鉄道ホビダス

太平洋石炭販売輸送を訪ねる。(下)

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2002(平成14)年の太平洋炭礦の閉山により、一時はこの太平洋石炭販売輸送線の存亡も取りざたされましたが、地域経済への影響を懸念する地元経済界などの懸命の努力が実って、幸いにも太平洋炭礦は新会社「釧路コールマイン」として再出発、それにともなって太平洋石炭販売輸送線も運転本数を減じつつも命脈を保つこととなりました。
▲D401と並ぶDE601。D401は1964(昭和39)年日本車輌製のBB型機で、近年すっかり見かけなくなってしまったロッド式DL。ボンネット上の巨大な板は選炭機から落下する石炭でクーリングファンが破損するのを防ぐためのもの。'07.1.20

taiheiyousekitanhannbai12n.jpg今回の訪問では、釧路商工会議所の情野裕良さんと釧路市博物館の石川孝織さんのご案内でその釧路コールマイン㈱も表敬訪問、ビデオ等で採掘状況のレクチャーを受けることもできました。現在、釧路コールマインは国の「炭鉱技術移転五カ年計画」に基づいて、坑内堀技術を海外産炭国に移転するための海外研修生の受け入れをひとつの使命としており、研修用施設や宿泊用施設がそこここに見受けられます。この国際的研修事業に関しては訪問前にも耳学問として知ってはいたのですが、お話を聞いていてちょっと驚いたのは現在の出炭量です。なんと年間70万トンにおよぶ出炭量があるそうで、太平洋炭礦時代の最大出炭量(210万トン)には遠く及ばないものの、かつての準大手炭礦の出炭量レベルは維持していることになります。
▲DE601のスノープラウには茶目っ気たっぷりな“顔”が描かれている。職員の方のユーモアだそうだが、この鉄道を愛する心がひしひしと伝わってきて何とも嬉しい。'07.1.20

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▲選炭工場全景を見る。手前の巨大なシックナーの先に太平洋石炭販売輸送の線路が見える。丘の最上部にわずかに見える架線柱の列がかつての2フィートナローの線路跡。'07.1.20

研修用に“試掘”程度(失礼!)に掘っているととんだ勘違いをしていたこの釧路コールマインですが、出炭した石炭は大部分が太平洋石炭販売輸送線で知人へと運ばれ、全国各地の主に火力発電所へと航送されているそうです。一部はまだまだ道内では需要のある家庭用暖房炭として袋詰めされ、トラック輸送されているものもあるとのことですが、出炭量70万トンの大半は“シャトルトレイン”によって運搬されているわけです。

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この釧路コールマインにお邪魔した道すがら、実に懐かしいものを見かけました。太平洋炭礦時代からの2フィートゲージの電気鉄道で、お話によれば坑木や資材輸送用にほんの一部区間が残されているのだとか…。実はこの2フーターはかれこれ30年以上前に足しげく通ったもので、思わず懐かしさがこみ上げてきました。
▲釧路コールマインとなった今も、わずかな区間ながら坑木の輸送等に2フィートナローが残されている。構内はもちろん厳重に立入禁止だが、この写真のように公道からもその活躍を垣間見ることができる。'07.1.20

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▲最盛期の太平洋炭礦坑外軌道。2フィートゲージのさながらスライスチーズのような東芝製凸電がところ狭しと走りまわっていた。画面前方が選炭場の上部となる。'75.3.29

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▲釧路臨港鉄道春採駅から太平洋炭礦の坑外ナローを見上げる。当時はこのナローも24時間体制で運転されていた。'75.4.2

釧路臨港鉄道の春採駅脇のインクラインをよじ登って選炭機上のこの2フーターに辿り着いた時の感激は今もって忘れられません。ひょろ長いスライスチーズのような電気機関車がまさにうようよと走り回っているではないですか。構内に敷かれた線路もエンドレスあり、リバースあり、インクラインありとまさに縦横無尽。事務所での暖かいもてなしもあって、その後いくたびか再訪した思い出の場所です。太平洋石炭販売輸送線もさることながら、今回の釧路訪問で個人的にもっとも印象深かったのは、三十数年ぶりに目にしたこの2フーターの姿でした。

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釧路臨港鉄道時代の地形図。釧路川河岸の城山駅から国鉄線との接続駅東釧路を経て春採、知人、そして入舟町へ至るほぼ円周状の11.4kmの路線が見てとれる。(参考:東釧路~臨港間の線路平面図)春採駅南の興津方面に伸びているのが運炭用坑外ナロー線である。国土地理院発行1:50000地形図「釧路」(昭和46年発行)より転載。
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▲最後に手持ちの竣功図の中から釧路臨港鉄道を走った魅力的な車輌を1輌ご紹介してみよう。もと渡島海岸鉄道の気動車キハ101(1936年日車製)で、戦後になって釧路入りし、のちにこの竣功図に見られるように客車化されて活躍した。こんな車輌に乗って春採湖畔や知人の海岸を走れたらどんなに素晴らしいことだろう。
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