工㈱に勤務、その後は関東学院大学、神奈川大学の非常勤講師をお勤めになられました。鉄道友の会は創立以来の会員で、東京支部長、理事などを歴任され、さらに長らく副会長の要職に就いておられました。
▲長年にわたって愛用されていたパールⅣ型を手にインタビューに応える吉川文夫さん。(『鉄道写真2004』所収「ちび助力走 吉川文夫さん」より)

yoshikawasan5n.jpgこれまでに数多くの弊社刊行物にご執筆をいただきましたが、ことに格別のお力添えを賜ったのはRMライブラリーでした。シリーズ構想段階から企画を絶賛、バックアップしていただき、3巻目では自ら『私鉄買収電機の系譜』を記してくださいました。さらに「ライブラリーで次はこんな企画はどうだろう」と、ご自身のみならず数多くの著者の皆さんとの橋渡し役まで務めてくださったのがありがたく、強く印象に残っています。
▲1953(昭和28)年5月1日、日立電鉄車庫で見かけた単車客車の廃車体台枠に付けられていた銘板のスケッチ。この頃からこまめにメモをとる姿勢は一貫していた。(『鉄道写真2004』所収「ちび助力走 吉川文夫さん」より)

yoshikawasan3n.jpg数年前から体調を崩され、それでも長い原稿は無理だがエッセー的なものなら…と仰っておられたのですが、ここ最近は入退院を繰り返されておられ、ご執筆をお願いできる状況ではなくなってしまいました。筆まめな方で、たびたび特徴ある鉛筆文字のお手紙を頂戴していたのですが、今年になってからはそれも途絶え、春にご返送いただいた『新版 総天然色のタイムマシーン』の印税契約書のご署名が、私にとっての吉川さんの絶筆となってしまいました。
▲ノートにきちんと書き連ねられた吉川さんの撮影メモ。まさに吉川さんの鉄道趣味の原点とも称せよう。(『鉄道写真2004』所収「ちび助力走 吉川文夫さん」より)

yoshikawasan6n.jpg
身長178センチと長身ながら、周囲を威圧することなく常に温和な空気の中におられた吉川さん。その力まない軽妙洒脱な原稿も吉川さんならではのものでした。とかく持てる知識の100%、いやあるはずのない120%を使って執筆しようとしがちな方が多いなか、吉川さんはその豊富な知識の一部を使って、読み手にわかるように、興味を膨らませてくれるように慮って書いてくれる稀有な方でした。しかもそのベースとなっている知識は信じられないほどの広範囲に及んでおり、鉄道趣味界にとってもその喪失感は語り尽くせないものがあります。
▲1961(昭和36)年6月11日、鉄道友の会機関車グループの小旅行の際の記念撮影。カプラーの左、ワイシャツ姿が吉川さん。ちなみに煙室上の左端が現『鉄道ファン』名誉編集長の宮田寛之さん、その横が広田尚敬さん。(『鉄道写真2004』所収「ちび助力走 吉川文夫さん」より)
クリックするとポップアップします。

■吉川文夫さんご葬儀
会 場:カドキホール (鎌倉市御成町3?5)
お通夜:8月12日(日曜日)18?19時
告別式:8月13日(月曜日)12?13時

どうもまたどこかで、あの長身をちょっと曲げるような仕草で「よっ」と声をかけてくださるのではないだろうか…そんな思いがしてなりません。
深くご冥福をお祈り申しあげます。

yoshikawasan4n.jpg
▲地元の江ノ電を愛し続けてこられた吉川文夫さん。新500はお乗りになりましたか、と電話でお伺いすると「体調がすぐれなくてまだなんだよ…」と仰っておられたのが思い起こされる。果たしてお乗りになることはできたのだろうか…。(『鉄道写真2004』所収「ちび助力走 吉川文夫さん」より 撮影:広田尚敬)

レイル・マガジン

ネコ・パブリッシングCopyright © 2005-2018 NEKO PUBLISHING CO.,LTD. All right reserved.