鉄道ホビダス

八高線・蒸気機関車最後の冬。

hachiko2n.jpg
毎年12月の声を聞くと必ず思い出すのが蒸機時代の八高線です。東京在住のファンにとって、新小岩、新鶴見とともに最後に残された近隣の現役蒸機が八高線でしたが、前二者に比してそのロケーションは抜群で、ことに当時まだ色濃く残っていた“武蔵野”の面影は大きな魅力でした。その武蔵野の風景がひときわ際立つのが冬です。
▲冬枯れの武蔵野を快走するC58。LP405形前照灯、皿付きの回転式火の粉止め、ボイラー上の逆止弁、未撤去の蒸気排気管カバー…等々、決して格好良くはないが、どこから見ても馴染み深い関東のカマだ。'69.12 東飯能?高麗川

hachiko4n35.jpg1969(昭和44)年10月改正で川越線が無煙化され、“ニクロハッサン”の愛称で親しまれた29683をはじめとした大宮区の9600はDE10に置き換えられてしまいましたが、八王子区と高崎一区のD51とC58には変化はなく、この年の暮れの八高線はまだまだ蒸機天国の様相を呈していました。しかし、すでに翌年1970(昭和45)年秋の無煙化は覆りようのないものとして迫りつつあり、年明けになると、新製投入されるDD51の試運転が開始されると噂されていました。
▲西武線との接続駅東飯能には給水設備もあった。C58の牽く区間貨物263レは小入換えのためしばらく停まる。'69.12 東飯能

hachikoc58n1.jpg
八高線訪問は早朝の西武線の元加治駅から入間川橋梁を目指すのが常でした。紅葉から冬枯れへと変化しつつある雑木林からはムクドリの声が響き、西武の岩沢河岸貨物線跡から入間川に出る頃には、入間川橋梁の10mレールを渡るキハのせわしない遊間音が響いてくる…身の引き締まる冷気の中で、八高線撮影の一日が始まるのです。
▲東飯能を発車、軽快なブラスト音を響かせて鹿山峠への助走にかかる263レ。先頭に立つのは高崎一区のC58 263 。この機関車はのちに敦賀一区に転じ、小浜線で再会することになる。'69.12 東飯能?高麗川

hachikotimetable.jpg
hachiko3n.jpg
改めて当時のダイヤをひも解いてみると、一部の貨物がDE10にとって代わられたとはいえ、実に25本もの蒸機牽引列車が設定されており、いまさら思えば夢のような状況でした。もちろんその中にはD51重連5本も含まれています。
▲武蔵野の屋敷森をすり抜け、D51重連の2285レがいよいよ鹿山峠へとスパートをかける。'69.12 東飯能?高麗川

hachiko6n35.jpg機関車はといえば、新鶴見区のカラスガマと双璧(?)をなすほどお世辞にもきれいとはいえない八王子区と、かたや高崎一区の受け持ちで、いずれも大宮工場施工機。“クルクルパー”と通称された回転式火の粉止めと、どうにも間の抜けた位置に増設されたLP405補助灯が興をそぎますが、今となっては大宮工特有の煙室扉ハンドルとともに、その姿はさながら旧友のように懐かしくさえあります。
▲当時の高麗川は見渡す限りの平野だった。ただ隣接する日本セメントからの出荷で高麗川駅の貨物扱い量は常に全国十位以内に入っており、煙の絶えることがなかった。D51重連で高麗川を発車してゆく264レ。'69.12 東飯能?高麗川

hachikod51n1.jpg
▲高麗川の駐泊所にはいつも何輌かの蒸機たちがたむろしていた。1283レで到着し構内外れの転車台に向うD51 141〔八〕とD51 207〔八〕。'69.12 高麗川

D51重連の1283レの高麗川到着が15時08分。冬の日は短く、次の上り242Dに乗り込む頃には、夕日ははるか秩父連山に吸い込まれてゆこうとしています。
数々の名場面、名撮影地を体験しながらも、この季節になると、あの変哲のない冬枯れの八高線へと意識が戻っていってしまうのはなぜなのでしょう…。