鉄道ホビダス

C12重連、一度きりの邂逅。

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▲明け方から降り出した雨は、お目当ての重連793レが神土を発車する頃には結構な強さとなってきた。やむなく岩陰で雨を避けながら重連の通過を待つ。'70.8

関東圏でかろうじて1970(昭和45)年まで蒸気機関車が残されていた線区のひとつに足尾線があります。他所がD51やC58ばかりなのに対して、C12が、しかも重連運用を交えて活躍しているとあって、是非とも足を運んでみたい路線のひとつでした。

ashio12n.jpgところが、両毛線まで“東京近郊区間”の範疇となってしまった現在とは異なり、東京から足尾線への旅はそう容易いものではありませんでした。もっとも一般的なのは東武鉄道経由のアプローチでしょうが、私のように東京西部に居住する者にとっては東武鉄道伊勢崎線にとりつくまでが一苦労。「八ヶ岳高原号」で乗り換えなしで行ける小海線より遠い、というのが偽らざる感覚でした。
▲篠つく雨をついて足尾で入換えに励む高崎一区のC12。足尾本山までの区間運転も行われていた。'70.8
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▲逆機で神土を発車、渡良瀬川に沿って小中へと下ってゆく792レ。'70.8

それだけに計画を立てては頓挫していたのですが、無煙化を二ヶ月後に控えた1970(昭和45)年8月、ようやく重い腰を上げて桐生へと向かいました。この時点でお目当ての重連、しかもチムニーファーストの下り重連の設定は一日2本のみ。さらにそのうちの1本は足尾着8:01(791レ)と、東京からではとても間に合う時刻ではありません。つまり実質上はワンチャンス(793レ)しかないわけです。

ashio14n.jpg793レは神土で次位補機(なぜか本務が先頭)を連結して足尾までの区間が重連となりますから、なにはともあれ神土へと向かいました。フランジの片減りが激しいと聞く足尾線だけに、渡良瀬川沿いの線路は右へ左へと激しくカーブ(R120!)を繰り返し、簡易線用のC12が生き残ってきた理由を実感しつつ神土駅へ。途中から降り始めた雨は次第に強さを増してきており、793レを迎え撃つべく草木方面に歩きはじめた頃にはすっかり本降りとなってしまいました。結局、足尾名物のリム300(土運車)の列を牽くお目当てのC12重連は、雨を避けながらの痛恨のカットとなってしまったのでした。
▲転車台設備のない足尾線では上り列車は常にバック運転となる。今やダム湖の底に沈んでしまった名所・渡良瀬川第一橋梁をゆく逆機重連の790レ。'70.8
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ashio11n.jpgところでこの793レと神土で交換する上り重連貨物790レを有名な渡良瀬川第一橋梁で撮ろうと、雨で足元のおぼつかない斜面をよじ登りはじめた時のことです。なにしろ田中正造以来のはげ山ゆえ、足元が一気に崩れ、カメラ機材一式を抱えたまま派手に滑落してしまったのです。幸いにも切り株に掴まって数十メートル下の渡良瀬川に転落することは免れましたが、あれから37年、いまさら思えば、へたをすると今こうやってパソコンに向かっている自分自身がいなかったかも知れません。
▲単機で猛然と神土を発車するC12 263〔高一〕の797レ。ここから足尾本山まで険しい勾配と曲線が続く。'70.8
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一向に雨も止む気配がなく、滑落でずぶ濡れになってしまったこともあってすっかり意気消沈。しかも場合によっては重連の可能性もありと聞いていた797レも単機…なんとも散々な一日ではありました。いったいどういう経路で何時頃に東京に戻ったのかもまったく記憶になく、かくして一度限りの足尾線C12重連との邂逅は幕を閉じたのでした。

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